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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-8-4  高知県の文化財

8-8-4 高知県文化財

 

 

 

 8-8-  高知県の建造物文化財の探訪

 

 

  高知県文化財HP

 

 

高知

文化財名称

指定時期

住所

特長

建立年代

1

 

朝倉神社本殿

昭和24.02.18

高知市朝倉

桁行三間梁間二間、切妻造

1657

2

 

土佐神社本殿、
幣殿、拝殿

昭和37.08.29

高知市一宮

桁行五間梁間四間、入母屋

1571頃

 

 

    楼門

昭和57.02.16

 

三間一戸楼門、入母屋造

1631

 

 

    鼓楼

昭和9.01.30

 

桁行三間、梁間二間、袴腰

1649

3

 

不破八幡宮本殿

昭和38.07.01

四万十市不破

三間社流造、こけら葺

1559

4

 

鳴無神社 本殿

昭和28.03.31

須崎市浦ノ内奥浦東分

三間社春日造、こけら葺

1663

 

 

    幣殿、拝殿

昭和28.03.31

 

桁行一間梁間三間、切妻造

1663

5

国宝

豊楽寺薬師堂ぶらくじ

昭和27.11.22

長岡郡大豊町

桁行梁間共5間 入母屋造

1151頃

6

 

金林寺薬師堂

平成14.05.23

安芸郡馬路村馬路

桁行三間梁間四間、寄棟造

室町後期

7

 

国分寺金堂

明治37.08.29

南国市国分

桁行五間梁間五間、寄棟造

1558

8

 

竹林寺本堂

明治37.08.29

高知市五台山

桁行五間梁間五間、入母屋

室町後期

9

重伝

安芸市土居廓中

平成24.07.09

安芸市

9.2ha 武家町

江戸末期

10

重伝

室戸市吉良川町

平成9.10.31

室戸市

18.3ha在郷町

 

  


 

 

1、朝倉神社本殿

 

寺社名

 朝倉神社

所在地

高知県高知市朝倉丙2100

周辺環境

この神社はJR土讃線・朝倉駅から100m程西の踏切を北に越えると、すぐに入口があります。

200mも続く長い参道からは、神体山である赤鬼山が、神社の背後に聳えているのが良く見えました。境内入口には土佐二代藩主・山内忠義公が寄進した石灯籠が建ち、奥には重厚な拝殿や国重要文化財指定の極彩色の本殿、境内社などが、落ち着いた佇まいの境内に建立されていました。

歴史由緒

今日の通説では、『日本書紀』の記事に対して「朝倉橘広庭宮」は福岡県朝倉市山田または朝倉市須川、「朝倉社」は麻氐良布神社(福岡県朝倉市杷木志波、式内社)に比定される。

百済救援の行軍であることからして常識的には土佐説よりはこの筑紫説が採られるが、『風土記』や『延喜式』に「朝倉郷の社/朝倉神社」と明記されていることを基に、土佐説の指摘が中世以来の史料で散見される

創建

創建は不詳

祭神

天津羽羽神 天豊財重日足姫天皇

 赤鬼山(神体山)

社格

式内社(小) (伝)土佐国二宮 旧県社

 

                8-8 朝倉神社本殿 20150306

 

建造物

 本殿

建立

 

指定年

昭和24218

様式形式

三間社切妻造

再建

明暦3年(1657)

確証附

棟札7枚

平面形状

桁行3間、梁間2間

屋根

 

屋根頂

千木3個、勝男木5本

立面外観

切妻屋根の正面に唐破風

 

外周縁

 

 

1間の向拝

中備

 

 

 

見所

斗栱や木鼻には繧繝(うんげん)。蟇股や手挾などには極彩色。脇障子や壁板などには絵画

高欄や建具などは漆塗り

県内でも他にない華麗絢爛な建築である

修理履歴

平成3~5年に屋根葺替・部分修理、国の指定により日光東照宮の塗料と同じものを使用

文化庁

説明文

なし

県説明文

 

 

 

2、土佐神社本殿

 

寺社名

 土佐神社

所在地

高知市一宮しなね2丁目16-1

周辺環境

高知市北東部、南国市へと通じる大坂越えの西麓に鎮座する。

古くは『日本書紀』や『土佐国風土記』(逸文)に記述が見え、古代から中世・近世を通じて土佐国の総鎮守として崇敬された、高知県を代表する古社である。

歴史由緒

『釈日本紀』(鎌倉時代末期成立)によると、雄略天皇(第21代)4年2月に天皇が大和葛城山にて狩りをしている最中、天皇は一言主神と出会ったが、その不遜な言動により一言主神を土佐に流した。一言主神は、土佐において初め「賀茂之地」に祀られ、のち土佐高賀茂大社(土佐神社)に遷祀された。その後天平宝字8年(764年)、賀茂氏の奏言により大和国の「葛城山東下高宮岡上」に移されたが、その和魂はなお土佐国に留まり祀られている、という。

土佐神社側では、この記事をもって雄略天皇4年が神社の創建と伝える。初めに鎮座した「賀茂之地」の比定地には、西方の賀茂神社(幡多郡黒潮町入野、式内社)、賀茂神社(須崎市多ノ郷)、鳴無神社(須崎市浦ノ内)など諸説があるが明らかでない

創建

(伝)第21代雄略天皇4年

祭神

味鋤高彦根神 一言主神 

札所

式内社(大) 土佐国一宮  旧国幣中社 別表神社

社殿

主要社殿は本殿・幣殿・拝殿から成り、本殿前に建つ幣殿と拝殿は平面「十」字形を成す。これらは本殿を頭としたトンボ(蜻蛉)が飛び込む形を表す「入蜻蛉(いりとんぼ)」形式といわれ、戦からの凱旋報告を意味するとされる土佐神社独特なものである。本殿(1棟)と幣殿・拝殿(合わせて1棟)は、いずれも国の重要文化財に指定されている。

県指定

 

 

 
              8-8土佐神社本殿

建造物

 本殿

建立

元亀2年頃1571頃

指定年

明治37年8月29日

様式形式

 

再建

 

確証附

棟札

 

〈本殿〉 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、向拝三間、こけら葺

     外面は全体に極彩色で彩られ随所に彫刻が施されており、本殿内部は内陣・外陣に分か
     れ
ている。全体的に寺院の本堂に近い造りになる。

〈幣殿〉 桁行三間、梁間三間、一重、背面切妻造、正面拝殿に接続、 こけら葺

〈拝殿〉 中央高屋根 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、こけら葺

〈拝出〉 桁行七間、梁間一間、一重、正面切妻造、こけら葺、 背面高屋根に接続、

〈左右翼〉 各桁行五間、梁間一間、一重、一端切妻造、他端高屋根に接続、こけら葺

 

修理履歴

昭和62年 半解体修理  本殿 平成10年 屋根葺替   幣殿・拝殿 平成20年:屋根葺替

高知県

説明文

本殿

 一重 入母屋造 柿葺 向拝付  1571(元亀2)年

 桁行五間、梁間四間で、勾欄付廻縁をめぐらし、両側面中央の柱筋に脇障子を建て、全面に三間の向拝を付ける。柱はすべて円柱で、柱上に唐様の三つ斗組を置き、中備には蟇股を置く。正面中央の間は桟唐戸で、両脇間は格子戸を建て込み、両端の間は舞良戸とする。各間とも幣軸を付ける。両側面は前端の間、背面は中央の間にそれぞれ両開きの桟唐戸を釣り込み、他はすべて板壁である。内部は入り側一間通りが外陣で、中央の三間に二間を内陣とする。軒は二軒繁たるき、妻は二重虹梁、大瓶束の方式で中央に地方色豊かな大蟇股を置いている。向拝は方柱で、魚や龍の彫刻がほどこされ、また随所に繰形の大きな木鼻を用いているが、彫刻類の彫りが浅く肘木の断面をはみださない点は古めかしく、形も優れている。柱廻り、幣軸、建具は漆塗り、虹梁、頭貫、斗きょう、蟇股、丸桁廻りは極彩色、軒廻りは丹土と胡粉塗りである。軒反りの大きな屋根、繊細な木割り、和様と唐様の混用等から、神社の本殿というより仏寺の本堂といった方がより相応しい建物である。

 

幣殿・拝殿

 一重(拝殿二重) 切妻造 柿葺  1571(元亀2)年

 本殿前桁行二間、梁間一間が幣殿で、それに続く一間四方の部分が本来の拝殿、更に左右に桁行四間、梁間二間の拝の翼がそれぞれのび、前方には桁行六間、梁間一間の拝の出がのびていて、幣殿・拝殿は十字形の平面である。床は幣殿が一番高く、一段さがって拝殿と翼殿の床が張られ、更に一段さがって拝の出の床が張られている。左右の翼殿の前方と拝の出の左右は軒を支える桁をかけ角柱で支えるが、この部分も一段低くなっている。柱は軒受けのものを除いて大きな円柱で、斗きょうはいずれも舟肘木の簡素なものである。屋根はこけら葺の単層切妻だが、十字に交差した部分が重層の切妻である。本殿とそれに連なる十字形の平面をもつ拝の出が長いものを「入りとんぼ」といい、長宗我部元親が凱旋にちなんで造営したものと伝えられる。すべて素木づくりで簡素な建物だが、吹き放ちで円柱と方柱を組みあわせた豪放なつくりである。

 

 

 
               8-8土佐神社鐘楼

建造物

鼓楼

建立

慶安2年(1649)

指定年

昭和9.01.30

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面形状

桁行三間、梁間二間

屋根

こけら葺

屋根頂

 

立面外観

袴腰付

板唐戸 連子窓

外周縁

勾欄付廻縁

 

三手先組 二軒繁垂木

中備

蟇股

妻面

虹梁大瓶束

見所

建ちが高く、屋根が大きいためやや不安定の感がある。全体に彩色をほどこす。

修理履歴

平成22年:屋根葺替

高知県

説明文

二重 入母屋造 柿葺  1649(慶安2)年

 下階は板張りの力強い曲線をもついわゆる袴腰で、中央に出入口を設け階段を構える。四方にめぐらした勾欄付廻縁は腰組で支えられ、腰組は和様の三手先組で、中備には蟇股を置く。上階は桁行三間、梁間二間で、正背面中央の間に板唐戸を釣り込み、両脇間には連子窓をはめ、両側面はいずれも板壁とする。柱はすべて円柱で、柱上の斗きょうは三手先組であるから軒の出は深く、小天井と支輪を付け、中備には蟇股を置く。軒は二軒繁たるき、妻は虹梁大瓶束を立て中央に蟇股を置く。建ちが高く、屋根が大きいためやや不安定の感がある。全体に彩色をほどこす。

 

               8-8 土佐神社楼門 20150306   

 

建造物

楼門

建立

寛永8 : 1631 

指定年

昭和57.02.16

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面形状

三間一戸

屋根

銅板葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

勾欄付の廻縁

 

二手先 二軒繁垂木

中備

ばち束 蟇股

 

虹梁大瓶束

見所

上階の高さが下階のそれに比して著しく低く、安定感に富む。

全体的に装飾性乏しく、古様な建物である。

修理履歴

 

文化庁

説明文

土佐の一の宮として古来崇敬されてきた神社の門で、土佐二代藩主山内忠義の建立になる。三間一戸楼門の形式をもち、全体がほぼ和様の手法で統一され、ほとんど装飾を付けない正統派の建物である。 二階にも天井を張り、部屋として扱っているのはあまり例がない。

県説明文

桁行三間、梁間二間の二重の楼門で、2代藩主山内忠義の建立にかかるものである。下階は中央間の頭貫を虹梁形として二段の根肘木で持送り、腰組は二手先で、中備をばち束とし、中央間には2本立てる。中央間棟通りに山内家家紋の三葉柏を刻んだ蟇股を置き、まぐさ、方立、唐居敷を設けているが、扉を吊った痕跡はない。左右の前の間には随身像を安置し、その正面と通路側には格子をはめ、他は横板壁とする。上階は勾欄付の廻縁をめぐらし、組物は拳鼻付出組で支輪を組み、中備に一ばち束を置く。正背面を板扉とし、他は竪板壁とする。軒は二軒繁たるき、妻は虹梁大瓶束で、紅梁下に蟇股を置く。上階の高さが下階のそれに比して著しく低く、安定感に富む。全体的に装飾性乏しく、古様な建物である。

 

 

3、鳴無神社

 

寺社名

 鳴無神社 おとなし

所在地

須崎市浦ノ内東分字鳴無3579

周辺環境

波静かな横浪三里の奥深く鎮座する古社である

歴史由緒

社伝によれば、葛城山に居た一言主命と雄略天皇との間に争いがあり、一言主命は船出して逃れた。雄略天皇4年(460年)の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりであるとされる。実際は、鎌倉時代の建長3年(1251年)に創建されたようである。

一言主命は土佐国一宮の土佐神社と同じ祭神であるが土佐神社は当神社の別宮であった。

江戸時代に入り土佐藩2代藩主の山内忠義の命により社殿が造営され、境内が整備された。

 

創建

伝・雄略天皇4年(460年) 

祭神

一言主命

 

               8-8 鳴無神社本殿 20150306

 

建造物

 本殿

建立

寛文3年 1663年

指定年

昭和28年3月31日

様式形式

三間社春日造

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

こけら葺

屋根頂

箱棟を据え鬼板

3組の置千木と勝男木

立面外観

 

 

外周縁

 

 

 

中備

 

 

 

見所

絵様や彫刻はきわめて精緻なものが見られる

柱は朱塗り、貫、組物などには極彩色を施し、天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵がある。

海からの夕暮れの光線が本殿の彩色を照らす時、軒下空間ではえもいわれぬ夢幻世界が表出される。 

修理履歴

1957年  昭和55年 屋根葺替  昭和61年 塗装・部分修理 平成19年 屋根葺替・部分修理

文化庁

説明文

 社殿は寬文三年の造営になり、江戸初期の東照宮建築の系統を伝えるもので 文化財の少いこの地方にこの種遺構の存在は貴重である。 

県説明文

現在の社殿の建築年代は棟札写し、墨書または神前に奉納されている石燈籠、手水鉢(ちょうずばち)、鰐口等の刻銘により、山内忠義が寛文3年(1663)に再建したものと考えられる。

本殿は、土佐では珍しく春日造りで、三間社の小さな建物である。

屋根はこけら葺きで箱棟を据え鬼板を付け、3組の置千木(おきちぎ)と勝男木(かつおき)を置いている。木割りは繊細で、絵様や彫刻はきわめて精緻なものが見られる。幣殿と拝殿は連なって1つの建物となり、その平面は凸型となっている。本殿の精巧華麗さは簡潔であり、清楚な幣殿、拝殿によってさらに光彩を放っている。海からの夕暮れの光線が本殿の彩色を照らす時、軒下空間では、えもいわれぬ夢幻世界が表出される

 

 
               8-8 鳴無神社拝殿 20150306

建造物

 幣殿・拝殿

建立

 

指定年

昭和28年3月31日

様式形式

切妻造

再建

 

確証附

 

平面形状

幣殿は桁行一間・梁間三間一重

拝殿は桁行三間・梁間二間一重

屋根

こけら葺

屋根頂

 

立面外観

正面軒に唐破風

 

外周縁

 

 



 

 4、不破八幡宮

 

寺社名

 不破八幡宮

所在地

四万十市不破1392

周辺環境

 

歴史由緒

不破八幡宮は、今より520年前一条公が応仁の乱を避け荘園経営のため中村に開府のとき、幡多の総鎮守として又一条家守護神として山城国石清水八幡宮を勧請したものであり正八幡、広幡八幡といわれる。一条氏滅亡後も、長宗我部氏、山内氏の信仰も厚かったようである。

創建

 

祭神

品陀和気命 玉依姫命 息長足姫命

社格

県社

 

                8-8 不破八幡宮本殿  20150306

 

建造物

 本殿

建立

室町後期 / 1559 

指定年

昭和38年 7月 1日

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

 附 棟札9枚

平面形状

 

屋根

こけら葺

屋根頂

 

見所

 

修理履歴

昭和40年(1965年)11月より昭和41年(1966年)12月まで解体復元修理が行われた

平成8年:屋根葺替・部分修理

文化庁

説明文

髙知県でも足摺岬に近い中村にある。永禄七年(一五六四)の建立で地方的様式がみられる

県説明文

社殿は一条公入府以来、幡多郡の総鎮守とされ、四万十川の見える下流域の高台にあり、一条家の守護神として特別の崇敬を受けた。一条氏滅亡後も長宗我部氏、山内氏の信仰も厚かったようである。

本殿の創建は不明だが、応仁2年(1468)と伝えられている。現在の本殿は一条康政が京都から招いた棟梁北代右衛門に命じて永禄元年(1558)から2年がかりで再建したものである。

 建物は三間社の流れ造り、こけら葺きで、木割りは非常に大きく、建ちは低く、深い軒と緩やかな勾配の大きな屋根は非常に安定して雄大な感じを与えている。向拝の虹梁の象の木鼻の形もよく締まり、勾欄と親柱の宝珠、脇障子廻りも古い様式をくずさず整っている。

彩色も華美にならず、よく建物と調和している。 

 

 

 

 5、豊楽寺薬師堂

 

寺社名

 豊楽寺  ぶらくじ

所在地

高知県長岡郡大豊町寺内314

周辺環境

 

歴史由緒

724年(神亀元年)、吉野川北岸の険しい丘に聖武天皇の勅願所として行基が開創したと伝わる。寺号は聖武天皇が薬師本願経説の一節「資求豊足身心安楽」より名付けたとされる。

創建

伝724年(神亀元年) 伝行基、聖武天皇

山号

大田山 大願院 豊楽寺  柴折薬師

札所

日本三大薬師:豊楽寺の本尊薬師如来は柴折薬師と呼ばれ,

愛知県鳳来寺の峰薬師,福島県常福寺の嶽薬師とともに日本三大薬師の一つである。

重文

・木造薬師如来坐像 - 像高131.5cm、薬師堂内陣中央に安置、平安時代後期

・木造薬師如来及び両脇侍像・二天王立像 - 中尊薬師如来坐像の像高133.5cm、

 薬師堂内陣向かって右に安置、平安時代後期。寺伝では釈迦如来像であるが、像内の銘文から、 
 元
来は薬師如来像として仁平元年(1151年)に作られたものであり、この像が本来の薬師堂本尊
 で
あったことがわかる。両脇侍像と二天王像は2010年に追加指定された。

・木造阿弥陀如来坐像 - 像高131.5cm、薬師堂内陣向かって左に安置、平安時代後期

 

県指定

 

 

 
               8-8 豊楽寺薬師堂  20150306

 

建造物

 薬師堂   国宝

建立

仁平元年 1151年

指定年

昭和27.11.22

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面形状

桁行5間、梁間5間

屋根

柿葺き

屋根頂

 

立面外観

一間幅の向拝は江戸時代初期の寛永14年(1637年)

観音開きの板扉

連子窓

外周縁

勾欄付きの廻縁

軒裏

舟肘木 疎垂木

中備

 

 

豕叉首 

内陣

格子戸と菱欄間

内陣の須彌壇の勾配と嵌板の香挟間の刳りは、平安時代後期の特色をよく表している。

なお、内々陣の棹縁天井はこの種の天井の最も古いものの一つといわれている。

特長

建築史家の太田博太郎は、本建物の内陣(方3間)が、建物の中心ではなく後方寄りに設けられていること、内陣の柱と側柱(建物外周の柱)の柱筋が食い違っていることなどから、本建物の建立時期は平安時代までは上がらず、鎌倉時代初期とみている。いずれにしても、四国における現存最古級の建築である。

 

屋根の勾配はゆるやかで、軒先の反りは、美しく優雅である。 

修理履歴

明治四十三年に修繕を加へし事項につき詳記すればそれは同年に内務省より天沼俊一を監督技師として派遣し設計修理せしものにして後世修理毎に種々變更し仁平年間建築当時と異りたるものを四十三年の修理には藤原時代の特色を発揮する様に改めたものである。

其の復舊修理の主要点を列挙すれば、一には本堂四面の外椽側の高欄及實珠柱が後世の劣作なりしを京都府下日野なる法界寺須彌壇を参考とし實測し藤原式に改造した。

昭和54年:部分修理

昭和60年:屋根葺替・部分修理

文化庁

説明文

豊樂寺は聖武天皇の勅願によって行基菩薩の開基と伝える。今の藥師堂の建立年次は明らかでないが、様式手法上より藤原時代の建立と思われる。変った平面を持っているが当初からこうした計画であったようである。比較的太い疎垂木に大きい小舞の軒廻り、内陣の佛壇及び勾欄等よく時代の特徴を示している。 この堂は四国地方最古の建築として貴重である。

県説明文

薬師堂は本県唯一の国宝建造物であり、四国唯一の平安時代の建築様式を持つ建物である。

桁行、梁間共に5間で入母屋造りこけら葺きの屋根は、全体的に安定した形を見せている。正面1間の向拝は、2代藩主忠義の時に付け加えられたものである。建物の構造形式は簡素で、木割りは大きく軒の出は深く、屋根の勾配はゆるやかで、反りは美しく、平安形式の優雅な形が見られる。

内陣の須弥壇の向欄と嵌板の香狭間の刳り形は時代の特色をよく表しているといえる。この須弥壇上に薬師如来を中心に左に釈迦如来、右に阿弥陀如来を安置している。

豊楽寺の近くには、平安時代から阿波や讃岐に通じる宮道があり寺も大いに栄えたといわれている。

 

 

 6、金林寺薬師堂

 

寺社名

 金林寺  こんりんじ

所在地

高知県安芸郡馬路村大字馬路4281番地

周辺環境

 

歴史由緒

創建は平安時代にさかのぼると推定されるが、中世以前の沿革は不明。寺伝では大同2年(807年)空海の創建といい、薬師堂には弘法大師一夜建立の伝説がある

創建

伝・大同2年(807年) 伝・空海

山号

月光山 珠勝院 金林寺

札所

 

重文

・木造不動明王立像・毘沙門天立像 - 不動明王像の光背に建暦3年(1213年)の銘がある。

 像高は、不動明王100.6cm、毘沙門天104.5cm。不動明王は頭頂に蓮華を置き、莎髻弁髪を左肩

 にたらし、上の前歯で下唇をかみ、右肘を張って三鈷柄剣をとり、左手は体側にたらして羂索を
 握
って体を僅かに左に傾け、火焰光背を負って岩座に立つ。 光背裏に墨書銘があり、建暦3年

 (1213)当寺のためにつくられたことがわかる。

・毘沙門天は右手に三叉戟を握り、左手を上にあげて宝塔を掌にのせ、鎧をつけ腰を僅かに右にひ
 ね
って邪鬼を踏んで立つ。

 ともに、一木造、彫眼の彩色像で誇張された表情や体のやや硬い彫法は地方色が濃い。
 同時期の作。 

県指定

 

 

              8-8  金林寺薬師堂  20150306

 

建造物

 薬師堂

建立

室町後期

指定年

平成14年5月23

様式形式

寄棟造

再建

 

確証附

厨子 棟札

平面形状

桁行三間、梁間四間、一重

屋根

銅板葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

 

板軒

中備

 

別称

馬路薬師堂

見所

 

修理履歴

 

文化庁

説明文

金林寺は,高知県東部の山間部にあり,高野山真言宗に属する。創立は平安時代後期に遡ると考えられ,地域の信仰の拠点であった。

 桁行3間,梁間4間で,内部は外陣と内陣からなる。屋根は寄棟造,銅板葺で,建築細部は室町時代中・後期の様式をよく示している。

 内部にある厨子は,露盤天板裏面の墨書から永正15年(1518)のものと判明する。

 金林寺薬師堂は垂木を用いず板軒とする珍しい手法で,優美な外観をもち,簡素ながら檜,杉の良材を用いた上質なつくりに特徴がある。

 四国中・南部において16世紀初頭以前に遡る数少ない例として貴重であり,この地域の建築文化の成熟を示す遺構として,価値が高い。 

県説明文

馬路集落の山の中腹にあるこの寺は、真言宗の古刹(こさつ)で、寺伝では大同2年(807)空海が開創したと伝えられている。本尊は薬師如来で、両脇のヒノキ一木造(いちぼくづくり)の仏像は国の重文になっている。

建物は構造形式や各種木鼻の絵様刳り形(えようくりがた)などから、室町時代後期のものだと考えられる。桁行3間、梁間4間の寄棟造りで、床は畳敷きで外周に縁をめぐらし、柱は角柱で大きい面が取られている。内部は内陣と外陣に分かれ、内陣には来迎柱をたて、古い形式の須弥壇(しゅみだん)が取り付けられている。

素木で簡素な建物だが、木割りは雄大で、軒の出は深く、堂々とした優美な建物となっている。

 

 

 7、国分寺

 

寺社名

 国分寺

所在地

高知県南国市国分546

周辺環境

3月下旬に見頃となる枝垂桜の下で行われる「花篝」では夢幻の世界に誘われる

歴史由緒

当寺は寺伝によれば天平13年(741年)に行基が千手観世音菩薩を刻み本尊として安置し開創したとされる。その後弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が毘沙門天を刻んで奥の院に安置、その頃真言宗の寺院となったという。史実としては、『続日本紀』に天平勝宝8年(756年)、土佐を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜したことがみえるため、この年以前には創建されていたとみられる。

 

国分寺周辺は古代から中世まで土佐国の国府の所在地であり、「土佐日記」の作者紀貫之も国司として4年間当地に滞在した。国府の中心である国庁は国分寺から徒歩15分の位置にあり、かつてその近くにあった土佐国総社は現在当寺境内に移されている。

寺はたびたび兵火に遭ったが、永禄元年(1558年)には長宗我部国親、元親によって金堂が再建。明暦元年(1655年)に土佐藩2代藩主山内忠義が山門を寄進した。大正11年(1922年)に境内全域が国の史跡に指定されている。

 

創建

天平勝宝8年(756年)以前   行基 

山号

摩尼山 宝蔵院 国分寺

札所

四国八十八箇所29番 

重文

・木造薬師如来立像 - 平安時代中期作、像高99.5cm、檜材一木彫、古色、明治44年4月17日指定

・木造薬師如来立像 - 鎌倉時代作、像高35.5cm、寄木造、漆箔、玉眼、

   光背に応永23年(1416年)修理銘がある、大正2年8月20日指定

・梵鐘 - 平安時代前期の作、口径47cm、高さ63.8cm、重量225kg、昭和31年6月28日指定

・史跡(国指定)

 土佐国分寺跡 - 奈良時代後期、21,775㎡、大正11年 (1922) 10月12日指定

 

県指定

 

 

                8-8  国分寺金堂 高知 20150306

 

建造物

  金堂

建立

永禄元 1558

指定年

明治37.08.29

様式形式

寄棟造

再建

長宗我部元親

確証附

なし

平面形状

桁行五間、梁間五間、一重

屋根

こけら葺

屋根頂

 

立面外観

向拝一間

 

外周縁

 

 

吹寄垂木

中備

 

内陣

海老虹梁

見所

 

修理履歴

昭和七年から八年にかけては解体大修理が、昭和四十一年と平成六年には屋根の茸替えが行われ、外観は素朴ながら古雅で閑寂の気品を備えています。 

2014年屋根葺替

文化庁

説明文

なし

県説明文

天平11年(739)聖武天皇の勅願により全国に建てられた国分寺のひとつで、行基が開山、建立し、空海が中興し  たと伝えられており、四国八十八ヶ所霊場第二十九番札所である。

本堂(金堂)は、永禄元年(1558)に長宗我部元親が再建したものである。

桁行5間、梁間5間の平屋建てで、屋根は寄棟造りこけら葺きの質素な建物だが、寄棟の屋根と木割りの大きい軸組みは天平の金堂を思わすものがある。柱は円柱で、組物は和様の三斗組とし、軒は2重の吹寄垂木となっている。正面1間に向拝を付け、全体に清楚で風雅な建物といえる。

山門から本堂に至る景観はすばらしく、周囲の建物と調和して、創建時の雰囲気を十分伝えている。 

 

 

 

8、竹林寺

 

 

寺社名

 竹林寺

所在地

高知県高知市五台山3577

周辺環境

 

歴史由緒

寺伝によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したという。その後、大同年間(806 - 810年)に空海(弘法大師)が滞在、修行し堂塔を修復したと伝えられる。

 

実際の創建年代等について不詳である。中世以降は武家の信仰も厚く寺運も隆盛し、1318年(文保2年)には臨済宗の僧夢窓疎石もこの寺に滞在している。その後、寛永年間(1624年 - 1644年)空鏡によって再興された。江戸時代には土佐国における真言宗の触頭を勤める寺院のひとつであった。また、本尊の文殊菩薩の出開帳を江戸や大坂で行っている。

 

創建

(伝)724年 開基(伝)行基 

山号

五台山 金色院 竹林寺

札所

四国八十八箇所31番

重文

・木造文殊菩薩及侍者像 5躯

 獅子上の蓮華座に座す文殊菩薩像と4躯の侍者像からなる。

 文殊菩薩像は楠の一木造、彩色、像高60.4cm、平安時代後期。善財童子(76.0cm)、優填王

 (75.4cm)、仏陀波利三蔵(76.8cm)、最勝老人(77.3cm)の侍者像4躯は栴檀の一木造、

 平安時代後期。

 文殊菩薩像は50年に一度開扉の秘仏で、1983年に特別開扉があり、その後2014年の春秋に開帳

 された。なお、文殊菩薩の台座の獅子像は二体あり、平安時代後期の獅子像は、侍者像4体と宝
 物
館に安置され常時拝観でき、江戸時代に奉納された獅子像は秘仏文殊菩薩像と共に本堂宮殿内
 に納
められている。

・木造大威徳明王像(鎌倉時代)木造、彩色、160.0cm

・木造阿弥陀如来立像(平安時代後期)木造、彩色古色、98.0cm

・木造多聞天・増長天立像(平安時代後期)木造、素地、91.5cmと93.5cm

・木造愛染明王坐像(鎌倉時代)木造、古色、102.0cm、

・木造千手観音立像(鎌倉時代)檜の寄木造、古色、88.5cm

・木造薬師如来坐像(平安時代後期)桜の一木造、素地、94.5cm

・木造十一面観音立像(平安時代中 - 後期)檜の一木造、素地、48.8cm

・木造釈迦如来坐像(平安時代後期)木造、古色、51.8cm

・木造勢至菩薩立像(平安時代後期)木造、古色、106.8cm

・木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期 - 鎌倉時代)木造、漆箔、86.3cm

・木造白衣観音立像(室町時代)木造、古色、100.8cm

・木造馬頭観音立像(室町時代)木造、古色、玉眼、99.9cm

・木造大日如来坐像(鎌倉 - 室町時代)木造、古色、63.2cm(本尊を除いて宝物館で拝観できる)

 

史跡名勝竹林寺

庭園

 

文化庁

説明文

 竹林寺は古く神亀元年(724)に行基が開創したとされ、四国八十八ヶ所霊場のうち第31番目に数えられる信仰の地である。行基は湧水に恵まれた独立丘陵を選んで竹林寺を建立し、唐の仏教の霊場に因んで五台山と名付けたとされる。

その後、荒廃した伽藍は足利氏により復興され、江戸時代には山之内一豊をはじめ土佐藩主の庇護の下に隆盛した。現在の竹林寺境内に見る客殿、書院などの主な建物群は、江戸時代後期に五台山の山頂近くに平場を造成して建てられたもので、今日見る庭園の池も古くからの湧水を利用して造られたものと考えられる。

 

  庭園は客殿・書院の周辺に展開し、大きく三つの部分により構成される。いずれも、江戸時代後期の池泉庭園に共通する地割と意匠に基づき作庭されたものである。

 第一は客殿に南面し、客殿の前庭を成す区域である。本来は儀式等のために砂利のみを敷いた簡素な空間に、後に現在見るような飛石と樹木が持ち込まれて意匠されたものと考えられる。

 第二は客殿の西南から西庭にかけての区域、第三は客殿の北面から書院の西面及び北面にかけての区域で、ともに竹林寺庭園の主たる部分を成す。客殿と書院の背後に迫る傾斜面とその前面のわずかな平坦地を利用して造られ、平坦地には傾斜面とその裾部から湧き出るわずかな水を集めて池が掘られている。 

 特に客殿の西庭では、客殿側の護岸を石段状の直線的意匠とすることにより水面を軒先近くにまで引き寄せ、狭隘な水面に広がりを持たせている。水面を縁取る山裾の石組と傾斜面の随所に施された景石群も、やや小振りではあるが繊細で洗練された雰囲気を持つ。また、客殿の西南隅部から池の対岸にかけて石橋が架けられ、傾斜面の上方に向けて、緩やかに縫うが如き小径の痕跡がある。

  客殿の北面から書院の西面及び北面にかけての庭園では、山裾に沿って湧水を湛えた池をめぐらせ、周囲を大振りの石で護岸している。書院北庭の山腹には3段にわたり力強く滝石組が組まれているほか、客殿北庭には山腹から掘り出したと思われる巨石が中心に据えられるなど、客殿西庭に比べて豪快な作風がうかがえる。また、書院北庭の傾斜面上方には、滝石組へと水を導いた貯水池の痕跡とも考えられる径約5m、深さ約1mの窪地がある。

 

  このように、竹林寺庭園は客殿と書院の周囲に展開し、地割・意匠が異なる三つの区域が一体となって構成されるところに特徴がある。同時に、江戸時代後期に確立した池泉庭園の定型が土佐地方にも伝わり、湧水と巨石に恵まれた五台山の風土的特質を活かして作庭されたことを示す貴重な庭園である。したがって、その観賞上の価値、学術上の価値はともに高く、よって名勝に指定し保護を図ろうとするものである。

 

               8-8  竹林寺本堂  20150306

 

建造物

 本堂(文殊堂)

建立

寛永22年 1644

指定年

明治37年8月29

様式形式

 

再建

土佐藩主 山内忠義

確証附

なし

平面形状

五間四方

屋根

柿葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

 

 

中備

 

 

 

見所

本堂は荘重なたたずまいの中にも唐様の軽快な曲線を見せる軒反りや、放射状に広がった扇垂木など、密教寺院建築の中でも特異な様式を随所に見ることができます。 

修理履歴

 

文化庁

説明文

なし

県説明文

竹林寺は神亀元年(729)に僧行基が草創し、弘仁13年(823)に、空海が堂塔を補修したと伝えられており、四国八十八ヶ所霊場第三十一番札所である。 

本堂(文殊堂)は、文明年間(1469~1486)に兵乱によって壊され、その再建年代については明らかではない。

 現在の本堂は、様式や技法などに国分寺の本堂と相通ずるものがあり、同年代頃の元親による再建ではないかと考えられている。

 桁行、梁間ともに5間あり、屋根はこけら葺きの入母屋造りで安定した形を見せる。四面に廻り縁をめぐらし、南正面に階段をつけて幅の広い1間の向拝(こうはい)をつけている。間取りから内陣と外陣に分かれている所は密教式で、壁の連子窓を除いた様式は土佐では珍しい本格的な禅宗様といえる。三手先の斗組みは、深い2軒の垂木の配置は放射状となり、禅宗様独特の扇垂木が見える。 

 

 

 

  ● 重要伝統的建造物群保存地区

 

寺社名

 安芸市土居廓中

所在地

高知県安芸市

周辺環境

 

概要

 

指定年

平成24.07.09

規模

8.2ha 武家町

文化庁

解説文

安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区は、武家屋敷が整然と並ぶ町割とともに、江戸時代末期から昭和戦前期にかけての主屋や附属屋が残り、狭い通りに沿って生垣や塀等が連なる武家地特有の歴史的風致を今日に良く伝え、我が国にとって価値が高い。

詳細解説

安芸市は、高知県東部に位置する。保存地区である土居廓中は、海岸部から北に約2キロメートル離れた安芸平野中央部、安芸川の西岸に位置する。

慶長5年(1600)土佐に入封した山内一豊は、重臣の五藤為重を安芸に配し、土佐藩東部の政治拠点とした。

五藤氏は堀に囲まれた土居に屋敷を配し、その東西南面に家臣の武家地を配した。武家地の町割は、戦国期のものに由来しつつ、遅くとも正徳4年(1714)までに成立していたと考えられる。延享2年(1745)に地割が再編され、南町に上級家臣の大規模な屋敷、西町、四ツ辻通、北町南半がこれに次ぎ、北町北半では小規模な屋敷が配された。

 明治2年に土居が廃止されると、この頃より土居と武家地を合わせた範囲が、土居廓中と称され始めたとみられる。家臣団の転出による武家屋敷の除却も一部あったが武家地の地割は保たれている。

 安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区は、東西約410m、南北約360m、面積約9.2haの範囲で、江戸時代の土居と武家地の全域を含む。

 地割は、大手から離れるに従って小規模になり、間口が広いものは方形、狭いものは短冊形となる。敷地への出入口は、通りに面した敷地辺の中央に開き、間口の狭いものは端に寄せて開く。通り沿いには、生垣や塀を巡らし、出入口には薬医門や腕木門を建てるが、門を建てずに生垣の切目を出入口とするものもある。生垣には主にドヨウダケやウバメガシ等が植えられ、四ツ辻周辺では、往時の石溝が残る狭い通りに沿って生垣が連続し、藩政期の武家地の景観を良く伝えている。

 安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区は、武家屋敷が整然と並ぶ町割とともに、江戸時代末期から昭和戦前期にかけての主屋や附属屋が残り、狭い通りに沿って生垣や塀等が連なる武家地特有の歴史的風致を今日に良く伝え、我が国にとって価値が高い。

 

 

                     8-8 安芸市土居廓中 20150306

 

寺社名

 室戸市吉良川町

所在地

高知県室戸市

周辺環境

 

歴史由緒

 

指定

平成9.10.31

規模

18.3ha  在郷町

文化庁

解説文

高知と室戸を結ぶ街道沿いに形成された在郷町。街道の両側に短冊形の敷地が並び、町並みは土佐漆喰仕上げとし、水切り瓦を多用した切妻造平入桟瓦葺きの町家や土蔵が連続して残り、いしぐろと呼ばれる石垣など、地域性豊かな歴史的風致を形成している。

 

               8-8 室戸市吉良川町 20150306

                高知県の文化財を終わります。


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30年続く寺社めぐりのメンバーです
<TIAS>グループ名称
Improvement of a spirit boundary
by Temple and shrine =<TIAS>

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