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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-8-2 香川県の文化財

8-8-2香川県の文化財 

 


 8-8-2  香川県の建造物文化財の探訪

 

 

      香川県HP
 

 

香川

文化財名称

指定時期

住所

特長

建立年代

1

国宝

神谷神社本殿

昭和30.02.02

坂出市神谷町

三間社流造、檜皮葺

1219

2

 

金刀比羅宮旭社

昭和57.02.16

仲多度郡琴平町

桁行五間梁間五間、入母屋

1837

 

 

    奥書院

昭和30.06.22

住宅

入母屋造、本瓦葺

1717

 

 

    表書院

昭和30.06.22

 

桁行21.7m、梁間16.9m、

江戸前期

 

 

    四脚門

昭和57.02.16

 

四脚門、切妻造、本瓦葺

江戸前期

3

国宝

本山寺本堂

昭和30.06.22

三豊市豊中町本山

桁行五間梁間五間、寄棟造

1300

 

 

本山寺二王門

明治37.08.29

 

三間一戸八脚門、切妻造

室町中期

4

 

屋島寺本堂

昭和30.06.22

高松市屋島東町

桁行五間梁間五間、入母屋

1618

5

 

覚城院鐘楼

昭和22.02.26

三豊市仁尾町仁尾

三間二間、袴腰付、入母屋

桃山

6

 

観音寺金堂

昭和34.06.27

観音寺市八幡町

桁行三間梁間四間、寄棟造

1677

7

 

国分寺本堂

明治37.08.29

高松市国分寺町国分

桁行五間梁間五間、入母屋

鎌倉後期

 

特史

   讃岐国分寺跡

昭和27.03.29

特別史跡

社寺の跡又は旧境内

 

8

 

志度寺 本堂

昭和58.06.02

さぬき市志度

桁行間梁間五間、入母屋

1670

 

 

     仁王門 

昭和58.06.02

 

三間一戸八脚門、切妻造

1670頃

9

 

常徳寺円通殿

昭和30.06.22

三豊市仁尾町仁尾

桁行間梁間間、入母屋

1401

10

 

善通寺 金堂

平成24.12.28

善通寺市善通寺町三丁目

桁行間梁間間、入母屋

1699

 

 

    五重塔

平成24.12.28

 

三間五重塔婆、本瓦葺

1867

11

 

長尾寺経幢

昭和29.09.17

さぬき市長尾西

石造幢 凝灰岩高さ2.0m

1283

12

 

白峯寺十三重塔

昭和29.09.17

坂出市青海町

石造十三重塔 596cm

1278

13

 

明王寺釈迦堂

明治40.05.27

小豆郡小豆島町池田

桁行三間梁間間、寄棟造

1533

14

重伝

丸亀市塩飽本島町笠島

昭和60.04.13

丸亀市

13.1ha 港町

江戸時代

 



 

 1、神谷神社

 

寺社名

 神谷神社(かんだにじんじゃ)

所在地

坂出市神谷町621

0877-47-0770

周辺環境

坂出市東部、五色台の一峰・白峰山の麓に鎮座する

歴史由緒

貞観7年(865年)従五位上、貞観10年(868年)正五位下に叙せられている。延喜5年(905年)成立の『延喜式』神名帳には讃岐国阿野郡に「神谷神社」と記載され式内社に列している。現在の本殿の棟木には、建立された年の建保7年(1219年)の墨書銘に「正一位神谷大明神御宝殿、建保七年歳次己卯二月十日丁未日始之、惣官散位刑部宿祢正長」とあり、この頃には最高位を叙し、地域の崇敬を集めていたと見られている。

明治時代、近代社格制度において郷社に列した。昭和2年(1927年)大晦日の夜に、燈明の火が拝殿に引火するという火事が発生した。拝殿は焼亡したが、住民が焼け落ちる拝殿を本殿の反対側に引き倒したため、本殿は難を逃れた。現在の拝殿は翌昭和3年(1928年)より昭和5年(1930年)にかけて再建されたものである。

社殿裏手約50mの地には、「影向石」と呼ばれる巨岩が立つ。当地では古代に磐座として祭祀が行われていたという。

創建

(伝)弘仁3年(812年) 

 

火結命 奥津彦命  奥津姫命 

社格

式内社(小) 旧郷社

文化財

重要文化財(国指定)木造随身立像 2躯

 阿・吽一対の立像。鎌倉時代初期の作品とされる。昭和41年(1966年)6月11日指定。

 

           8-8神谷神社

 

建造物

 本殿  国宝

建立

建保7年 1219年

指定年

昭和30.02.02

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

棟木墨書

平面形状

 

屋根

檜皮葺

屋根頂

千木 鰹木3本

立面外観

向拝 平三斗

側面に扉

外周縁

跳高欄

軒裏組物

舟肘木 三斗

中備

 

 

積の基壇

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

豕扠首

 

身舎柱と庇柱を繋ぐ繋虹梁が長押に付くなども、古式の特徴

ヤリガンナ仕上げの丸柱・面とりの向拝の角柱

 

本殿は造営年代が明らかな流造社殿の中では最古のもので、国宝に指定されている。国宝の社殿を持つ神社ではあるが、境内は比較的小さい。そのほか、重要文化財の木造随身立像などの神宝を現在に伝えている。

修理履歴

大正時代に本殿の修理

文化庁

説明文

なし

 

 

 

 2、金刀比羅宮

 

寺社名

 金刀比羅宮  ことひらぐう

所在地

仲多度郡琴平町字川西892番地1

0877-75-2121

周辺環境

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。

象頭山の中腹に鎮座し、参道の石段は本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなる。

歴史由緒

 

社格

国幣中社・別表神社 

祭神

大物主命   (相殿)崇徳天皇

札所

さぬき十五社13番

 

          旭社  8-8  金刀比羅宮旭社  20150306

 

建造物

金刀比羅宮旭社

建立

天保8 : 1837 

指定年

昭和57.02.16

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札

平面形状

桁行五間、梁間五間、二重

屋根

銅瓦葺

屋根頂

 

立面外観

向拝三間、

軒唐破風付、背面中央部突出

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

文化庁

説明文

金刀比羅宮の旧神宮寺の金堂として建立された。下重が方五間の大規模な二重仏堂で、明治に仏壇を廃して神座に改めている。意匠や細部手法がきわめて近世的で、上重の彫刻化した尾垂木や板軒、随所に嵌め込まれた彫刻等は、よく江戸時代末期の特徴を示している。

     


    奥書院   8-8  金刀比羅宮奥書院  20150306
    
  

建造物

金刀比羅宮奥書院

建立

享保2 : 1717 

指定年

昭和30.06.22

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

本瓦葺、庇銅板葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

見所

六畳(床、棚、附書院付)、三畳、八畳、十畳、四畳半、三畳、六畳、十九畳(床付)、十畳(床付)、入側、縁、土庇等より成る

江戸中期の絵師、伊藤若冲の「百花図」のほか、岸岱(がんたい)の「群蝶図」などが壁やふすまなどに描かれている

文化庁

説明文

十七世紀の終りか、十八世紀の始めの建築である。なお障壁画は江戸末で若冲と岸岱の作。



         表書院   8-8  金刀比羅宮表書院  20150306

建造物

 表書院及び四脚門 

建立

江戸前期

指定年

昭和57.02.16

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

 

平面形状

桁行21.7m、梁間16.9m、一重

屋根

檜皮葺 

屋根頂

 

立面外観

正面軒唐破風付

 

外周縁

 

四脚門

切妻造、本瓦葺

文化庁

説明文

表書院(重要文化財)の前方に建つ門で、表書院と一連の計画になるものと考えられる。形の整った、質の良い四脚門で、折上格天井や透彫彫刻など繊細な意匠に秀れている。

 

 

建造物

 宝物館

建立

明治38 : 1905 

指定年

平成8.12.20

所在地

仲多度郡琴平町892-1

再建

 

確証附

 

平面形状

石造2階建、瓦葺、建築面積165㎡

屋根

 

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

文化庁

説明文

石造,2階建の宝物館で,文部省技師久留正道の設計である。入母屋造,本瓦葺の屋根や唐破風造の玄関等をもつ一方,アーチ窓や石組による目地等を用いる。日本人建築家が,伝統的な建築に本格的な洋風の意匠を持ち込んだ初期の事例として注目できる。 

 

 

 

建造物

宇夫階神社末社金刀比羅宮

拝殿及び幣殿

建立

明治7年 : 1874 

指定年

平成22.04.28

所在地

宇多津町字西町1644-1

再建

 

確証附

 

平面形状

木造平屋建、建築面積37㎡

屋根

 瓦葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

文化庁

説明文

塩竈神社本殿の西北に南面して建つ。桁行三間梁間二間、入母屋造本瓦葺で、正面に向拝一間、背面に幣殿を付設する。内部は拭板敷で、棹縁天井を張り、正面に縁を付ける。向拝のみ三斗組とし、中備に波紋彫刻を置く。身舎は組物などを省略し簡明な外観とする。 

 

 

 

 3、本山寺

 

寺社名

 本山寺  もとやまじ

所在地

三豊市豊中町本山甲1445番地

周辺環境

 

歴史由緒

寺伝によれば、大同2年(807年)、平城天皇の勅願寺として、空海(弘法大師)が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊として開創したという。

中世には寺領2000石、24坊を持つ大寺となって栄えた。

天正年間(1573年 - 1593年)、長宗我部氏の戦により讃岐国の主要寺院の大半は兵火を受けた。当寺も例外ではなく諸堂を焼失したが、鎌倉時代建立の本堂(国宝)や仁王門(国の重要文化財)等は兵火を免れ現存している。江戸時代には領主の生駒氏と京極氏により再興され、四国八十八箇所第70番札所に定められた。

 

創建

伝)大同2年(807年)伝)空海

山号

七宝山 七宝山 持宝院 本山寺

札所

四国八十八箇所70番 

文化財

登録有形文化財 多数

 

            8-8本山寺境内


       8-8本山寺本堂 
 8-8本山寺本堂-2

建造物

 本堂   国宝

建立

正安2年(1300)

指定年

昭和30.06.22

様式形式

寄棟造  和様を基調

再建

 

確証附

厨子3基 棟木

平面形状

桁行五間、梁間五間

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

虹梁上に大瓶束

蔀戸 桟唐戸

外周縁

 

軒裏組物

出組 通肘木

中備

間斗束 板蟇股

 

 

内陣特長

吹寄せ格子戸と菱欄間 大瓶束

彫刻

 

妻飾

 

見所

中世密教本堂の典型

頭貫の木鼻は猪目  向拝の水引虹梁に乗るのは透かし彫りが施された本蟇股

修理履歴

昭和30 

文化庁

説明文

 

正安二年(一三〇〇)の建立で、密敎本堂の好例で、意匠面白く、内部厨子も優秀である。 

  

     

 
     8-8  本山寺仁王門-1  20150306    8-8本山寺仁王門

建造物

 仁王門

建立

室町中期

指定年

明治37.08.29

様式形式

八脚門  折衷様

再建

享保9年1724移築

確証附

なし

平面形状

三間一戸

屋根

切妻造、本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

軒裏組物

三斗 肘木に禅宗様の繰形

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

木鼻は皿斗を乗せる大仏様

修理履歴

 

文化庁

説明文

なし

 

              8-8  本山寺十王堂-1  20150306王堂

 

建造物

登録有形文化財

冠木門

石造 門

建立

明治43年 1910年

指定年

平成26.12.19

 

間口4.4m、左右脇柱付

文化庁

説明文

間口四・四メートルの石造冠木門で、両側に潜門を付属し、本堂東辺の入口を雄大に構成している。本柱は大面取の五平で、上細りの形状とし、冠木上部に帯を回して木瓜形を表し、頂部には唐破風造の屋根を載せるなど、丁寧に加工した花崗岩を精緻に組んでいる。

十王堂

木造平屋建

建立

宝暦9年(1759)

指定年

平成26.12.19

 

瓦葺、面積148㎡

文化庁

説明文

本堂の南西に東面し大師堂と対する。桁行五間梁間三間、寄棟造、三間向拝付の本瓦葺で、前一間を外陣、後方を内陣とし、背面の廊下と護摩堂が増築である。面取角柱を貫と長押で固めた軸部、大斗絵様肘木の組物は簡素であるが、向拝は架構や細部が充実している。

鐘楼

木造

建立

江戸中期

指定年

平成26.12.19

 

瓦葺、面積13㎡

文化庁

説明文

境内南東部に位置し、乱石積基壇に建つ方一間吹放し形式の鐘楼。軒支輪付の二軒繁垂木とし、南北棟で入母屋造の本瓦葺をあげる。内転びに立てた粽付面取角柱を貫と台輪で固め、実肘木拳鼻付の出組を詰組にするなど、境内に相応しい充実した形式である。

大師堂

木造平屋建

建立

寛政7年(1795)

指定年

平成26.12.19

 

瓦葺、建築面積104㎡

文化庁

説明文

本堂南東に西面して建つ。方三間の入母屋造、一間向拝付で本瓦葺とする。前二間の外陣と後一間の内陣は格天井で、向拝と背面張出しが増築である。側まわりは面取角柱であるが、出組に中備平三斗、軒支輪付の本格的な形式で、境内復興整備の実像を示している。

大日堂

木造平屋建

建立

江戸中期

指定年

平成26.12.19

 

瓦葺、建築面積16㎡

文化庁

説明文

本堂西脇の基壇に南面して建つ。方三間、宝形造本瓦葺で、内部は後一間に仏壇を構えた一室とし棹縁天井を張る。太い円柱や実肘木付三斗は風食などから室町期の材と判断されるが、長押や天井等が木細く、一八世紀中期に古材を利用して整備されたと考えられる。 

大門

木造平屋建

建立

江戸後期

指定年

平成26.12.19

 

瓦葺、建築面積24㎡

文化庁

説明文

大師堂南脇の八脚門。南北棟で入母屋造の本瓦葺、軒は二軒繁垂木とする。石製礎盤に円柱を立てて貫と虹梁、台輪で固め、組物は実肘木拳鼻付三斗、中備は正面各間と背面中央間が蟇股、ほかは撥束である。整った構造細部で、境内東面南方の構えをかたちづくる。 

宝蔵

土蔵造

建立

天保4年(1833)

指定年

平成26.12.19

 

2階建、瓦葺、建築面積15㎡

文化庁

説明文

本堂北の本坊東南に西面して建つ。土蔵造二階建、腰を海鼠壁とし、宝形造本瓦葺とする。西面に庇付出入口を設け、内壁は竪板張、一階は根太天井、二階は棹縁天井を張る。内外とも丁寧な造作になるが、正方形の平面や二階南面に設けた二連花頭窓は独特である。 

 

 
          8-8  本山寺五重塔-1  20150306   8-8  本山寺五重塔-2  20150306

五重塔

本瓦葺、高さ 約38m

建立

明治43年 1910

指定年

無指定

 

住職の頼富実毅(よりとみじっき)が再建。盲目だった実毅は五十九番国分寺を巡礼後、目が見えるようになり、その恩に報いるため堂宇の復興に意欲を燃やした

特長

擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも梵字入り蟇股

初層の尾垂木の先に繰型がつき隅のものは竜頭となる

 

 

3、屋島寺

 

寺社名

 屋島寺

所在地

高松市屋島東町字屋島峯1808

周辺環境

屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。

歴史由緒

寺伝によれば、律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)に当地を訪れて開創したという。

明徳2年(1391年)の西大寺末寺帳に屋島寺と屋島普賢寺の名があり、当時は奈良・西大寺(真言律宗)の末寺であったことがわかる。高松藩主生駒一正は慶長6年(1601年)に屋島寺の寺領25石を安堵。近世を通じ、当寺は高松藩の保護下にあった。

 

合戦悲話を伝えたといわれる屋島たぬきを祭る「蓑山大明神」がある。

創建

伝)天平勝宝6年(754年) 伝)鑑真 

山号

南面山  千光院 屋島寺

札所

四国八十八箇所84番 

文化財

・木造千手観音坐像、本尊

 榧の一木造漆箔、像高94.3cm。平安時代中期、10世紀頃の作。像の保存状態がよく、左右の脇
 手や光背の二重円相部分なども大部分当初のものが残る点が貴重である。宝物館で拝観できる。

梵鐘、「平家供養の鐘」

 貞応2年(1223年)の銘がある。総高102cm口径64cm厚さ6cm、青銅の鋳物

 

                8-8屋島寺本堂

 

建造物

  本堂

建立

元和4年 1618

指定年

昭和30年6月22日

様式形式

入母屋造

再建

竜厳によって再建

確証附

 厨子 

平面形状

桁行五間、梁間五間、一重

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

向拝三間

両折両開き桟唐戸

連子窓

外周縁

 

軒裏組物

二重繁垂木 和様三ツ斗

中備

蓑束

 

 

内陣特長

唐様の厨子

彫刻

 

妻飾

 

見所

昭和三十四年五月鎌倉様式の美しい姿に復元

修理履歴

昭和32年(1957年)の解体修理

文化庁

説明文

なし

     

 

 

4、覚城院

 

寺社名

 覚城院

所在地

三豊市仁尾町仁尾

周辺環境

古い町並みの一角にあり、仁尾城跡に建つ覚城院。弘仁十年弘法大師が創建。その後2回の再建を経て宝永年間に三等上人が現在地に移転させた。

歴史由緒

弘仁10年(819年)空海により創建されたと伝えられる。当初菩提心院と呼ばれていた。

応永年間(1394年 - 1427年)には、弘法大師の再来と言われる増吽僧正によって再建されている。

天正7年(1579年)長宗我部氏の兵火にかかったが、再建された。

宝永年間(1704年 - 1710年)には三等上人が、仁尾城跡の現在地に移転し、覚城院と改めた。

 

創建

 

山号

大寧山 不動護国寺 覚城院

札所

さぬき三十三観音19番

文化財

「梵鐘」は、仁尾町指定有形文化財

銅造で、鐘身高100cm、口径70cm。

享保三年(1686)頃の銘があります。

「讃州三野郡仁尾浦 鴨大明神之洪鐘一口」という銘文が陰刻されていて、賀茂神社にあったことが分かります。

 

     8-8 覚城院鐘楼-2 20150306      8-8 覚城院鐘楼 20150306

 

建造物

  鐘楼

建立

桃山  1573-1614 

指定年

昭和22.02.26

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面形状

桁行三間、梁間二間

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

袴腰

 

外周縁

 

軒裏組物

一重繁垂木 三つ斗 実肘木

中備

蟇股 蓑束

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

蟇股、面取りの割合、斗棋や勾欄の形から桃山時代の建築と推定

修理履歴

元近傍の「賀茂神社」の鐘楼であったが、明治初年、神仏分離の時、別当神宮寺が廃寺となったので、別当寺の本寺である当寺に移築された。

昭和26年(1951年)修理

文化庁

説明文

なし

     

 

 

 5、観音寺金堂

 

寺社名

 観音寺

所在地

観音寺市八幡町一丁目2番7号

周辺環境

 

歴史由緒

伝承によれば、大宝年間(701年 - 704年)に、法相宗の日証が琴弾山で修行をしていたところ、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人が八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を祀り琴弾八幡宮と名付けた。その神宮寺として建立され神宮寺宝光院と称していた。

 

寺伝によれば、行基が養老6年(722年)に訪れた後、大同2年(807)空海(弘法大師)が第7世住職として入山し、奈良の興福寺を模して、中金堂に聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、西金堂、東金堂など七堂伽藍を整備し、名称も観音寺と改め札所のひとつにしたという。

 

創建

伝)大宝3年(703年) 伝)日証上人 

山号

七宝山

札所

四国八十八箇所69番 

重文

木造釈迦涅槃仏像 - 

鎌倉時代(13世紀)作、像長74.0cm、像高18cm、ヒノキ材、寄木造り・目は彫眼・頭は蜾髪、彫像の涅槃仏で中世にさかのぼる稀有な例である。明治34・3・27指定

 

絹本著色琴弾八幡本地仏像: 明治34・3・27指定

絹本著色琴弾宮絵縁起(香川県立ミュージアム寄託):明治34・3・27指定

絹本著色不動明王二童子像(香川県立ミュージアム寄託):明治34・3・27指定

 

県文化財

県文化財木造大日如来坐像(伝・聖観音)・薬師如来坐像・釈迦如来坐像・絹本著色両界曼荼羅図

 

   

 

建造物

  金堂

建立

大永5年 (1525)

指定年

昭和34.06.27

様式形式

寄棟造

再建

延宝5年1677

確証附

:厨子、棟札

平面形状

桁行三間、梁間四間

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

向拝一間

 

外周縁

 

軒裏組物

出三斗 二軒繁垂木

中備

間斗束

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

最古の落書き:本堂に「常州下妻庄…貞和三年…」(南北朝時代)などと書かれ、 貴重な遍路文化の資料とされる。

修理履歴

和36年(1961年)に解体修理

文化庁

説明文

なし

     

 

 6、国分寺

 

寺社名

 国分寺

所在地

高松市国分寺町国分2065

周辺環境

現在の国分寺の本堂は鎌倉時代に再建されたもので、本尊の千手観音立像とともに重要文化財に指定されている。裏手は讃岐国分寺跡史跡公園になり、讃岐国分寺跡資料館がある。約2kmのところに讃岐国分尼寺跡がある。JR予讃線ほか国分駅から徒歩約5分。 

歴史由緒

瀬戸内海に面した五色台と呼ばれる山塊の主峰の一つ、太平山の南麓に築かれた讃岐国分寺は、奈良の高僧である行基によって開基されたと伝えられている。なお、全国の国分寺はおおむね天平宝字年間(757~765年)頃に完成したとされるが、讃岐国分寺はそれよりも若干早くに完成したようで、天平勝宝8年(756年)には既に讃岐国分寺が存在したとみられる記述が続日本紀にある。

平安時代初期の弘仁年間(810~824年)には、四国を巡錫していた弘法大師空海が讃岐国分寺を訪れ、痛んでいた本尊や堂宇の修理を行ったとされる。時代が進み、武家勢力が政治の主導権を握るようになると、それまで中央集権的な律令制を敷いていた朝廷の力が弱まり、その財政的支援によって支えられていた全国の国分寺と国分尼寺は、瞬く間に衰退してしまう。讃岐国分寺もまたその例に漏れず、他の国分寺と同様に廃れていったのだが、真言宗の開祖である空海に縁のある霊場として信仰を得ていた為か、鎌倉時代には創建時の講堂跡に残っていた礎石をそのまま利用して、立派な本堂が再建されている。

創建

 天平勝宝8年(756年)以前 (伝)行基 

山号

白牛山 

札所

四国八十八箇所80番

文化財

銅鐘、高さは115.4cm,口径89.7cm 平安時代の前期

全国の国分寺の中で、最大規模。伽藍の西側からは掘立柱の建造物跡が、伽藍の東側からは鐘楼跡も発見されている。現在、境内に建つ鐘楼に吊るされている銅鐘は、奈良時代の特徴を残しつつ、平安時代の特徴も見られる。平安時代の初期に鋳造、香川県最古の梵鐘

 

木造千手観音立像(重要文化財)

彩色、彫眼、十一面四十二臂、像高524cm。平安時代末期作。本堂内陣の須弥壇上の厨子内に安置。

 

史跡

讃岐国分寺跡(特別史跡):石造復元模型  指定:昭和27年3月29日  讃岐国分寺跡資料館

741年(天平13)に聖武天皇の勅願により、全国に建造された讃岐国の国分寺跡で、現在の国分寺の寺域内に金堂跡とその正面東方に塔跡が残っている。

西方および北方の一部に土塁や築地塀の土塀が残存していることから、東西約220m、南北約240mの寺域をもつことが判明した。32の礎石が残る金堂跡、心礎・四天柱・側柱礎が残る塔跡のほか、講堂跡、僧坊跡が確認されており、南大門・中門・金堂・講堂が南北に一直線に並ぶ伽藍(がらん)配置である。

寺域内からは奈良時代の鐙瓦・宇瓦などが発見され、往時の姿が推測できることから、1928年(昭和3)に国の史跡に指定され、その後1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定された。

 

 

    8-8 国分寺本堂 20150306     8-8 讃岐国分寺跡復元 20150306

 

建造物

 本堂

建立

鎌倉後期

指定年

明治37.08.29

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面形状

桁行五間、梁間五間

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

 

桟唐戸  連子窓

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

引違格子戸菱欄間

彫刻

 

妻飾

 

見所

 

修理履歴

昭和16年から18年にかけて行われた本堂の解体修理の際にも講堂の礎石と考えられるものが、現在の本堂に使用されていることが確認されている。

文化庁

説明文

なし

     

 

 

 7、志度寺

 

寺社名

 志度寺   しどじ

所在地

さぬき市志度1102番地

周辺環境

香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。

海の向こうはるかには、屋島や五剣山の稜線を望めます。

歴史由緒

縁起によると、志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたという。

創建は626年(推古天皇33年)のこととされている。

681年(天武天皇10年)には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけたという。不比等に関わる「海女の玉取り」伝説は謡曲などでも知られる。

また、693年(持統天皇7年)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立したと伝えている。

室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行い繁栄するが、そののち戦乱により寺院は荒廃する。藤原氏末裔の生駒親正による支援などを経てのち、1671年(寛文10年)、高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興された。

 

1962年(昭和37年)に重森三玲による枯山水「無染庭」が造られている。

 

創建

推古天皇33年(626年) 伝尼凡薗子 

山号

補陀洛山 清浄光院志度寺

札所

四国八十八箇所86番 

文化財

木造十一面観世音菩薩両脇士立像

 十一面147.0cm榧の一木造り彩色・藤原時代、不動78.2cm、毘沙門79.4cm

絹本著色十一面観音像       指定:明治34.03.27

絹本著色志度寺縁起 鎌倉/南北朝 指定:明治34.03.27

 志度寺の創建から鎌倉時代の末ごろまでの縁起伝説で康永2年(1343)頃に描かれたもの

 謡曲「海士(あま)」はこの中の「海女の玉取り伝説」を題材にしたとされる。 

県文化財

閻魔堂・奪衣婆堂、木造如来形坐像、木造金剛力士立像(県文化財) 

庭園

曲水式庭園・無染庭(むぜんてい)

水墨で描いた山水画を彷彿とさせる景観で知られる曲水式庭園は、室町時代に讃岐の守護であった細川氏の寄進による美しい庭で、滋賀の秀隣寺、三重の北畠神社と並んで、わが国には三つしかない珍しい庭園。この庭園に続く無染庭は、海女の玉取り伝説の情景を七個の石と苔むした岩、そして庭一面に敷き詰めた白砂で表現している。 

 

 
             8-8 志度寺本堂 20150306

建造物

 本堂

建立

寛文10 : 1670 

指定年

昭和58.06.02

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札

平面形状

桁行七間、梁間五間、一重、

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

向拝三間、軒唐破風付

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

 

修理履歴

昭和60年 屋根葺替・部分修理

文化庁

説明文

志度寺は四国霊場八十六番札所で真言宗に属する。本堂は桁行七間、梁間五間の大規模な仏堂であり、仁王門は三間一戸の八脚門である。<br>中世以来の伝統を受けついで軸部が木太く堂々としているが、細部の意匠には近世的な特色もみられる。高松藩によって造営された江戸時代中期の寺院の遺構として重要である。

     

               8-8 志度寺仁王門 20150306

 

建造物

 仁王門

建立

寛文10 : 1670 

指定年

昭和58.06.02

様式形式

八脚門

再建

 

確証附

なし

平面形状

三間一戸

屋根

切妻造、本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

三つ棟木の工法

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

運慶の力作、仁王像と巨大わらじが迎えてくれる 讃岐藩主、松平頼重により寄進

修理履歴

 

文化庁

説明文

なし 本堂

 


                  8-8 志度寺五重塔 20150306

 

 

五重塔

本瓦葺、高さ 約33

建立

昭和50年

指定年

無指定

 

地元出身の実業家竹野二郎により寄進された。広島県福山市の明王院五重塔(国宝)を模している

特長

昭和50年 1975年、本瓦葺、一辺4.36m

擬宝珠高欄、三手先組物、二軒繁垂木、中備えは中央間のみ間斗束

 

 

 

 8、常徳寺

 

寺社名

  常徳寺

所在地

三豊市仁尾町仁尾丁930

周辺環境

 

歴史由緒

南北朝時代末期の明徳2年(1391年)ころの創建といわれている常徳寺。応永8年(1401年)には、本尊が安置されている円通殿が建立されました。

創建

 1391年

山号

 

札所

 

 

常徳寺の雌雄大ソテツ

 

 
                8-8 常徳寺円通殿 20150306

建造物

 円通殿

建立

応永8(1401)

指定年

昭和30.06.22

様式形式

禅宗様仏殿

再建

 

確証附

棟札

平面形状

桁行三間、梁間三間

屋根

入母屋造、本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

粽円柱石の礎盤   花頭窓

桟唐戸と縦板壁

外周縁

 

 

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

 

修理履歴

昭和三十八年十月解体修理に着工    同三十九年十二月復元完成

文化庁

説明文

なし

     

 

 

9、善通寺 金堂

 

寺社名

  善通寺

所在地

善通寺市善通寺町三丁目

周辺環境

和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。

歴史由緒

空海(弘法大師)は讃岐国、現在の善通寺市の出身である。『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立の寺伝)によれば、善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成したという

鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となりました

創建

(伝)大同2年(807年) 佐伯善通 

山号

屏風浦五岳山 誕生院

札所

四国八十八箇所75番 真言宗十八本山1番 

国宝

金銅錫杖頭

一字一仏法華経序品

重文

木造地蔵菩薩立像 - 木造、素地、像高115.5cm、平安時代後期

木造吉祥天立像 - 檜の一木造、古色、像高135.0cm、平安時代後期

善通寺伽藍並寺領絵図

 

 

登録有形文化財 そのほかの建造物は全て指定されている。

 

              8-8  善通寺 金堂 20150306

 

建造物

 金堂

建立

元禄12年 : 1699

指定年

平成24.12.28

様式形式

一重仏堂

再建

 

確証附

棟札

平面形状

桁行三間、梁間三間

屋根

入母屋造、本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

もこし付 粽付円柱

桟唐戸、花頭窓、

波連子

外周縁

切込石段をもつ石積

 

三手先詰組 裳階は実肘木付出三斗の詰組

扇垂木、裳階は平行垂木

中備

 

妻飾

二重虹梁大瓶束で中備を蟇股

内陣特長

 

彫刻

 

 

 

見所

土台の石組の中に、創建当時の礎石

正面・西側・東側に組み込まれた礎石は径65cmの柱座をもち、北側礎石は径60cmの柱座を持つ。

西側礎石は周囲に排水溝を持ち心礎と思われる。 正面・北・東の3個は高さ1cmの造出の柱座を持つ。

創建金堂は、裳階付の二重仏堂であったとの伝えがあり、禅宗様仏殿の形式を借りてこれを再現しようとしたものともみえる。

修理履歴

 

文化庁

説明文

善通寺は、善通寺市街の西寄り、香色山の麓に位置する。弘法大師空海の生誕の地と伝え、四国八十八ヶ所霊場の第七十五番札所である。

伽藍は戦国時代に焼失しており、金堂は元禄12年(1699)の再建、五重塔は4代目の塔として幕末に着工し、明治35年に完成した。

伽藍の中央に建つ金堂は、一重、もこし付で、本格的な禅宗様仏殿の形式をもつ。

五重塔は、高さ43メートル、和様を基調として、初重から伸びる心柱など古式を示す。

善通寺の金堂は、四国地方に稀な本格的な禅宗様仏殿の形式をもつ建物として貴重である。また、五重塔は江戸時代の技法による塔婆建築の到達点を示しており価値が高い。

 


                  8-8  善通寺 五重塔 20150306

建造物

 五重塔

建立

明治35  1902

指定年

平成24.12.28

様式形式

三間五重塔婆

再建

1884年再建

確証附

 棟札 

平面形状

一辺6.20m、高さ は45.5

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

現存塔婆では屈指の高さ

桟唐戸、脇間を横板壁

外周縁

初重に縁がなく

上層擬宝珠高欄付の縁

 

二本の尾垂木をもつ三手先

二軒繁垂木

中備

間斗束

 

拳鼻付平三斗の腰組

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

三代の棟梁により長期にわたって建設されたが全体として均整がとれており、近世の技法による層塔建築の到達点を示す大規模な五重塔婆

延久2年(1070)の大風で倒壊。観応3年(1352)宥範により、木造五重塔造営成る。

 永禄元年(1558)兵火で焼失。文化元年(1804)再興。この塔も天保11年(1840)焼失。

修理履歴

 

文化庁

説明文

なし

 

 

10、長尾寺経幢

 

寺社名

  長尾寺

所在地

さぬき市長尾西653

周辺環境

 

歴史由緒

聖徳太子の開創と伝えられている。古くより聖武天皇( 724)、天平11年( 739)に行基菩薩がこの地を訪れ、霊感を得られ柳の木「楊柳(ようりゅう)」をもって聖観世音菩薩像(三尺五寸、約1メートル)の尊容を刻み本尊とし、 堂宇を建立して安置した。

天和三年(1683)に真言宗から天台宗に改宗した

創建

(伝)天平11年(739年) 伝)行基 

山号

補陀洛山

札所

四国八十八カ所 第八十七番札所

 

山門:

日本三大名門の1つという。寛文10年(1670年)建立とされ三つ棟木という珍しい工法で知られる。

 

              8-8長尾寺経幢 

 

建造物

  経幢  2基

建立

弘安6 : 1283

指定年

昭和29.09.17

様式形式

石造幢

再建

 

確証附

なし

 

西側のものが弘安6年(1283年)、東側のものが弘安9年(1286年)の建立

立面外観

凝灰岩、高さ 200Cm

 

外周縁

 

 

弘安歳次六年癸未七月日の刻銘

中備

 

 

 

見所

経幢(きょうどう)は、経文を埋納保存する施設、もしくは供養の標識として鎌倉時代中期頃からつくられるようになった。長尾寺のものは屈指の古さを誇る

明治末年に本堂前から移された。幢身内に経を納めた空洞がある。現在、阿弥陀の種子「キリーク」が北面にあり、90度 反時計方向へ廻した方向が本来の方向

修理履歴

 

文化庁

説明文

なし

 

 

 12白峯寺十三重塔

 

寺社名

  白峯寺  しろみねじ

所在地

坂出市青海町2635番地

周辺環境

 

歴史由緒

寺伝によれば、空海(弘法大師)が弘仁6年(815年)この地に訪れ、衆生救済の請願をした。円珍(智証大師)が貞観2年(860年)に白峯大権現の神託を受けて千手観世音菩薩を霊木に刻み安置したという。

後に、長寛2年(1164年)崇徳天皇が讃岐流刑地で没し、この地に陵墓が造られた。その後、建久2年(1191年)に、慰霊のために陵墓近くに頓証寺が建立され、さらに、応永21年(1414年)に後小松天皇は崇徳天皇の成仏を願い自筆の額(勅額)を頓証寺に奉納した。これが現在の白峯寺になったとされる。

 

創建

(伝)弘仁6年(815年)

 (伝)空海、円珍(智証大師) 

山号

綾松山 洞林院 白峯寺

札所

四国八十八箇所霊場の第八十一番札所

重文

木造頓證寺勅額

縦139㎝、横115㎝、室町時代作、後小松帝宸翰、明34・3・27指定

県指定

木造吉祥天立像:台座も含めて榧の一木造り像高44cm台座6cm、平安時代作、昭和50.7.31指定

石造笠塔婆(摩尼輪塔):角礫凝灰岩製、元応3年(1321)2月18日建立、境内から遍路道を東へ

 約0.5km行った「下乗」石の脇にある。昭和36.6.6指定

五重塔:花崗岩製、高さ2.15m、客殿の裏庭にある。鎌倉時代作、昭和39.4.9指定

阿弥陀堂:江戸時代作、本堂の左にある。昭和39.4.9指定 

客殿:江戸時代作、昭和39.4.9指定

石燈籠:花崗岩製の6角形、総高1.9m、頓証寺殿の拝殿左に建つ。鎌倉時代作、昭和36.6.6指定

 

 

         8-8白峯寺十三重塔   8-8 白峯寺十三重塔 20150306

 

建造物

 石造十三重塔 - 2基

建立

鎌倉末期

指定年

昭和29.9.17

様式形式

十三重塔

再建

 

確証附

 

概要

東塔は総高5.95mの花崗岩製で弘安元年(1278年)建立、

西塔は総高5.62m角レキ凝灰岩製で元亨四年(1324年)建立、

立面外観

 

 

外周縁

 

 

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

源頼朝が崇徳天皇の菩提のために建立

修理履歴

 

文化庁

説明文

なし

 

 

 13、明王寺釈迦堂

 

寺社名

  明王寺

所在地

小豆郡小豆島町池田4305

周辺環境

二つの札所が同じ境内に並存

歴史由緒

弘法大師が生国讃岐と京を往来する途中、修行の地として小豆島の洞窟などをたびたび訪れ、この島に多くのご霊跡を遺したことによるとされる。霊験あらたかなこの地はいつしか島四国として大師信仰が盛んになり遍路修行に数多くの人々が訪れるようになった。

創建

正安三年に弘安上人

山号

洞雲山福生院明王寺

札所

小豆島八十八霊場の三十六、三十七番札所

 

 

 

               8-8 明王寺釈迦堂 20150306    

 

建造物

 釈迦堂

建立

天文2 : 1533 

指定年

明治40.05.27

様式形式

寄棟造

再建