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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-4-2 愛知県の文化財探訪-1

8-4-2 愛知県の文化財

 

 

 

8-4-2

 愛知県の建造物文化財の探訪

 

 

 

 愛知県は、令制国では尾張国と三河国に当たる。愛知県は、支配者氏族と関係している地域である。

 源頼朝が生まれた地域(名古屋市熱田区)との説もあり、室町幕府を開いた足利氏は西三河地方に細川氏・一色氏・吉良氏・今川氏など一族が多かった。

 

 戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などを始め多くの武将を輩出し中央政局に大きな影響を及ぼした。

 江戸大名はこの三人の配下から出た者が多く、徳川一族や譜代大名(井伊氏などごく一部の他国出身者もいる)などの三河出身者のほか前田家、浅野家、池田家、山内家、蜂須賀家など尾張出身者が各地で大藩を幕末まで支配した。

 

 大名家だけでなく家臣団や一部庶民も封地へ移り住んでおり、近世日本の大部分は尾張・三河出身武士団の支配を受けた形となる。

 

 特に、江戸の開府に際しては多くの三河人が移住し、江戸っ子基質の形成にも大きく影響した。また、江戸時代に華咲いた日本的建築や日本的文化は愛知出身者による貢献とも言える。

 

 

 

尾張国

 

● 国府

 

尾張国衙推定地。国府は中島郡に所在した。地名を手がかりに、次の2箇所が候補にあがっている。

 

 ①稲沢市松下・国府宮 

松下・国府宮とも「国衙」という小字があり(現在は松下n丁目、国府宮n丁目)近辺に所在が推定されている。

数度の発掘調査が行われているが、木簡や銅印などは出土しているものの遺構は発見されていない。

推定国府域は三宅川の自然堤防の上に位置し、ほぼ真北の方位をとる。現在は松下公民館付近において「尾張国

衙址」碑が建てられているほか、総社の尾張大国霊神社が所在する。

 

 稲沢市下津町

  「東国府」「西国府」の小字があり、近辺に所在が推定されている。発掘調査は行われていない。

 

現段階では、発掘調査が不十分であるため所在地は明らかでない。考古学・古代史学的には松下説が有力視され

るが、中世頃の洪水により松下から下津(室町期には守護所も所在)に移転したと推測する説もある。 

なお『節用集』易林本では海部郡に「府」と記載されている。

 

 

● 国分寺・国分尼寺

 

 ・尾張国分寺跡(稲沢市矢合町)    尾張国分寺跡 (稲沢市矢合町椎ノ木) 国の史跡。

推定寺域は東西約200メートル・南北約300メートル以上で、金堂・講堂・塔の遺構が確認されている。

『日本紀略』元慶8年(884年)条によると、尾張の本金光明寺に火災があったため、愛知郡定額寺の願興寺

(現・名古屋市中区の尾張元興寺跡か)を国分寺としたとされる。

 この尾張元興寺は10世紀には衰退して廃寺に至ることから、その後に国分尼寺が僧寺に転用されたという説

もある。以後、中世期の変遷は不詳。現在は創建時の遺構北方において、明治に「円興寺」から改称した
  
鈴置山国分寺(稲沢市矢合町)が法燈を伝承する。

 

・ 尾張国分尼寺跡 稲沢市法花寺町と推定されている。

  発掘調査は行われておらず不詳。同地の法華寺(位置)がその名残とする説がある。

 

   そのほかの尾張の古代寺院としては長福寺廃寺(一宮市千秋町)、尾張元興寺遺跡(名古屋市中区正木町)、

東畑廃寺(稲沢市稲島町)が知られる。

 

 

● 神社

 

① 延喜式内社

 『延喜式神名帳』には、大社8座8社・小社113座113社の計121座121社が記載されている。

 大社8社は以下に示すもので、全て名神大社である。

 

 ・中島郡 大神神社                  比定社:大神神社 (一宮市花池、位置)

 ・中島郡 太神社                   比定社:大神社 (一宮市大和町於保、位置)

 ・中島郡 真墨田神社                 比定社:真清田神社 (一宮市真清田)

 ・丹羽郡 大県神社                  比定社:大県神社 (犬山市宮山)

 ・愛智郡 熱田神社                  比定社:熱田神宮 (名古屋市熱田区神宮)

 ・愛智郡 日割御子神社        比定社:日割御子神社 (名古屋市熱田区神宮)   - 熱田神宮摂社。

 ・愛智郡 孫若御子神社        比定社:孫若御子神社 (名古屋市熱田区神宮)   - 熱田神宮摂社。

 ・愛智郡 高座結御子神社       比定社:高座結御子神社 (名古屋市熱田区高蔵町) - 熱田神宮摂社。

 

 

② 総社・一宮以下

 

 ・総社:尾張大国霊神社 (稲沢市国府宮)

 

 ・一宮:真清田神社 (一宮市真清田) - 初見は1165年の史料。『十六夜日記』に「一宮といふやしろ」

                       と記されている。

 ・二宮:大県神社 (犬山市宮山)   - 初見は1143年の史料。一宮もこの頃定まったとされる。

 ・三宮:熱田神宮 (名古屋市熱田区神宮) - 古代からの大社であるが、一宮にはならなかったとされる。

 

 

 

三河国

 

 

● 国府

 

国府の遺構は豊川市白鳥町上郷中・下郷中で見つかっている。

社があることや「おとど(大臣)」の地名から推定され、1991年(平成3年)から1997年(平成9年)に

かけて総社周辺の発掘調査が行われた結果、建物跡が見つかっている。

加えて「国厨」の墨書土器が出土したことから、政庁と確認された。

 

1999年(平成11年)3月には、豊川市八幡町で長さ100m以上、幅員22mの小石を敷き詰めて舗装した大道

が発見されており、国府と国分寺をつなぐ道路遺構とみられている。

 

府中 永禄5年8月6日松平元康判物写に長沢松平康忠領として宝飯郡内21か所1,810貫文の中に「一,五拾

貫文 府中」と見える(譜牒余録/岡崎市史6) 天正17年10月9日の三州宝飯郡府中之郷御縄打水帳による

と,府・白鳥・久保・森・八幡の郷村に田畠があり,これらの地域が府中郷と把握されていた。

 

※発掘調査の結果、実際には、国府町に国府はなく、白鳥町に国府と総社があり、八幡町に国分寺と国分尼寺が

あった。それまでは、名前から国府町にあるという説や、森=国守・国司のことを指すとして、森町に関係する

という考えなどが提示されていた。御津という地名も国府の津(外港)であるからと、その説を補強していた。

 

 

 国分寺・国分尼寺

 

 ・三河国分寺跡 (豊川市八幡町本郷) 国の史跡。1

1985年(昭和60年)から1988年(昭和63年)の発掘調査で金堂・講堂・塔跡などが確認された。

現在は跡地に永正年間創建の国府山国分寺が立ち、国分寺の法燈を伝承するほか、古代の国分寺の銅鐘(梵鐘)

を伝える。

 

 ・三河国分尼寺 (豊川市八幡町忍池) 国の史跡。

発掘調査で遺構が確認され、史跡公園として整備されている。跡地には祇園山清光寺が建てられている。

 

 

 神社

 

 ①延喜式内社 『延喜式神名帳』には、小社26座25社が記載されている。大社はない。

 

 ②総社・一宮以下

 ・総社:総社 (豊川市白鳥町上郷中)      - 別名「白鳥神社上宮」。

 

 ・一宮:砥鹿神社 (豊川市一宮町西垣内)    - 一宮を砥鹿神社とする多くの史料がある。

 ・二宮:知立神社 (知立市西町神田)      - ただし知立神社を二宮とする中世史料は見つかっていない。

 ・三宮:猿投神社 (豊田市猿投町大城)     - ただし初見は1662年の史料であり、中世史料にはそれを示

                         すものは見つかっていない。

 

 

 

● 愛知県の文化財一覧

                             ※ 愛知県は地域別に一覧にしています。

 

 

寺社名・棟名 国宝

所在地

建立年代

概要

1

伊賀八幡宮

岡崎市伊賀町東郷中86

寛永13(1636)

本殿、幣殿、拝殿、透塀、神橋鳥居他 

2

大樹寺多宝塔

岡崎市鴨田町広元5-1

天文4(1535)

三間多宝塔、檜皮葺

3

滝山寺三門

岡崎市滝町入ノ谷13

室町前期

三間一戸楼門、入母屋造、こけら葺

滝山寺本堂

室町前期

桁行五間梁間五間、寄棟造 檜皮葺

滝山東照宮

正保3(1646)

本殿、幣殿、拝殿、中門、鳥居、水屋 

4

信光明寺観音堂

岡崎市岩津町東山47

文明10(1478)

桁行三間梁間三間、入母屋造、杮葺

5

天恩寺山門

岡崎市片寄町山下33

 室町後期

  一間薬医門、切妻造、こけら葺

天恩寺仏殿

 室町前期

桁行三間、梁間三間、入母屋造

6

八幡宮本殿

岡崎市上地町宮脇48

室町後期

三間社流造、檜皮葺

7

八幡宮本殿

岡崎市福岡町南御坊山20

室町後期

三間社流造、檜皮葺

8

妙源寺柳堂

岡崎市大和町字沓市場65

正和3(1314)

桁行三間、梁間三間、寄棟造

9

六所神社

岡崎市明大寺町耳取44

寛永13(1636)

本殿、幣殿、拝殿神供所楼門

10

観音寺多宝塔

名古屋市中川区荒子町

天文5(1536)

三間多宝塔、銅板葺

11

富部神社本殿

名古屋市南区呼続4

慶長11(1606)

一間社流造、檜皮葺

12

竜泉寺仁王門

名古屋市守山区竜泉寺

慶長12(1606)

三間一戸楼門、入母屋造、杮

13

興正寺五重塔

名古屋市昭和区八事本町

文化5(1808)

三間五重塔婆、本瓦葺

14

高田寺本堂

北名古屋市高田寺383

室町中期

桁行五間梁間五間入母屋造檜皮葺

15

尾張大国霊神社拝殿

稲沢市国府宮1-1-1

江戸前期

桁行五間梁間三間、切妻造檜皮葺

尾張大国霊神社楼門

室町後期

三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

16

万徳寺多宝塔

稲沢市長野3-2-57

室町後期

三間多宝塔、檜皮葺

万徳寺鎮守堂

享禄3(1530)

一間社流造、檜皮葺

17

長光寺地蔵堂

稲沢市六角堂東3-2-8

永正7(1510)

六角円堂、一重、とち葺形銅板葺

18

性海寺多宝塔

稲沢市大塚南1-33

室町中期

三間多宝塔、銅板葺

性海寺本堂及び宝塔

慶安年間(1648

桁行三間梁間三間 入母屋造、

19

財賀寺

豊川市財賀町観音山3

文明年間(1469)

仁王門、本堂、三十三観音堂、八所他

20

三明寺三重塔

豊川市豊川町波通37

享禄4(1531)

三間三重塔婆、こけら葺

三明寺本堂内宮殿

天文23(1554)

一間社流造、こけら葺

21

八幡宮本殿

豊川市八幡町本郷16

文明9(1477頃

三間社流造、檜皮葺

22

国宝 犬山城天守

犬山市犬山北古券65-2

慶長6(1601)

三重四階、地下二階付、本瓦葺

23

旧正伝院書院

犬山市犬山御門先1

元和4(1618頃

七畳(床付)、六畳四室及び縁

国宝 如庵

元和4(1618頃

茶室二畳半台目、水屋の間三畳

24

大縣神社

犬山市宮山3

寛文元(1661)

桁行三間梁間二間、入母屋

25

久麻久神社本殿

西尾市八ツ面町麓77

大永7(1527)

桁行三間梁間二間、入母屋造

26

国宝 金蓮寺弥陀堂

西尾市吉良町饗場

鎌倉後期

桁行三間、梁間三間、寄棟造

27

幡頭神社本殿

西尾市吉良町宮崎宮前

天正8(1580)

三間社流造、檜皮葺

28

源敬公徳川義直廟

瀬戸市定光寺町373

承応元(1652)

公墓、唐門、宝蔵、焼香殿、築地塀他

29

定光寺本堂

瀬戸市定光寺町373

明応2(1493)

桁行三間梁間三間、もこし、入母屋造

30

曼陀羅寺書院

江南市前飛保町寺町202

 寛文3 (1663)

桁行12.4m梁間11.4m寄棟造銅板葺

曼陀羅寺正堂

寛永9(1632)

桁行五間梁間五間、入母屋造檜皮葺

31

甚目寺

あま市甚目寺東門前24

寛永4(1627)

三重塔、東門

甚目寺南大門

鎌倉後期

三間一戸楼門、入母屋造、こけら葺

32

鳳来寺仁王門

新城市門谷鳳来寺1

慶安4(1651)

三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺

33

東照宮

新城市門谷鳳来寺4

慶安4(1651)

本殿、幣殿、拝殿、透塀、中門水屋

34

津島神社本殿

津島市神明町1

慶長10(1605)

三間社流造、檜皮葺

津島神社楼門

天正20(1592)

三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

35

冨吉建速神社本殿

海部郡蟹江町大字須成

室町後期

一間社流造、檜皮葺

八劔社本殿

室町前期

三間社流見世棚造、檜皮葺

36

観福寺本堂内宮殿

東海市大田町神下ノ上5

宝治2(1248)

 桁行一間梁間一間、入母屋造、

37

東観音寺多宝塔

豊橋市小松原町字坪尻14

大永8(1528頃

三間多宝塔、こけら葺

38

妙興寺勅使門

一宮市大和町妙興寺2438

貞治5(1366)

四脚門、切妻造、桟瓦葺

39

密蔵院多宝塔

春日井市熊野町3133

室町中期

三間多宝塔、こけら葺

40

知立神社多宝塔

知立市西町神田12

永正6(1509)

三間多宝塔、こけら葺

41

豊田市足助

豊田市足助町

平成23.06.20

商家町 重要伝統的建造物群

足助八幡宮本殿

文正元  1466 

三間社流造、檜皮葺

42

豊川稲荷

豊川市豊川町1番地

 

 日本三大稲荷の1つとされる

43

熱田神宮

名古屋市熱田区神宮1-1-1

 

 式内社、尾張国三宮、旧官幣大社

44

明治村

犬山市字内山1番地

 

 明治時代の建築を保存

45

尾張国分寺

稲沢市矢合町城跡2490

 重文・仏像多数

 木造釈迦如来坐像他

 

 

 

 

●愛知県の個別文化財の探訪  

 

 

      一覧表番号の1~21はこのページで、22~48は次ページで記述します。

 

 

 

1、伊賀八幡宮

 

寺社名

  伊賀八幡宮

所在地

岡崎市伊賀町東郷中86

0564-26-2789

由緒

平安時代の康平年間(1057-1065)、源頼義が東北の安倍貞任追討の途中、勅許を得て京都の石清水八幡宮を伊賀国(三重県)に勧請したのが起こり。その伊賀国甲賀郡に鎮座する源頼義公を祀る八幡宮を 三州額田郡井田村へ社を移して、松平四代親忠が松平家の守護神・氏神として文明2年(1470)に創建したことに始まる。(伊賀の名称の由来)

 

歴史

松平氏、そして徳川家康の危急危難をいく度となく救ってきたとして代々の崇敬が篤い。

 織田信秀(信長の父)が天文4年(1535)に岡崎に攻め込んできた際には、松平広忠(8代目・家康の父)は伊賀八幡に戦勝祈願し、井田ヶ原に迎え撃った。

その時、先頭に白馬の武者が現れ敵陣に白矢を放つと伊賀八幡の社殿が鳴動し森から無数の神矢が敵陣に注ぎ込まれ信秀軍は撤退。松平広忠は神矢を拾い、神前に奉納し感謝したという。

 

 桶狭間の合戦の折には敗退する今川軍とともに引き上げる松平元康(=徳川家康)がようやくに岡崎手前の矢作川にたどりついたが、渡川する浅瀬がみつからずに迷っていたところ、伊賀八幡の神使たる神鹿が現れ、元康はようやくにして川を渡り大樹寺(松平菩提寺)に入ることが出来たという。

 関ヶ原の戦いや大阪の陣・島原の乱に際しても、伊賀八幡の社殿鳴動や奇瑞が伝えられており、常に徳川氏神として神威を発揚されたといわれる。

 

創建・建立

文明2年(1470年)

祭神

応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、

東照大権現

社格

県社

リンク

 Wiki      HP 

概要・特長

寛永13年(1636)に徳川家光が社殿を造営した際に東照大権現を追祀した。徳川将軍が東照大権現を祀ることを定めた(他に日光・久能山)数少ない東照宮のひとつでもある。家康公の遺言にある「亡骸は久能山、葬儀は芝増上寺、位牌は大樹寺」とした大樹寺は当社ほどちかくに鎮座しており、松平氏徳川氏の菩提寺である。

 

重文

本殿、幣殿、拝殿 附宮殿、棟札4枚 ・透塀 ・御供所 ・随身門 ・神橋鳥居

他の文化財

市指定:・伊賀八幡宮末社上総社社殿、・牟久津社社殿 ・木造随身像

 

 

 

 

建造物

本殿、幣殿、拝殿

建立

寛永13 : 1636 

指定年

昭和8.01.23

建築様式

 権現造

再建

 

確証附

宮殿  棟札 

本殿

三間社流造

屋根

檜皮葺

棟部

千木・勝男木あり

幣殿

桁行二間梁間一

両下造、檜皮葺

拝殿

桁行五間梁間三間

入母屋造向拝一間

立面外観

前面を吹き放ち

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

塗装

黒漆塗・丹塗

内陣

前後間仕切 宮殿

向拝

据破風(すえはふ)【千鳥破風】

透塀

延長42.0m、檜皮葺

御供所

桁行五間、梁間二間、入母屋造、檜皮葺 素木 住宅風の簡素な建物

随身門

三間一戸楼門、入母屋造、前後軒唐破風付、檜皮葺

神橋

石造反橋、高欄付  木造建築の手法

鳥居

石造明神鳥居

ポイント

権現造の社殿

修理履歴

平成18,20年:屋根葺替・部分修理・塗装

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

2、大樹寺

 

寺社名

  大樹寺 だいじゅじ

所在地

岡崎市鴨田町広元5-1

0564-21-3917

環境・周辺

 

歴史・由緒

応仁元年(1467年)、松平氏宗家第4代当主の松平親忠が井田野合戦の死者を弔うために千人塚を築いた。しかし、塚が振動し、悪病が蔓延するなどの事態となり、勢誉愚底(せいよぐてい)に念仏をさせて、抑えた。

 

文明7年(1475年)、松平親忠が戦死者供養のため、勢誉愚底を開山として大樹寺を創建した。「大樹」とは征夷大将軍の唐名であり、松平氏から将軍が誕生することを祈願して、勢誉愚底により命名されたと伝わるもので、全国の寺院で例のない命名である。

親忠により大樹寺は松平氏の菩提寺とされ、松平郷の高月院にあった墓から分骨され、先代3代である松平親氏墓、松平泰親墓及び松平信光墓が大樹寺に作られた。

 

創建・開基

天文4年(1535年) 松平親忠 

山号

成道山 松安院 大樹寺

社格・札所

三河三十三観音3番

三河新四国八十八箇所21番・22番 

リンク

 HP  wiki 

概要・特長

徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍(大樹公)の位牌が安置されている。 大樹寺から岡崎城が眺望でき、直線上にマンション等の高層建築物を建てることはできない。

重文

絹本墨画淡彩如意輪観音図

大方丈障壁画 冷泉為恭(岡田為恭)筆 49面

他の文化財

県指定:大樹寺伽藍 大方丈 ・総門 ・三門 ・旧裏一の門・裏二の門 ・鐘楼

墓所

松平八代墓>元和元年(1615)徳川家康が先祖八代の墓を再建したもので、元和3年には天領代官畔柳寿学が奉行となり現在の姿に整備された。

 

 

 

建造物

  多宝塔

建立

天文4年 1535

指定年

明治37.02.18

建築様式

三間多宝塔

再建

 

確証附

棟札

平面規模

三間四方

屋根

檜皮葺

頂部

 

立面外観

高さ 約13m

壁・窓

板唐戸 連子窓

外周

 

上層組物

下層組物

四手先組物二軒繁垂木

二手先組物二軒繁垂木

中備

間斗束

蟇股中に鳳凰

 

 

内陣

禅宗様須弥壇

彫刻

 

リンク

日本の塔

概要

3代将軍徳川家光は寛永13年(1636)から大造営を行って寺観を整備し、現在の三門、総門、鐘楼、旧裏一の門、裏二の門はその時に建立されたものである。

 

その後、安政2年(1855)の火災で主要堂宇を失ったが、同4年には本堂、大方丈、小方丈、庫裏などが再建され、いまなお徳川家・松平氏の菩提寺として相応しい威厳ある浄土宗伽藍を呈している。

 

ポイント

緻密な彫刻  バランスの良い上下層  和様色の強い細部

蟇股や木鼻などに室町時代後期の意匠

修理履歴

昭和47年 屋根葺替

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

3、滝山寺

 

寺社名

  瀧山寺

所在地

岡崎市滝町山籠107

0564-46-2296

環境・周辺

熱田大宮司家、源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、そして徳川家の恩恵を受け、文化発信の地として三河地方で重要な役割を担ってきた。

 

歴史・由緒

正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせた。古跡であり家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建された。

創建以来、滝山寺が別当職を兼務(別当寺)してきたが、明治6年(1873年)の神仏分離により、滝山寺の運営から独立して独自の神官が選任され、無格社に列せられた。

 

創建

正保3年(1646年)

祭神

東照大権現

社格

村社

リンク

 wiki    HP

概要・特長

 

重文

木造観音菩薩立像及び梵天・帝釈天立像 - 収蔵庫に安置。

 像高は観音像174.4cm、梵天像106.5cm、帝釈天像104.9cm。

 観音像は胸前に両手で蓮茎を捧持する。梵天像は四面四臂像。帝釈天像は右手に独鈷杵

 を持つ。各像の表面の彩色は後世のものである。

 

 観音立像の脇侍に梵天・帝釈天を配するのは、宮中清涼殿に安置されていた「二間観

 音」と同様の構成である。

 これらの像は、寺の縁起によれば、鎌倉時代の僧・寛伝が、母方の従弟にあたる源頼朝

 の追善のため、仏師運慶・湛慶父子に作らせ、頼朝の三回忌にあたる正治3年(1201

 年)に完成、像内に頼朝の鬚(あごひげ)と歯を納入したという。

 

 X線撮影の結果、観音像の像内、口の辺に人間の歯らしきものが固定されているのが確
 認
されている。この三尊像は、近世の彩色で覆われているが作風等から伝承どおり運慶
 一
派の作と認められている

 

鬼祭り

三河路に春をつげる祭りと言われ、天下の奇祭として、愛知県の無形民俗文化財第1号(昭和29年3月12日)に指定されている。

国重要文化財の本堂を舞台にして、祖父・祖母・孫の3鬼が手引きに伴われ登場し、その後を2.5mの松明を持った若者がその鬼を追い、建物全体が火に包まれる勇壮な祭りである。  期日旧正月7日に近い土曜日

 

 

 

 

建造物

 滝山寺三門

建立

室町前期

指定年

明治34.03.27

建築様式

楼門 入母屋

再建

 

確証附

なし

平面規模

三間一戸

屋根

杮葺

頂部

 

立面外観

朱塗二軒繁垂木

壁・窓

 

外周

擬宝珠高欄付

軒裏組物

下層 三手先

上層 尾垂木三手先

中備

間斗束

 

 

概要

瀧山寺三門は、本堂が建つ伽藍から少し離れた滝町の集落の入口に位置する三間一戸、入母屋造こけら葺の楼門であり下層中央の柱間を通路とし、左右に金剛力士像を安置する。

柿葺の思い切り張り出した大屋根の勾配はゆるやかではないが反転があり、軸部はやや狭小であるが構造形式もよく整い、鎌倉時代の特色である雄建美がある。

 

ポイント

全体に木割りが太くバランスとれた門  頭貫木鼻は大仏様

修理履歴

平成23年 屋根葺替・塗装・部分修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

建造物

 滝山寺本堂

建立

室町前期

指定年

明治37.02.18

建築様式

寄棟造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行五間、梁間五間

屋根

檜皮葺

頂部

 

立面外観

南面

桟唐戸 格子窓

外周

縁・高欄

軒裏組物

出三斗 平三斗

中備

 

 

 

内陣

密教本堂の典型的な構成

外陣:
虹梁・蟇股・出三斗

彫刻

 

リンク

 

概要

貞応元年(1222年)三河の地頭で清和源氏の流れをくむ足利義氏が額田郡碧海の庄、吉良の東条・西条の住人に命じて五間四方の本堂を建設した。

  現在の本堂は、明治四十三年頃に解体・大修理をしたものであるが、桧皮葺の寄棟造りで、ことに肘木の彫刻は極めて雄々しく、虹梁・木鼻・蟇股等と共に鎌倉建築の特徴をよく表している。

 

  また、和様・唐様・天竺様を取り入れた様式は、何れもが当代の名工の手になった会心の作で、唐様建築が行われ始めた鎌倉建長寺の建立に先立つこと三十年、藤原文化から鎌倉文化への様式の過渡期に当たり、古い伝統を守りながら早くも大胆に新来の様式を加味していることは興味深いものである。

 

ポイント

中世密教仏堂の禅宗様の細部を確認 

修理履歴

平成13~14年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

建造物

 滝山 東照宮

建立

正保3 : 1646 

指定年

昭和28.11.14

建築様式

権現造

リンク

Wiki  岡崎旅 

確証附

厨子 石柵  銅燈籠 棟札 

概要

瀧山寺本堂の東方、小高い場所に二段に整地して設けられる。社地は石柵で囲まれており、下段に拝殿・幣殿、水屋、上段に中門と本殿が建つ。本堂東方に石鳥居が建ち、その北側に東面して水屋があり、北折した参道正面に拝殿・幣殿が建ち、さらに一段上がった正面に中門を開き、石柵に囲まれた中に本殿が建つ。

 

本殿

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅板葺、勝男木、千木を置く

     長押や組物、桁には彩色の紋様を描き、所々花鳥の彫刻を置く

拝殿

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺

 

幣殿

桁行二間、梁間一間、一重、背面切妻造、前面拝殿に接続、銅瓦葺

 

中門

一間一戸平唐門、銅板葺 唐戸、彩色は、軸部:朱漆塗、組物:紋様彩色、軒廻:黒漆塗

 

鳥居

石造 明神鳥居

水屋

桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、銅板葺、水盤

     装飾は少なく全体的に簡素な建物

重文

太刀(銘:正恒) - 糸巻太刀拵が附属、徳川家光奉納

太刀(銘:長光) - 糸巻太刀拵が附属、徳川家綱奉納

ポイント

彩色は華麗であるが、彫刻は限定的で、和様を基調としている点

修理履歴

平成15年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

4、信光明寺

 

寺社名

 信光明寺 しんこうみょうじ

所在地

岡崎市岩津町字東山47

0564-45-2100

環境

信光明寺は、宝徳3年(1451)岩津城主の松平信光が、父親の菩提を弔うため創建した。境内には、観音堂のほか、開山堂、客殿、中門、総門などが残されている。

 

歴史

 当時の岩津城の城主松平信光が祖父である親氏と父親である泰親の菩提を弔う為、釈誉上人を招いて開いたのが始まりとされます。

 信光は文明10年(1478)には現在の観音堂(当時の法堂)が建立し、文明17(11485)に信光が死去すると当寺に菩提が葬られました。

戦国時代には武田勢の兵火により観音堂を除く多くの堂宇が焼失しましたが、江戸時代に入ると幕府から庇護され随時再建されています。

 

特に信光明寺は大樹寺、高月院と共に三河三ヶ寺に数えられ慶長2年(1602)には寺領128石が寄進されています。宝暦9年(1795)、当時の住職一誉上人は将軍年頭御礼のため江戸へ下向する途中重病となり芭蕉天神に病気平癒の祈願をしたところ忽ち病状が回復し無事江戸に辿りつき務めを遂行出来たことから、その分霊を境内に勧請し社殿を造営しました。

以来、神仏習合の形態でしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により 芭蕉天神は岩津天満宮として信光明寺から独立しています。

 

創建

宝徳3年(1451

山号

弥勒山崇岳院信光明寺

札所

法然三河25番 河國准四國69

リンク

 岡崎の旅

概要・特長

徳川将軍家ゆかりの名刹です。往時壮麗を誇った堂宇は、伊勢新九郎(北条早雲)に放火され消失しましたが、焼け残った観音堂は室町中期の建築様式を今に伝え、国の重要文化財に指定されています。観音堂の屋根の軒先のそりの深さ、総門の屋根に上がっている鬼瓦などは他では見られないものです。

 

 

 

 

建造物

  観音堂

建立

文明10年 1478

指定年

明治37.02.18

建築様式

禅宗様仏堂 入母屋造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

方三間

屋根

こけら葺

頂部

 

立面外観

 

壁・窓

桟唐戸 花頭窓

外周

 

軒裏組物

二手先詰組、二軒扇垂木

中備

なし

妻飾

虹梁大瓶束、

蕪懸魚

内陣

周囲一間通りを化粧屋根、入側斗組で囲われた身舎部分を鏡天井張り、

後方の入側柱と前方の側柱上斗組との間に大虹梁、前の入側通りに大瓶束

 

概要

観音堂は浄土宗寺院としては、最古級の禅宗様の仏堂であり、浄土宗寺院の初期形態や形成過程を知る上においても極めて重要な遺構 

 

ポイント

屋根の大きさ、軒反りの強さ、繊細な木割 花頭窓の曲線

修理履歴

平成2年:屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

5、天恩寺

 

寺社名

  天恩寺 てんおんじ

所在地

岡崎市片寄町字山下

0564-82-2433

環境

岡崎市の中心街から15km程東にある旧額田町に建てられています。

名匠安阿弥作の本尊、延命地蔵菩薩が祀られる三河地方の中心的な名刹です。

 

歴史

建武2年(1335)、矢作川の戦いに敗れた足利尊氏が、この額田の地に退き、延命地蔵に「明日の戦に勝利を得せしめ給えば必ず報恩のためこの地に一寺を建立し奉る」と戦勝祈願をしました。そして願いが叶い翌日の戦に大勝し、将軍となり室町幕府を開くことができました。

  しかし、尊氏が生きているうちに寺を建立することができませんでした。遺言により、室町幕府3代将軍足利義満が、貞治元年(1362)に天恩寺を創建し、寂質元光上人を開山としました。 

 

創建

貞治元年(1362年) 圓應正燈國師

山号

廣澤山

札所

 

リンク

 Wiki 

概要・特長

総門を入ると池を前にして背後に高い石崖を造り、山腹に仏殿、中門(山門)、築地塀、方丈、庫裡、鐘楼を建てる。山腹を巧みに利用した池や石崖、曲折させた参道の構成は臨済宗寺院の趣を示している。仏殿は、建築様式から室町時代前期の建立と考えられている。

重文

仏殿・山門

見返り杉

1575年、家康公が長篠城へ向かう際に天恩寺で一泊した翌日、大杉の下まで来た時に延命地蔵に呼び止められ、大杉の影から矢を射る敵から寸前で身を守った。家康公は延命地蔵へ礼拝し、何度も大杉を見返りながら長篠へ向かったと云われている。

 

 

 

 

建造物

  仏殿

建立

室町前期

指定年

明治40.05.27

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

檜皮葺

頂部

 

立面外観

禅宗様仏殿

壁・窓

桟唐戸 花頭窓

外周

 

軒裏組物

出組詰組 二軒扇垂木

中備

 

妻面

虹梁大瓶束

内陣

禅宗様須弥壇 鏡天井

彫刻

 

リンク

 

山門

室町後期:一間薬医門、切妻造、こけら葺

丸柱、主柱間には、冠木を渡し、冠木を挟み込むように女梁(肘木)と男梁(腕木)をいれ、前方の先端と後方の控柱上に出三斗をのせて桁を支える。

 

中備は平三斗である。

男梁上の中央には大瓶束を立て、束上に出三斗を置いて化粧棟木を支える。一軒疎垂木小舞打ち。この門は、総丸柱であること、両妻に大瓶束を立て、男梁・女梁・垂木などの先端に絵様繰形をつけ、軒裏に手挟をいれるなど、禅宗様式を意識しつつ、装飾的な意匠を取り入れた門といえよう。平成20年:屋根葺替

 

ポイント

軒先の反りが著しい

修理履歴

昭和55年:屋根葺替

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

6、八幡宮

 

寺社名

  上地 八幡宮 

所在地

岡崎市上地町宮脇48

0564-52-6145

環境・周辺

岡崎市南部の上地(うえじ)町に鎮座  境内を東海道線が通過している

歴史・由緒

源範頼が三河守護に任じられた源範頼が建久元年(1190)に社殿を寄進建立したと伝れる。

創建

建久元年(1190)に源範頼が創建

祭神

応神天皇、仁徳天皇、天照大神

社格

 

リンク

  HP

 

 

 

建造物

  本殿

建立

室町後期

指定年

大正15.04.19

建築様式

間社流造

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

檜皮葺

頂部

 

立面外観

向拝:出三斗

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

舟肘木 出三斗 

二軒繁垂木

中備

 

妻面

虹梁大瓶束

内陣

 

彫刻

 

リンク

 

概要

建築様式から室町時代後期の建立と考えられる。土呂の八幡堂本殿と平面形式や意匠に多くの共通点がみられ、この地域の室町時代後期の特徴を示す建築遺構として貴重である。 

 

ポイント

木割が細い、

修理履歴

平成13年 屋根葺替

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

7、八幡宮

 

寺社名

  土呂 八幡宮

所在地

岡崎市福岡町南御坊山20

 0564-52-6544

環境・周辺

 

歴史・由緒

応仁年間(1467-1469)に蓮如上人が土呂八幡宮の神明社の側に本宗寺を建て、三河本願寺派の主要な寺院にしました。永禄6年(1563)、三河一向一揆の拠点となった本宗寺は、家康に抵抗したたため、翌年兵火で焼失し破却され、本願寺派は三河から追放されてしまいました。永禄7年(1564)3月社殿が焼失したのを、後に徳川家康が家臣の石川数正に再興させたものと伝える。

 

創建・建立

奈良朝末年~平安朝初期

祭神

応神天皇、天照皇大神、白山姫命、伊雑大神、罔象女命

社格

郷社

リンク

 愛知の旅

 

 

 

建造物

  本殿

建立

元和5 : 1619 

指定年

昭和6.01.19

建築様式

三間社流造、檜皮葺

再建

 

確証附

棟札

平面規模

 

屋根

檜皮葺

頂部

 

立面外観

主屋柱は丸柱

壁・窓

両開き板扉

外周

高欄 脇障子

軒裏組物

舟肘木 二軒繁垂木

中備

 

妻面

虹梁大瓶束

出三斗二軒繁垂木 角柱

彫刻

 

リンク

 

概要

同じ岡崎市にある上地八幡神社に範を取ったものと見られ、木鼻・実肘木・手挟の絵様や刳型の古風な手法に当地方の室町後期の伝統が伝えられている。

 

ポイント

木割が比較的小さい 上地八幡神社本殿との対比

修理履歴

平成11年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文

 

 

 

 

8、妙源寺

 

寺社名

  妙源寺  みょうげんじ

所在地

岡崎市大和町字沓市場65

0564-31-5402

環境・周辺

 

歴史・由緒

文暦2年(1235)親鸞上人に感銘を受けた碧海の領主・安藤薩摩守信平が武門を捨てて仏門に入り、正嘉2年(1258)に寺を建立し明眼寺と命名。その後、三河一向一揆の際家康がこの寺で難を逃れたことから、家康より「源」の文字を賜り妙源寺と改称しました。三河の真宗で最も古い道場といわれています。

創建

奈良時代  正嘉2年

山号

札所

 

リンク

岡崎市  写真紀行

概要・特長

浄土真宗の初期の寺院では門徒の集まる道場が建てられたが、阿弥陀如来や聖徳太子を祀る御堂としてはささやかな仏堂が建てられたとみられ、柳堂は数少ない貴重な遺構

他の文化財

 

 

 

 

建造物

  柳堂(太子堂

建立

正和3年(1314)

指定年

明治36.04.15

建築様式

寄棟造

再建

 

確証附

厨子須弥壇  棟札

平面規模

桁行3間、梁間3間

7.3mの正方形平面

屋根

檜皮葺

頂部

 

立面外観

一間向拝付 亀腹

壁・窓

桟唐戸 蔀戸

外周

擬宝珠高欄付

軒裏組物

平三斗

中備

間斗束

 

 

内陣

 

彫刻

 

リンク

金蓮寺関連

向拝

面取角柱を礎盤上に立て、組物は連三斗・笹繰り付とし、中備に本蟇股、内側に手挟み、柱上に頭貫を通して両端に木鼻を出し、木鼻上に巻斗・皿斗をおいて組物を支えている

 

概要

開山した蓮慶が河内国安部郷からこの地に移住の際持参した自作の聖徳太子木像を安置するために建立しました。現在の建物は正和3年(1314)に再建されたものです。

その後700余年、基礎を移さず柱梁もそのままで、往時の面影を伝えています。

 

ポイント

昔、堂の前に大きな柳の木があったことに由来

軒の深い檜皮葺

修理履歴

平成15,16年:屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文

 

 

 

 

9、六所神社

 

寺社名

  六所神社

所在地

岡崎市明大寺町字耳取44

0564-51-2930

環境・周辺

 

歴史・由緒

松平氏(徳川氏)発祥の地である松平郷(現 豊田市松平町付近)の六所神社(現 豊田市坂上町)より祭神の勧請を受けて創建

 

創建・建立

斎明天皇(655~661)の勅願

祭神

塩土老翁命)猿田彦命 衝立船戸命

太田命 興玉命 事勝国勝長狭命

社格

県社

リンク

 HP  wiki 

概要・特長

明大寺の六所神社は、岡崎に進出した松平氏に信仰され、家康誕生時には産土神とされている。 現在の社殿は、将軍徳川家光の命により、寛永13年(1636)に建立されたものであり、権現造の社殿(本殿・幣殿・拝殿)神供所、楼門が重要文化財に指定されている。 

 

伊賀神社

岡崎にある六所神社と伊賀八幡宮は、徳川家光の指示による造営時期、遠州大工である鈴木近江守長次による点で同じで、形態も類似している。

 

一方で幣殿と本殿を貫で緊結している六所神社は構造的により整理された構成で、向拝の破風や妻飾りなど意匠的な相違点もある。遠州大工の意匠的な傾向を示す建築としてともに重要な存在といえる

 

修理中

当社では2月9日より本殿、幣殿、拝殿、楼門、神供所の重要文化財修復が始まります。

重要文化財修復事業平成27年2月9日(月)~ 平成29年11月(予定)

 

 

 

建造物

 本殿、幣殿、拝殿

建立

寛永13  1636 

指定年

昭和10.05.13

建築様式

権現造

再建

 

確証附

厨子  棟札 

本殿

三間社流造、檜皮葺

屋根

檜皮葺

頂部

鬼板 千木なし

幣殿

桁行二間梁間一間、両下造

拝殿

桁行五間梁間三間入母屋造唐破風向拝、千鳥破風

内陣

前後に間仕切

彫刻

 

リンク

 

概要

急峻な斜面に石垣を組んで築かれた社地は西を正面とする。石階段を上ると楼門があり、正面に近接して拝殿・幣殿・本殿が、門の北側に神供所が建つ。昭和48年(1973)からの修理工事により、本殿・幣殿・拝殿の屋根は檜皮葺、楼門、神供所の屋根は栩葺(とちぶき)に復原された。

 

ポイント

本殿柱、壁、縁板などは黒漆塗、軒廻と縁の下は朱漆塗、長押より上は極彩色で紋様を描かれている

 

修理履歴

昭和48~50年:屋根葺替・塗装・部分修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

建造物

  楼門

建立

寛永13  1636

指定年

昭和10.05.13

建築様式

三間一戸楼門、入母屋造、

再建

 

確証附

 

平面規模

主要部分は丹塗

屋根

とち葺

頂部

 

立面外観

高欄や格天井は黒漆塗

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

 

 

建造物

  神供所

建立

寛永13  1636

指定年

昭和10.05.13

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行五間、梁間二間

屋根

とち葺

頂部

 

内陣

3室に間仕切

彫刻

 

リンク

 

概要

神供所とは現在でいう社務所に当る。

ポイント

装飾や彩色が少ない住宅風の簡素な建物

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

10、観音寺

 

寺社名

  観音寺 荒子観音

所在地

名古屋市中川区荒子町宮窓138

周辺

観音寺は荒子観音として親しまれ尾張四観音の一つとして、庶民の信仰を集めてきた

 

歴史・由緒

観音寺は天台宗に属し、奈良時代の創建と伝える。尾張四観音の一つで、荒子観音寺ともいう。この塔の建立年代は、嘉永3年(1850)の修理で取り替えられた心柱墨書や寺蔵の『浄海雑記一』の水盤内記によると天文5年(1536)の再建であると考えられる。寺には多数の円空仏が保存されている。

 

創建

天平元年(729)  泰澄和尚

山号

浄海山圓龍院

社格・札所

尾張三十三観音12番 尾張四観音

リンク

 Wiki   観光 

概要・特長

創建当時は中川区高畑町(現在地の西側)にあり、興廃を繰り返して現在の場所に落ち着いたと考えられている。

 

他の文化財

本堂の円空仏(木っ端仏も入れると千体以上の円空仏がこの寺に残されている)

円空仏の研究は荒子観音寺に始まり、荒子観音寺に終わると言われるほど、荒子観音寺には多種多様な円空仏が存在する。1972年、六角堂の木箱の中から1000体以上の円空仏が発見された。現在総数は1255体で、日本全国で現存が確認されている円空仏のうち、実に4分の1以上が当寺にあることになる。

 

荒子観音寺の円空仏は毎月第2土曜日の午後1時から4時まで公開されている。

 

 

 

 

建造物

  多宝塔

建立

天文5 : 1536 

指定年

大正10.04.30

建築様式

三間多宝塔

再建

 

確証附

なし

平面規模

一辺3.6m

屋根

銅板葺 杮葺?

頂部

 

立面外観

高さ13.58m

壁・窓

桟唐戸 連子窓