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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-9-4 大分県の文化財探訪

8-9-4 大分県文化財探訪

 

 

リンク

1

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-9九州

福岡

長崎

佐賀

大分

熊本

宮崎

鹿児島

沖縄

 

 

 

 

8-9-4

  大分県の建造物文化財の探訪


 

7世紀末に、豊国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊後国と豊前国ともに設けられた。豊前は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのくち」と読んだ。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。

 

1871年(明治4年)、豊前国内にあった3県が統一されて小倉県となった。1876年(明治9年)4月に小倉県は福岡県に編入され、同年8月、豊前国(延喜式8郡)のうち最南部の2郡(宇佐郡・下毛郡)は大分県に編入された。

 


 

 

 豊後国の施設

 
 

 

施設

施設名称

概要

国府

国府は大分郡にあった。現在の大分市古国府と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。

国分寺

国分寺跡

現在の金光明寺(大分県大分市国分)

国分尼寺

 

不詳

延喜式内社

 

大社1座1社・小社5座4社の計6座5社

大社

大分郡 西寒多神社 (大分市寒田)

小社

直入郡 健男霜凝日子神社 (竹田市)

速見郡 宇奈岐日女神社 (由布市)

速見郡 火男火売神社二座 (別府市)

海部郡 早吸日女神社 (大分市佐賀関)

総社・一宮

総社

不詳

一宮

西寒多神社または柞原八幡宮 (大分市上八幡) - 並立し古くから論争が続

二宮

不詳


 

一宮

 西寒多神社(ささむたじんじゃ)

所在地

電話

大分市寒田1644

097-569-4182

周辺・境内

軽快で美しい弧線を描く太鼓橋と呼ばれる石造りの単一アーチ橋の「万年橋」(県指定有形文

化財)に被さるように藤の花が咲く光景は見逃せない。

 

神社の周辺は「西寒田市民緑地」が広がり自然学習や憩いの場として市民に公開されている。本殿の西に位置する市指定文化財の校倉造の神庫は、校木(あぜき)を井型に組み合わせた井

篭(いかご)組みという形式の校倉造で県下でもあまり例がありません

 

歴史・由緒

応神天皇9年(278)西寒多山に祭殿を作る。・貞観11年(869)3月22日従五位下

応永15年(1408)大友親世山頂より現在地に奉遷 ・天和4年(1684)造営

創建

伝)第15代応神天皇9年

祭神

西寒多大神

天照皇大御神、月読尊、天忍穂耳命

社格

式内社(大社)、豊後国一宮。

旧社格は国幣中社、別表神社。

リンク

 Wiki 

特長・見所

式内社「豊後国大分郡 西寒多神社」の論社として、西寒田神社(大分県臼杵市)がある。

『豊後国志』『太宰管内志』では、そちらが本祠であるとし、応永15年(1408年)3月に大

友親世が現在地に遷座したと伝えている。

一方、大分郡の郡域や本宮山伝承から、こちらが本祠であろうとする見方が強い。

 

・本殿流造檜皮葺・中門・拝殿・神庫・祭器庫・神饌所・神祭殿・社務所 

・本殿右に立つ神庫は、明治19年(1886年)の造営。入母屋の校倉造り。

  大分市の文化財に指定されている。

国宝・重文

・なし

県指定ほか

・万年橋(まんねんばし)は、西寒多神社の入口を流れる大分川水系寒田川

 (通称 みそぎ川)に架かる石造単アーチ橋である。

 昭和55年(1980年)4月8日に大分県の有形文化財に指定されている。

 主構造がアーチであるだけでなく、路面も緩やかな弧を描く太鼓橋で、路面とアーチとの間

 の石組が狭いのが特徴である。

 

・西寒多神社の藤について

 樹齢約450年という,四方に各300平方mも張り出したみごとな枝ぶりを見せる。

 例年、5月3日には西寒多まつりが開かれお神楽などの催しで賑わいます

 

 

     8-9-4 西寒多神社全景201509    8-9-4 西寒多神社万年橋201509

 

 大分県の文化財一覧表 建造物

 

    ※ このページは、建造物のみです。次頁以降に 石造美術品などの重文を記載しています。


 

 

名称・棟名

年代

概要

重文指定

所在地

1

長福寺 本堂

重文

寛文9(1669)

桁行18.2m、梁間16.1m、入母屋造、向拝一間背面後堂附属、本瓦葺

20060705

日田市豆田町5-13

2

大野老松天満社

  旧本殿

重文

長享2(1488)

三間社流造、板葺

19780531

日田市前津江町大野833

3

薦神社 神門

重文

元和8(1622)

三間一戸二重門、入母屋造、初重前後もこし付前面軒唐破風付こけら葺

19881219

中津市大字大貞209

4

宇佐神宮 本殿

 (第1殿)

国宝

安政2-文久元
(1855-1862)

 

19070527 19521122

 

宇佐神宮 本殿

 (第2殿)

国宝

安政2-文久元
(1855-1862)

  同上

19070527 19521122

宇佐神宮 本殿

 (第3殿)

国宝

安政2-文久元
(1855-1862)

  同上

19070527 19521122

5

善光寺 本堂

重文

室町中期

桁行七間梁間五間、寄棟造、妻入

 向拝一間唐破風付、本瓦葺

19070527

宇佐市大字下時枝237

6

龍岩寺奥院 礼堂

重文

弘安9(1286)

懸造、桁行三間、梁間二間、

   片流、招屋根付、板葺

19540917

宇佐市院内町大門290-2

7

富貴寺 大堂

国宝

平安後期

桁行三間、梁間四間、

   宝形造、行基葺

19070527 19521122

豊後高田市田染蕗2395

8

泉福寺開山堂

重文

寛永13(1636)

桁行三間、梁間三間、一重、切妻造、妻入、背面庇付、こけら葺

19330123

国東市国東町横手馬場1913

泉福寺仏殿

重文

大永4(1524)

桁行三間、梁間三間、入母屋造、鉄板葺、背面張出附属、鉄板葺

20011114

9

柞原八幡宮 本殿

重文

嘉永3(1850)

後殿及び前殿(1棟)
後殿 桁行5間梁間2間、切妻造、銅板葺
前殿 桁行5間梁間2間、切妻造向拝1間、銅板葺 造合及び花堂を含む

20110620

大分市大字八幡987

柞原八幡宮 申殿

重文

宝暦2(1752)

桁行3間、梁間1間、切妻造段違、銅板葺

20110620

柞原八幡宮 拝殿

重文

江戸後期

桁行2間、梁間1間、切妻造銅板葺

20110620

柞原八幡宮 楼門

重文

宝暦9(1760)

3間1戸楼門、入母屋造、下層南面

  庇付、軒唐破風付、銅板葺

20110620

柞原八幡宮

  東宝殿

重文

宝暦7(1757)

桁行3間、梁間1間、切妻造、 

  向拝1間、銅板葺

20110620

柞原八幡宮 

  西宝殿

重文

宝暦7(1757)

桁行3間、梁間1間、切妻造、

  向拝1間、銅板葺

20110620

柞原八幡宮 

  東回廊

重文

寛政10(1798)

桁行8間、梁間2間、切妻造桟瓦葺

20110620

柞原八幡宮 

  西回廊

重文

寛政10(1798)

桁行5間、梁間2間、両下造桟瓦葺

20110620

柞原八幡宮 

  西門

重文

江戸末期

四脚門、切妻造、銅板葺

20110620

柞原八幡宮 

  南大門

重文

明治3(1870)

四脚門、入母屋造、南北面突出部、向唐破風造東西脇門、切妻造銅板葺

20110620

10

神角寺 本堂

重文

応安2(1369)

桁行三間、梁間三間、一重、

 宝形造、檜皮葺

19070527

豊後大野市朝地町鳥田1354

11

願成院

 本堂(愛染堂)

重文

寛永12(1635)

桁行三間、梁間三間、一重、

  宝形造、本瓦葺

19881219

竹田市寺町八幡山1773

12

日田市豆田町

重伝

 

商家町  10.7ha

 20041210 

 

 

 

 

 大分県の個別文化財の探訪 (建造物)

 

 

1

 長福寺

所在地

電話

日田市豆田町5-13

0973-22-3036

周辺・境内

長福寺は大分県の北西部、筑後川上流域に位置する日田市豆田町に所在する浄土真宗寺院

歴史・由緒

天正12年(1584)頃に宗榮(そうえい)によって草創され、その後慶長12年(1607)に長福寺の寺号を受けて筑前国下座郡三奈木の地に堂を建立したと伝えられる。豆田町の現在地に境内を構えたのは、寛永14年(1637)のことである。

豆田町への移転について、その事由は詳らかでないが、『長福寺年譜』等によると、門徒であった三松氏の関与があったらしい。三松氏は和泉の出身で寛永年間に豆田町に居住したと伝えられる有力な商家で、幕末まで町年寄を務めた。

創建

 天正12年(1584)宗榮

山号

 

札所

 

リンク

 HP

特長・見所

「日田市豆田町伝統的建造物群保存地区」の中央にある。

境内には、本堂(九州最古の真宗寺院本堂)をはじめ、経蔵・山門等の伽藍が残り、これらの諸堂は豆田町の町並みにあって重要な景観を構成しています。

国宝・重文

・なし

県指定ほか

・なし


  8-9-4 長福寺本堂201509  

 

 

1-1

本堂

建立

再建

寛文9 : 1669 

 

文化財指定年

平成18.07.05

建築・様式

入母屋造

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

桁行18.2m、梁間16.1m

屋根

本瓦葺

妻面

 

立面・特長

向拝一間、背面後堂附属

外壁

 

外周

 

軒裏・

 

中備

 

 

 

内陣・外陣

詳細不明

概要・歴史

 

特長・見所

堂内のほとんどの柱が角柱であることや、柱や束の上に載る実肘木に彫られた装飾文様の特徴などから、この本堂が江戸前期の寛文年間ころに建てられた建築であることは明らかである。

京都府やその近くの滋賀県などを除くと、建築年代が17世紀のなかば近くまで遡る本格的な

浄土真宗本堂が残っている府県はごく少ない。

修理履歴

 平成18年(2006)春、3年以上の保存修理を完了

解体調査により、外陣中央間仕切り部分に存する蓑束上部の実肘木から「寛文八年六月豊後之國日田郡友田村ノ住人(後)藤作之丞作之」と判明

文化庁解説

長福寺は、大分県の日田市豆田町に所在する浄土真宗寺院であり、入母屋造で、正面に向拝一間を設け、屋根は本瓦葺とする。平面は、広縁、外陣、内陣、内陣左右の余間などからなる。

 

 長福寺本堂は、九州地方において17世紀に遡る数少ない浄土真宗本堂であり、古風な建立

当初の形式をよく残す遺構として、高い価値がある。また、近世初期の町割の構成をよく残す豆田町重要伝統的建造物群保存地区にあって、町の形成期に遡るものであり、景観上も核となる遺構として重要である。

 

 

 

 

 大野老松天満社

所在地

電話

日田市前津江町大野833

0973-53-2111(前津江振興局)

周辺・境内

前津江郷土文化保存伝習施設に附属している。

歴史・由緒

不詳

創建・建立

延久3年(1071)

祭神・山号

菅原道真

社格・札所

不詳

リンク

 日田市

特長・見所

不詳

国宝・重文

県指定ほか

・ユズリハ自然林


  8-9-4 大野老松天満社 旧本殿201509

 

 

2-1

旧本殿

建立

再建

 長享2(1488) 

 

文化財指定年

昭和53.05.31

建築・様式

 三間社流造 

リンク

 

附指定

 棟札 

平面・形状

三間二間 

屋根

板葺

妻面

扠首束

立面・特長

朱塗・向拝ムクリ梁

外壁

 

外周

切目縁

軒裏・

出三斗・連三斗

中備

蟇股

 

 

内陣・外陣

不詳

概要・歴史

長享2年(1488)に津江山城守長谷部信安によって再建したとされていますが、建立年代を

明確に示す資料は見つかっていません

特長・見所

 

修理履歴

昭和57~58年 解体修理

文化庁解説

 三間社流造の旧本殿で、覆屋を架けている。 比較的木割が太く、正統的な様式になるが、

細部には珍しい手法もみられる。 山口県から福岡県にかけて分布する神社建築と共通したところがある。 

 

 

 

 

 薦神社  (こもじんじゃ)

所在地

電話

中津市大字大貞209

0979-32-2440

周辺・境内

別名大貞八幡宮

三角池を御神体とし、池を内宮、社殿を外宮と称しています。

宇佐神宮との関係が深く、宇佐行幸会の際に神輿に納める霊代の枕は三角池の真薦で作るのが習わしでした。社殿は、三角池の東に位置し、本殿、申殿、拝殿を南北に並べ、周囲を築地塀で囲み、東側に神門が開いています。

周囲は鬱蒼とした社叢に囲まれ、朱塗りの社殿とともに優雅なたたずまいとなっています。

 

歴史・由緒

天仁2年(1109)に神宮寺の七堂伽藍が建立されましたが、源平の争乱時の元暦元年

(1184)、緒方惟栄によって社殿が破壊されたといわれています

その後長く記録が途絶えますが室町時代になると、豊前国をも領した周防・長門の守護大内氏によって、応永~永享年間(1418~31)及び天文年間(1532~55)の二度にわたって社殿の再興が行われました。ついで、慶長5年(1600)黒田氏の転封後入部した細川忠興公は宇佐宮とともに薦神社の復興にも力を注ぎ、元和年間(1615~24)に本殿・講演堂(申殿)・回廊・御炊殿・薬師堂・楼門・若宮殿・南門・鳥居などを造営しました。

 

創建・建立

承和年中(834~48)

祭神・山号

応神天皇 比売大神 息長帯比売命

社格・札所

 

リンク

  HP

特長・見所

一つ巴。元来、巴紋は水に由来する紋で、宝器の勾玉、魂、命に関連する。

宇佐神宮の三つ巴に対して、一つ巴であることから、宇佐の祖宮の一つと考えられている。

薦神社は、本来は宗像三比売大神ではなく、別の、あるいはその中の一人の比売大神(たとえば中津宮の湍津姫神)を祀っていたのではないかという説もある。

国宝・重文

県指定ほか

・薦神社と三角池は、「三角池と薦神社」として昭和51年(1976年)3月30日に大分県指

 定史跡、「三角池の水生・湿地植物群落」が大分県指定天然記念物に指定

 

  8-9-4 薦神社神門201509

  

3-1

  神門

建立

再建

 

元和8(1622)

文化財指定年

昭和63.12.19

建築・様式

裳階付き二重門

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

三間一戸

屋根

入母屋造こけら葺

妻面

 

立面・特長

前面軒唐破風付、

外壁

 

外周

 

軒裏・

 

中備

 

 

 

内陣・外陣

 

概要・歴史

 

特長・見所

・二重門の前後には、庇状の裳階が付設

・面の規模に比べ立面は縦長で、側面から見ると幅が狭く、棟高を一層感じる

・木鼻の細部の繰型や絵様が豊かで線も伸びやかで、意匠や造りが共に優れており、工匠の
 技
 量の高さがしのばれる

修理履歴

平成6~9年から神門(重要文化財)の解体修理、

建物の解体段階で、多くの墨書銘が発見され、さらに再建時の屋根はこけら葺きであったことが判明、このため桧皮葺きからこけら葺きに復元されました

文化庁解説

薦神社は宇佐神宮と深いかかわりをもつ古社で、現在の神門は藩主細川忠興によって建立された。

 神門は、正面三間の二重門であるが、平面規模にくらべてせいが高く、初重にもこしをつけて全体の釣合をとるなど、珍しい作りである。柱や梁、組物の部材は木太く、細部の彫物なども優秀で、江戸時代初期の門として九州地方を代表するものである。

 

 

 

 

 

 宇佐神宮 本殿

所在地

電話

宇佐市大字南宇佐

0978-37-0001

周辺・境内

宇佐神宮は周防灘に臨む小さな平野の奥にある小椋山の上に鎮座する

全国に三万とも,四万ともあると言われている八幡宮の総本宮である

上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。

境内は国の史跡に指定され、国宝の本殿のほか重要文化財の工芸品が所蔵されている。

歴史・由緒

小椋山における社殿の造立は、第一殿が神亀2年(725)、第二殿が天平5年(733)、第三殿弘

14年(823)であるという。神亀年間に小椋山に社地が定まる前に、鎮座地を何度も移して

おり、また天平神護年間(765767)にも他に移り、延暦元年(782)に再び小椋山に帰座した伝えている。

本社の成立は単純でなく、応神信仰、八幡信仰ならびに宇佐地方神の信頼の合
体であるらしいこと、古来三氏族によって奉斎されていたことなども、社地の移動と関係があるであろう。

創建・建立

神亀2年(725年) 

祭神・山号

八幡大神  比売大神  神功皇后 

社格・札所

日本三大八幡宮 式内社名神大3社

豊前国一宮 旧官幣大社 勅祭社

別表神社

リンク

 HP  wiki

特長・見所

 

国宝・重文

・国宝・孔雀文磬

・木造神像5躯(若宮神体)     大鷦鷯命(おおさざきのみこと)坐像

 大葉枝皇子(おおばえのみこ)坐像  小葉枝皇子(こばえのみこ)坐像

 雌鳥皇女(めどりのみこ)坐像  隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)坐像(若宮鎮座)

・銅鐘(朝鮮鐘) - 天復四年云々の左文銘あり

・白鞘入剣(しらさやいり けん) - 懐良親王奉納剣

・豊前国宇佐宮絵図 ・宇佐神宮造営図 ・宇佐宮神領大鏡

・史跡  宇佐神宮境内  ・天然記念物 宇佐神宮社叢

 

県指定ほか

・史跡(国指定)[編集]

宇佐神宮境内

 


   8-9-4 宇佐神宮・本殿201509

  

4-1

国宝 本殿-3棟

建立

再建

安政2~文久元 

 1855~1862 

文化財指定年

明治40.05.27

昭和27.11.22

建築・様式

「八幡造」 切妻造

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

内院 桁行三間梁間二間

外院 桁行三間梁間一間

拝一間、造り合を含む

屋根

檜皮葺

千木や鰹木はない

妻面

 

立面・特長

第2殿向拝がない

外壁

蔀戸

外周

 

軒裏・

 

中備

 

 

 

内陣・外陣

 

概要・歴史

 

特長・見所

国宝建造物としては非常に新しい。

それでもなお国宝に指定されたのは、八幡造の代表例としての価値に加え、式年造替によって定期的に建て替えられてきた事により、古代より建築技法が変わる事無く受け継がれ、今でも当時と変わらぬ古い様式を残している点が評価されたのである。

 

修理履歴

平成59~60年 屋根塗装・部分修理  平成15~23年 屋根葺替

文化庁解説

本殿は南面して第一殿より第三殿に至る三社殿が東西に並び、今の本殿は三社殿とも安政2

より文久元年に亘り造営されたものである。その形は切妻造の建物を前後に二つ並べて中央の谷に大きな樋を設けている。この形式は古い形式を残すもので、いわゆる八幡造の典型的

ものとして貴重である。

詳細解説

本殿は西から第一、第二、第三の順に並立する。

現在の本殿は安政2年(1855)から文久元年(1861)までの間に造立されたものであるが、八幡

造の古制をよく残している。すなわち各殿は内院と外院の二つの建物を前後に連ね、軒の接するところに金銅の樋をわたして内院、外院の間を造合の間として内部に取り組む。

したがって平面をみると、正面三間、奥行四間の建物のようであって、外院と造合の間は床をひと続きにし、内院の床はそれより一段高く張られる。両院の四間に高欄付の縁をめぐらし、外院の正面中央に階段を設ける。

神座は内院のなかにつくられるが、外院にも御倚子をおくので、ここも神殿とみなされる。

 

 

 

 

5

 善光寺 

所在地

電話

宇佐市大字下時枝237

0978-32-7676 

周辺・境内

境内は広大で森も深く、静寂の中に四季折々の美しさを見せてます。

歴史・由緒

信濃善光寺に参籠した空也は「鎮西の衆生は我に因縁深厚なり、汝疾く護持して行く可し」という仏勅を受け、善光寺如来を護持して九州に下る。宇佐八幡に詣で「乾の方一里余にして金剛不壊の霊地あり」ということばを蒙り一面芝原であった地に一宇を建立したのが豊前善光寺の始まりであるという。江戸時代初頭まで時宗であった。

基以来盛衰もあったが、江戸時代は歴代の領主黒田、細川、小笠原氏の尊崇も厚く、現在も念仏道場として法灯連綿一千有余年の信仰の拠点であり続ける古刹である。

創建・建立

(伝)天徳2年(958年)(伝)空也 

祭神・山号

梵天山 法性院

社格・札所

豊前善光寺

リンク

善光寺会  wiki

特長・見所

 

国宝・重文

県指定ほか

・呉橋:寄藻川に架かる屋根付きの橋で、宇佐神宮の西参道に位置しています。

 益永文書によると、正安3(1301)年に勅使の存在が確認できます。

 かつては「榑橋」と記されており、榑(くれ=薄い板)で屋根を葺いたことが名前の起源
 と
考えられます。なお、現在の建物の屋根は檜皮葺で、明治9年に造営されたものです。

なお、欄干の擬宝珠は元和8(1622)年に細川忠利が寄進したものが用いられています。


  8-9-4 善光寺 本堂201509  

 

 

5-1

  本堂

建立

再建

室町中期

文化財指定年

明治40.05.27

建築・様式

寄棟造

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

桁行七間、梁間五間

屋根

本瓦葺

妻面

 

立面・特長

妻入、向拝一間唐破風付

外壁

 

外周

 

軒裏・

二軒角繁垂木 出三斗

中備

 

 

 

内陣・外陣

内陣天井は折上格天井、外陣天井は大虹梁上に二重枠肘木をおいて化粧棟木と化粧垂木

概要・歴史

建長2年(1250年)大修理、文禄、元禄に修理の手を加えたと寺伝に伝える。

用に徹し、無骨質実で力漲る化粧屋根裏である。

特長・見所

本堂内部の公開は行われていません。

修理履歴

文禄4(1595)年、元禄15(1727)年頃、大正14(1925)年昭和2(1927)年大修理

文化庁解説

なし

 

 

 

 

6

 龍岩寺奥院 礼堂

所在地

電話

宇佐市院内町大門290-2

0978-42-6560

周辺・境内

奥院までは、細い急な山道を15分ほど登って行かなければなりません

歴史・由緒

九州英彦山系につながるこの一帯は古くから修験道の実践行場で、ここも修験者の道場であったのでしょう。

龍岩寺は奈良時代の天平18年(746)僧行基によって開山といわれています。 

行基菩薩草創の全国49院の一つであることから、“院内”の地名が起こったという伝説があり院内町の由来となったようです。 

天正年間(1573~1592)にキリスト教を信じた大友宗麟による領内仏寺の焼討ちで、この寺も焼失したが、 奥の院は幸い難を逃れその本尊も今に残っています。 

創建・建立

1286年  開基746年 

祭神・山号

清浄山

社格・札所

 

リンク

大分県  wiki   懸造 

特長・見所

 

国宝・重文

・木造阿弥陀如来坐像・木造不動明王坐像・木造薬師如来坐像(1949年5月30日指定)

 三尊は、平安時代後期の作とされる、樟の一木造・白木の像で、一本の楠の大木から作ら
 れ
たと伝えられる。彩色、切金等の装飾を一切行わず、衣文の細部を略して平面的に処理
 す
る、特異な様式の像である。奥院礼堂内に自然の岩壁を背景に安置されている。

 「阿弥陀、薬師、不動」を三尊とする組み合わせは、他に例がほとんどない

県指定ほか


  グラフィックス3龍岩寺-1   グラフィックス3龍岩寺-6

             グラフィックス3龍岩寺-5

 

 

6-1

  礼堂

建立

再建

弘安9(1286)年 棟木の墨書

文化財指定年

昭和29.09.17

 

建築・様式

懸造、片流

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

正面3間、側面2間 

屋根

板葺

妻面

 

立面・特長

六角形に近い大面取り

外壁

蔀戸 横羽目板壁

外周

 勾欄付廻縁

軒裏・

船肘木が横にかなり長い

 

疎垂木

 

 

内陣・外陣

 

概要・歴史

龍岩寺奥の院の岩屋の全面には阿弥陀如来坐像・不動明王坐像・薬師如来坐像(重文)が安
されています。
岩の斜面に高床状の舞台を設けて、片流れで板葺屋根の礼堂(重文)が建てら
れています。棟木の墨書により、弘安9(1286)年に以前からあった建物を修復したものといわれていま
す。 

大分県内唯一の鎌倉時代の木造建築で、鳥取県の三仏寺投入堂と同じように、岩の窪みに張り付くように建てられた懸造の仏堂です。前後四列の束柱上に渡した横架材の上に床を張り、その上に建てられています。 

 

正面三間を蔀戸とし、側面は横羽目板壁、柱は角柱、屋根を板葺き片流れとした比較的簡素な建築です。奥の院に架かる階段は、三尊を刻んだ残りの丸太を削って造られたものと伝承されるもので、木階「きざはし」と呼ばれ、他には伊勢神宮にしかない珍しい様式のものです。

 

特長・見所

礼堂内から仏像を見ると散光によって照らし出されたほんのりと明るい仏像が幽玄の世界を創り出します。

修理履歴

1959年修理

文化庁解説

なし



     グラフィックス3龍岩寺-4   グラフィックス3龍岩寺-3   グラフィックス3龍岩寺-7

 

 

 

 

 富貴寺 

所在地

電話

豊後高田市大字蕗2395

0978-26-3189

周辺・境内

富貴寺のある国東半島は、神仏習合の信仰形態をもつ宇佐八幡(宇佐神宮)と関係の深い土地であり、古くから仏教文化が栄えていた。

富貴寺は、国東半島の他の多くの寺と同様、養老2年(718年)、仁聞(にんもん)の開創と伝える。仁聞はほとんど伝説のなかの人物で、確かな事績は不明だが、国東半島の六つの郷(武蔵、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ))に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれている。国東半島一帯にある仁聞関連の寺院を総称して「六郷山」または「六郷満山」といっている。

 

歴史・由緒

富貴寺には、久安3年(1147年)の銘のある鬼神面があり、このころまでには寺院として存在していたと思われるが、それ以前の詳しいことはわかっていない。宇佐神宮大宮司・到津(いとうづ)家に伝わる貞応2年(1223年)作成の古文書のなかに「蕗浦阿弥陀寺(富貴寺のこと)は当家歴代の祈願所である」旨の記載があり、12世紀前半 - 中頃、宇佐八幡大宮司家によって創建されたものと推定されている。現存する大堂は12世紀の建築と思われ、天台宗寺院にしては、浄土教色の強い建物である。富貴寺を含め六郷山の寺院では神仏習合の信仰が行われ、富貴寺にも宇佐神宮の6体の祭神を祀る六所権現社が建てられていた。

 

天正年間(1573年 - 1592年)、キリシタン大名大友宗麟の時代に、多くの仏教寺院が破壊されたが、富貴寺大堂は難をまぬがれ、平安期の阿弥陀堂の姿を今に伝えている。

 

創建・建立

伝・養老2年(718年) 伝・仁聞

祭神・山号

蓮華山

社格・札所

 

リンク

 豊後高田市  wiki

特長・見所

 

国宝・重文

・境内(国の史跡)

・木造阿弥陀如来坐像・大堂壁画

県指定ほか

・笠塔婆5基・木造仮面・板碑・石殿


   8-9-4 富貴寺大堂201509

 

 

7-1

国宝 大堂 おおどう

建立

再建

平安後期

文化財指定年

明治40.05.27

昭和27.11.22

建築・様式

宝形造

リンク

 

附指定

旧棟木の部分

平面・形状

桁行三間、梁間四間

屋根

行基葺

妻面

 

立面・特長

大面取

外壁

 

外周

 

軒裏・

舟肘木 二重繁垂木

中備

 

 

 

内陣・外陣

内部には四天柱が立ち、その内側の内陣には須弥壇が置かれ、本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されている。建物の幅が三間であるのに対し、奥行きは四間と奥に広い為、四天柱および来迎壁は一間分後退して立てられており、手前の礼拝スペースが広く取られている。

このように、内陣を後退させている仏堂は、この富貴寺大堂が最古の例であるという。

 

天井はすべて小組格天井で、内陣のみ格の高い折上小組格天井である。また、大堂内部の各所には、来迎壁の阿弥陀浄土変相図を始め、柱や小壁など、各種諸尊像の壁画が描かれている。

これらの壁画は剥落が多いながら、平安時代の仏画を今に伝える貴重な例として、重要文化財に指定されている

 

概要・歴史

「おおどう」と読む。急な石段の上の、斜面を削平した小高い土地に建つ。

屋根は宝形造 瓦葺きは「行基葺き」と呼ばれる。

堂は正面柱間が3間、側面が4間で、正面幅よりも奥行が長く、堂内後方に仏壇を置いて、そ

の前方に礼拝のための空間を広く取っている。

小規模な建築であり、扉など、後世の修理で取りかえられた部分もあるが、九州に残る和様の平安建築として、また、六郷山の寺院群の最盛期をしのばせる数少ない遺物として、歴史的価値が高い。

特長・見所

・長押を四面に廻して柱を緊桔し 鎌倉時代に貫が取り入れられる以前の手法

・阿弥陀堂(貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひ
 と
つに数えられ、現存する九州最古の木造建築物である

修理履歴

特別保護建造物に指定された明治40年代に解体修理が行われた

その後の第二次世界大戦、北九州を爆撃したB29が国東半島に余った爆弾を投げ捨て、それ

が富貴寺大堂のすぐ側で炸裂。爆風により大堂の屋根や扉が吹き飛んだという。

終戦直後の昭和20年代にすぐさま修理が行われ、外側の部材が数多く取り替えられた。

その後、昭和40年に屋根が行基葺に直され、富貴寺大堂は現在に見られる姿となった。

数多くの修理、部材の交換が行われてもなお国宝に指定されているのは、建物、壁画の価値がそれを上回るものだからと解釈する。

文化庁解説

なし

模型

大分県立歴史博物館:(実物大模型)大堂創建当初の壮麗な姿を再現している。

 

 

 

 

8

 泉福寺

所在地

電話

国東市国東町横手1913

0978-72-2035

周辺・境内

国東半島の東部、国東市を流れる田深川(支流である横手川沿い)の上流8kmほどの地点に位置する曹洞宗寺院である

歴史・由緒

永和元年(1375年)に、大友氏の一族の田原氏能が、母の発願によって無著妙融禅師(むちゃくみょうゆう)を開山として創建したと伝えられる。

天正9年(1581年)にはキリシタン大名である大友義鎮(大友宗麟)による焼き討ちに遭

い、開山堂、仏殿(大雄殿)のみを残して講堂等を焼失した。

その後、慶長10年(1605年)に当時中津藩主であった細川忠興によって再興され、江戸時

代には九州曹洞宗の総本山として栄えた。

創建・建立

永和元年(1375)

祭神・山号

妙徳山

社格・札所

 

リンク

  wiki  国東市

特長・見所

 

国宝・重文

・宋版宏智録 重文

 宋朝曹洞宗の代表的禅僧、天童宏智正覚(1091-1157)の語録。道元将来と伝える宋版
 六
巻が大分県泉福寺に蔵せられ、これを改編して九巻としたのが 宝永5年版であり、泉福
 寺
本巻首の欠文と改編本の不備を改め、原型に復元せんとしたのが寛政版である。

 それらの事情については、『洞水和尚語録』15の 「重校宏智録序」(「曹洞宗全書」語
 録
五)に詳しい。泉福寺所蔵の宋版は天下の孤本である。

県指定

・境内は大分県指定史跡

・山門 :2重層木造瓦葺下層板葺き 慶長10年3月細川越中守忠興の建立

    11坪、下層は出組、上層は尾垂木付2手先で上段が横へ伸びる禅宗様の肘木をもち

    詰組とし、扇垂木2軒の禅宗様形式。

・厨子:大永4年(1624)の建立。厨子は仏殿の奥、須弥壇上に安置。

    小型の入母屋造りで扇垂木の中央付近は平行に配され古式である。 


   8-9-4 泉福寺開山堂201509

 

 

8-1

 開山堂

建立

再建

寛永13 : 1636 

 

文化財指定年

昭和8.01.23

建築・様式

切妻造 (覆堂

リンク

 

附指定

開山無著和尚墓塔

平面・形状

桁行三間、梁間三間

屋根

こけら葺

妻面

 

立面・特長

妻入、背面庇付

外壁

 

外周

 

軒裏・

 

中備

 

 

 

内陣・外陣

 

概要・歴史

円柱を木造礎盤上に建て上下粽付き、頭貫台輪をめぐらし、禅宗様出組斗拱を詰組に配置。

軒は繁垂木二軒、妻は大瓶束二重虹梁、妻壁、側壁とも板壁。

垂木をひねって軒反りをつける。内部板床張り。正面中央間桟唐戸外開き。正面奥の仏壇下に開山墓塔を納める。石造無縫塔で基礎・竿・中台などは八角に造る。

昭和35年に開山堂を解体修理した時、寛永の墨書銘が発見された。

特長・見所

最初、応永元年(1394)に建立されたが大破したので寛永13年(1636)に古材も用いて縮小再建したのが現在の堂である。正面奥の仏壇下に、開山墓塔を納める。石造無縫塔である。

現在は鉄筋コンクリートの覆屋に入って保護されている

修理履歴

 

文化庁解説

なし


  

   8-9-4 泉福寺仏堂201509

 

8-2

  仏殿

建立

再建

大永4 : 1524 

 

文化財指定年

平成13.11.14

建築・様式

入母屋造

リンク

 

附指定

棟札

平面・形状

桁行三間、梁間三間

屋根

 

妻面

 

立面・特長

背面張出附属

外壁

 

外周

 

軒裏・

詰組の組物

中備

 

 

 

内陣・外陣

虹梁・大瓶束

概要・歴史

 

特長・見所

 

修理履歴

 平成20年に保存修理工事

文化庁解説

 泉福寺は,国東半島東部にある永和元年(1375)創立の曹洞宗寺院である。

 室町末期に一時荒廃したが,近世には復興され,国東郡中随一の禅寺といわれた。

 仏殿は,棟札や建物各部の様式手法から,大永4年(1524)の建立と判断される。

 桁行三間,梁間三間の本屋の背面に張出を付属した規模で,中央の身舎周囲に庇を廻し,
 詰
組の組物,虹梁・大瓶束の架構など,禅宗様仏殿の形式である。

 泉福寺仏殿は,中世に遡る本格的禅宗様仏殿の数少ない遺構で,曹洞宗寺院仏殿としては
 ,かつ九州において唯一の例として価値が高い。

 後世の修理を経ているが,巧みにその特徴を継承し,禅宗様建築様式の伝播,普及を考え
 る
上でも重要な遺構である。

 

 

 

 

9

 柞原八幡宮     ゆすはら

所在地

電話

大分市大字八幡

 

周辺・境内

柞原八幡宮は大分市の西部、高崎山から南東に派生する尾根上に鎮座

南面する境内の最上部に中心社殿を構え、本殿の前方に、申殿、拝殿、楼門を配し、本殿の東西に宝殿を祀る。

また申殿北面から東西に瑞垣を廻らして本殿域を画し、瑞垣の東西宝殿前面
に棟門を開く。楼門は石垣上に建ち、東西に回廊をのばして中心社殿を囲み、西回廊西端の授与所北側に西門を構える。本殿西側の瑞垣内には八王子社と宝蔵を、本殿域の東側には権殿などを配置し、楼門南側の参道中段に、南大門を建てる。
これら本殿をはじめとする主要な社殿
は、平成22年3月30日付で大分県指定有形文化財となった。

歴史・由緒

中世には豊後国守護大友氏の、近世には府内藩の庇護を受けて栄えたが、寛延二年(1749の火災により社殿を焼失し、現在の社殿はそれ以後の再建になる。

 

創建・建立

天長七年

祭神・山号

 

社格・札所

 

リンク

 

特長・見所

本殿は桁行五間の後殿と前殿からなる八幡造形式の社殿で、嘉永3年(1850)に上棟した。

内部は内陣と外陣からなり、外部は彩色などで荘厳している。また本殿の周囲には、楼門や申殿、宝殿などが、特徴的な配置で建ち並んでいる。

柞原八幡宮の本殿は、類例の少ない八幡造本殿であるとともに、楼門や申殿を軸線上に並べるなど、宇佐神宮を範とした独特の本殿形式と社殿配置をもつ。また本殿は、縁に「花堂」と呼ばれる小建築を設け、楼門は下層に軒唐破風付の庇を付すなど特異な形式で、顕著な地方的特色を示している。

 

柞原八幡宮の本殿は類例の希少な八幡造本殿であるとともに、楼門や申殿を軸線上に並べるなど宇佐神宮を範とした独特の社殿構成をもつ。また、本殿は縁に花堂を設け、楼門は下層に軒唐破風付の庇を付すなど特異な形式をもつ社殿によって構成されており、顕著な地方的特色を示している。

 これらの社殿は、いずれも寛延火災後の再興において府内藩を中心に多数の社寺建築を手がけた大工により造営されたものであり、九州地方の江戸後期以降における神社建築の展開を理解するうえで重要である。

 

国宝・重文

県指定ほか


  8-9-4 柞原八幡宮本殿201509

 

 

9-1

  本殿

建立

再建

嘉永3年 : 1850 

 

文化財指定年

平成23.06.20

建築・様式

八幡造  切妻造

リンク

 

附指定

宝蔵  八王子社 

絵図面  棟札 

平面・形状

後殿 桁行5間梁間2間、

前殿 桁行5間梁間2間、

向拝1間 造合,花堂を含む

屋根

銅板葺

妻面

虹梁

大瓶束

立面・特長

「鯉の瀧登り」彫刻竪樋

外壁

 板唐戸は朱塗

外周

三方に縁

軒裏・

三斗組 二軒繁垂木

中備

蟇股

 

 

内陣・外陣

内部は、後殿を内陣として五室に仕切り、中央間と両端間を御神座、御神座に挟まれた二室

を祭器庫とする。前殿と造合境は床高を揃えて一室の外陣とし、内陣より地長押分床を下げ

る。

前殿は内部の柱四本を前方に寄せて室内を広く取り、前端間の床を一段低める。

内陣の御神座と外陣前端間を小組格天井とし、外殿後半は格天井、造合を化粧屋根裏とする。

概要・歴史

 

特長・見所

軸部や縁、板唐戸は朱塗、壁は胡粉塗を基本として蔀を黒漆塗とし、内法長押から

上部の組物や妻飾などを極彩色で飾る

修理履歴

 

文化庁解説

 

 

本殿は嘉永三年(1850)に上棟され、大工棟梁は矢野治郎右衛門、引頭を利光房右衛門が

務めたことが墨書などによりわかる。

 西縁の「花堂」は、桁行一間、梁間一間、切妻造、銅板葺である。四周に縁を廻らし腰組を二手先とし、軸部は角柱に三斗を載せ、正面を開放して輪垂木形の虹梁を架ける。軒は一軒繁垂木で、妻飾は虹梁蟇股とし、破風に懸魚を吊る。

 このように本殿側面縁の後方に小建築を付加する例としては、大分県南部に四件、宮崎県北部に三件確認されており、このうち高千穂神社本殿が重要文化財に指定されている。

 


  8-9-4 柞原八幡宮申殿201509

 

 

9-2

 申殿

建立

再建

宝暦2年頃  1752 

 

文化財指定年

平成23.06.20

建築・様式

切妻造段違

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

桁行3間、梁間1間

屋根

銅板葺

妻面

二重虹梁大瓶束

大虹梁上に板蟇股

立面・特長

正面を吹放し

外壁

格子引違・舞良戸

外周

正側面に縁

軒裏・

外部三斗、二軒繁垂木

中備

 

 

 

内陣・外陣

拭板敷で 出組 格天井を張り、側面小壁に武内社

概要・歴史

府中大工町の高山弥平治らが造営にあたった。

修理履歴

 

文化庁解説

 


  8-9-4 柞原八幡宮拝殿201509

 

 

9-3

  拝殿

建立

再建

江戸後期

文化財指定年

平成23.06.20

建築・様式

切妻造

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

桁行2間、梁間1間

屋根

銅板葺

妻面

虹梁上に束・梁

立面・特長

 

外壁

 

外周

 

軒裏・

三斗 二軒疎垂木

中備

 

 

 

内陣・外陣

内部は楼門と床を揃え、申殿側に木階五級を設ける。軸部は円柱上に三斗を置き、天井は化粧屋根裏とする。妻飾は虹梁上に束・梁を組み、軒は二軒疎垂木である。

修理履歴

 

文化庁解説

 

 

  8-9-4 柞原八幡宮楼門201509

 

9-4

  楼門

建立

再建

宝暦9年 : 1760 

 

文化財指定年

平成23.06.20

建築・様式

入母屋造

リンク

 

附指定

なし

平面・形状

3間1戸楼門

屋根

銅板葺

妻面

虹梁大瓶束

立面・特長

下層南面庇付軒唐破風付

外壁

 

外周

禅宗様高欄

軒裏・

下層は二手先

上層は禅宗様三手先詰組

二軒繁垂木

中備

肘木や尾垂木尻を柱に鼻栓差

 

 

内陣・外陣

 

概要・歴史

棟大工は矢野重定、引頭は利光重房である。

 下層平面は、前面を四半石敷とし、両脇間に床を張って随身像を祀り、背面側は東西回廊と一連の拭板敷の床を張る。

下層は、正面側に付けた庇の中央に軒唐破風を付ける独特な形式とする。

修理履歴

 

文化庁解説

 

 

  8-9-4 柞原八幡宮東西宝殿201509

 

 

9-5

 東宝殿西宝殿

建立

再建

宝暦7年 : 1757 

 

文化財指定年

平成23.06.20

建築・様式

 

リンク

 

附指定

 

平面・形状

桁行3間、梁間1間

屋根

銅板葺

妻面

虹梁大瓶束

立面・特長

向拝1間

外壁

 

外周

正側面縁の

背面柱筋に脇障子

軒裏・

二軒繁垂木

中備

 

 

 

9-6

 東回廊・西開廊

建立

再建

寛政10年 : 1798 

 

文化財指定年

 

建築・様式

切妻造 両下造

リンク

 

附指定

 

桁行8間、梁間2間

屋根

桟瓦葺

妻面

 

西

桁行5間、梁間2間

外壁

 

外周

 

軒裏・

一軒疎垂木

中備

 

 

 

 

三斗上に虹梁を架けて両妻及び棟通中央の蟇股

9-7

  西門

建立

再建

江戸末期

文化財指定年

 

建築・様式

四脚門 切妻造 

リンク

 

附指定

 

平面・形状

 

屋根

銅板葺

妻面

鰭付懸魚

立面・特長

几帳面取角柱

外壁

 

外周

 

軒裏・

二軒繁垂木

中備

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9-8

南大門

建立

再建

明治3年 : 1870 

 

文化財指定年

 

建築・様式

四脚門、入母屋造

リンク

 

附指定

棟札

平面・形状

 

屋根

銅板葺

妻面

 

立面・特長

南北面突出部、向唐破風造、東西脇門、

外壁

 

外周

 

軒裏・

 

中備

 

 

 

 

石製礎盤に立てた円柱を長押・頭貫で固め、台輪上に禅宗様三手先詰組を載せ、内部は出組で鏡天井を張り、中央間に桟唐戸を吊る。軒は二軒扇垂木で、妻飾は、三斗で支持した虹梁上に「波に鶴」の彫刻を飾り、破風に鰭付懸魚を吊る。

 南北の突出部は、円柱を長押と貫で固めて三斗を受け、天井は折上小組格天井を張る。正背面に虹梁と頭貫を三段に架け、上段虹梁上の鳳凰彫刻で唐破風の化粧棟木を受ける。東西脇門も円柱を長押と貫で固め、棟通りに冠木を渡し、組物三斗とする。門口は開放で、軒は一軒疎垂木である。

 要所を、彫刻化した蟇股や花鳥などの透彫彫刻で飾り、また各柱間には二十四孝や日本武尊の彫刻を嵌めるなど、建物全体を濃厚な彫刻で飾る。

 

宝蔵

宝蔵は、江戸後期頃の建築とみられ、桁行6.0m、梁間4.0m、土蔵造、二階建、切妻造、置屋根式の桟瓦葺である。内部は上下階とも一室で、下階北側に物入をつくる。また八王子社は明和七年(1770)の建立で、一間社流造、銅板葺である。これらの宝蔵と八王子社を附指定とする。

 

 

  8-9-4 柞原八幡宮南大門201509  

 

 

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