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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-2-6 福井県の文化財探訪

8-2-6 福井県の文化財

 

 

     各県へのリンクです。

 

 8-2 甲信越・北陸

山梨

長野

新潟

富山

石川

福井

 

 

 

 

8-2-6

  福井県の建造物文化財の探訪

 

 

   7世紀後半頃には律令制の導入に伴い「若狭国」が成立したと見られ、

   7世紀末には「越前国」が成立したと考えられている。

 

 

-1

 越前国の施設

 

 

 

施設

施設名称

概要

国府

越前市

国府は現在の越前市にあったとされる。

遺構は見つかっておらず、未だ確定には至っていない。

国分寺

 

創建時の遺構は所在未詳。

護国山国分寺(越前市京町、位置)が法燈を伝承する。

国分尼寺

 

未詳

神社

延喜式神名帳

大社8座2社・小社118座111社の計126座113社

大社

敦賀郡 気比神社七座 比定社:氣比神宮 (敦賀市曙町)

丹生郡 大虫神社 比定社:大虫神社 (越前市大虫町

総社

総社大神宮 (越前市京町

・一宮

氣比神宮 (敦賀市曙町

劔神社(丹生郡越前町織田)とする説があるが、中世史料はなく不詳

 

 

 

-2

 若狭国の施設

 

 

 

施設

施設名称

概要

国府

小浜市

国府は、三卷本;黒川本の『色葉字類抄』、および十巻本の『伊呂波字類抄』によると遠敷郡にあったとされる。

現在の小浜市にあったと考えられているが、正確な位置は不明である。

国分寺

若狭国分寺

 

国分尼寺

 

 

神社

延喜式神名帳

大社3座2社・小社39座39社の計42座41社

・大社

遠敷郡 若狭比古神社二座 - 現在の若狭彦神社と若狭姫神社

三方郡 宇波西神社 (うわせじんじゃ)

・総社

 総神社 (福井県小浜市府中)

・一宮 

若狭彦神社

宮 

若狭姫神社

 

 

 

 

 

 福井県の文化財一覧表

 

 

   

 

名称・棟名

区分

年代

概要

指定

所在地

1

滝谷寺 鎮守堂

重文

室町後期

三間社流造、

 正面千鳥破風付、こけら葺

1962

坂井市三国町滝谷1-7-15

国宝

平安時代 

金銅宝相華文磬

1953

2

大安寺 本堂

重文

万治2(1659)

桁行25.8m、梁間18.2m、

 入母屋造、玄関附属、桟瓦葺

2008

福井市田ノ谷町21-4

大安寺 庫裏

重文

万治元(1658)

桁行22.7m、梁間18.0m、

正面入母屋造、背面寄棟造、

 桟瓦葺、南面廊下客寮附属

大安寺 開山堂

重文

寛文10(1670)

桁行三間梁間二間、宝形造

 桟瓦葺

大安寺 開基堂

重文

延宝5(1677)

桁行三間、梁間四間、

 宝形造、向拝一間、桟瓦葺

大安寺 鐘楼

重文

寛文3(1663)

桁行一間、梁間一間、

 入母屋造、桟瓦葺

3

大塩八幡宮 拝殿

重文

室町後期

桁行七間、梁間四間、入母屋造

 こけら葺

1978

越前市国兼22-2

4

大滝神社

 本殿及び拝殿

重文

天保14(1843)

本殿 桁行正面一間、背面三間、

 梁間四間

 流造、正面小屋根、入母屋造

 妻入、向拝軒唐破風付
拝殿 桁行二間、梁間一間

 入母屋造、妻入、向拝一間、

 軒唐破風付、背面本殿に接続

 総檜皮葺

1984

越前市大滝町13-1

5

大谷寺 九重塔

重文

元亨3(1323)

石造九重塔 

1957

丹生郡越前町大谷寺42-4-1

6

春日神社 本殿

重文

慶長18(1613)

三間社流造、こけら葺

1978

鯖江市鳥井町12-31

7

須波阿須疑神社本殿

重文

延徳3(1491)

三間社流造、檜皮葺

1941

今立郡池田町稲荷第12号18

8

気比神宮 大鳥居

重文

正保2(1645)

木造両部鳥居

1901

敦賀市曙町11-68

9

西福寺 御影堂

重文

文化5(1808)

桁行七間、梁間六間、

 入母屋造、向拝三間、桟瓦葺

2008

敦賀市原13-7

西福寺 阿弥陀堂

重文

文禄2(1593)

桁行三間、梁間三間、もこし付

 向拝一間、入母屋造、桟瓦葺

西福寺 書院及び庫裏

重文

天和3(1683)(書院)
江戸中期(庫裏)

書院 桁行12.3m、梁間16.7m

 切妻造、北面便所、銅板葺
庫裏 桁行22.0m、梁間15.3m

 切妻造、桟瓦葺

10

羽賀寺 本堂

重文

文安4(1447)

桁行五間、梁間六間 入母屋造

 向拝一間、檜皮葺

1962 

小浜市羽賀82-2

11

明通寺 三重塔

国宝

文永7(1270)

三間三重塔婆、檜皮葺

1953

小浜市門前5-22

明通寺 本堂

国宝

正嘉2(1258)

桁行五間、梁間六間、入母屋造

 向拝一間、檜皮葺

12

神宮寺 仁王門

重文

鎌倉後期

三間一戸八脚門、切妻造、

 こけら葺

1924

小浜市神宮寺30-4

神宮寺 本堂

重文

天文22(1553)

桁行五間、梁間六間、入母屋造

 向拝一間、檜皮葺

13

妙楽寺 本堂

重文

室町前期

桁行五間、梁間五間、寄棟造

 向拝一間、檜皮葺

1901

小浜市野代28-13

14

飯盛寺 本堂

重文

延徳元(1489)

桁行五間、梁間五間、入母屋造

 妻入茅葺、向拝一間こけら葺

1983

小浜市飯盛145-1

15

中山寺 本堂

重文

室町前期

桁行五間、梁間五間 入母屋造

 檜皮葺

1962

大飯郡高浜町中山27-2

16

常宮神社

国宝

太和7年・833年

朝鮮鐘  新羅

 

敦賀市

17

劔神社

国宝

神護4年・770年

梵鐘

 

越前町 

18

丸岡城 天守

重文

天正4(1576)

二重三階天守、石製本瓦葺

1934

坂井市丸岡町霞町一丁目59

19

若狭町熊川宿

伝建

 

重要伝統的建造物群保存地区

1996

三方上中郡若狭町熊川

20

小浜市小浜西組

伝建

 

重要伝統的建造物群保存地区

2008

小浜市小浜香取及び小浜飛鳥

21

一乗谷朝倉氏遺跡

史跡

 

特別史跡  特別名勝 庭園

1991

福井市城戸ノ内町 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

3

 福井県の個別文化財の探訪

 

 

 

 

1

  滝谷寺 たきだんじ

所在地

電話

坂井市三国町滝谷 1-7-5

0776-82-0216

環境・周辺

 

歴史

滝谷寺は1377年(永和3年)睿憲が崎浦に建てた庵に始まり永徳(弘和)元年(1381)開山された真言宗の寺である。

中世以来、堀江氏をはじめとして、朝倉氏・柴田氏・松平氏等の祈願所として帰依・保護を受け多くの塔頭・末寺を有した

 

創建

永和元(1375)年、睿憲上人

山号

摩尼宝山

社格・札所

 

リンク

 Wiki   HP

概要

 

国宝

金銅宝相華文磬 - 平安時代後期

重文

絹本著色地蔵菩薩像  ・天の図

他の文化財

名勝庭園

庭園は実測515坪(1700平方米)あり、その築造年代は詳ではないが慶長年間から江戸時代中期の作と言われています。山麓の露岩を利用して小池を築き、古松野に向かい、つつじ等の矮樹を配し石を立て灯籠を配置しています

 

県指定

・本堂 - 伝泰澄作の薬師如来立像安置、欄間の龍の彫刻は山田鬼斎作。

・観音堂 - 室町時代建築、寛文3年(1663年)改修。寄棟造。秘仏如意輪観音安置。

・山門(鐘楼門) - 天正年間建築、元禄11年改修。柴田勝家の寄進と伝わる。

開山堂 - 石棺の内壁に元亀3年(1572年)作の十三仏の浮彫。石造建築

・本坊庫裏   ・客殿

 


         8-2-5 滝谷寺 鎮守堂

 

1-1

  鎮守堂

建立

室町後期

指定年

昭和37.6.21

建築様式

三間社流造

再建

 

確証附

なし

平面規模

間口199.8cm奥行250cm

屋根

こけら葺

妻面

虹梁大瓶束

立面外観

正面千鳥破風 覆屋がある

壁・窓

 

外周

擬宝珠高欄

軒裏組物

軒繁垂木 連三斗

中備

蟇股

塗装

全て朱塗

特長

滝谷寺は永徳(弘和)元年(1381)、睿憲上人によって開かれた真言宗の寺である。中世以来、堀江氏をはじめとして、朝倉氏・柴田氏・松平氏等の祈願所として帰依・保護を受けてきた。

   三間社流造正面千鳥破風付杮葺の建物で、建立年代は明らかでないが、その様式手法からみて室町時代後期と考えられている。笏谷石で屋根を葺く覆屋に納められており、保存もよく、県内で数少ない中世本殿建築として貴重なものである。

ポイント

 覆屋の前面が開放されているので観察可能

修理履歴

1964

文化庁

解説文

室町時代末期の建立。

小規模な三間社流造であり古建築に乏しい北陸における中世遺構の代表作である。

 

 

 

 

2

  大安寺

所在地

電話

福井市田ノ谷町21-4

0776-59-1014 

環境・周辺

 

歴史

福井藩第4代藩主松平光通が大愚宗築を開山として、越前松平家の永代菩提所として万治元年(1658年)に創建した。

境内地は天正2年(1574年)に焼失した竜王山 田谷寺の跡地である。

創建

万治元年(1658年)開基 松平光通 

山号

萬松山 

札所

北陸観音霊場第10番礼所

リンク

  Wiki  HP 

重文

・絹本著色羅漢図 2幅

他の文化財

・木造 文殊菩薩坐像  ・絹本彩色 双雀の図(伝馬麟画) 

文化庁

解説文

大安寺は、福井市郊外に所在する臨済宗寺院で、万治元年(1658)、福井藩四代藩主松平光通が創建した。境内の中心に本堂と庫裏が並び、その周囲に開山堂、開基堂、鐘楼などが建つ。これらの中心建物は、創建以降断続的に、福井藩によって建てられた。

 

 大安寺は、大型の方丈型本堂をはじめ、庫裏や開山堂など禅院の主要建築を有するほか、開基堂や廟所など、藩主の菩提所として江戸前期から中期にかけて造営された壮観な伽藍が、良好に保存されている。

 また各建物の意匠も優秀で、福井藩大工の高い力量を示しており、重要である。

 

詳細説明

大安寺  重要文化財 五棟    本堂、庫裏、開山堂、開基堂、鐘楼

大安寺は福井市北西の山腹に所在する臨済宗寺院で、万治元年(1658)、福井藩四代藩主松平光通(1636~1674)が大愚宗築(1584~1669)を招いて創建した。

 

 境内は、山裾の参道入口に山門が建ち、上方の平地に伽藍を構える。草創期の万治元年に庫裏、翌2年に本堂が建てられ、続く寛文3年(1663)に鐘楼が建てられた。

同九年に開山宗築が入寂すると、翌10年に開山堂が建てられ、間もなく延宝2年(1674)に光通が没したため、伽藍上方の山中に廟所が造られ、同五年に開基堂が建てられた。

 

 このうち本堂と開基堂は、昭和57年に福井県有形文化財(建造物)に指定され、また廟所を含めた境内域が、昭和49年に福井市指定史跡となった。

 

 

   8-2-5 大安寺 本堂

 

 

2-1

  本堂

建立

万治2 : 1659 

指定年

平成20.06.09

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

下記 

平面規模

桁行25.8m、梁間18.2m

屋根

桟瓦葺

妻面

虹梁大瓶束

立面外観

東南隅唐破風造玄関附属

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

一軒疎垂木

中備

 

 

 

内陣

内部は、整型六間取の正側面に二間半の広縁を廻らす方丈型本堂である。

軸部は、広縁の一間内側に入側柱を立て並べて入側桁を受け、天井は、入側通りを化粧屋根裏とする他は棹縁天井とする。

平面は、二列六室の前列の中央を「室中」、両脇を「脇ノ間」とし、部屋境には小壁を設けず、ひと続きの棹縁天井とする。

後列は、北から「上間」「内陣」「下間」とし、「内陣」後方に仏壇などを設ける。「上間」に付書院、「下間」には床・違棚・付書院を設ける。

特長

 

ポイント

 

修理履歴

 

附指定

・山門は、寛政四年の建立になり、一間一戸高麗門、桟瓦葺で、左右に袖塀を延ばす。

・宝蔵は、桁行8.2m、梁間4.7m、土蔵造二階建、切妻造、桟瓦葺である。 

・塀中門は、本堂の玄関南側に建ち、開基堂の前庭を区画する。

  一間一戸平唐門、銅板葺で、現在は本柱の前後に控柱を立てている。

・廟所は、全て笏谷石でつくり南辺に平唐門を構え、周囲を折曲り93.8mの玉垣で囲う。

  門の前後には石灯籠を置く。

以上の、山門、宝蔵、塀中門、廟所を附指定とする。

 

 

   8-2-5 大安寺 庫裏

 

2-2

 庫裏

建立

万治2 : 1659 

指定年

平成20.06.09

建築様式

正面入母屋造、背面寄棟造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行22.7m、梁間18.0m

屋根

桟瓦葺

妻面

虹梁大瓶束、笈形

立面外観

南面廊下及び客寮附属

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

一軒疎垂木

中備

 

 

 

内部

東正面に広い土間の玄関と事務室を配し、西半は、本堂側を三室の続き座敷とし、北側を中廊下の両側に台所などをもつ坊舎とする。

特長

庫裏と本堂は廊下で繋ぎ、その東側に客寮を突出させる。廊下は庫裏及び本堂の建設と一連の建築とみられ、また客寮は元禄三年(1690)頃に建てられた。

ポイント

 

修理履歴

 

 

   8-2-5 大安寺 開山堂

 

2-3

  開山堂

建立

寛文10 : 1670 

指定年

平成20.06.09

建築様式

宝形造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行三間、梁間二間

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

粽付円柱

壁・窓

 

外周

禅宗様高欄付縁

木階

軒裏組物

二軒半繁垂木 平三斗

中備

格天井

内陣

堂内後方に禅宗様須弥壇を置き、開山大愚の坐像を祀る。来迎柱は黒漆塗、ほかの木部は、赤漆、摺漆で仕上げる。

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

   8-2-5 大安寺 開基堂

 

2-4

  開基堂

建立

延宝5 : 1677 

指定年

平成20.06.09

建築様式

宝形造

再建

 

確証附

 棟札 

平面規模

桁行三間、梁間四間

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

正面一間向拝付

粽付円柱

壁・窓

桟唐戸 花頭窓

外周

 

軒裏組物

二軒半繁垂木 外部は出組、内部は出三斗 格天井

 

 

内陣

堂内は円柱で前後に二分し、前方は畳敷、後方は拭板敷として禅宗様須弥壇を置き、厨子内に開基光通を祀る

特長

開基堂は、棟札により延宝5年の建築で、大工頭を関清助、棟梁を岩崎久右衛門が務めた。

欅の良材を用いて摺漆を施し、要所は黒漆塗などとし、霊屋らしく荘厳する。

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

   8-2-5 大安寺 鐘楼 

 

2-5

  鐘楼

建立

寛文3 : 1633 

指定年

平成20.06.09

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行一間、梁間一間

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

笏谷石の礎盤に円柱

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

二軒半繁垂木 出組詰組

中備

蟇股

 

格天井

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

 

 

 

 

3

  大塩八幡宮

所在地

電話

越前市国兼22-2

0778-23-8074 

環境・周辺

当神社の鎮座する国兼は、中世期の大塩保(おおしおのほ)の中心集落であったことから、「大塩保八幡宮」と称され、近世以降に現社名で呼ばれるようになった。明治以降「八幡神社」を正式な社号としたが、昭和46年(1971年)、現社号に復称した。

歴史

大塩八幡宮は、寛平3年(891)の鎮座と伝えられる古社で、武家を中心に崇敬を集め、代々の国主等によって社殿の修造が行われてきた。

創建

寛平3年(891年)

祭神

帯中日子天皇 応神天皇 神功皇后

社格

旧県社 

リンク

 Wiki   百景

概要

当社の神社配置は、他の神社と若干異なり、他の神社で神楽殿(舞殿)のある位置に拝殿があり、通常拝殿のある位置に、独立した幣殿。幣殿の後方、垣の中に本殿がある。

延喜式神名帳に記載された式内社の論社である

高岡神社、天八百萬比咩神社、天国津彦天国津比咩神社が鎮座。 

重文

 

他の文化財

鎌倉時代の梵鐘(越前市指定文化財)

 

   8-2-5 大塩八幡宮 拝殿

 

 

3-1

  拝殿

建立

室町後期

指定年

昭和53.05.31

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行七間、梁間四間

15.76m 8.88m

屋根

こけら葺

妻面

 

立面外観

5間×2間の身舎の四周に1間の庇を設けた構成 円柱

外周

縁は設けない

軒裏組物

舟肘木

中備

 

 

 

特長

比較的木割も大きく、簡素な中にも落ち着きのある大型の長床式拝殿である

ポイント

・屋根の曲線  ・熊野神社長床と類似

修理履歴

屋根は近世以来寄棟造の桟瓦葺であったが、昭和56年の解体修理に際して旧に復された。

昭和54~56年 解体修理  平成14~15年屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文

 

 

 

 

 

4

  大滝神社

所在地

電話

越前市大滝町23-10

0778-42-1151

環境・周辺

 

歴史

 

この地を訪れた泰澄大師が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立。

後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった近世には、越前奉書の産地である五箇郷を中心とする48か村の総氏神として崇敬を集めた。

 

創建・建立

719年

祭神

國常立尊・伊弉諾尊

社格・札所

県社

リンク

 Wiki  

概要

約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である 。

延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祭った。さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。

大正12年(1923年)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の御分霊が奉祀され、岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となった。

 

重文

 

他の文化財

大滝神社のゼンマイザクラ  

  昭和39年6月5日指定。ゼンマイのとれる頃に花が満開となる、エドヒガンの大木。

大滝神社の大スギ  

昭和39年6月5日指定。通称「おお杉さん」。神社の神木

大滝神社奥の院社叢 昭和61年3月28日指定。

  権現山(標高326m)山頂付近のブナの原生自然林。

 

 

   8-2-5 大瀧神社 社殿-4   8-2-5 大瀧神社 社殿-1

   8-2-5 大瀧神社 社殿-2   8-2-5 大瀧神社 社殿-3

 

 

4-1

 本殿及び拝殿

建立

天保14 : 1843

指定年

昭和59.05.21

建築様式

複合社殿

再建

 

確証附

造営文書  絵図 

本殿

桁行正面一間、背面三間、梁間四間、流造、正面小屋根、入母屋造、妻入、向拝軒唐破風

拝殿

桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、軒唐破風付、背面本殿に接続

屋根

総檜皮葺

脇障子

斜めなのは珍しい

二手先の腰組

軒裏組物

三手先

中備

 

整石積の基壇上に三段の亀腹

内陣

 

リンク

 

特長

本殿および拝殿は、本殿と拝殿の屋根が接続し、神社本殿としては最も複雑な屋根形態を持つ建物である。二つの建物が、最も高い本殿から流れる滝のように連なり、また屋根も

同様に複雑である。随所の彫刻もすばらしく、建物全体がひとつの彫刻のようである。

普請関係文書によると、大工は永平寺門前の大久保勘左衛門等である。

ポイント

本殿と拝殿の間に石の間を設けず吹き流しとし、さらに本殿だけを高い基壇の上に建てて約2mちかい床高の違いを生じさせ、これを浜床や二個所の木階(きざはし)で処理している。このため、本殿が最も高くなり、本殿から拝殿に向かって床や棟を徐々に低減する構造になっている。

修理履歴

平成1~2年屋根葺替・部分修理  平成20年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文

大型の一間社流造本殿とその前面に建つ入母屋造妻入の拝殿を連結させた複合社殿である。複雑な屋根構成は他に類例のないものであり、各所に嵌め込まれた丸彫彫刻などの仕事も優秀で、北陸地方の近世社殿の優品として重要である。

 

 

 

 

5

  大谷寺

所在地

電話

丹生郡越前町大谷寺42-4-1

 

環境・周辺

 奈良時代、泰澄が開いたと伝えられる山岳仏教寺院の古刹。現在は天台宗の寺院

歴史

 大谷寺は、泰澄大師の開創と伝えられ、白山を中心とする越前天台信仰の一大拠点として栄えた寺である。

この寺の創建年代等については不詳であるが、越知山三所大権現の別当寺として金毘羅山のふもとに建立されたと見られ、白山中宮平泉寺(へいせんじ:福井県勝山市平泉寺)とともに山岳信仰(白山修験)の寺であった。

明治初年(1868年)の神仏分離に伴い越知神社と大谷寺に分離された。

創建

 

山号

越知山

札所

 

リンク

  wiki 

 

   8-2-5 大谷寺九重塔

 

 

5-1

  九重塔

建立

元亨3 : 1323 

指定年

昭和32.02.19

建築様式

石造九重塔

再建

 

確証附

なし

 

元亨第三癸亥三月四日の刻銘がある

リンク

日本の塔

特長

初層軸部、蓮華座は薄肉に美しく陽刻されている

屋根は軒が厚く、力強い軒反をしめす。軒裏に一段の垂木型を刻出する

相輪は、上部が水煙・竜車・宝珠の層塔型

概要

泰澄大師の廟と伝えられるもので、大谷寺大長院山腹に存在する。

総高4.40mの笏谷石(凝灰石)製の塔婆で、台石に元享3年(1323)の紀年銘が刻されている。塔身3面は蓮華座の上に月輪を浮彫し、その中に弥陀三尊の各種子が刻まれている。

県内の石造物を代表するものであり鎌倉時代の石塔の手法を知る上で貴重なものである。

 

修理履歴

1991年  平成2~3年解体修理

文化庁

解説文

鎌倉時代末期元亨三年の建立、北陸地方石造物の貴重な遺物である。

 

 

 

 

 

6

  春日神社 本殿

所在地

電話

鯖江市鳥井町

 

環境・周辺

 

歴史

鳥井町は、もと越前国御板部郷といい、春日神社は付近一帯15か村の総社として延喜式神名帳にみられる大山御板<おおやまみた>神社に比定されている。治暦4年(1068)に「春日神社」と改められて以来、国司・領主の崇敬を集めた。

鳥井という地名は神社の「鳥居」があったことに由来するという。 

 

創建

 

祭神

武甕槌神 經津主神 

天兒屋根神 比咩大神

社格・札所

 

リンク

  鯖江市  玄松子

他の文化財

 

 

   8-2-5 春日神社本殿

 

 

6-1

  本殿

建立

慶長18 : 1613 

指定年

昭和53.05.31

建築様式

三間社流造

再建

 

確証附

なし

平面規模

正面3間、側面2間

屋根

杮葺 

妻面

虹梁太瓶束

立面外観

身舎:円柱 他:角柱

壁・窓

菱格子

外周

刎高欄 浜床

軒裏組物

二手先 二軒繁垂木

背面一軒疎垂木

中備

ない

 

擬宝珠高欄木階

規模

正面桁行4m、側面梁行2.55m、向拝1.43m

リンク

 

特長

柱の随所にやりがんなの使用が認められるなど、須波阿須疑神社本殿との類似点も認められるが、近世的要素も多くみられ、慶長以後の建物と考えられている。

近世初頭の越前における神社本殿の形式を知る上で貴重な建物である。

ポイント

 

修理履歴

昭和57~58年に解体修理

文化庁

解説文

三間社流造の本殿で、覆屋に入っている。

細部手法に見るべきものがあり越前地方の神社建築の流れを知る上に重要な遺例である。

 

 

 

 

 

7

須波阿須疑神社 すわあずき

所在地

電話

今立郡池田町稲荷12-18

0778-44-6365

環境・周辺

 

歴史

社伝によれば霊亀元年(715)に鎮座とされ諏訪大社の分霊を勧請したのが始まりとされている。その後、地元神である大野手比賣命(アズキ神)、霊亀2年(716)に倉稻魂命(稲荷神)を合祀し、3座を祀っている。延喜式神名帳に記載されている式内社であり、池田郷48ヶ村の惣社として信仰を広め、歴代領主が崇敬したが、中世の戦乱により一時衰退。延徳3年(1491)朝倉貞景の家臣池田時忠が再建。

 

しかし、庇護者であった朝倉氏は滅亡し、天正2年(1574)一向一揆によって本殿以外の諸殿等を焼失し、再び衰退。文禄4年(1595)から再興され、慶長5年(1600)には拝殿が再建された

 

創建

霊亀元年(715)

祭神

倉稲魂命 大野手比賣命

建御名方命 大田命 大己貴命

社格

式内社

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 池田町

概要

元年中平泉寺領に属せし以来神仏習合となし、鐘楼堂 阿弥陀堂 輪蔵 三曾塔を建てて七堂伽藍と称するに至る。 当時の全図今に存せり。 しかるに天正二年(1574)土寇一揆のため諸殿ことごとく破却せられしが、文禄四年(1595)神祇官の命により、慶長五年(1600)拝殿を再建し、以来漸次再興して、現在の建造物は本殿、拝殿、楼門、大鳥居、二の鳥居、反橋等を有す。 今の本殿は延徳三年(1491)の再建なり。

重文

能面(天神)

他の文化財

県 能面(中年女)・稲荷の大杉

町指定

・拝殿 町指定文化財   元禄二年(1689年)建立

  間口八間、奥行五間の大拝殿で 能舞台・お籠りの囲炉裏を持つ珍しい形式。 

・楼門 町指定文化財   嘉永二年(1850年)建立

  通称「赤山門」と呼ばれる池田町のシンボル的存在である。 

・その他    稲荷の大杉 県指定天然記念物  幹周り10mの神木である。

本殿裏山中腹にあり、伊弉諾・伊弉冊二柱の神を祀り、荒魂大杉大明神と崇められて

いる。 

 

 

   8-2-5 須波阿須疑神社本殿

 

 

7-1

 本殿

建立

延徳3 : 1491 

指定年

昭和16.11.06

建築様式

三間社流造

再建

 

確証附

なし

平面規模

正面3間 4.88m

側面2間 3.15m

屋根

檜皮葺

妻面

虹梁大瓶束

立面外観

覆屋の中

壁・窓

菱格子戸

外周

高欄付の縁

軒裏組物

平三斗 軒繁垂木

中備

蟇股

 

脇障子

内陣

 

リンク

 池田町修理

特長

 

ポイント

 

修理履歴

昭和25年以来平成22年2月から修理がはじまり、23年9月に工事が完了しました。

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

 

8

  気比神宮  けひ

所在地

電話

敦賀市曙町11-68

 

環境・周辺

敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島・中国東北部への玄関口にあたる要衝である。

神宮はそのような立地であることから、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社であった。

歴史

社伝では、上古に主祭神の伊奢沙別命は東北方の天筒山に霊跡を垂れ、境内北東方にある土公の地に降臨したという。

そして『気比宮社記』によれば、仲哀天皇の時に神功皇后が三韓征伐出兵にあたって気比神に祈願をすると、海神を祀るように神託があり、皇后は穴門に向かう途中で海神から干・満の珠を得た。そして仲哀天皇8年3月に神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比神を祀らせたといい、これが神宮の創建になるとしている

 

創建

(伝)第14代仲哀天皇8年

祭神

伊奢沙別命 

社格・札所

式内社(名神大7座)越前国一宮

 旧官幣大社  別表神社

リンク

  敦賀観光  wiki   HP

概要

昭和20年(1945年)には敦賀空襲により旧国宝の本殿ほか社殿の多くを焼失した。

本殿は昭和25年(1950年)再建され、37年拝殿、社務所の建設九社之宮の復興を見て、祭祀の厳修につとめたが、近年北陸の総社として御社頭全般に亘る不備を痛感、時代の趨勢著しいさ中、昭和57年氣比神宮御造営奉賛会が結成され「昭和の大造営」に着手、以来、本殿改修、幣殿、拝殿、儀式殿、廻廊の新設成り、旧国宝大鳥居の改修工事を行ない、平成の御代に至って御大典記念氣比の杜造成、四社の宮再建、駐車場設備により大社の面目を一新。

 

更に国家管理時代の社務所が昭和20年の戦火で焼失し、その後敦賀区裁判所の庁舎を移築、長く利用してきたが、老朽化により已むなく解体、平成23年6月大社に相応しい格式ある総木造社務所が新築落成した。他の社殿も再建・修復を経て現在に至っている

 

重文

 

本殿

本殿の周囲には東殿宮(本殿の東)・総社宮(東北)・平殿宮(西北)・西殿宮(西)の4社殿が立ち、これらは「四社の宮(ししゃのみや」と総称される。

四社の宮はいずれも平成に入っての再建社殿である。また、本殿に接続して内拝殿・外拝殿が立つが、これらは昭和の大造営時の再建になる。

 

旧本殿

江戸時代初期の慶長19年(1614年)に結城秀康によって再建されたもので、旧国宝に指定されていた。桁行三間・梁間四間、「両流造」という独特の形式の大規模な社殿で、屋根は檜皮葺、正面には一間の向拝が付設されていた。

また内部は正面一間通りを外陣とし、奥は一間ごとに3分割して中央間に中陣・内陣・内々陣を設け、左右脇間は空殿とされていた。

『気比宮旧記』によれば、そのうち内々陣の中央に仲哀天皇、右(西)に神功皇后、左(東)に保良太神(伊奢沙別命)が祀られていたという

 

 

   8-2-5 気比神社 拝殿   8-2-5 気比神社 鳥居

        拝殿                     鳥居

 

8-1

  大鳥居

建立

正保2 : 1645 

指定年

明治34.03.27

建築様式

木造両部鳥居

再建

 

確証附

なし

平面規模

柱間24尺

屋根

 

妻面

 

立面外観

朱塗  高さ10.93m

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

 

特長

扁額「氣比神宮」は有栖川宮威仁親王の染筆になる

ポイント

大和の春日大社・安芸の厳島神社と並ぶ日本三大木造大鳥居

修理履歴

昭和62年

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

 

9

  西福寺

所在地

電話

敦賀市原13-7

0770-22-3926 

環境・周辺

 

歴史

開山良如上人が諸国行脚の道すがら近江路を経て敦賀に遊化された折り、遙か西方の山中に光明輝く阿弥陀三尊の尊い御姿を感見せられて、その光明に導かれこ の地に歩みを進め辻堂の辺りまで来られると、 突如一匹の白狐が現われ、上人を山の麓まで案内して忽然と姿を消したと 見る間に阿弥陀三尊も大岩と化したと伝えられます。

 

そこで開山良如上人は“仏法有縁の地である”としてこの奇瑞の三腹に一寺建立を発願せられました。後こ の岩を三尊石と称え、現に当寺裏山の中腹にあり、白狐も守護神として御影堂裏に祀ってあります。時に正平23年(1368年北朝 応安元年)3月であります。

直ちに朝廷の許しを受け、時の征夷大将軍足利義満公の助力を得て堂塔を完備し、“大原山西福寺”の寺号を勅賜され建立の大願を果たされました。

 

創建

応安元年1368年  良如(開山

 

山号

大原山

社格・札所

 

リンク

  Wiki  HP

概要

2006年

文化庁 

詳細解説

西福寺は敦賀市西郊の山麓に所在する浄土宗寺院で、応安元年(1368)、京都の清浄華院四世敬法の弟子にあたる良如により創建された。後光厳天皇の勅願所となったが、元亀年間(15701572)の兵乱により荒廃したと伝え、その後文禄二年(1593)に15世道残により阿弥陀堂が建立され、さらに近世を通じて伽藍が整えられた。

 

 境内は、総門、山門、御影堂が南北軸上に建ち、御影堂の斜向かいに阿弥陀堂が東面し、両者を繋ぐ渡廊下の後方に庭園を配する。阿弥陀堂の西側山裾に書院及び庫裏が建ち、東側の石垣上を、涅槃門、念仏堂、鐘楼よりなる一郭とする。

 

これまで、阿弥陀堂と御影堂は福井県有形文化財(建造物)に、書院、庫裏、玄関、総門、庫裏門、鐘楼、念仏堂、渡廊下が敦賀市有形文化財に、それぞれ指定された。また庭園は、国指定名勝となっている。

 

西福寺御影堂と阿弥陀堂は、ともに浄土宗本堂の典型的平面をもち、御影堂は寺格に相応しい宏壮華麗な堂で、また中世禅宗仏堂の名残をとどめる阿弥陀堂は、浄土宗阿弥陀堂として古例であり、静謐な空間をみせる。西福寺伽藍は、御影堂と阿弥陀堂を並立する正規の構えとし、また桃山期と江戸後期の中心的仏堂を残す点においても重要である。御影堂、阿弥陀堂と書院及び庫裏は、名勝庭園と一体となって豊かな風致を創出しており、浄土宗寺院伽藍の展開をみるうえで、価値が高い。

 

 

重文

・絹本著色主夜神像 - 高麗時代 ・絹本著色阿弥陀如来像 - 南宋時代(1995年盗難)

・絹本著色観経変相曼荼羅図 ・西福寺一切経勧進経 25巻 ・般若心経 二条持基筆孔

・雀鎗金経箱

他の文化財

書院庭園(国の名勝)江戸時代中期作庭、 面積1400坪、築山林泉式庭園

市指定

・四修廊下 ・念仏堂  ・鐘楼  ・玄関  ・総門  ・庫裡門

・椎の木(スダジイ)- 東西2株、西株「新日本の名木100選」

 

   

 

 

9-1

  御影堂

建立

文化5  1808 

指定年

平成20.06.09

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行七間、梁間六間

屋根

桟瓦葺

妻面

二重虹梁大瓶束

立面外観

向拝三間

北面御霊屋及び西面渡廊下

壁・窓

 

外周

高欄付切目縁

軒裏組物

二軒繁垂木 出組

中備

 

リンク

 HP

特長

2006年

文化庁 

詳細解説

 内部は、正面の梁間二間通りを外陣、奥寄り三間を内陣と両脇一間ずつの脇陣とし、内陣の正側面には低い結界を設ける。内陣後方に四天柱を立て、禅宗様須弥壇上の厨子に法然上人像を祀る。床は須弥壇の周囲三方を四半板敷とし、ほかは畳を敷く。

 外陣は、梁行の絵様虹梁上に桁行の三間虹梁を架け、周囲を化粧屋根裏として、力感ある架構とし、蟇股などには豊かな彫刻を施し、また内陣は鏡天井を高く張り、須弥壇廻りの絵様虹梁などに技巧を凝らすなど、広闊で装飾豊かな空間をつくる。

  御影堂西側には、御影堂と同時期とみられる渡廊下が庭園沿いに屈曲して延び、阿弥陀堂に接続する。渡廊下は、折曲り一四間、梁間一間、桟瓦葺である。

ポイント

 

修理履歴

 

文化庁

解説文

西福寺は敦賀市西郊に所在する浄土宗寺院で、阿弥陀堂は文禄2年(1593)の建立、御影堂は文化5年(1808)の上棟になる。また書院が天和3年(1683)に建てられるなど、近世を通じて伽藍が整えられた。

 西福寺御影堂と阿弥陀堂は、ともに浄土宗本堂の典型的平面をもち、御影堂は寺格に相応しい宏壮華麗な堂で、阿弥陀堂は浄土宗寺院の阿弥陀堂として古例であり、静謐な空間をもつ。また、これらの仏堂と書院及び庫裏は、庭園と一体となって豊かな風致を創出しており、高い価値が認められる。

 

   8-2-5 西福寺 阿弥陀堂   

  

 

9-2

  阿弥陀堂

建立

文禄2 : 1593 

指定年

平成20.06.09

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

桟瓦葺

妻面

虹梁大瓶束

立面外観

もこし付、向拝一間

壁・窓

 

外周

切目縁

軒裏組物

二軒扇垂木

中備

 

 

 

裳階

二軒半繁垂木  大斗実肘木、棹縁天井

リンク

HP修理

内陣

出組詰組  鏡天井  粽付円柱

内部は、正面の裳階を外陣とし、身舎の中央方三間を内陣、内陣両脇の裳階を脇陣とし、内陣の正側面に低い結界を設ける。後方一間通りの左右には脇仏壇を四所設ける。また内陣後辺中央間を来迎壁として禅宗様須弥壇を設け、厨子に阿弥陀三尊を安置する。

特長

阿弥陀堂は、文禄二年、現在御影堂のある位置に、室町期の禅宗様三間仏堂の部材を再利用し、方三間裳階付仏堂として建てられ、伽藍の中核をなしていた。その後、寛永四年(1627)に須弥壇が造られ、延享四年(1747)に屋根こけら葺上に桟瓦を葺き、さらに文化年間の御影堂建立に先だち、現位置に向きを変えて曳家された。

ポイント

 

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

   8-2-5 西福寺 書院 

 

 

9-3

 書院及び(庫裏)

建立

天和3、  1683

指定年

平成20.06.09

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行12.3m 梁間16.7m

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

北面便所附属

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

一軒疎垂木

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

 

特長

まず天和三年(1683)に書院が建てられ、江戸中期から後期にかけて南側の庫裏が建替えられ、さらに両者の間が居室に改造され、一体化された。

ポイント

書院の北東寄りには、庭園に面して座敷三室を鍵型に配し、その外側に廊下を廻らす。座敷境には竹組子欄間などをいれ、廊下の室境は竹の節欄間とし、また一の間には床と書院を設えるなど、開放的で瀟洒な意匠をもち、庭園観賞を意識したつくりとなっている。

修理履歴

平成13~17年半解体修理・解体修理・整備工事ほか

文化庁

解説文

 

 

9-3

 (書院)及び庫裏

建立

江戸中期 

 1661-1750

指定年

平成20.06.09

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

 

平面規模

桁行22m、梁間15.3m

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

一軒疎垂木

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

 

特長

 

ポイント

庫裏は、南東隅に三間四方の大玄関を構え、南西側を台所とする。床上部は中廊下の東西に居間や僧室などを配し、坊舎として使用しているが、基本構造はよく保持している。

 

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

 

 

 

10

  羽賀寺

所在地

電話

小浜市羽賀

0770-52-4502

環境・周辺

 

歴史

霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって行基が創建したとされる。その後天暦元年(947年)の洪水で流出し、雲居寺(現在の京都市東山区にあった廃寺)の僧・浄蔵が再興したという。地方寺院の例に漏れず、創建の正確な事情や中世以前の沿革についてはあまり明確でない。

 

中世には守護細川氏などの庇護を受け、元弘の乱による焼失後、延文4年(1359年)に細川氏清が再興した。その後応永5年(1398年)にも焼失したが、永享8年(1436年)に奥州安倍氏後裔を称する安倍康季(安藤康季)が再興したという。

 

真言宗寺院となるのは宝徳2年(1450年)で、それ以前は天台宗に属し、青蓮院門跡の末寺であった。

 

創建

霊亀2年(716)元正天皇の勅願

山号

本浄山

社格・札所

北陸観音霊場第5番礼所。

北陸三十六不動霊場第36番礼所。

リンク

  Wiki   

概要

 

重文

木造十一面観音菩薩立像 羽賀寺の本尊で、10世紀初期の作。像高146.4cm。

 元正天皇の御影との伝説がある。檜の一木造、翻波式衣文、膝に届く長い腕など、いず

 れも平安前期の古様をとどめており、瞑想的な眉目も弘仁・貞観文化の観音像に共通す

 る。本像の最大の特色は、造立当初の彩色がほぼ完全に残っていることである。

 宝冠は代赭(たいしゃ)色、条