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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-2-4 富山県の文化財探訪

8-2-4 富山県の文化財

 

 

     各県へのリンクです。

 

 8-2 甲信越・北陸

山梨

長野

新潟

富山

石川

福井

 

 

 

 

8-2-4

  富山県の建造物文化財の探訪

 

 

  富山県は、四方を海と山脈で区切られた越中国と領域を同じくする。

 

 越中国の施設

 

 

 

施設

施設名称

概要

国府

射水郡

現在の高岡市伏木古国府。現在の勝興寺の附近が国府跡とされており、境内に「越中國廰址」の石碑が立てられている。

また、近くの高岡市伏木気象資料館が「東館」という小字名から国司館跡と想像され、「國守館址」の石碑が立てられている。

 

しかし、敷地内からは9世紀の建物跡が発掘されているが、奈良時代のものは確認されていない。 平安時代末に新湊(現射水市)に移されたことがあり、太平記には新湊での戦いが記録されている。

 

国分寺

高岡市伏木一宮

気多神社の近くの「国分寺跡」に薬師堂が建立されている。

国分尼寺

尼寺跡は不詳

 

神社

延喜式神名帳

大社1社1座・小社32社33座の計33社34座

・大社

   2社の説

射水郡 気多神社 - 九条家本(最古の写本)に拠る。高岡市伏木一宮。

水郡 射水神社 - 出雲本に拠る。江戸時代までは高岡市二上にあった。

・総社

不明

・一宮 

 射水神社、 気多神社、 高瀬神社 雄山神社

・二宮 三宮

 

 

 

 

 

 

 富山県の文化財一覧表

 

 

 

 

名称・棟名

区分

年代

概要

重文指定

所在地

1

雄山神社

 前立社壇本殿

重文

室町後期

五間社流造、向拝一間、檜皮葺

19060414

中新川郡立山町岩峅寺1

2

瑞龍寺 仏殿

国宝

万治2(1659)

桁行三間梁間三間、もこし付、

 入母屋造、鉛瓦葺

19090405 19971203

高岡市関本町35

瑞龍寺 法堂

国宝

明暦元(1655)

桁行十一間、梁間九間、入母屋造

 銅板葺、向拝 

19280404 19971203

瑞龍寺 山門

国宝

文政元(1818)

三間一戸二重門、入母屋造

 こけら葺、左右山廊付

19820611 19971203

瑞龍寺 総門

重文

明暦1655頃

三間一戸薬医門、切妻造、

 こけら葺、左右袖壁附属

19280404

瑞龍寺 禅堂

重文

寛永元(1624)

桁行七間、梁間五間、正面向唐破風

 向拝付、切妻造、こけら葺

19820611

瑞龍寺 大茶堂

重文

明暦1655頃

桁行23.6m梁間9.8m、入母屋造

 こけら葺

19971203

瑞龍寺 高廊下

重文

明暦1655頃

桁行七間、梁間二間、両下造、

 こけら葺、法堂・大茶堂に接続

19820611

瑞龍寺 北回廊

重文

寛文元(1661)頃

桁行折曲り延長五十六間梁間一間、

両下造、鐘楼大庫裏付、こけら葺

瑞龍寺 南東廻廊

重文

寛延元(1748)

桁行折曲り延長二十間、梁間一間

 両下造、こけら葺

瑞龍寺 南西廻廊

重文

寛延元(1748)

桁行折曲り延長三十五間梁間一間、

 両下造、こけら葺

3

気多神社 本殿

重文

室町後期

三間社流造、向拝一間、こけら葺

19310119

高岡市伏木一ノ宮1-10-1

4

勝興寺 本堂

重文

寛政5(1793)

桁行39.4m梁間37.5m、入母屋造

 向拝三間、金属板葺

19880113

高岡市伏木古国府17-1

勝興寺 唐門

重文

明和6(1769)

四脚門、切妻造、前後唐破風造

 銅板葺

勝興寺 経堂

重文

文化2(1805)

桁行三間、梁間三間、もこし付、

 宝形造、桟瓦葺、八角輪蔵付

19511226

勝興寺 御霊屋

重文

文化7(1810)

桁行6.7m、梁間6.5m、

 正面入母屋造、背面切妻造、

 唐破風造向拝一間、桟瓦葺

勝興寺 鼓堂

重文

享保18(1733)

桁行7.6m、梁間7.5m、二重二階、入母屋造、桟瓦及び本瓦葺

勝興寺 宝蔵

重文

江戸末期

土蔵造、桁行8.4m梁間6.3m、

 二階建、入母屋造、妻入、桟瓦葺

勝興寺 総門

重文

天保11(1840)

一間高麗門、切妻造、本瓦葺、

 両脇築地塀附属

勝興寺 式台門

重文

安永4(1775)

三間一戸薬医門、切妻造、本瓦葺

 北側面番所・南側面屋根塀附属

勝興寺        大広間及び式台

重文

17世紀中期

(大広間)
17世紀末期

(式台)

大広間:桁行18.5m、梁間19.7m一重、正面入母屋造、背面切妻造、式台:桁行16.1m、梁間13.9m

正面入母屋造背面切妻造、総桟瓦葺

勝興寺 台所

重文

文久3(1863)

桁行16.7m、梁間31.2m、

 切妻造、妻入、背面庇付、

 正面玄関庇附属、桟瓦葺

勝興寺 

 書院及び奥書院

重文

寛文11(1671)

書院:桁行23.7m、梁間11.0m

  東面切妻造、西面寄棟造、

奥書院:桁行17.3m、梁間12.9m

  一重、北面寄棟造、南面切妻造、
  総桟瓦葺

勝興寺 御内仏

重文

元禄元(1688)

桁行9.7m、梁間8.2m、寄棟造

 茶室附属、奥書院接続、桟瓦葺

5

白山宮  本殿

重文

文亀2(1502)

一間社流見世棚造、板葺

19580514

南砺市上梨651

6

護国八幡宮 本殿

重文

慶長5(1600)

三間社流造、向拝一間、こけら葺

19240415

小矢部市埴生2992

護国八幡宮 釣殿

重文

正保3(1646)

桁行二間、梁間一間、両下造

 前後幣殿本殿に接続、こけら葺

護国八幡宮 

 拝殿及び幣殿

重文

正保3(1646)

拝殿 五間三間、入母屋造、

 正面千鳥破風、向拝一間こけら葺
幣殿 三間三間、背面入母屋造

 正面拝殿に接続、こけら葺

7

高岡市金屋町

 

平成24.12.28

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

8

高岡市山町筋

 

平成12.12.04

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

9

南砺市菅沼

 

平成6.12.21

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

10

南砺市相倉

 

平成6.12.21

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

11

大岩日石寺磨崖仏

重文

平安~鎌倉

不動明王他は日本の石仏を代表する

19740606

上市町大岩163

12

井波別院瑞泉寺

江戸末期・明治

本堂・太子堂・山門 大規模伽藍

 

南砺市井波3050

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3

 富山県の個別文化財の探訪

 

 

 

1

 雄山神社 前立社壇

所在地

電話

富山県中新川郡立山町岩峅寺1

 

環境・周辺

雄山神社は、前立社壇・中宮祈願殿・峰本社の3社合わせての総称です。

前立社壇は山裾に位置し、3社の中で一番平野部に近く一番手前に建立していることから、前立社壇と呼ばれております。

 

歴史

神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。
また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった。

峰本社、祈願殿、前立社壇の三社は三位一体の性格を持っているため、どの社殿に参拝してもご利益は同じとされている。旧称は立山権現・雄山権現

 

創建

(伝)大宝元年(701年)

祭神

伊邪那岐神 天手力雄神 神体 立山

社格

式内社(小)  越中国一宮 
旧国幣小社   
別表神社

リンク

 Wiki  HP

 

 

前立社壇は、平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の施設。
岩峅寺における立山信仰の拠点であった。

 

開祖佐伯有頼が、立山権現の化身である白鷹によって導かれた岩窟の正面に位置し、この地より立山開山の伝説が始まった。 
武将や公家からの信仰も篤く古来より「立山権現」への献上品はこちらに奉納された。

 

立山に入山する者の身の穢れや罪を湯立ての神事にて祓い、道中の無事を祈願した。
 現在も周辺には宿坊や旧登山道、石仏などが点在する。
 宿坊には立山曼陀羅が現在でも残されており、全国の門徒に立山信仰を広めた。

重文

本殿:建久年間源頼朝再建、明応元年足利吉植の造営と伝え、天正11年佐々成政改修。

 

 

 

   8-2-4 雄山神社 前立社壇 
 

 

1-1

 前立社壇本殿

建立

室町後期  1467-1572 

指定年

明治39.04.14

建築様式

五間社流造

再建

 

確証附

なし

平面規模

五間三間

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

向拝一間

壁・窓

 

外周

浜床

軒裏組物

 

中備

蟇股

 

 

向拝

角柱、大斗、虹梁、、木鼻は象形、芭蕉葉図案の手挟

内陣

 内陣には朱塗りや黒漆をほどこされ、金箔を押した装飾金具が取り付けられて、細部にわたるまで豪華さを出している

ポイント

蟇股彫刻や向拝の手挟、木鼻などは、室町中期の様式を示している 屋根の美しい曲線

修理履歴

平成11~12年屋根葺替

文化庁

解説文なし

 

 
   

 

 

2

  瑞龍寺

所在地

電話

高岡市関本町35

0766- 22-0179    

環境・周辺

 

歴史

加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため、三代藩主利常公が、加賀の名工山上善右衛門嘉広の手により建立。

利長公33回忌にあたる正保3年(1646)頃から寛文3年(1663)の50回忌にかけて七堂伽藍が整備され、総門・山門・仏殿・法堂を伽藍中心線上に配した禅宗寺院の典型的な姿になった。17年間かかっている。

創建

慶長19年(1614年) 

開山 広山恕陽  開基 前田利常 

山号

高岡山

札所

 

リンク

 HP  wiki 

概要

 近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領三百石を有する大寺であった。

延享3年(1746年)の火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、山門が再建されたのはそれから約70年後の文政3年(1820年)であった。

 

江戸時代には僧堂(禅堂)側に七間浄頭(東司)、大庫裏側には浴室があり、七堂伽藍がそろっていたが、明治時代に入り加賀藩の庇護を受けられなくなり困窮し、部材を売るため解体された。

 

昭和60年(1985年)から大規模な修理が行なわれ、約10年かけて完了し、その後、平成9年(1997年)12月3日に国宝に指定されている。(修理すると国宝になった事例)

平成23年から毎年2月に「夜の祈りと大福市」が行われている

 

他の文化財

富山県指定有形文化財

木造烏蒭沙魔明王(うすさまみょうおう)立像: 高さ117cm、

同寺最古の仏像とされ、室町時代以前の制作とされる。

植村花菜による楽曲のヒット以来「トイレの神様」として人気を得ている。

紙本墨書近衛信尋筆懐紙    ・前田家寄進の宝物

 

富山県指定史跡

前田利長公・織田信長公御分骨廟

   凝灰石(俗称越前笏谷石)を用い壇上積の基礎の上に立つ切妻型石廟建築

利長公墓所 (昭和四十年富山県史跡指定)

   

文化庁

解説文

瑞龍寺は加賀二代藩主前田利長の菩提寺として建立されたもので、
仏殿(万治二年
1659)、法堂(明暦元年1655)、総門(明暦頃)が重要文化財

延享三年<1746>に山門と回廊の前半部分及びその脇にあった禅堂などが焼失したが、江戸時代後期にほぼ旧状の配置で再建された。 

 

山門は創建時の大工山上善右衛門(加賀藩御大工)の後裔にあたる大工が建てたもので、禅宗様の手法になる三間一戸の二重門であり、古式な手法をもつ。 

鳥蒭沙摩明王堂(旧禅堂)や高廊下、回廊は伽藍を構成する重要な要素である。

 

当寺は大規模な曹洞宗寺院の中でも、整備された伽藍配置をもっともよく残すものの一つであり、伽藍全体として保存を図る必要がある。

 

    8-2-4 瑞龍寺 境内  8-2-4 瑞龍寺 仏殿-1   

 

 

2-1

  仏殿  国宝

建立

万治2 : 1659 

指定年

平成9.12.03

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札  銘札 

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

鉛瓦葺

妻面

 

立面外観

もこし付

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

三手先詰組 扇捶

中備

 

 

 

内陣

内部を土間床とし、天井の構造材を見せて装飾としている点、組物を密に配する点などは禅宗様建築の特色

リンク

 

特長

鉛瓦とは木製の芯に鉛の板を貼り付けたもので、通常の瓦より寒さに強く、また有事の際には溶かして鉄砲の弾に転用できるという。鉛瓦で葺かれている例は極めて少なく、現存するものではこの瑞龍寺仏殿と金沢城のみである。

 

禅宗様の定石通り、内部は石畳の土間であり、組物は三手先や海老虹梁が密に組まれる詰組である。禅宗様は天井を板張りの鏡天井とするのが常であるが、ここでは小組格天井となっている。

 

修理履歴

昭和60年(1985年)から大規模な修理が行なわれ、約10年かけて完了

文化庁

解説文前記

 

   8-2-4 瑞龍寺 法堂-1
   
 

 

2-2

  法堂  国宝

建立

明暦元: 1655 

指定年

平成9.12.03

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行十一間、梁間九間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

向拝

桁行二間、梁間一間、向唐破風造

リンク

 

ポイント

内部は横三室、奥行き二室の六間取り平面と、方丈の様式を踏襲している。
中央奥の部屋は仏間で、左右が客間。特に左奥の部屋は床と棚、付書院を備えた書院造りとなっている。法堂の手前一間は土間であるが、これは廊下であり、そのまま回廊に接続される構造となっている。

中央二室の格天井に描かれた草花は狩野安信の筆になるもので、また内陣の襖およぴ壁は、共に金箔押の高価なものである。

その他欄間の彫刻は独創性に富み、大胆な手法が見られるがこれも亦江戸初期の技法を充分に表現した優秀な遺作の一つである

修理履歴

昭和60年(1985年)から大規模な修理が行なわれ、約10年かけて完了

文化庁

解説文前記

 

   8-2-4 瑞龍寺 山門   

 

 

2-3

  山門  国宝

建立

文政元 : 1818 

指定年

平成9.12.03

建築様式

三間一戸二重門

再建

入母屋造、

確証附

棟札  古図 

平面規模

 

屋根

 

妻面

 

立面外観

左右山廊付 

各桁行三間、梁間一間

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

特長

創建当時の山門は延享の大火によって焼失しており、現在のものはかつて瑞龍寺の伽藍を築き上げた山上善右衛門嘉広の末裔によって、江戸時代後期の文政3年(1820年)に再建されたもの。

ポイント

通常、二重門は上層の屋根より下層を大きいのが通常だが、瑞龍寺の山門ではその大きさがほぼ同じとなっている。これは上層の屋根に積もった雪が、下層の屋根に落ちないようにした工夫。

 

修理履歴

昭和60年(1985年)から大規模な修理が行なわれ、約10年かけて完了

文化庁

解説文前記

 

   8-2-4 瑞龍寺総門

 

 

2-4

  総門

建立

明暦頃  1655-1657頃 

指定年

昭和3.04.04

建築様式

三間一戸 薬医門

再建

 

確証附

棟札

平面規模

 

屋根

切妻造、こけら葺

妻面

 

立面外観

左右袖壁附属

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

特長

元来門というものは、その家の風格を表現するもので、江戸時代幕府は、石高によってその規模構造を規制した程であるが、この門を一見すれば自ら前田藩不動の勢力を窺い知ることができる。実に堂々たるパランスのとれた容姿は他に比類をみないものである。

特に正面の扉は、八双・四葉等の金具も見逃すことのできない逸品である。 

修理履歴

平成6~8年解体修理・半解体修理他

文化庁

解説文

 

   8-2-4 瑞龍寺 禅堂

 

 

2-5

  禅堂

建立

寛永元 : 1624 

指定年

昭和57.06.11

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行七間、梁間五間

屋根

こけら葺

妻面

 

立面外観

正面向唐破風向拝付

背面・両側面庇附属

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

修理履歴

平成6~8年解体修理・半解体修理他

文化庁

解説文

 

   8-2-4 瑞龍寺 大茶室1

 

 

2-6

  大茶堂

建立

明暦頃  1655-1657頃 

指定年

平成9.12.03

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

 

平面規模

桁行23.6m、梁間9.8m

屋根

こけら葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

平成6~8年解体修理・半解体修理他

文化庁

解説文

 


   8-2-4 瑞龍寺 廻廊 
 

 

2-7

 高廊下  たかろうか 

建立

明暦頃  1655-1657 

指定年

昭和57.06.11

建築様式

両下造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行七間、梁間二間

屋根

こけら葺

妻面

 

立面外観

南面法堂・北面大茶堂接続

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

平成6~8年解体修理・半解体修理他

文化庁

解説文

 

 

 

2-8

 北回廊

建立

寛延元 : 1748

指定年

昭和57.06.11

建築様式

両下造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行折曲り

延長五十六間、梁間一間

屋根

こけら葺

妻面

 

立面外観

鐘楼及び大庫裏付

北面西端番所附属

壁・窓

 

外周

 

特長

大庫裏の内部は、結露を防ぐために天井には漆喰が塗られ曲線になっている。

修理履歴

平成6~8年解体修理・半解体修理他

文化庁

解説文

 

 

 

2-9

 南東回廊

建立

寛延元 : 1748

指定年

昭和57.06.11

建築様式

両下造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行折曲り

延長二十間、梁間一間

屋根

こけら葺

妻面

 

修理履歴

平成6~8年解体修理・半解体修理他

文化庁

解説文

 

 

 

2-10

 南東回廊

建立

寛延元 : 1748

指定年

昭和57.06.11

建築様式

両下造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行折曲り

延長三十五間、梁間一間

屋根

こけら葺

妻面

 

修理履歴

平成6~8年解体修理・半解体修理他

文化庁

解説文

 

 
   8-2-4 瑞龍寺 石廟  8-2-4 瑞龍寺 大庫裏-1
            石廊                          大庫裏

 

 

 

 

3

  気多神社

所在地

電話

高岡市伏木一宮1-10-1

0766-44-1836

環境・周辺

高岡市伏木は、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地で、当神社境内にも越中国総社跡の伝承地がある。

越中国内で一宮を称する4社のうちで唯一、所在地名に「一宮」と言う銘号が入っている。

歴史

古くから神仏混合し境内には七堂伽藍が整備され広壮をきわめましたが、寿永2年(1183)に木曽義仲の兵火により焼失しました。
室町時代に別当の慶長寺が諸堂を整備しましたが、天文年間(1532-1555)に上杉謙信の兵火で再び焼失しました

 

別当僧宥応が小祠を建て祭祀をつづけ、永禄年間(1558-1570)に再建されたのが現在の本殿です。江戸時代に入ると歴代加賀藩主前田家の祈願所となり天保2年(1645)に前田利常により社殿が再建され、慶安3年(1650)には社領が寄進されています。

 

創建

天平宝字元年(757年)

養老2年(718)に行基 の説が有る

祭神

大己貴命  奴奈加波比売命

社格

式内社 越中国一宮  旧県社

リンク

  Wiki   越中国一宮

概要・特長

 

重文

本殿

他の文化財

「とやまの名水 気多神社の清泉」とありますが、「この水は自然湧水ですので生水での飲用は避けて、煮沸して下さい。」とあります。

 

 

   8-2-4 気多神社 

 

 

3-1

  本殿

建立

室町後期  1467-1572 

指定年

昭和6.01.19

建築様式

三間社流造

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

こけら葺

妻面

 

立面外観

向拝一間

壁・窓

 

外周

刎高覧 木階

軒裏組物

三つ斗 軒繁垂木

中備

蟇股後補

 

擬宝珠登高欄

内陣

 

リンク

 

特長

木割りが大きく、虹梁・拳鼻・手挟の手法が室町時代の特質を多く残しています

ポイント

 

修理履歴

昭和51年屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

4

  勝興寺 しょうこうじ

所在地

電話

高岡市伏木古国府

0766-44-2137 

環境・周辺

 

歴史

勝興寺の起こりは文明3年(1471年)、蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に創建した土山御坊で、蓮如の四男蓮誓が置かれた。

その後明応3年(1494年)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転。火災による焼失後、永正14年(1517年)、佐渡にあった順徳天皇御願寺勝興寺(殊勝誓願興行寺)を再興、寺号を相続して「勝興寺」 と称した。
永正16年(1519年)には安養寺村(小矢部市末友)に移転、蓮誓の次男実玄が安養寺城を建てた。

 

勝興寺は戦国時代、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の中心勢力として猛威を振るったが、天正9年(1581年)、5代顕幸の時に石黒成綱に焼き討ちされた。天正12年(1584年)、佐々成政が古国府城の土地を越中一向一揆に寄進、顕幸が移ったこの地が現在の勝興寺である。

 

佐々成政が富山の役で敗退した後も、加賀藩前田氏の庇護を受けて境内が整備された。第10代加賀藩主の前田治脩は、藩主を継ぐ以前の若年期に一時出家しており、ここで得度している。

 

創建

文明3年(1471年) 開基 蓮如 

山号

雲龍山 

札所

 

リンク

  HP  wiki 

概要・特長

敷地は土塁・空濠で囲まれており、越中の国府跡という伝承がある。
境内は東を正面とし、総門、唐門を入った敷地南寄りに大規模な本堂が建ち、北寄りには大広間、書院、台所など寺僧の居住・接客用の建物群が軒を列ねる。
近世建立の堂舎群がまとまって残り、近世寺院の景観を残す点に価値が認められる。

2015年

修理中

・平成17年度~32年 第2期:修理事業

 大広間及び式台、台所、書院及び奥書院、御内仏からなる本坊部分4棟、総門、唐門、

 式台門、御霊屋、鼓堂、宝蔵、経堂の諸門及び諸堂7棟、合計11棟の修理

 

本堂内におかれた、大蝋燭(通称:デカロウソク)はビックリするくらいの大きさ

重文

紙本金地著色洛中洛外図六曲屏風




   8-2-4 勝興寺 本堂 
    

 

 

4-1 

  本堂

建立

寛政5 : 1793 

指定年

昭和63.01.13

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行39.4m、梁間37.5m

屋根

金属板葺

妻面

 

立面外観

向拝三間 高さ23.5m

壁・窓

桟唐戸

外周

広縁と落縁

軒裏組物

二手先

中備

 

 

 

特長

周囲に広縁をとり軒を深くするため屋根を控柱で支え

内部は近世の真宗仏堂様式で、外陣を広くとり結界、柱、矢来などで縦三列に仕切られ、

また大型のため内部にも組物を必要とし豪壮に荘厳する。

 

国宝・重要文化財建造物のうち、規模で全国で8番目

修理履歴

元々は鉛葺きの屋根だったものが明治時代に瓦葺きになったが、1998年から2004年まで行われた本堂の大修復で環境に配慮し鉛葺きに色合い、光沢が近い亜鉛合板葺きとなった

 

平成10年度16年度第1期修理事業本堂の保存修理。

 7年の歳月をかけて行われた修理は、建立されて以来の初めての抜本的な修理となり、創

 建時の壮麗な姿と輝きが蘇った。

 

文化庁

解説文

大規模な真宗寺院で、本堂は加賀藩前田家の援助のもとに建立された。広大な外陣は大梁を用いて柱を少なくし、また、内陣廻りには極彩色を施すなど近世後期の特徴をよくあらわしている。

 

   8-2-4 勝興寺唐門-2   8-2-4 勝興寺唐門-1 

 

4-2

  唐門

建立

 明和6 : 1769 

指定年

昭和63.01.13

建築様式

四脚門 切妻造

再建

 

確証附

棟札  旧獅子口 

平面規模

高10.2m間口6m幅10.4m

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

前後唐破風造

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

修理履歴

明和6年(1769年)に京都の興正寺で建造され明治26年(1893年)に勝興寺に移築された。

運搬には、北前船が使われたとされる。

 

2014年修理完了 運搬には、北前船が使われたとされる。

これまで銅板葺きだったが、今回、屋根の分解・調査で昭和30年(1955)以前はヒノキの皮を使った檜皮葺きだったことがわかり、屋根葺替

文化庁

解説文:本堂の前方に建つ唐門は京都興正寺から明治時代に移築したもので、洗練された建築である。

 

   8-2-4 勝興寺経堂 

 

4-3

  経堂

建立

文化2 : 1805

指定年

平成7.12.26

建築様式

宝形造

再建

 

確証附

銘札

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

もこし付

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

八角輪蔵付

リンク

 

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 

 

   8-2-4 勝興寺御霊屋 

 

4-4

  御霊屋

建立

文化7 : 1810 

指定年

平成7.12.26

建築様式

正面入母屋造、背面切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行6.7m、梁間6.5m

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

唐破風造向拝一間、背面庇

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 

   8-2-4 勝興寺 鼓堂 

 

4-5

   鼓堂 

建立

享保18 : 1733

指定年

平成7.12.26

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行7.6m、梁間7.5m

屋根

桟瓦及び本瓦葺

妻面

 

立面外観

二重二階

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 

   8-2-4 勝興寺 宝蔵 

 

 

4-6

  宝蔵

建立

江戸末期  1830-1867 

 

指定年

平成7.12.26

建築様式

土蔵造  入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行8.4m、梁間6.3m

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

妻入

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 

   写真なし

 

4-7

  総門

建立

天保11 : 1840 

指定年

平成7.12.26

建築様式

一間高麗門  切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

本瓦葺

妻面

 

立面外観

両脇築地塀附属

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

解体修理中 平成32年完了予定

文化庁

解説文なし

 

   8-2-4 勝興寺 式台門 

 

4-8

  式台門

建立

安永4 : 1775 

指定年

平成7.12.26

建築様式

三間一戸薬医門、切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

本瓦葺 

妻面

 

立面外観

北側面番所

南側面屋根塀附属

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

   8-2-4 勝興寺 大広間式台   

 

4-9

 大広間及び式台

建立

17世紀中期大広間

17世紀末期式台 1601-1700 

指定年

平成7.12.26

大広間

桁行18.5m、梁間19.7m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、北面庇付、

  正面唐破風造玄関・背面寺務所及び小書院附属

式台

桁行16.1m、梁間13.9m、一重、正面入母屋造、背面切妻造、正面玄関・北面庇附属、

  背面台所に接続  大広間・式台間を切妻造屋根で繋ぐ、総桟瓦葺

修理履歴

2015年修理完了予定

文化庁

解説文なし

  

   8-2-4 勝興寺 台所  
 

 

4-10

  台所

建立

文久3 : 1863 

指定年

平成7.12.26

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行16.7m、梁間31.2m

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

妻入、背面庇付、正面玄関庇附属

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

平成25年修理完了

文化庁

解説文

 

   8-2-4 勝興寺 書院 

   
 

 

4-11

 書院及び奥書院

建立

寛文11 : 1671 

指定年

平成7.12.26

書院

書院 桁行23.7m、梁間11.0m、一重、東面切妻造、西面寄棟造、北面東方近侍溜附属、

   東面大広間に接続

奥書院

奥書院 桁行17.3m、梁間12.9m、一重、北面寄棟造、南面切妻造、北面・西面庇附属

    書院西南と奥書院北東を曲折に繋ぐ、総桟瓦葺

修理履歴

書院・奥書院平成29年修理完了予定

文化庁

解説文なし

 
   
   写真なし

 

4-12

 御内仏  おないぶつ 

建立

元禄元 : 1688 

指定年

平成7.12.26

建築様式

寄棟造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行9.7m、梁間8.2m

屋根

桟瓦葺

妻面

 

立面外観

北面西方茶室附属、

北面奥書院に接続

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

平成29年修理完了予定

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

 

5

  白山宮  本殿

所在地

電話

南砺市上梨654 

0763-66-2468  (五箇山観光協会) 

環境・周辺

 

歴史

奈良時代初め、泰澄大師が人形山の山頂に建立したものを上梨白山宮に移築した。

創建

元正天皇(715724年)、泰澄大師

祭神

菊理媛命

社格

 

リンク

 見所   富山県

概要・特長

普段は公開されていませんが、秋のこきりこ祭りの時にだけ目にすることができる白山宮本殿は、富山県内最古の木造建築物です。本殿内には白山権現菊理媛命が祀られている。十一面観世音菩薩像が本尊(本地仏)として祀られ秘仏として33年ごとに開帳されます。次回2019年

他の文化財

毎年9月2526日には例祭である「こきりこ祭り」が行われ神楽舞や獅子舞、こきりこ節が奉納、こきりこ節は大化の改新(645年)の頃、田舞として発祥したと推定される民間芸能で古式を伝える貴重なものとして昭和48年(1973)に名称「五箇山の唄と踊」で国の選択無形民俗文化財に選択されています。 

 

 

   8-2-4 白山宮 本殿 

 

 

5-1

  本殿

建立

文亀2 : 1502 

指定年

昭和33.05.14

建築様式

一間社流見世棚造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

 

屋根

 

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

特長

一間社流造りで、正面中央の「蟇股」は一木を刻んだ室町時代中期の優れた作品です。

修理履歴

 

文化庁

解説文

 一間社流見世棚造で、文亀二年(1502)の建立である。保存がきわめてよく、木鼻、蟇股、手挾などに時代の特色が見られ、様式的なくずれも少い。 

 

 

 

 

 

6

埴生護国八幡宮 はにゅうごこく 

所在地

電話

小矢部市埴生2992

0766-67-1220

環境

一般に「護国」の名を持つ神社は、戦争などの国事に殉じた英霊を祀る神社だが当社の「護国」は、それとは異なる。慶長十三年頃、地方の凶作が続いたため、前田利長が当社に祈願。霊験により凶作が打破されたため『護国』の尊号を奉ったもの

 

歴史

伝承によれば養老2年(718年)創建という。 『源平盛衰記』には寿永2年(1183年)5月、木曾義仲が倶利伽羅峠の戦いの戦勝を当社に祈願したことが見える。

以来、武将の崇敬を受け、前田利長や佐々成政から社領を寄進された。

 

義仲戦勝祈願書、武田信玄書状などを社宝とし、境内入口には、義仲の騎馬像と源氏軍が鳩の案内で得たという名水「鳩清水」がある。また、蓮沼城主遊佐慶親の寄進による石段がある。 

 

創建

(伝)養老2年(718年)

祭神

八幡大神

社格所

県社

リンク

  HP

他の文化財