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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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山形県 文化財の探訪資料

8-1-5山形県寺社建築文化財

8-1-5  山形県の文化財の個別探訪



      次ページ  出羽庄内の文化財探訪 もご覧ください




●文化財一欄表

No

寺社名

建造物文化財名

所在地

 

羽黒山

【国宝】五重塔  

三神合祭殿・鐘楼 正善院黄金堂

鶴岡市羽黒町大字手向

 

月山神社出羽神社湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山三神社

社殿(旧日月堂本堂)

西村山郡西川町大字岩根沢字上ノ平

 

金峯神社本殿

本殿

鶴岡市大字青龍寺字金峯1番地

 

水上八幡神社本殿

本殿

鶴岡市大字水沢

 

八幡神社

本殿・拝殿

新庄市大字鳥越宇駒場

 

鳥居

石造鳥居

山形市鳥居ヶ丘

 

八幡神社

石造鳥居

山形市蔵王成沢

 

観音寺

観音堂

西置賜郡白鷹町大字深山

 

旧松應寺

観音堂

山形市蔵王半郷字松尾山

 

10

若松寺

観音堂

天童市大字山元

 

11

本山慈恩寺

本堂

寒河江市大字慈恩寺

 

12

立石寺

三重小塔  ・中堂

山形市大字山寺

 

13

旧済生館 

本館

山形市霞城町3番地

 

14

旧西田川郡役所

役所

鶴岡市家中新町10番18号

 

15

旧鶴岡警察署庁舎

庁舎

鶴岡市家中新町10番18号

 

16

旧渋谷家住宅

住宅

鶴岡市家中新町10番18号

 

17

旧米沢高等工業学校

本館

米沢市城南四丁目3の16

 

18

山形県旧県庁舎

旧県庁舎県会議事堂

山形市旅籠町三丁目4番51号

 

19

旧山形師範学校

本館

山形市緑町二丁目2番7号

 

20

鶴岡カトリック教会

天主堂

鶴岡市馬場町7番地40

 

21

旧致道館

史跡

鶴岡市馬場町11‐22ほか

 

22

致道博物館

【国宝】太刀 銘真光 銘信房作

鶴岡市家中新町10番18号

 

 

県立博物館保管

【国宝】土偶

山形市霞城町1-8

資料無し

 

本間氏別邸庭園 鶴舞園

本間氏別邸庭園

酒田市御成町12番1

資料無し

 

山寺

史跡

山形市大字山寺

資料無し

 

旧鐙屋 

史跡

酒田市中町一丁目14-23

資料無し




 ● 出羽一之宮の資料

一之宮

 鳥海山大物忌神社 (おおものいみ

所在地

山形県飽海郡遊佐町に3宮 

連絡先

0234-77-2301

周辺環境

 

歴史由緒

鳥海山頂の本社と、麓の吹浦と蕨岡の2か所の口之宮(里宮)の総称として大物忌神社と称する。出羽富士、鳥海富士とも呼ばれる鳥海山を神体山とする。当社は鳥海山の山岳信仰の中心を担ってきており、平成20年(2008年)3月28日に神社境内が国の史跡へ指定されている。

創建

(伝)景行天皇または欽明天皇年間

祭神

大物忌大神主祭神 豊受姫命

月読命

社格

式内社(名神大) 出羽国一宮  旧国幣中社 別表神社 

リンク

HP  wiki   遊佐町

特長

 

延長5年(927年)には『延喜式神名帳』により式内社、名神大社とされた。また、『延喜式』の「主税式」においても祭祀料2,000束を国家から受けている。

『延喜主税式』によれば、当時国家の正税から祭祀料を受けていたのは陸奥国鹽竈社、伊豆国三島社、淡路国大和大国魂社と他に3社しかないことから、大物忌神社が国家から特別の扱いを受けていたことが覗える。

 

当神社は出羽国一宮とされ、南北朝時代の正平13年(北朝の元号では延文3年、1358年)、南朝の陸奥守兼鎮守府将軍である北畠顕信が南朝復興と出羽国静謐を祈願した寄進書に出羽国一宮の記述が見える。これが文献上における一宮名号の初見であるとされる。

 

文化財

国登録有形文化財(重要文化財はありません)

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮神楽殿

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮随神門

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮本殿

鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮本殿

鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮摂社月山神社本殿

鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮中門及び廻廊

鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮後神門及び玉垣

鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮拝殿及び登廊

鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮下拝殿


  a8山形鳥海山神社ー1  a8山形鳥海山神社ー2    
            鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮                                             大物忌神社蕨岡口ノ宮



● 個別文化財の探訪資料


No1

 出羽神社羽黒山)(いではじんじゃ)

所在地

鶴岡市羽黒町手向字手向7

連絡先

0235-62-2355

周辺環境

山形県にある山岳修験の道場である月山、湯殿山、羽黒山を合わせて出羽三山という

羽黒山には三山の神を祀る三神合祭殿があり、そこへ至る参道の途中、木立の中にこの五重塔が建つ。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉「爺杉」がある

歴史由緒

 

出羽神社、『神名帳』に記載のある「伊氐波神社」(いてはじんじゃ)のことであるとされる。古来よ

 り修験道(羽黒派修験など)の道場として崇敬された。出羽三山は神仏習合、八宗兼学の山とされた。

江戸時代には、三山にそれぞれ別当寺が建てられ、それぞれが仏教の寺院と一体のものとなった。

 

すなわち、羽黒山出羽神社は、伊氐波神の本地仏を正観世音菩薩とし、一山を寂光寺と称して天台宗の寺

 院(輪王寺の末寺)であった。羽黒山全山は、江戸期には山の至る所に寺院や宿坊が存在した。羽黒山に

 羽黒山五重塔が残され、鳥居前に手向宿坊街が残っているのはその名残である。

 

江戸時代には「東国三十三ヶ国総鎮守」とされ、熊野三山(西国二十四ヶ国総鎮守)・英彦山(九州九ヶ

 国総鎮守)と共に「日本三大修験山」と称せられた。東北地方、関東地方の広い範囲からの尊敬を集め、

 多くの信徒が三山詣でを行った。

 

創建

社伝では崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられる。崇峻天皇が蘇我氏に弑逆された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、3本足の霊烏の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて3山の神を祀ったことに始まると伝える。

祭神

月山神社: 月読命(月山権現)

出羽神社 伊氐波神・稲倉魂命

湯殿山神社大山祇神大己貴命

      少彦名命

社格

式内社で、旧社格は国幣小社

リンク

HP wiki1  wiki2  

特長

出羽三山で有名な即身仏は、真言宗の湯殿山派で行われたものであり、天台宗の羽黒山・月山派では行われていない。即身仏が残されている大日坊、注連寺は、いずれも湯殿山4ヶ寺である。

文化財

国宝】   ①羽黒山五重塔

重要文化財羽黒山三神合祭殿  ・羽黒山正善院黄金堂   ・羽黒山鐘楼

月山神社出羽神社湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山三神社社殿(山形県西村山郡西川町岩根沢所在)

銅燈篭竿 文和元年(1352年)七月二十五日の銘あり」 ・銅鏡(羽黒山御手洗池出土)190面 

・梵鐘(下記鐘楼で詳述)

特別天然記念物羽黒山のスギ並木   (天然記念物南谷のカスミザクラ羽黒山の爺スギ



 

 

建造物

国宝羽黒山五重塔

建立

応安5 : 1372 

指定年

1966.06.11(昭和41)

様式形式

五重塔婆  純和様の素木造

再建

 

確証附

無し

平面形状

三間四方 一辺4.1m、総高29.9

屋根

杮葺 軒反り美形

屋根頂

相輪は典型

立面外観

景観が杉の高木とマッチする。

壁・窓

板唐戸連子窓

外周縁

高欄の無い縁

軒裏組物

三手先 二軒繁垂木

中備

間斗束

 

 

内陣

塔の心柱は初層天井上から立ち

四天柱間に来迎壁須弥壇を構える

彫刻

殆んど無い

リンク

    閑古鳥

がらくた  庄内

概要

羽黒山は、会津や平泉と共に東北仏教文化の中心であっただけに、数々の文化財に富んでいる。

古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが一の坂の登り

 口左手に素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ杉小立の間に建っている。

現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と

 伝えられている。

神仏分離により、この塔も正式には千憑社(よりしゃ)出羽三山神社の末社である。

見所

 

木々の中に立つ素木の五重塔極めて美しい。中世五重塔の代表の趣十分である、国宝建築

垂木が、 中央間は上層ごとに一本ずつ減り、両脇間では二層ごとに一本ずつ減、五層目が初層の七割

 の大きさになりバランスを配慮している。

間斗束三層まで各間3箇所、四層で中央間だけ、五層ではない

ライトアップによる夜間参拝平成25年7月13日(土)~9月16日(月)まで期間限定

19:30ごろから21:30まで(平成25年に行われたのだから毎年行われている?要確認です) 

 

修理履歴

慶長13年(1608年)には信仰に篤い山形藩初代藩主の最上義光(もがみよしあき)により大修理

明治26年屋根葺き替え修理、大正5年半解体修理、昭和12年・同30年屋根葺き替え

昭和57年7月-9月木部修理

文化庁

説明文

 

出羽三山神社の参道の傍にたっている。室町時代初期の応安5年(1372)ごろに建てられたものである。

髙さ29m余、周囲には緑をめぐらす。塔として正規の手法をとっており、細部手法には室町初期の特徴がよくみえる。当時の五重塔としては、貞和4年(1449)建築の明王院五重塔(広島県福山市)があるが、羽黒山五重塔はこれとならんで室町時代の五重塔を代表するものである。

 



   a8山形羽黒山五重塔全景    a8山形羽黒山五重塔詳細 
   


建造物

羽黒山三神合祭殿

  (さんじんごうさいでん

建立

江戸後期/1818

指定年

平成12年5月25日

様式形式

入母屋造

再建

文政元年(1818)

確証附

 

平面形状

本殿 桁行二間、梁間三間

拝殿 桁行七間、梁間五間

日本最大で建坪617㎡

屋根

本殿:茅葺

 

屋根頂

 

立面外観

本殿 向拝三間、こけら葺

拝殿 向拝三間、入母屋造軒唐破風

壁・窓

蔀戸

外周縁

高欄付き縁

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

内部は総漆

彫刻

 

リンク

庄内 羽黒町

概要

羽黒山頂にあり、出羽三山の開祖蜂子皇子は、難行苦行の末、羽黒大神の御示現を拝し、山頂に羽黒山寂光寺を建立し、次いで月山神・湯殿山神を勧請して、羽黒三所大権現と称して奉仕、明治の神仏分離後に、出羽三山神社と称した。三所の神々を合祭しているので、この建物を三神合祭殿と称している。

鐘楼

江戸前期/1618桁行一間、梁間二間、一重、切妻造、茅葺 山形城主最上源五郎が再建した。 

見所

高さ28m 桁行24.2m 梁間17mで主に杉材を使用している。茅葺の厚さは、2.1mも在る

修理履歴

最上義光の慶長11年(1606年)の再建以後、150年を経て多少傾斜するに至ったので、宝暦8年(1758年)改築を計画、明和6年(1769年)に竣工した。しかし、寛政8年(1796年)焼失、文化2年(1805年)に再建したが、同8年(1811年)再び炎上した。 

直ちに再建し、文政元年(1818年)成就したのが、現在の本社である。 

・平成20年 部分修理

文化庁

説明文


羽黒山は,月山,湯殿山とともに出羽三山と呼ばれ,古来より,山岳修験の霊場とされてきたところである。三神合祭殿は,その中心建築で,山頂に近い平坦地,御手洗池に南面して建っている。鐘楼は,三神合祭殿の東南に位置している。

 三神合祭殿は後方にある本殿と,前面の拝殿が一体となった複合建築である。文化8年(1811)の焼失後,文政元年(1818)八月に完成したことが棟札より明らかである。鐘楼は記録から最上家信によって,元和4年(1618)に建てられたとわかる。

 三神合祭殿は,近世初期以来の特異な形式を伝える,類例の数少ない修験関係の建築として貴重である。また,拝殿の壮大な内部空間や,華やかな装飾など,近世末期の大建築としても価値がある。鐘楼は木割の太い雄大な建築で,羽黒山における,近世初期の意匠を伝える遺構として重要である。 



  a8山形羽黒山三社合祀殿   a8山形正善院黄金堂  


建造物

羽黒山正善院 黄金堂

しょうぜんいんこがねどう

建立

 文禄5(1596) 

指定年

1908.04.23(明治41

様式形式

宝形造

再建

 

確証附

 

平面形状

桁行五間、梁間四間 向拝一間

屋根

茅葺形銅板葺

屋根頂

露盤・宝珠

立面外観

 

壁・窓

格子戸

外周縁

縁のみ

軒裏組物

出三つ斗  二軒繁垂木

中備

蓑束

 

向拝 本蟇股

内陣

 

彫刻

 

リンク

庄内  街並み

概要

荒沢寺(こうたくじ)は、山形県鶴岡市羽黒町にある寺院で羽黒山修験本宗の本山である。

 山号は羽黒山で、正善院が本坊である。

神亀5年(728)に聖武天皇が勅願所として建立したという伝承

源頼朝が平泉の藤原氏を討つにあたり、勝利祈願のため寄進したという伝承

境内には黄金埋蔵の伝説がある。

見所

向拝 本蟇股の形状

・外陣は屋根裏をそのまま現わし、内陣と繋虹梁でつなぐ形式

木鼻や間斗束等の細部絵様は、桃山時代

斗組や軒の曲線等は、文禄の改修鎌倉期の当初の様式を復元

連絡先

鶴岡市羽黒町手向字手向231 tel:0235-62-2746

修理履歴

不明

文化庁

説明文

なし



                                                 a8山形羽黒山鐘楼

建造物

羽黒山 鐘楼

建立

元和4 : 1618 

指定年

2000.05.25(平成12

様式形式

切妻造り萱葺

再建

 

確証附

なし

鐘楼概要

桁行一間、梁間二間、一重、切妻造、茅葺

 

三神合祭殿と併記されているが、何故か

修理履歴

元和4年(1618年)、最上家信が再建

文化庁

説明文

鐘楼は,三神合祭殿の東南に位置している

鐘楼は木割の太い雄大な建築で,羽黒山における,近世初期の意匠を伝える遺構として重要である。

梵鐘


「羽黒山の大鐘」
 高さ2.85m、口径1.67m、厚さ21.5cm  指定年 昭和48年6月6日1973

【概要】古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きい

上帯の飛雲文は頗る美事な手法で、よく当代の趣味を発揮し、池の間は、雲中飛行の天人や、池中蓮華を鋳現しているのは、羽黒の鐘にのみ見る所で、全く稀有である。また、天人の図は宇治鳳凰堂の藤原時代の鐘に見るほか、絶えてその例を見ないという。この鐘は文永・弘安の蒙古襲来の際、羽黒の龍神(九頭龍王)の働きによって敵の艦船を全部海中に覆減したので、鎌倉幕府は、羽黒山大権現の霊威をいたく感じて鎌倉から鐘大工を送り羽黒山で鐘を鋳て、羽黒山に奉ったのであるという








No2

月山神社出羽神社湯殿山神社
摂社月山出羽湯殿山三神社社殿(旧日月堂本堂)

所在地

西村山郡西川町大字岩根沢字上ノ平95-3

連絡先

0237-74-4732

周辺環境

岩根沢は、西川町中心部の間沢から北へと山間部に分け入り、その終点に存在する。ここから月山への登山道があり、現在でも出羽三山へ入る主要な登山口となっている。通称「岩根沢三山神社」

岩根沢は、現在も岩根沢三山神社の門前町の色彩を色濃く残している。神社前には宿坊が立ち並んでおり、出羽三山の行者が当地に伝えたとされる秘伝の豆腐「六浄豆腐」が作られている。

「六浄豆腐」は岩根沢でしか見られない。 

歴史由緒


岩根沢三神社の由来は、嘉録二年(1226年)大和の国より、行脚に来ていた僧が岩根沢に投宿中発心し一字を建立、役の行者の威力も加わり月山に道を切り開きその後、参詣の行者が増加し、さらに嘉慶元年(1387年)大寺を建立しその後、上野東叡山輪王寺直轄末寺として寺号を日月寺と称し天台宗派属し、住職は代々東叡山より任ぜられた。

その後寛文七年(1667年)延享元年(1744年)と天保十二年(1841年)に再建されました。しかし、いかに岩根沢三神社といえども度重なる火災で、経済面では決して豊かではなく、玄関の造営は、十七年も後の安政五年に行っています。

現状

出羽三山神社が管理しており、社務所を指して出羽三山神社岩根沢社務所とも呼ばれている。

長耀山日月寺という天台宗寺院であり月山神社の別当寺

祭神

月読命(月山) 稲倉命(出羽)

大己貴命、少彦名命、大山紙命

社格

旧社格は無格社

リンク

wiki  hp

特長

明治初期廃仏毀釈で、神仏習合の形態だった日本各地の修験道寺院は軒並み破却されてしまったが、旧日月寺は幸い破却を免れ、仏式から神式に変更するための最低限の改修に留まった。

そのため、往時の修験道寺院建築の特徴を今に残す貴重な文化財として評価されている

文化財

【重文】本殿  台所にある大賄部屋の八角柱には等身大の大国・恵比寿の木像が安置されています。



                                          a8山形旧日月寺本堂

建造物

本殿

建立

天保12 : 1841

指定年

2000.05.25(平成12

様式形式

寄棟造、向拝一間、

再建

 

確証附

なし

平面形状

桁行66.9m、梁間22.5m

屋根

鉄板葺

屋根頂

 

立面外観

入母屋造、軒唐破風付、鉄板葺

壁・窓

 

外周縁

 

内陣

下記

彫刻

玄関部素晴らしい

 

 

見所

仏堂、客殿、座敷、庫裏等を、全て一つの建物内に納めた複合建築とする点に特色

建物の西半分は、西端が5室からなる座敷、その東に接して仏堂(明治以降は神式に改造)があり、仏堂

 の東は床・棚を設けた客殿である。

仏堂の手前には入母屋屋根に唐破風を設けた向拝がある。ここの彫刻が見所です

・彫刻は名工で名高い高山文五郎が彫り込んだものとされます

建物の東半分は社務所、奥座敷、庫裏等にあてられている。

庫裏にある大賄部屋には径3尺の八角柱6本が立ち、西側の2本の柱には、等身大の恵比寿・大黒天の木

 像が安置されている。

修理履歴

平成26年 屋根葺替・部分修理

文化庁

説明文


日月寺がある岩根沢は,月山及び湯殿山への東南に位置し,登拝口の修験集落のひとつである。日月寺は登拝する行者の拠点として,嘉慶元年(1387)に創建されたと伝えられている。

 旧日月寺本堂は,天保7年(1836)の火災後,同12年(1841)に落慶した。ただし,正面の向拝は少し遅れて,安政5年(1858)に完成した。

 仏堂から客殿,座敷,庫裏などの機能を,一つにあわせた類例の少ない構成の複合建築である。桁行(正面総長)が66.9メートルという破格の規模を持っている。

 出羽三山への登拝口の建築がほとんど失われた現在,旧日月寺本堂は,登拝口に唯一残された中心建築として,貴重な修験道の遺構といえる。








No3

  金峯神社  (きんぼうじんじゃ

所在地

鶴岡市大字青龍寺字金峯1

連絡先

0235-23-7863

周辺環境

鶴岡駅の南南西6km程の辺り、標高458mの金峯山

参拝するには、青龍寺口、滝沢口、湯田川口の三箇所があります。金峯山は至るところ信仰と伝説に満ち、400年の大杉の杉並木は幽致に富めるところです。

歴史由緒

明治の神仏分離までは金峯山蔵王権現と称し、修験道場となっていた。

創建

大同年間

祭神

少彦名神 大国主神 事代主神 安閑天皇

社格

県社・別表神社  雪灯篭祭 

リンク

HP  狛犬  庄内

特長

 

文化財

【重文】本堂     銅鉢


禁酒の[かめ]と大盃

 弘化四年猩々講の人達が奉納せしもの。酒の飲み過ぎ、酒乱、アルコール中毒という様な酒ぐせの悪い人を癒すため祈祷をして「かめ」に封印する。霊験あらたかである



                                        a8山形金峯神社本殿

建造物

本殿

建立

慶長13年1608

指定年

2001.11.14(平成13

様式形式

入母屋造  (蔵王権現堂)

再建

 

確証附

棟札

平面形状

桁行正面一間、背面三間、梁間二間

屋根

銅板葺

屋根頂

 

立面外観

裳腰付詰組の禅宗様仏殿形式を基本

壁・窓

桟唐戸

外周縁

なし

軒裏組物

正面中央間向唐破風、

両側面及び背面囲い附属

 

一手先中備か詰組か

 

 

内陣

不明

彫刻

 

リンク

 

概要

山頂本殿は、承和の頃勅命があって造営されてより代々修復され、久安六年、藤原秀衡が社殿再建後も慶長十三年、最上義光が大修復、元文元年と明和五年に酒井家が修復、又近年では大正十一年に修復されたが、基本的には慶長の様式がよく保存されており近世初期の建築物として、建立後の時代変遷の確認できる点でも価値が高く、また東北地方の修験道の数少ない遺構としても貴重である。

見所

向唐破風の曲線と彫刻

・重なる屋根の勾配と反り

・庄内平野の展望

修理履歴

1736(元文元)年、1768(昭和5)年、1922(大正11)年に修理が行われた資料が現存します。

元文元年の修理では破損部の取り替え、こけら葺から銅板葺への変更、内部床新設、内陣廻りの金具類

 の新調などが行われました。基本的には慶長建立時の形式をよく保持しています。

文化庁

説明文


金峯神社は,庄内平野の南端,古来より霊山として篤く信仰されてきた金峯山にある。

 本殿は山頂近くの平坦地に東面して建ち,棟札や文書より,慶長13年(1608)に最上義光を大檀那とし,前身建物を改造して建てられたと考えられる。

 形式は桁行正面一間,背面三間,梁間二間を身舎とし,入母屋造の屋根を架け,この周囲にもこしを廻している。 金峯神社本殿は,もこし付で詰組の禅宗様仏殿形式を基本としながら,身舎を神社本殿の平面とする特異な構成になっている。

 向唐破風造としたもこし正面の扱いも類例がなく,近世初期の建築として意匠的に価値が高い。東北地方における数少ない修験道の遺構としても重要である。








No4

 水上八幡神社本殿 (みなかみはちまん)

所在地

鶴岡市水沢

連絡先

 0235-57-4867 

周辺環境

羽前水沢駅から車で5分 老樹の茂る中に室町時代の建築がある

歴史由緒

古来から宇幣山龍頭ケ池の畔に鎮座していた水上宮を寛治年間(1087~94)に源義家が勧請した石清水八幡宮と合祀して水上八幡宮と称したのが始まりとされます。安貞年中(1227~29)に現在地に遷座し、乾元年間(1302~03)に当時地頭職であった武藤家三代盛氏が社殿の造営と社領を寄進しています。

創建

不明

祭神

 

社格

不明

リンク

庄内  狛犬

文化財

【重文】本殿

拝殿(無指定)は嘉永3年(1805)に再建されたものを昭和25年に屋根を瓦葺きにした



                                         a8山形水上八幡神社本殿

建造物

本堂

建立

室町後期

指定年

1908.04.23(明治41

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

無し

平面形状

三間二間

屋根

茅葺

屋根頂

千木等無し

立面外観

素晴らしいバランスの流造

壁・窓

板開き戸

外周縁

高欄付き縁を回す

内陣

不明

彫刻

蟇股は秀逸

 

 

見所

全体の均整もよく細部に施した彫刻の繊細な技法も優れている。

・本蟇股特色を残す絵様彫刻は草花を巧みに図案化したものでその優れた技法で有名

細部の懸魚・桁隠・虹梁・手挾等に施した絵様彫刻繊細な技法。 

修理履歴

2013年9月 屋根葺替

文化庁

説明文

なし








No5

  (鳥越) 八幡神社

所在地

新庄市鳥越1224

連絡先

0233-22-0646

周辺環境

鳥越は羽州街道に沿った、新庄城下に入る手前に位置する地で、源義経の東下りの経路にも当たっており、中世には土豪により「鳥越楯」が築かれた場所でもあった

歴史由緒


寛喜元年(1229年
鳥越義宣が相模国から鶴岡八幡宮を勧請、「新八幡宮」と称したことに始まる

当初は荒小屋(現新庄市北部)に祀られていたが、初代新庄藩主戸沢政盛の養子となった戸沢定盛が荒小屋で鷹狩りを行った際、愛鷹が行方不明になったのを悲しんで八幡宮に戻ってくるよう祈ったところ、鷹が定盛の元に舞い戻ったため、その神威に感じ入った定盛が寛永15年(1638年)に鳥越の地の鳥越楯跡に社殿を建立して八幡宮を移し、以降代々の藩主に崇敬されたという

創建

伝寛喜元年(1229年) 鳥越八幡神社

祭神

応神天皇

社格

郷社        鳥越神楽(8月15日)

リンク

HP wiki

文化財

本殿は華麗な彫刻や色彩に富む江戸時代初期の特色を有するのに対し、拝殿は総素木造りの堅実な江戸中期の特色を示し、ともに当地方における当時の建築技術の粋を伝える貴重な建造物



                                        a8山形八幡神社本殿拝殿

建造物

本殿拝殿

建立

寛永15年(1638)

指定年

昭和61(1986)12月

様式形式

本殿:大型の一間社流造り

再建

 

確証附

棟札

平面形状

拝殿:梁間2間、桁行3間

   入母屋造一間向拝

屋根

銅板葺

入母屋造一間向拝

屋根頂

 

立面外観

本殿:出三つ斗

拝殿:平三つ斗 一軒疎垂木

壁・窓

板壁両折桟唐戸

外周縁

切目縁脇障子

内陣

一軒疎垂木

中備

蟇股

妻面

虹梁大瓶束

見所

本殿・幣殿(相の間)・拝殿より成り、新庄藩祖戸沢正盛の養子定盛が造営

本殿は、軸部は円柱に頭貫・内法長押・腰長押・切目長押、大瓶束の結綿は、鬼面の彫刻

拝殿は総素木造、海老虹梁・向拝虹梁にみられる若葉文や、木鼻や蟇股の形状など、江戸時代中期の堅実な手法を示し、江戸時代初期の本殿に対して、意匠的にも対照的な存在である。

修理履歴

不明

文化庁

説明文


八幡神社の社殿は流造の本殿の前面に拝殿が後れて建立され、中間に幣殿を造って接続したもので、いずれも新庄藩主戸沢氏によって造営された。

 本殿は大型の一間社流造で妻を力士や鬼面の彫刻で飾り、各部に文様、彩色を施すなど、華やかな意匠の木太い建物である。入母屋造の拝殿も藩主による造営だけに技法意匠ともみるべきものがある。 






No6

小立(おだち)石鳥居(元木の石鳥居)

所在地

山形市鳥居ヶ丘

連絡先

山形市 023-641-1212(内線626)

周辺環境

古来元木の石鳥居と呼ばれ、その古さのため、最上三鳥居の1つに数えられて有名

歴史由緒

竜山に面して立つ石鳥居は、平安時代 竜山の西麓に栄えたという仏教文化全盛頃の造立といわれている。

鳥居

石造明神鳥居

凝灰岩、高さ 351Cm 柱間 280Cm

建立

指定

平安後期 西暦: 1086-1184 

1952.11.22(昭和27

特長

2015年度にも修理工事に入る要注意

リンク

石造 wiki  山形市  狛犬

見所


柱が太く高さに比し柱間が広い為、全形が低く安定感がある

笠木と島木は一石からなり、笠木は水平で、島木の下端の先端はゆるい反りを持、柱下に円形の礎石

貫は、柱を貫通せず両側から穴を掘ってさしこむ。

鳥居は、高さ 351Cm、笠木の長さ 567Cmと横幅が広く安定した姿



                                     a8山形元木の鳥居


No7

  八幡神社石鳥居 (はちまんじんじゃ)

所在地

山形市蔵王成沢字館山116-1

連絡先

023-688-2112

周辺環境

成沢の旧家に天仁二年(1109)建立の古記録がある明神鳥居で、我国最古の石鳥居の一つといわれている

歴史由緒

:天仁2(1109)年 、同地区の三蔵院に、ウツボ清水より採石造立したことを記す文書がある。

鳥居

石造明神鳥居

凝灰岩、高さ 437Cm 柱間 238Cm

建立

指定

平安後期 西暦: 1086-1184 

1952.11.22(昭和27

特長

 

リンク

石造  山形市  狛犬

見所


柱が太くどっしりとした印象を受ける。貫(ぬき)は、小立石鳥居とは異なり柱を貫通する

鳥居は、高さ 351Cm、笠木の長さ 567Cmと横幅が広く安定した姿

笠木と島木は一石からなり、笠木は水平で、島木の下端の端は反りを持たせる。

柱の下には大きなこぶ状の石がついている



                                                a8山形八幡神社鳥居







No8

 観音寺観音堂

所在地

白鷹町深山3092

連絡先

0238-84-5120

周辺環境

山の中 ポツンと

歴史由緒

詳細不明

 

 

リンク

  マップル

文化財

【重文】観音堂

運慶の作とも伝わる千手観音は火災で傷んでいるが、現存する秘仏。堂は県内最古の建造物である。



                                      a8山形観音寺観音堂

建造物

観音堂

建立

室町後期

指定年

昭和28年3月1953

様式形式

宝形造  阿弥陀堂形式

再建

 

確証附

棟札

平面形状

桁行3間、梁間3間

屋根

茅葺

屋根頂

露盤・宝珠

立面外観

 

壁・窓

桟唐戸 中央潜戸

外周縁

軒裏組物

舟肘木 1軒疎垂木

中備

 

 

 

内陣

内部に四天柱 総板敷  天井を張り周囲は化粧屋根裏

見所

・舟肘木。太い疎垂木 組物

・茅葺屋根の形状  

連絡先

問合せは0238-84-5120・善明院  (白鷹町産業振興課) 0238-85-2111

修理履歴

不明

文化庁

説明文

 創立沿革不明であるが、堂は方三間の阿弥陀堂式建築で太い柱、成いの低い舟肘木、及び太い疎垂木の制などは平安末期頃の建立を思わせる。山形県内最古の建造物である点文化史的に意義が深い。 








No9

 旧松應寺観音堂  (しょうおうじ)

所在地

山形市蔵王半郷字2

連絡先

023-688-3328

周辺環境

蔵王山の西麓に位置し、最上三十三観音の第9番札所として、庶民の信仰を集めている。

歴史由緒

松應寺の沿革については詳らかでないが、和銅年間(708年)の草創と伝えられている。

境内には、桂と彼岸桜の古樹があり、共に市の天然記念物に指定されています。

池内の稲荷神社の小建物は、幕末の郷土の名工粟野音松の作といわれており、

 

金峰山松尾院

リンク

  マップル  街並み

文化財

【重文】観音堂

本尊の十一面観音立像と弥勒菩薩立像の2躰は、共に3メートルを超える一木造りの巨像で、平安時代の仏像として、県の有形文化財に指定されている。この外、男神像と、天部像(2躰)は、共に藤原時代の作として、市の文化財に指定されている。 



                                         a8山形旧松應寺観音堂

建造物

観音堂

建立

室町末期

指定年

昭和61年12月20日

様式形式

宝形造

再建

 

確証附

天正・慶長頃の落書き

平面形状

方3間  1間の向拝

屋根

茅葺(現在鉄板)

屋根頂

 露盤・宝珠

立面外観

 

壁・窓

連子付の双折板扉

外周縁

 ない

軒裏組物

出三斗  軒はせがい造

中備

簑束

 

 

内陣

内部は入側柱4本を立て、中央方1間を内陣、周囲1間通りは外陣となっている。

見所

・茅葺屋根の向拝部分との曲線

修理履歴

 1999年 保存修理

文化庁

説明文

観音堂は領主最上氏によって造営されたと伝える大型の三間堂で、蓑束や繋虹梁、頭貫木鼻などの形に中世末期の地方的特色がみられる数少い遺構である








No10

 若松寺   (じゃくしょうじ

所在地

天童市大字山元2205-1

連絡先

 023-653-4138 

周辺環境

花笠音頭に唄われている若松寺の本堂、最上三十三観音の第一番札所です。

歴史由緒

寺の草創については明らかでないが、寺伝によれば、行基によって開基され、のちに慈覚大師によって、山頂から現在地に移されたという

 山号

鈴立山

リンク

HP  天童市     山形

文化財

 【重文】観音堂、金銅聖観音像懸仏板絵著色神馬図



                                           a8山形若松寺観音堂

建造物

観音堂

建立

室町時代末1509

指定年

昭和38年7月1日1963

様式形式

入母屋造  密教本堂

再建

 

確証附

厨子

平面形状

桁行5間、梁間5間

屋根

銅板葺

屋根頂

 

立面外観

向拝は、江戸時代の後補

壁・窓

桟唐戸 横羽目板張

外周縁

切り目縁が周囲に廻

軒裏組物

出三斗  二軒繁垂木

中備

撥束

 

 

内陣

内部は格子戸で正面外陣と内陣に分けられており、内陣には、須弥壇を設けて厨子が安置されている。

立石寺中堂と比して、内陣より外陣が広くとられているのは、仏堂の時代的な変化を示して興味深い

見所


正面向拝の蟇股は、室町時代末の特徴

外陣の奥行を三間、一間目の入り側柱をすべて残したところに唯一天台宗本堂の特徴。

軸部は貫を多用し、隅部の頭貫を十文字に組んで軸を固める手法は禅宗様

簡素な組物と周囲の縁、屋根と軒の造作が和様で、中世の地方における折衷様の典型的な仏堂です。

修理履歴

慶長16年(1611年)に、山形城主最上義光によって大修理が行われた

昭和41年(1966年)から昭和43年(1968年)にかけて、全面解体修理

文化庁

説明文

永正六年(一五〇九)の建立で、東北地方の規模の大きい堂として代表的である








No11

本山慈恩寺本堂  (ほんざんじおんじ)

所在地

寒河江市大字慈恩寺31

連絡先

0237-86-8866

周辺環境

北に標高1462メートルの葉山を背負い、南には寒河江川が流れる景勝の地にある。

歴史由緒


天平18年(746年)聖武天皇の勅により婆羅門僧正菩提僊那が寺院を建立したのに始まるとされる。

 山号を寒江山とし大慈恩律寺と称した。

天仁元年(1108年)、鳥羽上皇の勅宣により藤原基衡が阿弥陀堂(常行堂)・釈迦堂(一切経堂)・丈六

 堂を新造し、鳥羽院より下賜された阿弥陀三尊を阿弥陀堂に、釈迦三尊と下賜された一切経五千余巻を

 釈迦堂に、基衡が奉納した丈六尺の釈迦像を丈六堂に安置した(『瑞宝山慈恩寺伽藍記』)。

慈恩寺は3ヵ院48坊からなる一山寺院を形成し、鎮護国家、除災承服を祈願する寺院であった。

 一山を代表する支配職は、真言方は宝蔵院・華蔵院、天台方は最上院の3ヵ院で、所属の院坊をまとめ、

 幕府など大檀那への年礼を主とした。現在は3ヵ院17坊が一山を支える。

永正の兵乱(1504年)を経て全て焼失してしまっている。現在の伽藍は本堂を中心として東から阿弥陀

 堂、薬師堂、本堂、天台大師堂、釈迦堂の順番に並ぶ

平安末期から室町時代にかけての仏像、仏画、仏具など京都の貴族文化の流れを汲む文化財は、平泉中

 尊寺に匹敵すると言われています

創建

伝神亀元年(724年)伝行基

山号

瑞宝山

社格

東北三十六不動尊霊場 1番

リンク

Wiki   HP(素晴らしい)

山形県

特長

 

文化財

【重文】本堂 木造弥勒菩薩本尊木造弥勒菩薩、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像、不動明王立像、

       降三世明王立像、木造騎獅文殊菩薩、木造騎象普賢菩薩、十羅刹女像、木造二天王立像、

       木造如来坐像及び両脇侍立像、木造如来立像、木造菩薩坐像、木造力士立像

      ・木造弥勒菩薩及び諸尊像 5躯 附:弥勒菩薩像像内納入品永仁6年1298年)

      ・木造騎獅文殊菩薩及脇侍像(4躯)・木造騎象普賢菩薩及十羅刹女像(5躯)十二世紀

      ・木造十二神将立像 8躯鎌倉時代 附:木造十二神将立像 4躯

      ・木造薬師如来及両脇侍像(3躯)延慶3年1310年

      ・木造阿弥陀如来坐像平安時代

    ※平成26年(2014年)6月1日から7月21日まで公開される。

     慈恩寺開山千三百年、寒河江市市制施行60周年に合わせて行われる。

【県指定】三重塔、山門宝蔵院表門

重要無形民俗文化財

林家舞楽

 

文化庁

説明文


山形県西村山郡河北町谷地に鎮座する谷地八幡宮の神職の林家に伝承されている舞楽で、谷地八幡宮の秋の例祭(九月十四日・同十五日)、寒河江市の慈恩寺の春の法会(五月五日)等に舞われる。

 舞楽は、古く遣唐使の廃止頃までに、わが国に朝鮮半島の諸国や中国から渡来し、現在の京都、奈良、大阪に楽所【がくそ】が置かれて伝承されてきた。谷地八幡宮の舞楽については、ここに所蔵される「舞楽由緒」によると、「貞観二年(八六〇)僧円仁に従って羽州【うしゆう】に来た四天王寺楽人林越前が山寺の根本中堂で舞楽を舞った」とあり、この林越前が後の林家舞楽の祖であると伝えている。

 伝承曲目は燕歩(振鉾)、三台、散手、太平楽、喜禄(安摩)、二ノ舞、還城楽、抜頭、竜王(蘭陵王)、納蘇利の十曲で、すべて林家に伝承されており、林家が中心で舞うものであるが、太平楽と童舞である還城楽、抜頭は林家以外の人が舞う。林家の嗣子が十三才になると初めて燕歩を舞うとされている。童舞を舞う稚児はかつては坊中の子供で六才からと限られていたが、今日では適宜に選ばれている。

 楽器は、かつては三管三鼓が揃っていたが、現在は竜笛と太鼓、鉦鼓の三種のみで、太鼓の縁を打って羯鼓の代替にしている。林家舞楽は舞楽の地方化したものとして顕著な特色を有するものである。

1981.01.21(昭和56)指定



                                a8山形本山慈恩寺

建造物

本堂  (弥勒堂)

建立

元和4年(1618)

指定年

明治41年4月23日1908

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

厨子

平面形状

桁行7間、梁間5間

屋根

茅葺

屋根頂

 

立面外観

向拝一間

縁の縁束をそのまま柱として伸ば

壁・窓

桟唐戸、両脇は引違いの格子戸

外周縁

 高欄付き縁

軒裏

一軒繁垂木 出組三斗 舟肘木

中備

揆形

 

 

内陣

内陣と外陣の境は蔀戸

彫刻

狛犬透彫りの蟇股

 妻面

 懸魚 板壁

天井

用材


天井内陣
格天井、外陣板天井、中央に龍の図、両脇天井板天女の絵を画

材料は慈恩寺の山中に自生していた真直ぐに伸びる姫小松を用いています。

見所

 

修理履歴

平成17年に津軽産の葦で葺替・

文化庁

説明文

なし  舞楽に説明はあるのに、建造物の説明は無い。旧国宝のまま編集していないだからです?








No12

 立石寺(りっしゃくじ)宝珠山阿所川院立石寺

所在地

 山形市大字山寺4456-1

連絡先

 023-695-2002

周辺環境

 山内には、山麓から中腹にかけて以下の伽藍が順次高度を増して点在する

歴史由緒

 

創建

 ・貞観2年(860年)清和天皇勅命で円仁(慈覚大師)

山号

 宝珠山  別称 山寺 

札所

 最上三十三観音2番  四寺廻廊

リンク

 HP wiki   観光協会

特長

 観光地です。

文化財

【重文】立石寺中堂(根本中堂) 立石寺三重小塔  天養元年如法経所碑

木造薬師如来坐像  木造慈覚大師頭部・木棺

山寺(昭和7年(1932年)3月25日に国の史跡・名勝に指定)



建造物

 三重小塔

建立

 永正16 : 1519

指定年

1952.07.19(昭和

様式形式

 一間三重塔婆

再建

 

確証附

 

平面形状

 一間四方

屋根

 こけら葺き

屋根頂

 

立面外観

高さ 2.5m 三手先 軒は二軒

壁・窓

 

外周縁

 三方に縁

 

 装飾性の強い工芸品的小塔

彫刻

 

 リンク

   がらくた

見所

 三重小塔は山頂近くの華蔵院(けぞういん)脇にある巨岩の洞穴のなかに安置されている

修理履歴

 

文化庁

説明文

なし

                                           

      a8山形立石寺三重塔         a8山形立石寺中堂

建造物

 中堂

建立

室町 1393-1466

指定年

1908.04.23(明治41

様式形式

 入母屋造、向拝一間

再建

 

確証附

 棟札

平面形状

 桁行五間、梁間五間

屋根

 銅板葺

屋根頂

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周縁

 三方に縁

内陣

 

彫刻

 

 

 

 

奥行五間のうち、須弥壇のある奥の三間分は内陣で、前面に二間分の外陣を配し、その境ははめこみ式格子となる。内陣にはほのかな寂光のみ許す密教寺院堂の特徴が示されている

見所

 向拝の蟇股や虹梁木鼻、妻飾りの意匠に桃山時代の力強い手法を認めることができる

修理履歴

 正平12年(1357年)出羽按察使斯波兼頼が再建し、慶長年間(1596~1615年)に大修理が施された。

明治41年(1908年)に特別保護建造物に指定され、現在は、国指定の重要文化財になっている。

昭和38年(1963年)、再建から600余年ぶりに解体修理が行われ、建立当時のものに復元された。

文化庁

説明文

なし








No13

 旧済生館  (さいせいかん

所在地

 山形市霞城町1-1

連絡先

 023-644-0253

周辺環境

 

歴史由緒

 済生館は、初め明治6年(1873年)、村山郡天童村に創立された個人病院であったが、翌年、山形県公立病院となって山形市に移された。

現状

 山形市郷土館:済生館本館資料、郷土の医学医療関係資料、特に明治13年(1880)から約2年間存在し山形市の医学の発展に大きな功績を残したオーストリアの医師アルブレヒト・ローレツ博士の資料、郷土史関係資料が展示されている。 

 

 

リンク

山形市  wiki   みどころ

特長

 明治9年(1876年)、三島通庸が県令となり、新たな構想のもとに再建計画が立てられ、明治12年(1879年)竣工した。

文化財

本館



                                 a8山形旧済生館

建造物

 本館

建立

明治11 : 1878

指定年

昭和41年12月5日1966

様式形式

 洋風三層楼  主屋 木造

再建

 

確証附

 なし

平面形状

建築面積110.9m2、三重四階

屋根

桟瓦葺 亜鉛板葺

屋根頂

 

立面外観

 擬洋風建築

壁・窓

 下見板 漆喰

外周縁

 

見所

1階前半部八角形、後半部に回廊が接続、前半部吹放しのベランダ 内部中央を部屋、左右を通路

2階十六角形の広間、屋根はドーム形  内部3階階段室 4階は八角形の小屋

2・3階の正面バルコニー 4階は手摺付の回縁 

1階の左右に延びる回廊は十四角形で、1間の廊下と小室が配置

修理履歴

 1967年(昭和42)に始まった移築復原工事

文化庁

説明文

明治11年(1878)竣工の木造三重四階建の病院建築。屋根は桟瓦葺。背面に円形回廊を廻す。外装は下見板張。窓は上げ下げ式硝子戸で、外部には両開き鎧戸を付ける。回廊内側の柱間は開放させる。主屋の平面は、1階変形八角形、2階正十六角形、3階正八角形。擬洋風木造建築では規模が大きく意匠が特異。昭和44年移築。設計は筒井明俊。



                              

No14

 旧西田川郡役所 (にしたがわぐん

所在地

 鶴岡市家中新町10-18 

連絡先

 0235-22-1199 

周辺環境

 

歴史由緒

 旧西田川郡役所は、創建当初鶴岡市馬場町に、明治14年(1881年)5月落成し、同年9月、明治天皇の東北御巡幸の際、行在所(あんざいしょ)にあてられた。

所在地

 (公財)致道博物館

リンク

特長

旧郡役所のなかでは保存のよい明治洋風建築の1つ、地方公共建築として文化史的価値の高いもの。 

文化財

役所




                                   a8旧西田川郡役所


建造物

 役所

建立

明治14: 1881 

指定年

1969.12.18(昭和44

様式形式

木造2階建、両翼1階建、玄関突出

再建

 

確証附

 

平面形状

建築面積264.4ルネッサンス様式

屋根

 桟瓦葺

屋根頂

 

立面外観

 高さ20塔屋、時計塔付

壁・窓

 

外周縁

 

設計施工