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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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青森県の建築文化財の探訪資料

8-1-2青森県寺社建築文化財



8-1-2  青森県の文化財の個別探訪



     次ページ  弘前市の探訪  八戸市の探訪  もご覧ください。



● 一覧表  特別史跡、重伝建築を含みます


No

寺社名

住所

文化財

リンク

建立時代

岩木山神社

弘前市百沢字寺沢27 

本殿、奥門、瑞垣、中門、拝殿、

楼門

江戸中期

弘前八幡宮

弘前市八幡町1-1-1 

本殿、唐門

1612

東照宮

弘前市笹森町38 

本殿

1628

熊野奥照神社

弘前市田町4-1-1

本殿

1613

櫛引八幡宮

八戸市八幡字八幡丁3 

本殿、旧拝殿、末社神明宮本殿、

末社春日社本殿、南門 

国宝 赤糸威鎧 兜、白糸威褄取鎧 兜

1648

 

高照神社

弘前市高岡字神馬野87

弘前市高岡字獅子沢

128-92

本殿、中門、西軒廊、東軒廊、

拝殿及び弊殿,随神門、
津軽信政公墓、
廟所拝殿、廟所門 

江戸中期

最勝院

弘前市銅屋町63 

五重塔

1677

長勝寺

 

 
  
津軽家霊屋

弘前市西茂森1-23-8 

三門

本堂、庫裏、
御影堂、環月臺、
碧巌臺、明鏡臺、
白雲臺、凌雲臺 

江戸前期

1629

1629

江戸全期

誓願寺

弘前市新町247

山門

江戸中期

10

円覚寺

深浦町深浦字浜町27

薬師堂内厨子

室町前期

11

南部利康霊屋 

三戸郡南部町小向字

正寿寺三光寺境内

霊屋

江戸前期

12

清水寺

八戸市是川字中居18-2

観音堂

1581

13

革秀寺

弘前市藤代1丁目4-1

本堂 

津軽為信霊屋 

江戸前期

14

弘前城

 

天守、二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓、二の丸南門、
二の丸東門、三の丸追手門、
北の郭北門、
北の郭北門 

三の丸東門 

 

 

 

1810

1611

15

旧弘前偕行社 

弘前市御幸町8-10

 

明治40年

16

青森銀行

弘前市元長町26

旧第五十九銀行本店本館 

1904

17

弘前学院

弘前市稔町13-1

外人宣教師館 

1906

18

弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区 

 

 

19

黒石市中町伝統的建造物群保存地区

 

 

20

三内丸山遺跡

青森市大字三内字丸山

特別史跡

BC2500年






● 文化財の探訪資料



 1

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)

所在地

青森県弘前市百沢字寺沢27

0172-83-2135

周辺環境

 岩木山の南東麓 昔から農漁業の守護神として親しまれてきた。なお神社の参道は岩木山の登山道の1つとなっていることでも知られており、この神社の奥宮は岩木山の山頂付近にある

 現在も岩木山は広く信仰され毎年7月に行われる例大祭である「お山参詣」では多く信者が深夜に山頂登拝し、御来光を拝んでいます

歴史由緒

宝亀十一年(780)、岩木山山頂に社殿を造営。坂上田村麻呂が延暦十九年(800)に山頂社
  殿を再
建し、十腰内に、下居宮麓宮)を建立して、山頂を奥宮とした。
  この下居宮が、現在の厳鬼山神社。

寛治5年(1091年)、神宣により、十腰内から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺と称した
 のが
現在の岩木山神社となっている。

明治の神仏分離以前には、岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木
 山三
所大権現と称した。近世には、津軽藩の総鎮守として歴代藩主から崇敬された。

神仏分離令により仏式が廃され百沢寺は廃寺となり岩木山神社として正式に神社となり明治6年に
 は国幣
小社に列しています。

創建

伝宝亀11年(780年)

祭神

顕国魂神 多都比姫神 宇賀能売神

大山祇神 坂上刈田麿命

社格

旧国幣小社・別表神社  津軽国一宮

リンク

Wiki       弘前市   狛犬    かしこみ

特長

旧暦8月1日(八朔祭)  

文化財

【重文】本殿、拝殿、楼門、奥門、中門瑞垣          狛犬 - 逆立ちの姿勢である

お山参詣(国指定無形)

社務所

 岩木山神社社務所は、旧百沢寺の本坊として山門(楼門)などとともに寛永六年(1629)に建立。

 天保十年(1839)に火災焼失、弘化四年(1847)に現在のものに建替え。

 明治の神仏分離令、百沢寺は廃寺。本坊は岩木山神社の社務所として利用されている。

 入母屋造・茅葺屋根の景観は、往昔の百沢寺の姿を偲ばせている。



  8-1-2 岩木山神社参道    8-1-2 岩木山神社三門 
 

建造物

本殿

建立

元禄7年(1694年)

指定年

s46.6.22

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

附 棟札三枚

平面形状

三間二間

屋根

銅板瓦葺

屋根頂

千木鰹木無し

立面外観

正面千鳥破風及び軒唐破風付

壁・窓

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

塗装

全面黒漆塗りとし

内陣特長

 

彫刻

 

装飾

随所に金箔押し

見所

正面重視した形状と 流造の屋根に千鳥破風唐破風が付いた配置と屋根曲線のバランス

正面庇柱昇り龍降り龍の彫刻(ここまで飾るか?) ・豪華絢爛な各部の彫刻、塗装

極彩色に彩られ日光東照宮に通じるところから「奥日光」の別称がある。

・東照宮が近傍にあるのに類似した様式で 境内の雰囲気と異質な本殿にしたのでしょうか、考察する?

修理履歴

1978年修理  平成3~4年部分修理

文化庁

説明文

岩木山神社は山岳信仰に始まる古社で、現存する楼門は寛永五年(1628)、拝殿は寛永十七年、本殿、奥門および瑞垣は元禄七年に弘前藩主により建立されたもので、いずれも重要文化財に指定されている。

 中門は切妻造の四脚門で、かつて別当寺百澤寺の大堂(現在の拝殿)の門として本殿、奥門などと同時に建てられたものである。神仏混淆の歴史を留める岩木山神社の全体構成の上で中門は枢要な位置にあり、その価値は高い。

          
 
    グラフィックス1岩木山本殿   8-1-2 岩木山神社本殿-2   

建造物

奥門

建立

元禄7  1694 

指定年

1971.06.22(昭和46

様式形式

向唐門

再建

 

確証附

 

平面形状

桁行一間、梁間一間

屋根

とち葺形銅板葺

屋根頂

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周縁

 

見所

・唐破風の形状(本殿との比較) ・各部の彫刻  ・黒漆の塗装

修理履歴

1978年修理

弘前市

説明文

黒漆を主体とし、極彩色の彫刻や飾金具で装飾されている。この奥門の両側から本殿を一周する瑞垣は連子窓を組込み、窓の上の羽目板に鳥獣などの絵を描く。本殿・奥門・瑞垣とも下居宮の一環として同じ技法をもって建造されたことがわかる。



  8-1-2 岩木山神社拝殿-3  8-1-2 岩木山神社中門                瑞垣                                   中門

建造物

瑞垣

建立

元禄7  1694 

指定年

1971.06.22(昭和46

様式形式

 

再建

 

確証附

 

平面形状

一周延長四十間

屋根

とち葺

屋根頂

 

立面外観

潜門一所を含む

壁・窓

 

外周縁

 

見所

連子窓の形状  ・窓の上の羽目板の絵模様 (鳥獣など

修理履歴

1978年修理  平成3~4年部分修理



   8-1-2 岩木山神社拝殿-1  8-1-2 岩木山神社中門-2            拝殿庇                           中門額

建造物

中門

建立

元禄7  1694 

指定年

1986.01.22(昭和61

様式形式

四脚門・切妻造

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

とち葺形銅板葺 

屋根頂

 

見所

蟇股欄間・木鼻などの細部の造作、塗装

修理履歴

1978年修理  平成3~4年 塗装・部分修理

弘前市

説明文

拝殿前に立つ切妻造の四脚門で、百沢寺ひゃくたくじの大堂(現在の拝殿)の門として本殿、奥門などと同時に建てられたものである。柱などの軸部は黒漆塗りとし、木鼻や袖切などの絵様部分には朱漆を用い、蟇股や欄間の彫刻には極彩色を施している。本殿・奥門と共通する豪華な意匠である。 



   8-1-2 岩木山神社拝殿-全景  8-1-2 岩木山神社拝殿-4
        

建造物

拝殿

建立

 慶長8 : 1603 

指定年

1908.04.23(明治41

様式形式

入母屋造 密教寺院本堂

再建

 

確証附

棟札2枚

平面形状

桁行五間、梁間五間

屋根

とち葺形銅板葺

屋根頂

 

立面外観

正面千鳥破風付、向拝一間

壁・窓

蔀戸 桟唐戸

外周縁

縁を廻らす

説明文

概要

・旧 百沢寺大堂(本堂) 壮大な五間堂で 千鳥破風内の彫刻や蟇股は極彩色で美しい

外部を全面丹塗りとし、内部は弁柄塗りであるが、彫刻や蟇股には美しい極彩色がみられる。

内外陣境の結界、内陣の来迎壁、須弥壇や厨子が撤去されて開放的に使用されている

これは、明治初期の神仏分離令によって百沢寺から岩木山神社へと移行し、密教寺院本堂から

神社拝殿となった際に改造されたもの。

見所

・入母屋の屋根に千鳥破風が付いた配置と向拝にかけての屋根曲線

・本殿(1694)が楼門(1628)と、この拝殿(1603)との建立時期の差 

70~90年で様式が異常に変化した背景を考察しましょう

修理履歴

1978年修理



  8-1-2 岩木山神社拝殿-2  8-1-2 岩木山神社拝殿-1 

建造物

楼門

建立

寛永5 西暦: 1628

指定年

1908.04.23(明治41

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

附 棟札二枚

平面形状

五間三戸楼門

屋根

とち葺形銅板葺

屋根頂

 

立面外観

桁行16.6、梁間7.98

棟高17.85

腰組

禅宗様三手先詰組

外周縁

上層縁廻は高欄

軒裏組物

二軒繁垂木 三手先詰組

 

禅宗様を基調としながら、細部に和様が混用

内陣特長

格子戸で内陣と外陣

外陣は板敷、内陣は段違床板張り

彫刻

 

装飾

 

見所

百沢寺時代には上層に十一面観音、五百羅漢像を安置したが、廃寺に際して取り除かれ、階下に随神像を祀り現在に至っている。

弘前市の長勝寺三門と同時期に造られたものであり、構造手法も酷似しており、同一人か同系統の技術者の手によるものと思われる。

修理履歴

1978年修理


                    
   8-1-2 岩木山神社三門-全景  8-1-2 岩木山神社三門-2


            8-1-2 岩木山神社三門-3    8-1-2 岩木山神社三門石造-1 

何故、近傍に東照宮を勧進しながら、由緒の在る岩木山神社の本殿を日光建築のごとき爛熟した様式にしたのか、寺院建築であったが、拝殿、楼門の特長の在る建築様式が継承されなかったのか?・・・・・・残念な感じがします。

考察雑記

 

**疑問の列記**

 

・現本殿の華美・絢爛さは藩主の意向と思えるが、以前の本殿は現地に存在していたのか?

 ・1091年に十腰内から岩木山東南麓の百沢地区に遷座ししたときの本殿はどのようなものなのか?

 ・百沢寺は鎌倉時代密教寺院として隆盛していた。神仏習合期に山岳信仰と融合していた?

 

・遷座後約500年、天正十七年(1589)の岩木山噴火よって百沢寺焼失下居宮も?

津軽為信津軽一統、慶長六年(1601)に下居宮(現岩木山神社本殿)を再建し、同八年1603年には

 大堂(拝殿)を再建したと言われる。

 その本殿の形式は、百沢寺大堂(本堂)現拝殿、楼門と同じではなかったのか?

 弁柄塗りの津軽らしい建築だったのではないか?

・現在の弘前東照宮は1628年に建立された。(1617年勧進)

 

・津軽藩四代藩主信政(1650年頃)は神道を学び、自身が吉川神道の受伝者であ、神仏への崇敬が篤

 く、岩木山神社をはじめとする津軽領内の寺社の整備・寄進を積極的に行なっていたならば・・・・

信政、貞享三年(1686)から元禄七年(1694)にかけ下居宮(現本殿)大改修を行い、下居宮の移動

 (元の下居宮は現本殿より西に70mほど離れた場所)を伴う大規模なものであったといわれています。

 このとき、津軽藩の威信を賭け18万両を費やし、日光東照宮の絢爛、華美な形式を採用されたのが現在

 の本殿です。何故、独自性が欠如したのか?(庶民の山岳信仰とは乖離して・・・?)

 

・現拝殿(大堂・本堂)の工事では大工や鍛冶職人に越前や丹波の工人が名を連ね、大堂再建のために

 津軽藩主が全国から職人を招聘したことがわかており、楼門建築も同様であったと推察されますが、

 現本堂の建築は全く様式を異にしており、工人も全く異なり日光系の職人が携わったのでしょう?

 

・津軽藩四代藩主信政が、神仏への崇敬が篤かったのならば、廟所の在る高照神社の一直線に並んだ形式

 (遺言?)好んだのならば、信政が果たして日光東照宮のような建築を望んだのか 疑問が残る。
 





 2

   弘前八幡宮

所在地

弘前市八幡町1-1-1

0172-32-8719

周辺環境

八幡宮の創建は平安時代初期、坂上田村麻呂が東夷東征の際、岩木村に宇佐八幡宮の分霊を勧請し戦勝祈願をしたのが始まりと伝承

歴史由緒

津軽氏となる大浦氏が種里城から大浦城に居城を移すと八幡宮が城から見て北東に位置していたことから鬼門鎮護の鎮守社として崇敬社となり、天正18年(1590)の火災で焼失すると大浦為信(後の初代弘前藩主)が社殿を再建しました。

慶長17年(1612)2代藩主津軽信牧が居城を弘前城に移すと城から見て北東の位置である現在地に遷宮し鬼門守護として弘前総鎮守の格式を得ました神仏分離令により別当だった最勝院から独立し多くの社殿が破却され、明治6年(1873)に郷社、明治13年に県社

創建

平安時代初期

祭神

誉田別尊・気長足姫尊・比売大神

社格

県社  津軽総鎮守

リンク

弘前市    かしこみ     狛犬

特長

桃山時代の作風が顕著

文化財

【重文)本殿、唐門

市指定文化財】 本殿前 石造狛犬 福井産の笏谷石寛文四1664  板碑



建造物

本殿

建立

 慶長17年 1612

指定年

昭和11月9月18日

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

棟札三枚

平面形状

桁行三間梁間二間

屋根

銅板葺

屋根頂

千木など無し

立面外観

行三間梁間一間の向拝

壁・窓

桟唐戸

外周縁

四方に縁

軒裏組物

出三斗 向拝部は彩色

中備

向拝:彩色 本蟇股

 

内陣特長

鏡天井

彫刻

身舎は素木造

装飾

 

見所

二手先の腰組  蟇股・手挾・虹梁・木鼻等の様式手法に桃山時代の特徴

修理履歴

 昭和54年 塗装  平成16~17年屋根葺替・部分修理


       グラフィックス1弘前八幡宮本殿 本殿  グラフィックス1弘前八幡宮唐門  唐門

建造物

唐門

建立

慶長17年(1612)

指定年

昭和11年9月18日

様式形式

四脚門

再建

 

確証附

棟札二枚

平面形状

 

屋根

こけら葺

屋根頂

 

立面外観

入母屋造 前後軒唐破風

壁・窓

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

天井を小組格天井

彫刻

 

装飾

弁柄塗

見所

屋根の四隅の軽い反り

修理履歴

平成16~17年屋根葺替・部分修理

文化庁

説明文

唐門は、前後に軒唐破風をつけた入母屋造柿葺屋根の四脚門である。全体が弁柄塗りで、組物などは極彩色となっている





 3

             東照宮

所在地

弘前市笹森町38 

0172-33-8240

周辺環境

 

歴史由緒

弘前藩2代藩主の津軽信枚が天海を通じて幕府に日光東照宮から東照大権現の神霊を迎える事を願い出、元和3年(1617年)に弘前城天守の傍らに東照大権現を勧請した事に創まる

明治初年に廃祠とされそうになったが明治3年 (1870年)に住民の希望で神仏判然令により別当薬王院と分離しつつ復興され、 同12年(1879年)に郷社列格、翌々14年11月に県社に昇格した

由緒には、諸説あります

社格

県社

祭神

徳川家康公 天照皇大御神

祭り

鎮火祭(4月18日) 例祭 7月17日

リンク

弘前市  wiki

特長

文化財

【重文】本殿

2012年

新聞記事

宗教法人「東照宮」(青森県弘前市大字笹森町38、代表役員:工藤均)は、結婚式場への投資失敗などから、2012年4月6日、負債額約2億円を抱え、青森地裁弘前支部において破産開始決定を受けた

破産した東照宮(弘前市笹森町)の国指定重要文化財の本殿について、弘前市は7月20日、本殿周辺を含めた土地2310㎡5544万円で購入することで、土地を所有する東京都の不動産会社と合意したと発表した。購入費の半額は文化庁からの補助金を予定。

 市は文化財保護法の国庫補助要綱に基づき延焼防止の理由で本殿軒先から20m四方の土地を購入した。来年度から本殿の本格修繕に入り、14年度に一般公開を予定している。

 同神社(約5000㎡)は拝殿など境内の解体がほぼ終了し参道も更地化される。このため、市は東隣にある市児童公園から本殿への通路を新たに設けるという   近況かしこみ


          グラフィックス1弘前東照宮  

建造物

本殿

建立

寛永5年(1628

指定年

昭和28年11月14日

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札3枚

平面形状

桁行三間、梁間三間

屋根

杮葺

屋根頂

千木無し

立面外観

妻入、向拝一間、軒唐破風付

壁・窓

桟唐戸

外周縁

刎高欄付き幅広の榑縁

軒裏組物

軒支輪 三斗 海老虹梁

中備

 

 

 

内陣特長

格天井、床の前半板張黒漆塗、

     後半一段高く板畳

彫刻

鬼板妻飾り蟇股

装飾

葵紋

見所

・東照宮としては豪華絢爛さはなく、簡素であるが、細部の構成など秀逸な建築
・軒支輪付きの三斗で出桁を受ける組物の構成は注目に値する

修理履歴

昭和45年(1970)大修理 平成15年修理  2014年屋根葺き替え

文化庁

説明文

寛永5年(1628)の建立であり、桁行3間・梁間3間で入母屋造柿葺の屋根を載せて妻入としている。四周に縁を回し、軒唐破風付きの1間の向拝を付け、そのつなぎには海老虹梁を用いている。

 他藩の東照宮に比して、素木造の簡素なものであるが、細部の彫刻をはじめ主体部の構造形式にいたるまで、桃山時代の建築技術が生かされており、県内の神社建築のなかでは、屈指のものである。





 4

熊野奥照神社 (くまのおくてる)

所在地

弘前市田町4-1-1

0172-32-7663

周辺環境

弘前駅の東北東1.2km程の辺り、弘前の街中に鎮座

歴史由緒

社伝によると、当社は奥尾崎(中泊町小泊地区付近という)に創建され、延暦7年(788年)扇野庄(弘前市付近)に遷座、大同2年(807年)には坂上田村麻呂が蝦夷征討にあたって祈願した神社であるという。その後いくたびか堂舎の造営がなされたというが、定かではない。

創建

崇神天皇(西暦紀元前八五年)の創立と伝承

祭神

伊邪那岐神・伊邪那美神

例祭

例祭日 七月十五日

リンク

弘前市   狛犬   かしこみ

特長

 

文化財

【重文】本殿  【市指定】・石造狛犬一対 寛文四年(1664)  ・板碑 建武三年(1336)


    グラフィックス1熊野奥照神社本殿ー1 本殿側面  グラフィックス1熊野奥照神社本殿ー2  本殿正面
 

建造物

本殿

建立

慶長18年(1613)

指定年

昭和29年9月17日

様式形式

三間社流造  素木造

再建

 

確証附

棟札五枚

平面形状

桁行三間梁間二間  三間の向拝

屋根

柿葺

屋根頂

 

立面外観

すべて角

壁・窓

 

外周縁

三面に縁

軒裏組物

向拝出三斗 身舎舟肘木

中備

 向拝:本蟇股

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

装飾

 

見所

向拝の組物・手挟・繋虹梁・懸魚などの細部には、桃山時代の様式

修理履歴

1966年  平成15年屋根葺替・部分修理





 5

櫛引八幡宮 (くしひき)

所在地

八戸市八幡字八幡丁3

0178-27-3053 

周辺環境

境内は「八幡山」と呼ばれ、樹齢100年以上の老杉が立ち並ぶ

歴史由緒

南部家初代光行公の草創  伝建久年間(1190-99年)

創建

誉田別尊:八幡大神

祭神

八幡大神 (誉田別命)

社格

郷社 南部の総鎮守  南部一之宮

リンク

HP    wiki

祭り

お浜入り神事(5月14日) 神輿が小中野の御前(みさき)神社に渡御する神事

・流鏑馬(秋季大祭当日)  社前に馬場を設けて昭和59年11月7日に復興したものである。

文化財

【重文】本殿、旧拝殿、末社神明宮本殿、 末社春日社本殿、南門

国宝

 国宝赤糸威鎧「菊一文字」・国宝白糸威褄取鎧国宝館収蔵)


   青森県八戸の文化財探訪  参照

建造物

本殿

建立

慶安元年(1648)

指定年

平成5年4月20日

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

 

平面形状

三間二間  

屋根

銅板葺

屋根頂

千木無し

立面外観

大型の流造

壁・窓

各部の彫刻秀逸

外周縁

3方 縁を廻す

軒裏組物

海老虹梁はダイナミック

中備

蟇股

妻面

狭間の彫刻?

内陣特長

 

彫刻

 

脇障子

左甚五郎の彫刻

見所

屋根の流れの曲線の美しさは特筆 彫刻や彩色文様に見るべきものがある。桃山時代の遺風が察せられる

修理履歴

平成15年 屋根吹き替え・部分修理

文化庁

説明文

櫛引八幡宮は、盛岡藩の総鎮守としてさかえた神社で、青森県八戸市の西方郊外に位置する。

 本殿など現在の各社殿は、正保二年~慶安元年(一六四五~八)に盛岡藩の直営で造営が行われた。

 三間社流造で、各部を彫刻と極彩色で飾った華やかな意匠をもつ本殿や、東日本で類例の少ない春日造社殿の末社春日社本殿をはじめとして、同時代の建物が群としてのこっていることが貴重である。



建造物

旧拝殿

建立

慶安元年(1648年)

指定年

 

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

 

平面形状

桁行七間・梁間三間 向拝一間

屋根

銅板葺

屋根頂

 

内陣特長

「長所」として使用

彫刻

 

装飾

 

見所

舟肘木に一軒の疎垂木

修理履歴

 

重文

末社神明宮本殿  拝殿左脇宮

末社春日社本殿  拝殿右の脇宮

南門

特長

一間社流造 銅板葺

元文4年(1739年)

一間社 春日造本殿・銅板葺  

元文4年(1739年)

四脚門、切妻造銅板葺  

慶安元年(1648年)





 6

高照神社  (たかてるじんじゃ)

所在地

弘前市高岡字神馬野87字獅子沢128-92

周辺環境

岩木山の南東5km程の辺り、百沢温泉の近くに参道入り口があり。そこから北西に伸びる参道を300m程行った辺りに壮麗な社殿を構え鎮座している

歴史由緒

宝永7年(1710年)に卒去した弘前藩4代藩主の津軽信政の廟所に起源

創建

 正徳2年(1712年

祭神

津軽信政命 武甕槌神 天児屋根命

伊波比主神比売神  津軽為信命

社格

県社

リンク

弘前市    wiki  狛犬   のんびり

例祭

旧暦7月21日

文化財

本殿、中門、西軒廊、東軒廊、拝殿及び弊殿,随神門、津軽信政公墓、廟所拝殿、廟所門 

 

本殿から鳥居までの主要建造物が東西軸上に配され、これは吉川神道に基づく独特な社殿構成、国内で唯一現存する貴重な神社建築がある。

文化庁

説明文

高照神社は,弘前藩第4代藩主の津軽信政を祀る廟所が営まれたことに始まる。 東から鳥居,随神門,拝殿及び幣殿,中門,本殿が東西軸上に建ち並び,津軽信政公墓のある廟所は,本殿の約200m西方にある。

 年代は,津軽信政公墓が宝永7年(1710),廟所拝殿が正徳元年(1711),本殿,中門が正徳2年(1712),拝殿及び幣殿が宝暦5年(1755)と判明する。

 高照神社は,吉川神道に基づく独特な社殿構成であり,全国的にほとんど類例がなく,近世神社建築の展開の一端を示すものとして,高い価値がある。

 本殿や拝殿及び幣殿は,規模と形式が充実し,装飾細部も優れ,各時期の造形をよく現しており,地方的特色を具備する重要な遺構である。



  8-1-2 高照神社本殿-1  8-1-2 高照神社本殿-6


  8-1-2 高照神社本殿-3   8-1-2 高照神社本殿-    
                     本殿 

建造物

本殿

建立

正徳2年(1712)

指定年

平成18年7月5日

様式形式

方3間  入母屋造

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

杮葺

屋根頂

 

立面外観

千鳥破風 向拝軒唐破風

壁・窓

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

装飾

 

見所

 

修理履歴

 

他の重文

 

中門

西軒廊

東軒廊

拝殿

幣殿

随神門

 塀2棟

廟所拝殿

廟所門

信政公墓

附手水舎

四の鳥居

1間1戸の平唐門       杮葺   正徳2年の造営

桁行4間梁間1間の切妻造   杮葺   正徳2年の造営

桁行4間梁間1間の切妻造   杮葺   正徳2年の造営

桁行7間梁間3間の入母屋造、正面屋根に千鳥破風を飾り、中央3間に軒唐破風の向拝

梁間3間桁行2間の切妻造妻入    宝暦5年(1755年)の7代藩主信寧の造替

3間1戸 切妻造 鉄板葺の八脚門   文化7年(1810年)9代藩主寧親

 

桁行3間梁間2間の切妻造銅板葺、背面一間が突出 5代藩主信寿による正徳元年の信政の葬儀に建立

切妻造 屋根は起りのある銅板葺 1間 腕木門

墓石二重の八角形石造台座の上に八角形石柱を立て、頂部に笠石を載せる。拝墓と呼ばれる前方の津軽信政公墓は、三重の方形石造台座の上に方形石柱を立てる。



   8-1-2 高照神社拝殿-1  8-1-2 高照神社拝殿-3 
    拝殿
   8-1-2 高照神社拝殿-2  8-1-2 高照神社中門             拝殿 詳細                    随身門

   8-1-2 高照神社廟所門  8-1-2 高照神社廟所門-2                                廟所門   

   8-1-2 高照神社廟所-1  8-1-2 高照神社廟拝殿                                廟所




 7

最勝院  (さいしょういん

所在地

弘前市銅屋町63 

0172-34-1123

周辺環境

弘南鉄道沿線で、弘前大学医学部の近所

歴史由緒

最勝院は、天文元年(1532年) 弘信上人が堀越城外萩野の地に三宇の伽藍を造営したのに始まる

創建

天文元年(1532年) 弘信 

山号

 金剛山 金剛山光明寺最勝院

札所

東北三十六不動尊15番 北国八十八箇所59番

津軽八十八箇所49番  津軽弘法大師霊場1番

リンク

弘前市     HP     wiki 
日本の塔      がらくた

特長

 

文化財

五重塔  


  グラフィックス1最勝院五重塔ー1 グラフィックス1最勝院五重塔ー2  グラフィックス1最勝院五重塔ー3

建造物

五重塔

建立

寛文7年(1667)

指定年

明治41年4月23日

様式形式

日本最北に位置する五重塔

再建

 

確証附

旧伏鉢 旧露盤

平面形状

方3間

屋根

銅板瓦葺

屋根頂

 

立面外観

全高31.2m 路盤まで21.8m

総高に対し相輪部分が長

五重目の柱間が 初重の約半分

壁・窓

初重  :連子窓、

二・三重:格狭間、四・五重盲連子 

外周縁

逆蓮柱を付した縁

軒裏組物

 三手先 二軒繁垂木

中備

十二支の文字が彫り込まれた蟇股

二重は蓑束、三・四・五重は間斗束

内陣特長

心柱は角柱 来迎壁や四天柱等を緑青、群青、胡粉、辨柄、金箔、銀箔等を使い極彩色で彩られている

装飾

 

歴史

この五重塔は津軽為信が津軽統一の過程で戦死した死者の供養塔として、大円寺六世京海が弘前三代藩主津軽信義の後援を得て明暦二年(1656年)に着工したが京海が倒れた為一時中止され、次の住職当海が四代藩主信正の後援を得て寛文七年(1667年)に竣工した

修理履歴

・元は、真言宗大円寺所属のもので、明治5年神仏仕分けの際大円寺は大鰐町倉館へ移り、その後を最勝院が譲り受けたとされています

平成年(1991)9月、津軽地方を襲った19号台風により倒壊寸前の被害を受けた

建立 より約330年を経て、全面解体修理を行った。部分修理を含めて、今回で7回目の大規模修理





 8

長勝寺

所在地

弘前市西茂森1-3-8 

周辺環境

弘前城の南西に位置する禅林街は33もの寺が立ち並ぶ寺院街。

中でも長勝寺は津軽家代々の当主が眠る菩提寺として著名である。

歴史由緒

1528年(享禄元年)大浦盛信が父光信の菩提を弔うため、菊仙梵寿を開山として種里(現在の西津軽郡鰺ヶ沢町種里町)に創建された寺である

創建

1528年(享禄元年大浦盛信、菊仙梵寿

山号

太平山

札所

津軽藩の菩提寺である

リンク

弘前市  Wiki     のんびり

特長

 

文化財

【重文】三門 本堂、庫裏 御影堂 環月臺、碧巌臺、明鏡臺、白雲臺、凌雲臺 銅鐘

長勝寺溝(国の史跡)

長勝寺を先端に置いた、西に張り出した舌状台地の基部を、600m程にも及ぶ長い土塁で防御した構造

で、禅林街という寺街全体が有事の際には出城として機能するように構築されていた

黒門(市文化財)

文化庁

説明文

長勝寺は曹洞宗に属し、寛永六年建立の三門は重要文化財に指定されている。御影堂は初代弘前藩主津輕為信の木像を祀った方三間堂で、内部の厨子や須弥壇は重要美術品に認定されている。御影堂の架構は簡明で力強く、厨子や須弥壇の仕事も優秀で、彫刻などの細工もよい。また、各部に施された彩色や絵画もみるべき点がある。藩祖を祀るこの御影堂は南に配された津輕家霊屋と一体となって貴重である。



建造物

   三門

建立

寛永6年(1629

指定年

昭和11月9月18日 

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札1枚

平面形状

三間一戸  桁行9.7、梁間5.8

屋根

とち葺

屋根頂

 

立面外観

高さ16.2m

壁・窓

 

外周縁

上層 高欄

逆蓮柱の親柱

軒裏組物

二軒繁垂木 禅宗様三手先詰組

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

装飾

 

見所

・花頭窓の漆塗り部分のほかは素木造
・岩木山神社楼門と同じ柱を上から下までの通し柱とする特殊な構造

修理履歴

大修理数回修理を受けた、

文化6年(1809年)大修理で、下層に花頭窓を設け仁王像を置くなど形式上の変更がなされた。 


       グラフィックス1長勝寺 本堂 本堂 グラフィックス1長勝寺 三門  山門

建造物

   本堂、庫裏

建立

慶長(1596~1614)

指定年

平成5年8月17日 

様式形式

曹洞宗の本堂建築 入母屋造

庫裏:切妻造

再建

 

確証附

 

平面形状

本堂 桁行22.7m、梁間16.3m

庫裏 桁行18.8m、梁間13.9m

屋根

茅葺き 銅板葺

茅葺

屋根頂

 

立面外観

正面玄関、背面庇附属

壁・窓

3本溝の窓

両折戸欄間

外周縁

 

軒裏組物

船肘木一軒の垂木

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

装飾

 

見所

・方丈形の曹洞宗本堂として全国的にも最古

修理履歴

平成1720年度に大規模修理、当初の形式に復旧整備された

正面向拝玄関を撤去して一連の窓構に復し、南端に一間半の出入口を設けた。本堂正面の板敷廊下東半分を土間に復旧し、屋根のとち葺型銅板葺をこけら葺に戻すなど、当初の姿を復元する整備を行った。

庫裏

庫裏は、大浦城台所を移築したと伝え、側柱と中央通りの柱を揃えて立て、各柱に登梁を架け渡し、これに小屋束を立てて和小屋を構成する。平成23年度半解体修理



建造物

御影堂

建立

寛永6年(1629

指定年

1986.01.22(昭和61

様式形式

宝形造

再建

 

確証附

厨子及び須弥壇

平面形状

方三間

屋根

銅板葺

屋根頂

 

立面外観

 

壁・窓

黒漆塗の桟唐戸

外周縁

 

軒裏組物

二軒疎垂木

中備

 

 

 

内陣特長

虹梁を主体とし、来迎柱や天井などには極彩色で絵や文様が描かれている

歴史

為信の二十三回忌法要2代藩主信枚が建造 「津軽家霊屋」と一体

修理履歴

文化2年(1805)に大規模な修理

文化2年(1805)、その位置を本堂の中心部の真後ろに、さらに、正面を南から東へ変える大改造

全面的な彩色工事

内部厨子

厨子は1間の建築型厨子で入母屋造木瓦葺の屋根を載せており、二軒繁垂木を禅宗様三手先詰組の組物で受けている。漆塗りの極彩色であり各部に金箔や金泥が多用されていて、実に華麗な造作が施されている。 


     グラフィックス1長勝寺 御影堂 御影堂   グラフィックス1長勝寺 津軽家霊屋 津軽家霊屋


建造物

津軽家霊屋 環月臺
碧巌臺、
明鏡臺、
白雲臺、凌雲臺 

建立

江戸時代 各期

指定年

昭和61年1月22日

様式形式

入母屋造の妻入

再建

 

確証附

扁額

平面形状

正面1間・側面2間・背面2間

屋根

柿葺

屋根頂

 

立面外観

5棟とも素木造

壁・窓

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

5棟とも霊屋の前面に門玉垣を回

内陣特長

板床鏡天井石造無縫塔

彫刻

 

装飾

 

見所

初代為信の御影堂より南へほぼ一直線に5棟並

環月臺: 初代為信室の霊屋で、初め寛永5年(1628) 寛文12年(1672)に再建

碧巌臺: 2代藩主信枚の霊屋で寛永8年(1631)

明鏡臺: 2代信枚室のもので寛永15年(1638)に建立

白雲臺: 3代藩主信義の霊屋で明暦2年(1656)

凌雲臺: 6台藩圭信著のもので宝暦3年(1753)

見所

・同様の規模、細部の様式がそれぞれに異なり、その時代的変化をみることができる。



建造物

銅鐘  【重文】

建立

嘉元4年(1306)

指定年

昭和16年11月6日

概要

高さ103.5cm 径76.5cm 厚8.5cm

リンク

青森県 弘前市

青森県

説明文

〈鎌倉時代後期〉

  この鐘は、元藤崎満蔵寺(弘前市西茂森町万蔵寺の前身、元臨済宗)の鐘であったものを、慶長の頃弘前藩の命により長勝寺構に移し、曹洞宗に改め、親寺の長勝寺に釣ったものである。

 銘にある崇演は北条貞時の法名で、寄附した人達は当時の豪族達であろう。そのなかの源光氏は弘前市中別所の板碑にある銘と同じである。板碑は正応元年(1288)、鐘は嘉元4年(1306)で18年の隔たりがあるだけであるから同一人でこの辺(元高杉郷)の領主であった。

 藤崎付近には北条氏の領地があり、銘文中の安倍季盛は当時の藤崎城主とみられる。 

弘前市

説明文

この鐘は、もと藤崎にあった満蔵寺( 現万蔵寺 )に寄進されたものと伝えられる。伝承では、同寺の開基は鎌倉幕府の五代執権北条時頼で、もとは臨済宗に属し護国寺と称したという。その後曹洞宗に改め、慶長年間弘前に移ったものである。

鐘は、嘉元4年(1306年)の紀年銘が切られているところから嘉元の鐘と呼ばれる。寄進者の中にある崇演とは九代執権北条貞時の法名であり、沙弥道性は、『津軽降人交名注申状』にみえる曽我太郎兵衛入道々性と考えられる。源光氏は中別所の板碑にもその名が見られ高杉郷主と思われまた安倍季盛は安藤一族と考えられる。中世を知る文献が少ない当地にあって北条氏と津軽の関係を示す貴重な資料である。





 9

誓願寺 (せいがんじ)

所在地

弘前市新町247

0172-34-5532

周辺環境

 

歴史由緒

慶長元年に旧平賀町の大光寺に創建されたと伝わっています。現在の地に移転したのは、元和元年(1615)。弘前城の西の鎮護としてこの地に移されたとされています。

この由緒ある誓願寺ですが、弘前の地に移転して以後、四度の火事に見舞われるという災難のため、現在ある本堂などの建物は比較的新しい年代のもとのなります。重文の山門のみが火災を免れました。

創建

慶長元年(1596

山号

光明山 無量院

札所

 

リンク

弘前市      青森魅力

文化財

山門  京都誓願寺の門を模して造られたと伝えられる


           グラフィックス1誓願寺


建造物

山門

建立

江戸時代中期

指定年

昭和13年8月26日

様式形式

重層四脚門 高さ約7m

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

杮葺

屋根頂

 

立面外観

正面に切妻破風、切妻造、妻人

壁・窓

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

蟇股室町期の手法

 

 

見所

建物は全体に彩色されており、上層の四周板壁には十二支の動物の絵が描かれている。
正面中央に高く切妻造の破風を表し、下方左右に片流れの招破風
   
別名 
鶴亀門:懸魚に鶴、亀の彫刻がある。

修理履歴

昭和51年 屋根葺き替え





 10

 円覚寺  (えんがくじ)

所在地

深浦町深浦字浜町275   公開(有料)

0173-74-2029 

周辺環境

 

歴史由緒

深浦港西側の山ふところにある円覚寺は、大同2年(807)に坂上田村麻呂が津軽蝦夷討征の懐柔策としてその拠点を深浦におき、陣中で使った仏と聖徳太子の作といわれる十一面観音を安置させたのが寺の起源

創建

(伝)坂上田村麻呂(伝)大同2年(807年)

山号

春光山

札所

津軽三十三観音霊場第十番  津軽三十三観音霊場第九番朱印所

津軽弘法大師霊場十二番   北国八十八ヶ所霊場第六十番

リンク

wiki  HP  深浦町

文化財

薬師堂内厨子



建造物

薬師堂内厨子

建立

 永正3(1506) 

指定年

昭和28年8月29日

様式形式

1間の建築型厨子  入母屋造

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

板葺屋根

屋根頂

 

立面外観

禅宗様

壁・窓

 

外周縁

 

軒裏組物

三手先詰組 二軒扇垂木

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

装飾

 

見所

頭貫と飛貫の間の網目に梵字を透かし彫りにした欄間

小脇壁や腰の装飾彫刻など、華麗な技法で細部まで手の込んだ建築

修理履歴