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寺社建築文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源と変遷、文化財の諸問題を探訪しています。 又文化財拝観資料も記載しています。
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最近の探訪  信州南部の旅ー3  2015年10月


ブログ2-最近の寺社探訪記長野-3


 

最近の探訪

  山梨~長野県南部の建造物文化財の探訪ー3

 

 

13、法住寺         上田市 東内 4313

  
 平安時代に創建されたと伝えられる天台宗の古刹・法住寺の信仰の中心となっている。
 堂名の虚空蔵が部落名になっているほど地域信仰の中心となってきた.

 

1

 虚空蔵堂

建立

文明18 : 1486 

指定年

大正11.04.13

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

厨子  棟札 

平面規模

桁行三間、梁間四間

屋根

杮葺 鬼板

妻面

 

立面外観

向拝一間

壁・窓

 

外周

切目縁

軒裏組物

二重繁垂木 出組

中備

束なし間斗束

 

 

内陣

内陣と外陣の間は格子戸

リンク

 

特長

全体として和様、頭貫、木鼻、肘木の形、虹梁、扇垂木、厨子などの細部には禅宗様

ポイント

南北に流れる屋根の曲線 

麦藁帽子のような屋根、頭が飛び出た入母屋造の屋根は少ない

修理履歴

2013年:虚空蔵堂保存修理工事 44年ぶりに「こけら葺き」の屋根葺替え2015完了

鬼板の鬼面彫刻・箱棟銅板紋章の漆箔・金箔押し修理。

文化庁

解説文なし



     
      9-2 法住寺ー1 151028     9-2 法住寺ー2 151028



      9-2 法住寺ー3 151028     9-2 法住寺ー4 151028
     

 

 

 

14、前山寺       上田市前山300        0268-38-2855

 

812年弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創したといわれる。当初は法相宗と三論宗を兼ねていたが、1331年善通寺から長秀上人が訪れ、現在の地に移し規模を拡大させたとされる。のち貞享年中(1684年~1687年)に真言宗智山派に改宗された

 

1

 三重塔

建立

室町後期  1467-1572 

指定年

大正11.04.13

建築様式

三間三重塔婆

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

高さ19.5m

壁・窓

桟唐戸 連子窓

上層には無い

外周

一層 擬宝珠高欄

上層 縁高欄なし

軒裏組物

三手先組物 二軒繁垂木

中備

間斗束

 

 

内陣

四天柱がなく、折上小組格天井とし、中央に須弥壇

リンク

日本の塔 上田市

特長

「未完成の塔」とも「未完成の完成塔」ともいわれて名高い

ポイント

・緩やかな 軒反りが美しい  ・回縁のための胴貫は上層に出ている。

・木鼻としては、初期もの、牙もあり、目も彫ってある。ただし、目の位置が高すぎて脳の部分が低くなり過ぎた。そこで前々から「低脳〔ていのう〕木鼻」という愛称がつく。

修理履歴

平成9~10年 屋根葺替



     9-2 前山寺ー1 151028               9-2 前山寺ー2 151028     



     9-2 前山寺ー3 151028      9-2 前山寺ー4 151028

 

     9-2 前山寺ー5 151028

 

 

15、中禅寺            上田市 前山 1721    0268-38-4538

 

塩田平の独鈷山の麓にある小寺で、信州最古の木造建築として知られる中禅寺薬師堂があります。

 

1

 薬師堂

建立

鎌倉前期  1185-1274 

指定年

昭和11.09.18

建築様式

宝形造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

茅葺 鉄製露盤

頂部

伏鉢、宝珠

立面外観

角柱面取柱

壁・窓

両開き板扉

外周

切目縁を廻す

軒裏組物

舟肘木 一重繁垂木

中備

なし

 

 

内陣

内陣は格天井、丸い四天柱来迎壁

外陣は太い垂木をそのままあらわした化粧屋根裏

リンク

 

特長

藤原時代の阿弥陀堂形式であることから、平安末の建築ではないかと思われてきたが、肘木や格狭間の形からみると鎌倉初期のものとも推定される。県下最古の建築であり、中部日本最古の建築でもある。端正で質実剛健な外観である

ポイント

舟肘木、格狭間の形式から鎌倉時代初期と推定される。 

軒反りは垂木勾配をかえて作る捻り軒

修理履歴

平成14年 屋根葺替・部分修理



     9-2 中禅寺ー1 151028      9-2 中禅寺ー2 151028


     9-2 中禅寺ー3 151028      9-2 中禅寺ー4 151028

 

 

 

16、安楽寺     上田市別所温泉2361    0268-38-2062

 

安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙(しょうこくいせん)が住してからである。

樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧で、生没年ははっきりしないが、13世紀半ばに宋に留学し、著名な禅僧の蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したという。2世住職の恵仁は宋の人でやはり樵谷惟仙が日本へ帰国するのと同じ船で来日した。

鎌倉時代の安楽寺は北条氏の庇護を得て栄えたが、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみである。室町時代、天正8年(1580年)頃、高山順京(こうざんじゅんきょう)によって再興され、以後曹洞宗寺院となっている。

木造惟仙和尚坐像木造恵仁和尚坐像  安楽寺開山と2世住職の頂相(ちんそう、肖像)彫刻である。 いずれも嘉暦4年(1329年)の作。本堂裏にあるコンクリート造の傳芳堂に安置

 

1

 八角三重塔

建立

鎌倉後期

指定年

昭和27.03.29

建築様式

八角三重塔婆

再建

 

確証附

仏壇  棟札 

平面規模

基壇を設けず、自然石礎盤

屋根

こけら葺

妻面

 

立面外観

もこし付高さ18.75m

壁・窓

連子窓 桟唐戸

外周

縁や手摺がない

軒裏組物

裳階出組、三手先詰組 二軒扇垂木

弓欄間

 

頭貫台輪に木鼻

内陣

折上鏡天井 二手先組物  外陣化粧屋根裏

リンク

日本の塔

特長

2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。

このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高い

修理履歴


2011年11月に屋根の葺き替えは60年
ぶり、頭頂部金具の修理は100年ぶりとなる大規模な修復工事が行われた。総事業費は約3,500万円

文化庁


別所温泉近くの安楽寺は弘安年間に創建された臨済宗寺院で,鎌倉の建長寺と関係が深い。三重塔は初重に裳階を付けるため4重屋根になり,現存唯一の八角形の平面で,様式的特徴から鎌倉時代後期と考えられている。緩やかなこけら葺きの屋根,放射状の垂木,詰組とした各重の尾垂木付き三手先組物など,本格的な禅宗様である。  


     9-2安楽寺1   9-2安楽寺2



     9-2安楽寺4       
    
      

 

17、常楽寺        上田市 別所温泉 2347   0268-37-1234

 

安和2年(969年)平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築と伝えられる

寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失すが、源頼朝の命のもと伽藍復興れ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。  本堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がない

 

「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれている。 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われる。

 

別所にある安楽寺、長楽寺、常楽寺の3寺は、合わせて三楽寺として慈覚大師の開基で創建されました。現在、長楽寺が残っていませんが、安楽寺と常楽寺は立派に残っています。本尊は妙観察知如来で、この地方は古くから仏教経学の中心地であったのですが、とくに鎌倉時代には「信州の学海」と称されるほどに栄えていたため、信濃で経学に志す者はこの地で修行をしたといいます。

 

 

1

 多宝塔

建立

鎌倉後期  1275-1332 

指定年

昭和36.03.23

建築様式

石造多宝塔

再建

 

確証附

なし

立面外観

安山岩、総高 163Cm

壁・窓

 

外周

 

 

 

リンク

日本の塔 上田市

特長

弘長2年(1262)、阿闍梨頼真が全銀泥で書写した一切経を納め建立したと刻記

笠の背は低く降り棟の反りもわずか、軒先の切口は厚く四角で少しはねあげ、軒端を垂直に切っています。こうした重厚で堂々とした風格や造り方からみて、鎌倉期多宝塔の代表といえる。

石造多宝塔のすぐれたものは全国的にも少なく、わが国で重要文化財に指定されているものは、この常楽寺塔と滋賀県の「少菩提寺塔〔しょうぼだいじとう〕」の二つ。

中でも少菩提寺塔は多宝塔本来の形とやや異なるので、常楽寺塔は最も大切な遺品と考えられている。

文化庁

解説文なし



     9-2 常楽寺ー1 151028      9-2 常楽寺ー2 151028

 

 

 

18、大法寺      小県郡青木村当郷東日向2052    0268-49-2256

 

大宝年間創建。年号をとって大宝寺と号し、後に大法寺と改めたという。ただし、定恵(定慧)は正史には天智天皇4年(666年)に没したとされる人物で(没年には異説もある)、前述の伝承とは年代が合わない。また、創建時の年号「大宝」に由来する寺号をわざわざ改称した根拠も不明確であり、当寺の草創については正確な事情は不明と言わざるをえない。寺の付近は東山道の浦野駅のあった土地であり、浦野駅関連の寺院であったとする説が有力である。

現存する十一面観音像は、作風から平安時代後期・10~11世紀頃にさかのぼると見られる古像で、その頃には寺観が整っていたものと思われる。

 

木造十一面観音立像 ― 平安時代の作。十一面観音像は観音堂に安置され、その脇侍とされる普
 賢菩薩像は本堂に
ある。桂の木を使った一本造り彫眼である.卵形の顔にふっくらしたほほ、古
 風で優美な像.平安時代中期藤原
期の作と考えられる.像高:171㌢㍍

・脇侍普賢菩薩立像― 平安時代の作  桂の木を使った一本造り(寄せ木造りでない)彫眼.

 十一面観音と同じ時期の作と考えられる.像高:107㌢㍍

(仏像拝観には、予約が必要)

 

1

  三重塔  国宝

建立

正慶2(1333)

指定年

昭和27.07.19

建築様式

三間三重塔婆

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

二重繁垂木

壁・窓

盲連子窓 板唐戸

外周

 

軒裏組物

三手先 初重は二手先

中備

蟇股 間斗束

 

 

同形式

奈良の興福寺三重塔、および石川県の那谷寺三重塔

リンク

日本の塔

特長

別名:見返りの塔(塔の姿が美しい)

大阪天王寺の工匠によって造営された.高さ:六一尺二寸七分(18.38㍍)

地方にあって、中央の工匠により造営が行われた洗練された美しさを誇る三重塔

鎌倉時代から南北朝時代に移る過渡期に当っている。このころには、装飾的な彫刻を各所につけるのが通例であるが、この塔では初重中央間の簡単な蟇股以外、細部の装飾は一切用いていない。まことにきまじめな手法をとっている。しかしそれらにみられる手法はきまじめであるだけに、正規のものであって、地方的なくずれが少しもみられない

ポイント


初重が特におおきいのがこの塔の最も大きな特色

二三層の軸部が細くしまり、軒が深く軽快な、しかも安定した姿が賞され、組勾欄や平行する二重繁垂木、隅の部分だけで反り上る水平の軒線、桧皮葺の屋根、初層の盲連子窓や両開きの板唐戸やかえる股など、和様建築を学習する良い資料と言われています。

修理履歴

大正9年 解体修理、昭和59年 屋根葺替 平成26年8月 屋根葺替部分修理工事

文化庁

解説文

三重塔は正慶二年の建立で純和様の手法になり、美しい水煙を乗せ安定した容姿をしている。内部の極彩色は、剥落がひどく惜しいが中央の佛壇は唐様を混用し美しい格狹間や特色のめる擬宝珠を用いている。

俗に見返りの塔と呼ばれ、東日本に於ける現存塔婆中屈指のものである。



     9-2 大法寺ー1 151028      9-2 大法寺ー2 151028



     9-2 大法寺ー3 151028      9-2 大法寺ー4 151028

 

 

2

観音堂厨子・須弥壇

建立

室町前期

指定年

昭和28.03.31

建築様式

一間厨子、入母屋造

屋根

本瓦形板葺

確証附

なし

立面外観

円柱つき

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

三手先詰組 二重扇垂木

中備

 

 

 

内陣

須弥壇 唐様須弥壇、高欄付

リンク

 

特長

厨子の棟に木彫の鯱をつけているのは他に例がないという

ポイント

軒は真(しん)反(ぞり)と云って中央から両端に反っている

修理履歴

昭和59年 屋根葺替

 

 

 

19、国分寺   上田市大字国分1049   0268-24-1388 

 

創建された時期は明らかではない。発掘調査によって平安時代初期まで認められている。

しか、現国分寺位置への移転の年代は定かでない。

 

寺伝では承平8年(938年)に平将門と平貞盛の合戦で焼亡したという。ただし『将門記』にも国分寺辺での合戦の記録があるが詳細は明らかではなく、発掘で明らかとなった焼けた痕跡も一部に留まっていることから、他国の国分寺同様に平安時代末期の律令制衰退により荒廃したと見られている。

尼寺はその後も当初の地にしばらく存続したようだが、この事件を機に約300m北方の現在の地に寺域が移転したと考えられる。

 

現寺院の境内にある石造多宝塔は鎌倉時代の作と見られることや、寺伝では三重塔の建立を建久8年(1197年)ということから、移転時期を平安時代と見る考えがある。

 

 

1

  三重塔

建立

室町中期  1393-1466 

指定年

明治40.08.28

建築様式

三間三重塔婆

再建

 

確証附

 棟札 

平面規模

 

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

高さ20.1

壁・窓

板唐戸 連子窓

外周

高欄のない縁

軒裏組物

三手先組物、二軒繁垂木

中備

間斗束

 

 

内陣

四天柱、来迎壁・須弥壇

リンク

日本の塔

特長

建久8年(1197年)の墨書があったと伝わるが、様式から室町時代中期の建立と推定されている  全国の国分寺で現存する塔は、五寺(備中・豊前・飛騨・越後・信濃)

ポイント

軒反りが非常に強い

修理履歴

昭和7~8 解体修理

文化庁

解説文なし



     9-2 国分寺ー1 151028      9-2 国分寺ー2 151028


     9-2 国分寺ー3 151028 本堂







  山梨~長野県南部の建造物文化財の探訪 終わります。

 

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