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寺社建築文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源と変遷、文化財の諸問題を探訪しています。 又文化財拝観資料も記載しています。
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最近の探訪  信州南部の旅ー2  2015年10月

ブログ 最近の寺社探訪記長野-2




最近の探訪

  山梨~長野県南部の建造物文化財の探訪ー2

 




●10月5日



7、乙事諏訪社 (おっこと)     諏訪郡富士見町大字乙事5410

乙事区には旧乙事村の産土神で御別当神を祀った御別当社と、五味太郎左衛門同族の氏神で御別当大明神を祀った神社があり、2社とも諏訪大明神を祀っていました。社名はそれぞれ「乙事諏訪神社上社・下社」に改め、上社は諏訪神社上社本宮の拝殿を再建し、下社は舞屋・本殿を建築しました。

 

 

 

1

  拝殿

建立

元和3 : 1617 

指定年

昭和5.05.23

建築様式

向唐破風造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行一間、梁間一間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

吹寄せ垂木

中備

 

 

 

修理履歴

昭和25年に復元修理

文化庁

解説文なし

 

 

2

  幣殿

建立

元和3 : 1617 

指定年

昭和5.05.23

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

正面一間、一重

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

脇障子

特長

小脇壁、脇障子などに非常に細かく華麗な彫刻を彫り込んでいます

 

 
   9-2 乙事諏訪ー1 151028   9-2 乙事諏訪ー2 151028


   9-2 乙事諏訪ー3 151028   9-2 乙事諏訪ー4 151028

 

7、諏訪大社上社前宮   長野県茅野市宮川2030     TEL:0266-72-1606

前宮御本殿は内御玉殿から200m程上段で、古くは神殿に附属したお社でした。高台で豊富な水や日照が得られ

る良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。

現在の社殿は昭和七年伊勢の神宮の御用材を以て建られたものです。  

前宮(まえみや)は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。

境内には水眼(すいが)川が流れる。

当地には上社大祝の始祖とされる諏訪有員が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていた。

大祝は神体と同視(= 現人神)されていたことから、その居館は「神殿(ごうどの)」と尊称され、周辺は

「神原(ごうばら)」と呼ばれた。当地では代々の大祝職位式のほか多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれ

た。大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。

 

のち諏訪氏は兵馬の惣領家と祭祀の大祝家とに分かれ、政治の中心地は惣領家の居城である上原城に移った。

そして大祝の屋敷もまた慶長6年(1601年)に移転したが、祭事は引き続いて当地にて行われていた。

江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定め

られた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として

長野県の史跡に指定されている。


   9-2 諏訪前宮ー1 151028   9-2 諏訪前宮ー2 151028


   9-2 諏訪前宮ー3 151028   9-2 諏訪前宮ー4 151028

 

 


8、諏訪大社上社    諏訪市大字中洲  0266-52-1919 

         信濃国一宮

創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。

また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる

 

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」・「諏訪大明神」等とも呼ばれる。

当社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背林(通称 御山)、秋宮はイチイの神木、春宮はスギの神木を神体とし、拝殿からそれらを拝する。なお、前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿を有している

 

保2年(1831)から9年にかけて社殿を再建、現在見られる多くの建物はその当時のもので立川和四郎二代目富昌が棟梁として手掛けています。明治時代初頭に発令された神仏分離令と廃仏毀釈により仏式が排除され御神体とされた鉄塔(石塔:2m)が諏訪家菩提寺の温泉寺に移されています。

 

1

 本宮幣殿

建立

天保6 : 1835 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

正面一間、一重

屋根

銅板葺

妻面

 

特長

この建築は天保六年(1835)に上棟式をしており、工匠は上諏訪の人 幕府から内匠(たくみ)の称号を許された名匠二代立川和四郎富昌の作である。拝殿と幣殿をつづけ本殿を設けない諏訪社様式で 安定もよく彫刻も美しく富昌の代表作であり また左片拝殿にみる蟇股から脱化した粟穂に鶉の彫刻は写生に徹した富昌の至芸である

ポイント

拝殿の後ろに幣殿、左右に片拝殿が続く「諏訪造」と呼ばれる独自配置

幣拝殿を間近で見ることができない

修理履歴

平成2~3年 部分修理・解体修理   平成27年5月屋根葺替・部分修理完了

文化庁

解説文

諏訪大社は信濃国一宮として古くから崇敬を集めている古社で、七年毎に行われる御柱祭は全国的に著名である。神社は上社と下社に分かれ、上社はさらに前宮と本宮よりなる。

 本宮の現社殿は天保六年(1835)造替のもので、本殿を持たない、門形式の幣殿とその前の拝殿、翼廊状の片拝殿など、この神社特有の形式、配置をよく伝えている。竜や雲、千鳥などの彫刻が鏤められた華麗な建築は、地元の工匠立川流二代目富昌の代表的建築として貴重である。また、四脚門は、幣殿、拝殿より古く、慶長十三年(1608)造営と伝えるもので、磐座信仰の本来の軸線を示す位置にある。

 

 

   9-2 諏訪上社本宮ー1 151028   9-2 諏訪上社本宮ー2 151028


   9-2 諏訪上社本宮ー3 151028   9-2 諏訪上社本宮ー4 151028

 

2

 本宮拝殿

建立

安政4 : 1857 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

向唐破風造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行一間、梁間一間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

左右袖壁附属

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

平成2~3年 部分修理・解体修理

3

本宮左右片拝殿(左)

建立

天保6 : 1835 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造、拝殿側唐破風造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行二間背面三間梁間二間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

背面突出部附属

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

平成2~3年 部分修理・解体修理

4

本宮左右片拝殿(

建立

天保6 : 1835 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造、拝殿側唐破風造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行二間背面三間梁間二間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

背面突出部附属

壁・窓

 

外周

 

修理履歴

平成2~3年 部分修理・解体修理

5

 本宮脇片拝殿

建立

天保6 : 1835 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行三間、梁間一間

屋根

銅板葺

妻面

 

修理履歴

平成2~3年 部分修理・解体修理

6

 本宮四脚門

建立

慶長13 : 1608 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

 

平面規模

四脚門

屋根

銅板葺

妻面

 

特長

四脚門は天正十年(1582)の兵変によって消失したものを慶長十三年徳川家康が時の勘定奉行大久保長安(佐渡金山奉行を兼ねる)に命じて建立させたものである

この門はかつては大祝(祭神の子孫であり神を顕現する者)だけが最上段の硯石と呼ばれる磐座へ登って行った門である

修理履歴

平成2~3年 部分修理・解体修理

 

 
  9-2 諏訪上社本宮ー5 151028   9-2 諏訪上社本宮ー6 151028

      9-2 諏訪上社本宮ー7 151028    9-2 諏訪上社本宮ー8 151028

  9-2 諏訪上社本宮ー9 151028    9-2 諏訪上社本宮ー10 151028 


 

9、遠照寺          伊那市高遠町山室2010  0265-94-3799

  高遠城址公園から車で30分ほど北東にある妙朝山遠照寺は、日蓮宗のお寺で、牡丹の寺として知られています。

 また高遠に遠流された大奥の絵島の分骨墓があります。

 

1

  釈迦堂

建立

天文18 : 1549 

指定年

昭和5.05.23

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

多宝小塔

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

向拝一間

壁・窓

 

外周

 

特長

建築様式は和様を主としているが、天竺様と唐様を加味しており、京都以東ではほとんど見られない様式

釈迦堂内に安置する多宝塔は1502年(文亀2年)の建立。地元の大工により作られたもので室町時代の作風を残している。見事な彩色が施され、扉には牡丹の絵が描かれた金箔を貼る。

 

   9-2 遠照寺ー1 151028   9-2 遠照寺ー2 151028 

   9-2 遠照寺ー3 151028   9-2 遠照寺ー4 151028 

   9-2 遠照寺ー5 151028   9-2 遠照寺ー7 151028 

   9-2 遠照寺ー8 151028   9-2 遠照寺ー9 151028 

                 9-2 遠照寺ー6 151028  
       
    初めての訪問、住職が丁寧に由緒などを説明していただきました。

    山深い里に、このような仏堂、多宝塔を拝観でき、皆感激でした。
    様式も折衷様ですが、各所に地方独特な架構が見られ興味深い建築でした。



10、光前寺              駒ヶ根市赤穂29番地

 

円仁の弟子、本聖の開基と伝わるが、古記録は武田勝頼と織田信忠との戦いなど数々の罹災により失われた。貞観2年(860年)創建時は現在より200m木曽山脈寄りのところにあったらしい。

天正慶長のころには武田氏、羽柴氏などの庇護を受け、また、佐久郡、諏訪郡にまでその寺領を広げた時期もあったという。江戸時代には、徳川家光から朱印地60石を受けた。

明治に入り塔頭末寺の多くを廃されてしまった。


三重塔 - 文化5年(1808年)に再建された、約17メートルの塔。長野県宝

   9-2 光前寺ー1 151028   9-2 光前寺ー2 151028


   9-2 光前寺ー5151028    9-2 光前寺ー6 151028 本堂

日本の塔

本堂 - 嘉永4年(1851年)に再建されたもの。

三門 - 嘉永元年(1848年)に再建されたもの。上層に十六羅漢を祀る。

・経蔵 - 享和2年(1802年)に建てられたもの。入母屋造妻入り、唐破風向拝付き

仁王門 - 安置されている金剛力士(仁王)像は大永8年(1528年)、駒ヶ根市文化財

賽の河原 - 三重塔南にある。30体以上の地蔵菩薩像が並ぶ。

 

 

1

  弁天堂

建立

天正4  1576 

指定年

昭和46.06.22

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

厨子  旧桶棟部分 

平面規模

桁行一間、梁間一間

屋根

銅板葺

妻面

 

特長

柱は円柱、正面に格子戸、側回りは落板壁と板戸。柱上に組まれた斗栱・木鼻は簡素ではあるが、室町時代の手法をのこしている。

昭和38年(1963)に屋根は杮葺から銅板葺に吹替られ、解体修理が行われ整備された。

 宝暦9年(1759)の絵図から、現在の十王堂の所にあったものが現在地に移転

 

 

 
   9-2 光前寺ー3 151028   9-2 光前寺ー4 151028

   光前寺庭園 

    国の名勝に指定され築山泉水庭で、一説には極楽浄土の庭園ともいわれています。5~10月は光苔が見頃。

 
  

 

 

11、諏訪大社下社    秋宮:諏訪郡下諏訪町5828   春宮:諏訪郡下諏訪町193

 

秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。

南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。

境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた。

 

1

 春宮幣拝殿

建立

安永8 : 1799 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

楼造、切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行一間、梁間二間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

軒唐破風付、左右袖塀附属

壁・窓

 

外周

 

特長

「御門屋(みかどや)」とも言われる。天正6年(1578)に下馬橋と共に造営された記録

安永6年(1777)秋宮を立川和四郎富棟が請負うことを知った高島藩御用の宮大工村田長左衛門矩重(大隈流)は兄伊藤儀左衛門と相談して、春宮の建築を秋宮と同じ絵図面で、35両扶持米(ふちまい)なしで請負い、不足分は自分で勧化(かんげ)して造る旨の一札を出した。

これは採算を度外視した秋宮の半額以下で、立川氏と競り合う形となり、すぐ仕事にかかった。秋宮より遅く始めて約1年早く、安永8年(1779)6 月工事を終えている。大隈流は完成した「規矩」(規則・技法)を持った当時全国に知れた一派である。

拝殿正面下には、飛末をあげる波から上層に向かって、水・空・地の構成で彫刻を配置している。虹梁上の牡丹花咲く岩野に戯れる親子獅子、木鼻の唐獅子、持送り牡丹、上層中央には二体の麒麟、若葉を彫る虹梁の上には雲をまく龍、側面の鶴と様々の彫刻に囲まれている。

幣拝殿内部の桁に巻きついた守護龍には真迫感がある。両脇羽目の竹に雌雄の鶏、欄間の獅子等写生に徹した彫刻の美的構成は見事で大隈流の代表作と言えよう。

文化庁

解説文

諏訪大社下社は春宮と秋宮よりなり、祭神は春秋の半年毎に遷座される。両社とも本殿はなく、幣拝殿や左右片拝殿の形式、配置はおおよそ本宮に類似しながら、幣殿、拝殿が一棟の楼門形式となるなど、下社特有の形を示している。春宮と秋宮の社殿の形式、配置は基本的には同じであるが細部などに多少の差異がある。

 春宮と秋宮の現社殿は相前後して建立されたもので、前者は諏訪藩御大工の流れを組む大隅流柴宮長左衛門、後者は立川流初代富棟の手になる。地元を代表する大工が競い合い、流派の面目をかけた建築であり、華麗な彫刻などみるべきものがある。   

 

 
   
   9-2 諏訪下社春宮ー1 151028   9-2 諏訪下社春宮ー2 151028

   9-2 諏訪下社春宮ー3 151028   9-2 諏訪下社春宮ー4 151028

   9-2 諏訪下社春宮ー5 151028   9-2 諏訪下社春宮ー6 151028 春宮

 

2

春宮左右片拝殿(左)

建立

安永8 : 1799 

指定年

昭和58.12.26

平面規模

桁行五間、梁間一間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

片流招屋根付

壁・窓

 

外周

 

3

春宮左右片拝殿(右)

建立

安永8 : 1799 

指定年

昭和58.12.26

平面規模

桁行五間、梁間一間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

片流招屋根付

壁・窓

 

外周

 

4

 秋宮幣拝殿

建立

安永8 : 1799 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

楼造、切妻造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行一間、梁間二間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

軒唐破風付、左右袖塀附属

壁・窓

 

外周

擬宝珠勾欄

特長

秋宮の社殿は江戸時代の末期に、諏訪の宮大工立川流の初代立川和四郎富棟が建立

周囲の小壁は牡丹や唐獅子で飾り、円柱上部の木鼻は唐獅子と象、側面欄間は松に鷹、二階縁下の持送りは波に鯉を用いる。右側の鯉は荒波の水を含み左側の鯉は天に向かう。まさに神の昇天の構成である。羽目の竹に鶴の彫刻は、富棟の最も腕を振るった傑作だと云われている。二階の組物は二手先、縁には勾欄をめぐらし吹放ち、小壁には龍を、唐破風内部には鳳凰の彫刻が入れられている。

こうして建物の腰といわず軒といわず、ことごとく彫刻で埋め尽くしている。全体として富棟の発想を大切にした柔らかみのある見事な社殿である。

 

5

秋宮左右片拝殿(左)

建立

安永9 : 1800 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行五間、梁間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

片流招屋根付

壁・窓

 

外周

 

6

秋宮左右片拝殿(右)

建立

安永9 : 1780 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行五間、梁間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

片流招屋根付

壁・窓

 

外周

 

秋宮神楽殿

建立

安永6 : 1 

指定年

昭和58.12.26

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行五間、梁間三間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

妻入

壁・窓

 

外周

擬宝珠勾欄

 
  9-2 諏訪下社秋宮ー1 151028  9-2 諏訪下社秋宮ー2 151028  

  9-2 諏訪下社秋宮ー3 151028   9-2 諏訪下社秋宮ー4 151028

  9-2 諏訪下社秋宮ー5 151028    秋宮

 

 

12、万治の石仏

    長野県下諏訪町東山田字石仏にある石仏である。下諏訪町指定の文化財である。

 

自然石の上に仏頭をのせた阿弥陀石仏だが、「万治三年(1660)」の銘があるところから「万治の石仏」と呼ばれている。高さ 約270Cm 奥行 約400Cm

 

・大きな三角の鼻に大きな耳、窪んだ目に一直線に引かれた口 等 お顔の作りが特徴的。

・両手は弥陀定印(上品上生印)を結ぶ。衲衣には逆マンジの文様が刻まれている。

・衲衣や手は、あたかも涎掛けの様に正面にのみ刻み、側面は加工されていない。

・背面は、向かって右端にノミ痕らしきものが残り、石の上部を今の形に切ったのだろう。

      9-2 万治石仏ー1 151028  9-2 万治石仏ー2 151028

              9-2 万治石仏ー3 151028

 

「万治」という名の由来は万治3年(1660年)11月1日(石仏の胴部に刻まれている。他に「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているがこの二人は僧籍にも見当たらない)に造られたとされるところによる。

 

伝説によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようと鑿を入れたところ(その鑿は現存している)、傷口から血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に職人達が夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見て、その山に行き探したところ見つけることが出来職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。

 

それに因んでこの辺りの地名は石仏となっている(住所としては載っていない)。この石仏は芸術家の岡本太郎が訪れて大絶賛したことにより有名となった。ほか新田次郎も賞賛している。

 

首が伸びる

1991年8月に一度頭部が落下しており一度支柱で固定し修複したが、その後ある写真家が毎年撮った写真を見たところ、首が伸びている事が分かった。

2007年にテレビ番組で紹介され観光客も増えたが、下諏訪観光協会は「周辺の安全確保」ためとしてまた修復することにし、2008年3月4日に修復作業が行われ、頭部の下から水や泥、賽銭25円が発見された。

首が伸びた原因は、以前の修複時につけた支柱に水が溜まり、氷になって斜めになり、その繰り返しで頭部が上昇したとされる。修復前に測定したところ、正面で4cmで左右は6~7cm上昇していた。

 

 

万治の石仏付近には駐車場はございません。諏訪大社下社春宮駐車場をご利用いただき春宮参拝していただき、徒歩約5分ほど到着します

                 次頁 3日目に移動してください。

 

 
  

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