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寺社建築文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源と変遷、文化財の諸問題を探訪しています。 又文化財拝観資料も記載しています。
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最近の探訪 住吉大社

ブログ2 今までの探訪記録住吉

 

 

 最近の探訪 2015年6月19日

 久しぶりに難波から南海電車に乗り住吉大社へ参拝に!

 

        8-6-2 住吉大社参道ー1   8-6-2 住吉大社参道ー2

 

1

  住吉大社

所在地

電話

大阪府大阪市住吉区住吉二丁目

06-6672-0753

環境・周辺

 

歴史

第14代仲哀天皇9年、神功皇后が三韓征伐より七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道、南海本線七道駅一帯)に帰還した時、神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む一族で摂津国住吉郡の豪族の田裳見宿禰が、住吉三神を祀ったのに始まる。その後、神功皇后も祭られる。応神天皇の頃からの大社の歴代宮司の津守氏は、田裳見宿禰の子の津守豊吾団(つもりのとよあだ、つもりのとよのごだん)を祖とする。

 

住吉社は古代大和王権の外交・航海に関連した神社で、遣隋使・遣唐使の守護神であり、津守氏は遣唐神主として遣唐使船に乗船した。遣隋使・遣唐使は、大社南部の細江川(通称 細井川。古代の住吉の細江)にあった仁徳天皇が開いたとされる住吉津(「墨江ノ津」「住之江津」すみのえのつ)から出発する。住吉津は、上代(奈良時代・平安時代初期)は、シルクロードにつながる主な国際港でもあった。

 

創建

(伝)神功皇后11年

祭神

底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后

社格

式内社(名神大4座)摂津国一宮

二十二社 官幣大社 別表神社 

リンク

 HP  wiki  

概要

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、摂津国住吉郡に「住吉坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗」として、4座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・相嘗祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が定められている。

 

社前は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内馬場(現在の住吉公園)は海に面し、白砂青松の風光明媚の代表地とされ、その風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばれた。また紫式部『源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれている。また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話である。

 

他の文化財

・国史跡     住吉行宮跡 - 昭和14年3月7日指定

重要無形民俗文化財(国指定) 住吉の御田植 - 昭和54年2月3日指定

他の文化財

・登録有形文化財住吉大社神館(建造物) - 平成18年10月18日登録




            8-6-2 住吉大社第3第4本殿ー1  

 

 

国宝

住吉大社本殿 四棟

建立

文化7年(1810)

指定年

昭和28.11.14

建築様式

住吉造、檜皮葺

再建

 

確証附

瑞垣及び門

平面規模

 

屋根

 

妻面

 

立面外観

切妻造、妻入

壁・窓

 

外周

 

住吉造

神社建築史上最古の特殊な様式で国宝に指定。3つの特徴からな

1) 柱・垂木・破風板は丹塗り、 羽目板壁は白胡粉塗り

2) 屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線

3) 出入り口が直線型妻入式

 屋根には置千木と5本の四角堅魚木。周囲に迴廊なく、本殿の周囲には板玉垣、その外に荒忌垣があ。  柱は太い丸柱で礎石の上に立、柱間は横板張りで、正面より前が外陣、奥が一段高い内陣と二室あ

修理履歴

平成20~21年 屋根、塗装、部分修理

文化庁

解説文

住吉大社本殿は四棟すべて海に向かって西面し、西から第三殿、第二殿、第一殿の順に縦に並び、第三殿の南に第四殿が建つ。住吉大社本殿の式年遷宮は17世紀始めに再興され、今の本殿は文化7年(1810)の造替時のものである。

 本殿は切妻造、妻入で、柱はすべて丸柱で礎石上に立ち、正面および前後二室の中間に大きな板扉を開き、他は板壁である。前後二室からなる独特の平面をもち、この形式を住吉造といい、四棟すべて同形式同規模でつくられる。 

詳細説明

住吉大社本殿 四棟

 

 住吉大社のあるあたりは、古くは住吉の浜として親しまれてきた風光明媚な海岸であった。本殿は四棟すべて海に向かって西面し、西から第三殿、第二殿、第一殿の順に縦に並び、第三殿の南に第四殿が建つ。『日本書紀』と『古事記』に当社創立の説話が記されており、祭神は表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉三神の和魂であった。第四殿は姫神すなわち神功皇后をまつるが、これの創立は少し遅れるのであろう。

 

 本殿は切妻造、妻入で、前後二室からなる独特の平面をもつ。この形式を住吉造といい、四棟すべて同形式同規模でつくられる。柱はすべて丸柱で礎石上に立ち、正面および前後二室の中間に大きな板扉を開き、他は板壁である。破風と垂木は直線、軒は一軒、妻飾は豕扠首で、このあたりは古くからの素朴な形式をよくとどめている。また床が比較的低く張られ、周囲に縁をめぐらさないことも、古式を残すものとみてよい。

 

 本殿に接するように、瑞垣と玉垣が二重に取りまいている。瑞垣は縦板を貫にすきまなく打ちつけて本殿の下半をかくしており、玉垣はその外に頭部を丸くした角柱を立て、貫で連結する。この瑞垣、玉垣も古い形式を保つものである。

 

 この本殿は、平安時代初期以来20年ごとに式年遷宮が行われていたが、途中、戦乱による空白期があり、17世紀始めに再興された。今の本殿は文化7年(1810)の造替時のものである。【引用文献】『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 1985年)

 

 

   8-6-2 住吉大社第1拝殿ー1    8-6-2 住吉大社第1本殿ー1
                       第一殿
   8-6-2 住吉大社第1本殿内部ー1    8-6-2 住吉大社第1拝殿外部ー1


    8-6-2 住吉大社第3拝殿ー1第4殿 8-6-2 住吉大社第4拝殿ー1

    8-6-2 住吉大社第4拝殿ー2    8-6-2 住吉大社第4本殿ー1


      8-6-2 住吉大社第3本殿ー1     8-6-2 住吉大社第4本殿内部

重要文化財

 幣殿及び渡殿 四棟

建立

文化7年(1810)

指定年

平成22.12.24

建築様式

切妻造、

再建

 

確証附

住吉松葉大記

平面規模

桁行五間、梁間二間

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

正面千鳥破風 軒唐破風付

壁・窓

 

外周

 

渡殿

渡殿 桁行二間、梁間一間、両 下造、檜皮葺、鳥居付

第二・第三第四殿幣殿

桁行三間、梁間二間、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺で、甍棟を積む。幣殿の左右室が狭くなるほかは、渡殿も含めて第一殿と同様の構成になる

修理履歴

 

文化庁

解説文

 幣殿及び渡殿は、本殿と同じく文化7年(1810)の建築で、割拝殿形式の幣殿と、本殿との間を繋ぐ渡殿からなる。摂社大海神社の幣殿及び渡殿も同様の形式で、宝永5年(1708)頃の建築とみられる。これらは、中世から近世にかけて住吉大社の建築が整えられた過程を伝える社殿として重要である。

 南高蔵、北高蔵、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿は桃山~江戸初期の建築で、近世の住吉大社の社殿の構成を伝える遺構として価値が高い。

詳細説明

住吉大社   九棟

 幣殿及び渡殿(四棟)、南高蔵、北高蔵、摂社大海神社幣殿及び渡殿、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿(旧護摩堂) 

 

 各幣殿及び渡殿は、本殿ともに享和2年(1802)焼失後の文化7年(1810)再建にかかるものであるが、第一殿の幣殿は中世には存在していたとみられ、他の三殿の幣殿は慶長度造替以後に設けられたとみられる。

 

 第一殿の幣殿は、桁行五間、梁間二間、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺で、甍棟を積む。平面は割拝殿形式で、正面中央間を拭板敷の馬道とし、左右に二間四方の部屋を配する。両室の三面に切目縁を廻らし、背面に脇障子を建てる。

 軸部は、角柱を長押で固め、舟肘木で桁、梁を受け、豕扠首で棟木を受ける。柱間装置は、正面中央に格子戸を開き、両脇は半蔀を吊り、両側面に板戸と舞良戸を建てる。天井は、中央間を化粧屋根裏として左右室に棹縁天井を張り、軒は二軒疎垂木である。

 渡殿は「間ノ廊下」とも呼ばれ、桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺で、幣殿の馬道を伸ばして廊下とし、中間に角柱の鳥居を建てる。

  第二殿・第三殿・第四殿の幣殿は、桁行三間、梁間二間、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺で、甍棟を積む。幣殿の左右室が狭くなるほかは、渡殿も含めて第一殿と同様の構成になる。 

 住吉大社の本社と摂社大海神社の幣殿及び渡殿は、中世から近世にかけて大社の礼拝施設が整えられた過程を伝える社殿として重要である。 

 また境内に残る唯一の仏教建築である末社招魂社本殿をはじめ、南高蔵、北高蔵、摂社大海神社西門の各建物は、いずれも桃山期から江戸初期の建立で保存も良好であり、近世における住吉大社の社頭構成を伝える遺構として、価値が高い。


 

重要文化財

南門、東西楽所、石舞台

建立

慶長12: 1607

指定年

昭和49.05.21

建築様式

四脚門、切妻造、本瓦葺

再建

 

確証附

 

東楽所

桁行十一間、梁間二間、一重、東面入母屋造、西面切妻造、本瓦葺

西楽所

桁行五間、梁間二間、一重、西面入母屋造、東面切妻造、本瓦葺

石舞台

石造桁橋及び石造高舞台、木造高欄付

修理履歴

 

文化庁

解説文

南門は切妻造、本瓦葺の四脚門で、東西楽所はその左右に連なる。石舞台はほぼ方形の石造橋上に造られたもので、舞楽を演じる時には木製高欄を立てる。

 社殿配置の重要な一環であると同事に、門、楽所、舞台がセットで残る舞楽施設として重要であり、また住吉大社の慶長造営時の遺構として貴重な資料である。

 

詳細説明

南門、東西楽所(二棟)、石舞台

 住吉大社は『古事記』や『日本書紀』にその名のみえる古社のひとつで、本殿の建築様式は住吉造の名で知られ、国宝に指定されている。古来伊勢神宮や香取、鹿島両社などと並んで式年造替の制が遵守され、現本殿は文化5年(1808)の造替になる。

 

 南門、東西楽所は本殿を囲む垣の外方南側にあって南面する。その建立は古記録などにより慶長12年(1607)豊臣秀頼の再興にかかるものであることが知られる。

 南門は切妻造、本瓦葺の四脚門で、親柱は円柱、控は角柱、両側面は腰長押で固める。いずれも木鼻付の頭貫をまわし、親柱は唐居敷、冠木長押で扉を構える。組物は出三斗、中備に蟇股を配し、棟は妻梁上に板蟇股をおき舟肘木で支え、二軒で化粧裏板とする。木割も太く、絵様など細部も桃山時代の気風がよく表れた好建築である。

 

 東西楽所は南門の左右に連なる梁間二間の建物で、東楽所は桁行十一間、西楽所は五間、入母屋造であるが、南門寄りは切妻とする。土台建、面取角柱で腰長押、内法長押をまわす。東楽所は中央間を土間の入口とし、左右二室、西楽所は一室で床張りとする。正面側は連子窓、背面(内方)は蔀戸を吊る。柱上に舟肘木を置き、内部は虹梁、板蟇股で棟を受け化粧屋根裏、軒は一軒である。

 

 石舞台は南門北側の池に幅約11m、長さ約12mの石造桁橋を架け、その上に方約6m、高さ約0.5mの舞台を築いたものである。前後に階段を設け、羽目石には格狭間を刻み、上面には高欄を取付けるほぞ穴をあける。高欄は逆連頭親柱付の木製で、舞楽を演じる時以外は楽所に納められている。なお橋には両側に石柵を立てるが、現在のものは明治21年に設けたものである。

 

 この四棟は社殿配置の重要な一環であると同事に大社の慶長造営時の遺構として貴重な資料である。

 

【引用文献】

『解説版新指定文化財(11)建造物Ⅰ』(毎日新聞社 1981年)

 

※住吉大社は、南門、東西楽所、石舞台の四棟が昭和49年5月21日に重要文化財に指定された後、幣殿及び渡殿(四棟)、南高蔵、北高蔵、摂社大海神社幣殿及び渡殿、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿の九棟が平成22年12月24日に追加指定された。

 

 

 
   8-6-2 住吉大社南門西楽所ー1  東 8-6-2 住吉大社東楽所ー1


   8-6-2 住吉大社西楽所ー1 西  8-6-2 住吉大社石舞台ー1 石舞台

 

 

 

重要文化財

 南高蔵 北高蔵

建立

慶長12: 1607

指定年

平成22.12.24

建築様式

桁行三間、梁間二間

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

本瓦葺

妻面

 

立面外観

板倉、寄棟造

壁・窓

 

外周

 

特長

南高蔵と北高蔵は、慶長12年(1607)の造営になり、昭和年に境内地内で移築された。いずれも桁行三間、梁間二間、板倉、寄棟造、本瓦葺で、北高蔵がやや大きい。

 内部は一室で、西面を出入口として板扉を吊り、木階五級を設ける。

 軸部は円束上に台輪を組んで壁板を組上げ、上部の壁板や腕木を差し出して出桁を受ける。軒は一軒半繁垂木である。

 

修理履歴

 

文化庁

解説文



   8-6-2 住吉大社南高蔵 北高蔵-1    8-6-2 住吉大社南高蔵 北高蔵-2

 

重要文化財

摂社大海神社本殿 

建立

 宝永5 : 1708 

指定年

昭和39.05.26

建築様式

住吉造、檜皮葺

再建

 

確証附

瑞垣及び門

 

 

妻面

 

特長

延喜式神名帳に「大海神社 二座 元名津守氏人神」と記載されている。

住吉大社創建以来の宮司家である津守氏の氏神を祀る神社である。

住吉大社に祀られている住吉神(すみのえのかみ)は、綿津見神(わたつみのかみ)と同時に現れた海の神であり、近縁性が指摘されているが、大社宮司の津守氏の氏神が「おおわたつみ」であることは、その古代の消息を語っている。代々、「大領氏」と称する津守氏の嫡男が大海神社の社司となるならわしであった。

 

祭神は、現在は豊玉彦命・豊玉姫命となっている。『神名帳考証』では大綿津見命・玉依姫命、『神祇志料』では塩土老翁・豊玉姫命・彦火々出見尊としている。いづれも海幸彦・山幸彦神話にかかわりのある神である。

本殿脇の「玉の井」という井戸の底には、海幸山幸神話に登場する潮満珠があるという伝承がある。

 

修理履歴

 

文化庁

解説文

宝永5年(1708)造営。正規の住吉造社殿としては、本社本殿(国宝)より古い。

 

   8-6-2 住吉大社大海神社拝殿ー1   8-6-2 住吉大社大海神社本殿ー1

 

重要文化財

摂社大海神社

 幣殿及び渡殿

建立

 宝永5 : 1708 

指定年

平成22.12.24

建築様式

 

再建

 

確証附

なし

幣殿

渡殿

桁行三間、梁間二間、切妻造、檜皮葺、

桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺、鳥居付

妻面

 

特長

本殿の宝永5年(1708)の造替時に、本社に倣って新たに設けられた建物とみられる。

 幣殿は桁行三間、梁間二間、切妻造、檜皮葺で、甍棟を積む。平面構成は、本社第二殿以下の幣殿と同形式になるが若干小振りで、幣殿正面に千鳥破風や軒唐破風を付けない点が異なる。

修理履歴

 

文化庁

解説文

 

   8-6-2 住吉大社大海神社西門ー1   8-6-2 住吉大社大海神社西門ー2

 
 

 

 

重要文化財

末社招魂社本殿

   (旧護摩堂)

建立

江戸前期

指定年

平成22.12.24

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

本瓦葺

妻面

 

立面外観

向拝一間

壁・窓

 

外周

 

特長

末社招魂社本殿は、本社東背後にあった旧護摩堂で、鬼瓦銘により元和5年(1619)の建立とみられ、桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺で、正面に向拝一間を付ける。

 内部は一室で、奥寄りに設けた壇上を内陣とし、天井は、中央を折上げた小組格天井を張る。軸部は、円柱を貫と長押で固め、組物は三斗で、中備は中央間を蟇股、脇間を間斗束とする。 軒は二軒繁垂木で、妻飾は虹梁大瓶束として大瓶束を華やかな笈形で飾り、破風拝みに三つ花懸魚を吊る。

修理履歴

 

文化庁

解説文

 



   8-6-2 住吉大社瑞垣及び門    8-6-2 住吉大社鳥居

重要文化財

摂社大海神社西門

建立

江戸前期

指定年

平成22.12.24

建築様式

四脚門、切妻造、本瓦葺

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

 

妻面

 

特長

様式手法より江戸初期の建築とみられ、四脚門、切妻造、本瓦葺である。

 軸部は、親柱は円柱、控柱は面取角柱として、腰を貫と長押、上部を冠木、貫、虹梁で固める。組物は、柱上に三斗を置き、中備は、正背面は蟇股とし、棟通りは笈形付の間斗束を立て、妻虹梁上の板蟇股とともに棟木を受ける。

修理履歴

 

文化庁

解説文


 
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