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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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5-6 重要文化財から国宝になるには、それなりの水準がある

5-6 新国宝の建造物


  5-6  新国宝の建造物     この建物は、何故?新国宝になるのか!

 

 

最近、文化庁報道で新らしい国指定文化財が発表されますが、この中にも小首を傾げるざるを得ないものが?

 

重要文化財から国宝になるには、それなりの水準が新しい確証の基で決められていると思っていましたが、

かなり恣意的な要因で決まっているようです。

 


 

 1 最近の文化庁の報道        文化庁の説明文は、現況説明だけ 



   グラフィックス歓喜院華美  

             歓喜院 聖天堂 本堂壁面彫刻  2012年新国宝

 

 

 1997年から、2014年の新指定の国宝とその「文化庁の解説文」を一覧にしてみました。 

 

      新しく国宝にした理由が具体的に理解できますか? 

     
 重文の時よりどこか優れているから国宝になったはずです。

 

  
● 文化庁説明文

  新指定国宝の文化庁説明文 抜粋

1997

瑞龍寺仏堂、法堂、三門   1985年10年間の復元工事   伽藍全体として保存する価値

 

延享三年1746に山門と回廊の前半部分及びその脇にあった禅堂などが焼失したが、江戸時代後期にほぼ旧状の配置で再建された。山門は創建時の大工山上善右衛門(加賀藩御大工)の後裔にあたる大工が建てたもので、禅宗様の手法になる三間一戸の二重門であり、古式な手法をもつ。大規模な曹洞宗寺院の中でも、整備された伽藍配置をもっともよく残すものの一つであり、伽藍全体として保存を図る必要がある。

 

1997

正倉院正倉           奈良世界遺産登録のために、宮内庁は慣例を破る。 

 

(ない)  文化庁の説明が見つからない             (一度重文にし、翌日、国宝に)

 

2002

知恩院本堂           2012年より修理  極めて大規模である点

 

浄土宗本堂の建築的特徴を最大限にあらわしている。意匠や技術の面において極めて優れ完成度も高く,江戸初期における徳川家の大造営の代表として位置づけられ,我が国の建築史上極めて高い価値がある。総本山本堂に相応しい壮大な規模と雄麗な内部を創出し,我が国の社会に広く影響を及ぼした浄土宗の中心建築として,特に深い文化史的意義を有している。

 

2002

知恩院三門         1992年解体修理  最大の二重門として

 

江戸時代初期における建築技術が最大に発揮され,高い完成度をもつ遺構のひとつとして位置づけられ,建築史上極めて高い価値が認められる。現存するうち最大の二階二重門で,かつ装飾も荘厳を極め,我が国の社会に広く影響を及ぼした浄土宗総本山の象徴として深い文化史的意義を有している。

 

2004

長谷寺本堂   平成15年大雨で大木が倒れ本堂の屋根破損、修理時に瓦に墨書発見して・・

 

 長谷寺は真言宗豊山派の総本山で,西国三十三ヶ所観音霊場の第八番札所である。本堂は,慶安3年(1650)の竣工で,繋廊,鐘楼なども本堂と同時期に建設されたものが残る。

近年,本堂屋根修理に伴って行われた各種調査で,本堂完成のときの棟札,慶安元年(1648)の銘がある平瓦,さらに帳簿や図面などの資料が確認,整理された。これらは,長谷寺の諸建築の建立年代や,建設の経緯を示す貴重な資料であり,附指定として保存を図る。

 

2006

東大寺二月堂     東大寺の境内を構成し、有名だから良い?

 

全体として,材料は精選された良材を用いており,施工も入念である。また,精緻な比例や強固な構造技法など,近世的な建築技術が随所にみられる

東大寺二月堂は,古代から中世に拡充・発展させた平面や空間の特質を継承しつつ,近世の建築技術を駆使し高い完成度をもっており,江戸幕府による大規模な造営になる代表的な建築のひとつといえる。古代から連綿と続く修二会ときわめて密接に結びついている類いまれな建築として,文化史的にも特に深いものである。

 

2007

国立西洋美術館本館     昭和30年新築の現在最新の国宝

 

国立西洋美術館本館は、我が国がフランス政府から旧松方コレクションの寄贈を受けるに当たって、昭和3 4 年に建てられた美術館建築である。設計はフランスの建築家ル・コルビュジエによる。また、前川國男、坂倉準三

、吉阪隆正が日本で設計補助を行った。建物は鉄筋コンクリート造2 階建、一部3 階建、地下1 階で、平面は40.7m四方の正方形である。

中央に吹き抜けの19 世紀ホールを配し、そこからスロープを上がって2階の展示室を廻る螺旋状の動線は、

ル・コルビュジエが探求してきた「無限発展美術館」の構想を具現化したものである。他にも、ピロティ、自然

光を取り入れる照明ギャラリー、人体寸法を基本とした寸法体系(モデュロール)を適用した細部など、ル・コルビュジエの作品に特有の優れた意匠が見られる。

国立西洋美術館本館は、ル・コルビュジエの我が国に所在する唯一の作品であり、意匠的に優れているのみならず、以後の日本人建築家にきわめて大きな影響を与えた建築である。また第二次世界大戦後の日仏文化交流の起点となった建物としても深い意義が認められる。

○指定基準=意匠的に優秀なもの、歴史的価値の高いもの

 

2008

青井阿蘇神社        1959年解体修理  九州での地方色を残している。 

 

青井阿蘇神社は、中世以降、領主相良氏の崇敬を受けた。現在の社殿は慶長15年(1610)より同18年に建てられ、境内の奥に本殿から拝殿が連続して建ち、前方に楼門が建つ。

社殿は黒漆塗を基本とし、本殿と幣殿は、随所に優れた彫刻や錺金具などが配される。また楼門は本格的な禅宗

様式である。

青井阿蘇神社の社殿は、中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華やかな意匠を機敏に摂取しており、完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている。また、彫刻技法や特異な幣拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められるもので、わが国の近世神社建築の発展において重要な位置を占め、文化史上、深い意義をもつ社殿である。

○指定基準=重要文化財のうち極めて優秀で,かつ,文化史的意義の特に深いもの

 

2009

旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)1棟(東京・内閣府所管)  宮内庁から、国に移管されたため

 

明治期におけるわが国最大の記念建築であり,本格的な西欧の建築様式を採用しつつ,彫刻等の装飾にはわが国独特の主題を用い,精緻な工芸技術が駆使されており,意匠的に高い価値がある。

 西欧の建築意匠や技術の習得に始まった明治期の建築界において,意匠的にも,また当時の先端技術を導入している点でも,日本人建築家の設計による建築の到達点を示しており,明治以降,昭和戦前に建設されたわが国の建築を代表するものの一つとして,文化史的意義の特に深いものである。   (重文から昇格ではない)

 

2010

久能山東照宮      2006年塗装修理 他の東照宮建築との比較があるとよいのだが

 

久能山東照宮は、徳川家康を祀る霊廟として創建され、元和3年(1617)に建立された

本殿、石の間、拝殿は、いわゆる権現造の形式をもつ複合社殿で、中井大和守正清によって造営された。

社殿は、伝統様式である和様を基調とし、複雑な構成になる立面や軒廻りなどを巧みにまとめており、細部も整った意匠をもっている。また、要所に彫刻や錺金具などを用いて荘厳化をはかり、江戸幕府草創期における質の高い建築技術や工芸技術を伝えている。

久能山東照宮本殿、石の間、拝殿は、極めて洗練された意匠をもつ権現造社殿であり、江戸幕府における造営組織の草創期において、その礎を築いた中井大和守正清の代表的な遺構のひとつとして貴重であるとともに、江戸時代を通じて、権現造社殿が全国的に普及する契機となった東照宮建築のうち、最初に建てられた社殿として、わが国の建築史上、深い意義を有している。

 

2012

歓喜院 聖天堂     2010年解体大規模修理をし、現代の技工を駆使した素晴らしい復元

 

歓喜院は高野山真言宗に属し、治承3年(1179)の創建と伝わる。現在の聖天堂は、享保5年(1720)に歓喜院院主海算が再建を発願、民衆の寄進を募り、地元の大工林兵庫正清によって建設されたものである。

奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造の形式で、延享元年(1744)に奥殿と中殿の一部が完成し、宝暦10 年

(1760)までに中殿と拝殿が完成した。とくに奥殿は多彩な彫刻技法が駆使され、さらに色漆塗や金箔押など

による極彩色を施してきらびやかに飾る。また、拝殿正面を開放として参詣の便をはかるなど庶民信仰の隆盛を

物語る建物である。

聖天堂は、江戸時代に発展した多様な建築装飾技法がおしみなく注がれた華麗な建物であり、技術的な頂点の一つをなしている。このような建物が庶民信仰によって実現したことは、宗教建築における装飾文化の普及の過程を示しており、我が国の文化史上、高い価値を有している。

 

2013

鑁阿寺本堂      2011年屋根部分修理 年代判定・・・国宝として特筆すべき点がない

 

鑁阿寺本堂は、大日如来を本尊とし、現在の建物は7代足利貞氏により正安元年(1299)に建立されたもので、応永14 年(1407)から永享4 年(1432)の修理により、柱と小屋組を強化して本瓦葺に改められた。

その後、室町時代末期までに背面向拝をつけ、江戸時代中期に正面向拝が改造された。

平面は、典型的な密教本堂の形式だが、内外の組物は、禅宗様の詰組とする。

鑁阿寺本堂は、東日本を代表する中世の密教本堂で、当時最新の禅宗様をいち早く導入した建物である。

わが国の宗教建築の構造と装飾の発展に寄与した禅宗様の、受容と定着の様相を示す遺構として極めて高い価値が認められる。

また、様式の摂取には要素の選択が認められ、我が国における外来新技術の受容のあり方を示しており、文化史的に深い意義を有している。

 

2014

本願寺 御影堂1棟、阿弥陀堂1棟  2009大修理  真宗の歴史+大伽藍+修理完了=国宝

 

宗祖親鸞の木像を安置する本願寺御影堂は,寛永13年(1636)に上棟した。平面は桁行62.1m,梁間48.3mで,江戸時代の建築として現存最大級の規模を誇る。外陣部は多数の門徒を収容するために441畳もの広さを有し,太い柱が林立して上部に虹梁を架け渡し,広大な内部空間を実現している。内陣まわりは金箔,彫刻欄間,障壁画,彩色等で荘厳している。

建登せ柱や軒支柱,多様な虹梁など,江戸時代前期における高度な架構や技法を駆使している。本願寺御影堂は,小規模な道場から出発し広壮な仏堂に到達した真宗本堂の頂点に位置づけられる建築である。多数の門徒により支えられ,社会に絶大な影響を及ぼした真宗本山の象徴として,文化史的に大きな意義を有している

 

本願寺阿弥陀堂は阿弥陀如来像を安置する堂で現在の建物は宝暦10年(1760)に建て替えられたものである。元和4年(1618)建立の旧堂に比較してはるかに大規模となった 桁行45.2m,梁間42.1mの平面は,御影堂よりひとまわり小さいが,真宗寺院の阿弥陀堂及び本堂としては我が国最大級の規模であり,各地に数多く建てられた大規模真宗本堂の範となった。畳敷の広い外陣や金箔や彫刻,彩色等で荘厳された内陣など,御影堂と良く似た姿を持つが,左右対称の平面,柱位置の調整や架構の工夫,禅宗様をふんだんに摂取した造形など,より発展した技法を具備している。

技術と意匠において優れた独創性を示しており,真宗本堂の完成形として極めて高い価値がある。本願寺阿弥陀堂の建立により,御影堂と阿弥陀堂の壮大な両堂を並立させる本願寺の構えが完成し,渡廊下を介して両堂を多数の門徒が参拝する信仰形態が完成した。近世を通じて厚い信仰を受け続け,50年ごとの大遠忌の度に伽藍を発展させてきた真宗寺院の様態をよく表しており,極めて深い文化史的意義を有している。

 

2014

旧富岡製糸場 1棟(群馬)    世界遺産に成ると国宝? 世界遺産登録以前ならまだ?

 

旧富岡製糸場は,明治政府が設立した模範的な器械製糸工場である。フランス人の生糸検査人ブリュナの企画指導のもと,横須賀造船所の技師バスティアンが図面を作成し,施工は日本人があたり,明治5年10月4日に操業を開始した。

3棟はいずれも木造の軸組に壁を煉瓦積とした木骨煉瓦造である。繰糸所は敷地の中心に位置する繰糸を行う建物で,桁行が140mと長大である。キングポストトラスの小屋組や高い天井,鉄製ガラス窓で明るい大空間を実現している。東西の置繭所は,繰糸所と直交方向に建つ桁行104m,二階建,ほぼ同形の建物である。繭を乾燥,貯蔵し,乾燥のために多数の窓を持つ。東置繭所は入口正面の建物でアーチの要石に「明治五年」の銘を刻む。

旧富岡製糸場は,明治政府が推進した産業近代化の政策を端的に物語る官営の器械製糸工場で,繰糸所と東西の置繭所は,我が国の製糸工場建築の模範となった。極東地域において,西洋,特にフランスの技術を導入し,日本固有の技術と融合させることで産業革命を成し遂げ,世界の絹文化の発展に大きく貢献した我が国の絹産業の拠点施設であり,文化史的に深い意義を有している。

 

 

 

 ● 新指定の国宝は、その指定根拠に各種の要件が有るようです。新指定を分類してみると

 

  1、近代建築で、新規に検討され指定される。

  国立西洋美術館本館  旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)

 

  2、再調査し確証を検討し、優秀さが確認、重文から昇格し指定される。

  東大寺二月堂     青井阿蘇神社

 

  3、個の建築だけでなく全体保存の重要性で指定される。

  瑞龍寺仏堂、法堂、三門   本願寺御影堂、阿弥陀堂

 

  4、修理工事完了すると重文から昇格し指定される。

  知恩院  長谷寺本堂  久能山東照宮   歓喜院聖天堂   鑁阿寺本堂(これを詳細検討してみます

 

  5、世界遺産関連で指定される。

  旧富岡製糸場(誰もが不思議がっています)   正倉院正倉(詳細別記載)

 

この新指定の要件の中で、1・2・3は指定が妥当と考えられるが、3・4は疑問視されます。

何故、重文から国宝になるのか、修理することで、創建時の姿が素晴らしく復元されたならまだしも、通常の修理

であるなら、新発見の確証がない限り、国宝昇格は疑義が生じる。

重文は、修理すれば国宝になる、拝観料を上げられる・・・・・誤解の無いような明解な説明が公開すべきですが。

 

文化庁の説明文は、現況説明だけであって 

・どこか優れていた点を見出した   (類似比較などで、特筆すべき点がある)

・新しい確証が発見された      (再調査、修理中に新発見がある)

なら良いのですが、このような説明は、1箇所もありません。

 

・科学的調査で年代確定が明解になった(全体的に古いことが判明すれば検討の余地が有る)

・修理して整形され、きれいになった (荒廃、老朽化の修理では昇格しない、現状維持のみ)

 

この程度では、昇格根拠にはならず、重文のままとすべきです。

 

     詳細は解かりません。秘密会で決まるのですから!

 

 

 2  最新の国宝指定ー1     一部の部材の年代が確定すると国宝になる



  「疑惑の有る国宝建築」は沢山でてくるのですが
  最近、これはおかしいと痛切に感じたものを1件記述します。

          

                   
今後まとまり次第、追記したいと思います。

 


 1  鑁阿(ばんな)寺本堂の考察

 

平成25年5月に新しい国宝の指定が報道されましたが、何回か拝観していたので「あれが、国宝?」という疑念が

沸いてきました。 特に、国宝の選定理由により一層の客観性を求めたい・・・・・少し考察してみました。 


  グラフィックス3鑁阿寺本堂前面

    鎌倉時代後期の部材が確認され新国宝   鑁阿寺本堂正面

     


  1)文化庁以外の資料

 

●2013年8月31日 鑁阿寺本堂国宝指定記念シンポジウム「鑁阿寺本堂を考える!」の記事 

 

  「何故、今になって国宝になったのか。今までに大きな修造があり、どこからがどの年代なのかはっきりして

  なかったので 鎌倉時代後期と室町時代中期の部材が全体や細部においてどのような範囲で区別できたのか、

  平成の大修理の際に炭素年代測定法(資料では炭素14)を用いることで今回判明したのです。」

 

    【科学的調査によって分かったこと

     ① 全体の規模、禅宗様の形式は鎌倉時代後期(正安元年1299年)のもの  

     ② 応永の大修理(室町中期1407年~1432年)は本瓦葺屋根と軸組強化を行った 

 

    【鑁阿寺本堂の特質 

     ③ 鎌倉後期の段階で禅宗様を取り入れたのが鑁阿寺本堂

     ④ 頂部に粽(ちまき)を付けた柱と貫で固めて台輪を廻した軸部

     ⑤ 側廻りの尾垂木持ち送り式組物と内外とも詰組とした配置

     ⑥ 頭貫木鼻や拳鼻に施された絵洋繰形

     ⑦ 外陣の虹梁大瓶東架構が特徴で、高大で高揚感のある内部空間を達成

 

    【国宝の評価

     ⑧ 軸組から架構まで禅宗様とした鎌倉時代唯一かつ先駆の本堂

     ⑨ 建築史上、禅宗様を搾取した東日本で最も古い中世本堂

   ⑩ 文化史的において、外来新技術の受容のあり方を示す意義

 

   のHPのタイトルで記載されています。

  この項目の中で新しく判明したことはどれなのか?  又、その評価が妥当なのか?

 グラフィックス3鑁阿寺本堂 横から グラフィックス3鑁阿寺本堂見上げ 
 

 2)国宝指定理由について

    
  ① ②は 炭素年代測定法で最新の調査で判明した。・・・・・・・・・・・・・新しく判明

        放射性炭素年代測定法で部材の一部は、1299年の伐採材であることが判明した。

    建立すなわち建築工事の開始は、1299年ではなく数年後になる。

    建立=伐採年代とするのは疑問である。建築開始までまで乾燥、運搬、製材で2~3年はかかる?

    (建立年代は、年代が書かれた文章記録、墨書等が有ることが 判明する一番の根拠です。)

 

    部材の検討で以前から鎌倉期様式であることは、重文のときから類推されていたわけで、1300年初頭に

    建立された木材が部分的に残存していたことが判明した。・・・・に過ぎない!類推が確証になった。

 

    「応永の大修理(室町中期1407年~1432年)は本瓦葺屋根と軸組強化を行った」ではなく、「本瓦葺屋

    根と軸組強化をした部材が、室町中期1407年~1432年であることが判明した」・・・が正解では!


        ③~⑦は、従前から鎌倉時代後期として重要文化財に指定されていた

     新しく判明した項目ではない。全て目視でき調査されていた項目      ・・・・従前から判明。


     ■ ⑧「軸組から架構まで禅宗様とした鎌倉時代唯一かつ先駆の本堂」 ・・・・従前から判明。

      ・古さを競うのか?禅宗様で、もう少し古いのが確証有りで判明

      


         
放射性炭素年代測定法で更に古い部材が禅宗様建築で発見 「安楽寺八角三重塔」(wiki)

 

     
      
国宝の仏塔画廊の記述から

       この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末~室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文

       化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289

       年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。このことから当塔は

       13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗

       様建築である可能性が高くなった。

 

       鑁阿寺本堂は、鎌倉時代唯一ではなく最古でもない。

      ・更に密教建築の折衷様の本堂としても最古、先駆ではない。

 

      


     ● 
同形式の国宝本堂建築

 

     長弓寺本堂  棟木の墨書により弘安2年(1279年)、これは叡尊による再興の時期とも一致

       建築様式は和様を基調、建具に桟唐戸頭貫の木鼻も、大仏様で折衷用である。

       太山寺の本堂  鎌倉時代の弘安8年(1285年)に焼失した後、永仁年間(1293~1299年)に再建、

         大仏様の頭貫 木鼻には、禅宗様の繰型彫刻が施されている

     本山寺本堂   棟木と礎石から墨書銘が発見され鎌倉時代後期の正安2年(1300年)と判明

       純和様に限りなく近い側面には禅宗様の桟唐戸 背後の中央間にも桟唐戸がある。

       貫の木鼻は猪目を持つ大仏様のもの

     室生寺本堂   鎌倉時代後期の延慶元年(1308年)

        和様を基調として、大仏様を取り入れた、折衷様となっている。

     長保寺の本堂  延慶4年(1311年)

        禅宗様組物、桟唐戸等が多いが、和様の特徴も併せ持つ、折衷様の建築となっている。

     孝恩寺観音堂  観音堂が建てられた正確な時期は不明、新様式の手法から鎌倉時代後期に再建

        建築様式もまた日本古来の和様を基調  建具に桟唐戸 内部の天井は鏡天井 の禅宗様

       明王院本堂   元応3年(1321年)に建立された事が墨書より判明  

        建築様式である和様を基調 出組の拳鼻には禅宗様、間斗束に大仏様の双斗がある。

        建具も桟唐戸である

       霊山寺本堂  棟札より弘安6年(1283年)の建立であると判明

          鎌倉後期における密教本堂の典型 純和様だが 木鼻一部に大仏様

      

    



      鑁阿寺本堂は、上記の国宝、本堂建築とは大きく違い、全体的な形態、部材、部品の様式からは、鎌倉期

      の様式とは観えず、江戸時代の建築様式の本堂として目に映る。国宝の姿かたちは有るものと思うが!


     ■ ⑨「建築史上、禅宗様を搾取した東日本で最も古い中世本堂・・・・・・・従前から判明。

         搾取したとは、どういう意味か? 東日本で最古なら国宝になるのですか? 

         ・・・狭い日本の国宝 東も西も関係ない。地方色の評価ならまだしも。国宝の指定理由ですか?   

      

     
     ■ ⑩「文化史的において、外来新技術の受容のあり方を示す意義

        (外来新技術)禅宗様の軸組み・架構が、折衷様の中世密教本殿内部に採用された禅宗様の折衷度合

        いが高大であること・・・「意義が特に深い」と云うことなのでしょう。

 

      いずれにしても、重要文化財の本堂から 何が新しく調査研究により付加されてきたのか、その内容が

      極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの」を具体的に対比した資料がなければ、第三者には

      真の選定理由がわからず、素直に納得できない記事です。

 

       最近、炭素年代測定法が採用され木材の伐採年代が確度高く判明することが 新事実の発見に繋

      がり騒動を巻き起こしているのが現況です。

 

      又、既存の重要文化財は、徹底的に目視できるものは調査研究されているはずです。

      全面解体修理で墨書が新たに発見される等の「新たな証拠の発見」、復原修理で「新たな技術の駆使」、

      「新たな年代判定」で建立年代が大幅に変更される・・・・などの新しい知見がなくては、


            簡単に、新しく国宝に評価することは無い と信じたいのですが! 

   


       いずれにしても、重要文化財の本堂から 何が新しく調査研究により付加されてきたのか、その内容が

    「極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの」を具体的に対比した資料がなければ、第三者には

    真の選定理由がわからず、素直に納得できないのです。

 a3随願寺本堂  グラフィックス3鑁阿寺本堂側面
 平成21年重要文化財になった、随願寺本堂  兵庫      鑁阿寺本堂 良く似ています。外観は、重文! 


●4-2 まとめ

 

5-6

 新国宝の建造物      この建物は、何故?国宝になったのか

 

要旨

 

文化財指定の報道文書には、指定された「根拠の説明」が無い。

 新国宝の指定は、最近毎年1件づつ公表されているが、その文化庁の解説文では何故、
 国宝なのかを具体的に説明されていない。
 重文の修理を完了すると国宝になる・・・疑問

・部材の伐採年代が明確になると 重文が国宝になる。

新文化財選定の根拠、類似比較などの学術的解説は、審議委員のみ理解すればよい
 らしい?

「文化財審議会の議事録」は公開されていません。

 

 

 

 

何故、重文から国宝になるのか、修理することで、創建時の姿が素晴らしく復されたならまだしも、通常の修理であるなら、新発見の確証がない限り、国宝昇格は疑義が生じる

 

 

要点

重文は、修理すれば国宝になる、拝観料を上げられる・・・・誤解の無いような明解
な説明が公開すべきですが

 

問題

2013年(平成25年)鑁阿寺本堂の国宝指定は、古材の時代判定で年代が明解になったことが要因ならば、現重文の建造物で年代不明な物件を全て調査すべきと判断されるが・・如何に?

 

今後

その他の新国宝についても探訪していきます。

遺跡の文化庁の説明文が素晴らしいので、そのレベルの建造物文化財の解説が有るのか
・・
もう少し探訪してみます。


 


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