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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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5-4 文化財の修理  ここまで修理しても文化財なのか?

 5-4 文化財の修理 

 

 

  5-4 文化財の修理         ここまで修理しても文化財なのか?

 

 

     グラフィックス3平等院修理 


古代には、朝廷関係の建造物などの建設や修理は官の営繕組織があり、都の建設や官寺の造営にはその時に応じて臨時の造営組織が設けられました。貴族や有力社寺の造営においても官の営繕組織に属する者たちが設計を担当することがありました。

 中世には、幕府や貴族、さらに有力社寺には専属の工匠たちがいて、建設工事を担当していました。

江戸時代になると、社寺の造営や修理には幕府への届け出が必要になり、それ以前にあった建物の規模を超えないという方針のもとに実施されていました。その後は、

 

 

 1  文化財修理の歴史      修理の実例から問題点を探訪

 

 【参考資料】    修理現場から文化力



 1)古社寺保存法制定まで:明治30年より以前

   明治13年 古社寺保存金の交付:重要な社寺に対してのみ維持管理のために、以下が保存金で修理文化財。

   修理建造物 ① 新薬師寺本堂:明治31年解体修理 鎌倉時代の礼堂、内部天井を撤去

                  部材全部取り替え、平成7年半解体修理

         ② 中尊寺金色堂:明治30年部分修理、軸部改善、鉄パイプにて補強

         ③ 大報恩寺本堂:明治31年部分修理 外観修補、江戸時代の改造はそのままにした。

   

   明治29年 古社寺保存会の設置:会長九鬼隆一 国費で補助する建造物を決定する機関

   明治30年 古社寺保存法の制定 国宝155件指定 特別保護建造物 44件指定  

         古社寺保存会の諮詢を受けて特別保護建造物または国宝を指定

 

   修理基準  ① 外観意匠・形態の維持 小屋裏など見え隠れ部位での改造、補強

         ② 明らかに後補と判明するのは、撤去する。根拠不明は、現状のまま。

         ③ 部材の取替えをする。きずが多ければ取り替える

  

 2)国宝保存法の制定まで:昭和4年まで

   復原(建立当初)、復元(現状維持)の論争が巻き起こる

   明治34年 辻善之助 修理方針の論評

         ① 後補で建築形式を損害するものは、原形式が明解な場合は復旧する。

         ② 後補なのか、原形式不明の場合は、現状のままとし、後日の調査、研究に資する。

         ③ 後補でも原形式不明の場合、根拠無く創造で復旧はしない。

         ④ 後補でも特に歴史上美術上価値が有るものは、保存する。

         ⑤ 構造は、堅牢のため踏襲しないことも有る。

         ⑥ 古材は、できるだけ再用し、古色は、保存する。

 

   修理建造物 ① 唐招提寺金堂:明治31年解体修理 屋根勾配は現状、小屋組洋式に改造、後補材の撤去

         ② 東大寺大仏殿:明治45年解体修理 鉄骨トラスによる小屋組補強、鳥衾を鴟尾に変更     

         ③ 平等院鳳凰堂:明治39年半解体修理 軒の補強、三重詰木を挿入(後、撤去)

         ④ 法起寺三重塔:明治31年解体修理 1重床、上がり口撤去、江戸修理二間を三間に復旧

                           軸部朱色に復古は反対を浴び、新材を古色仕上げとする。

         ⑤ 西明寺本堂 :明治31年半解体修理 古来は、五間堂だが室町期の七間堂で修理

         ⑥ 日光社寺建築:創建以降修理のたびに新しく塗り替え、古色は、保存せず。
          このように、復元、復原 の方針は、ばらばらである。

 

  3)文化財保護法制定まで:昭和25年まで

    昭和4年 関野貞 修理方針

         ① 当初の構造形式は、尊重する。腐朽した材を更新するのみで変更は、許さない。

         ② 建造物の位置は、動かさない。

         ③ 後補により、当初の平面、細部を変更していても不都合が無い限り、現状のままとする。

           但し、当初の様式を示す確かな証拠が有る場合は、復旧することが出来る。

         ④ 建造物内外の色彩装飾は、現状のままとし、剥落防止にとどめ、取替え材は古色塗りとする。

         ⑤ 修理前後の実測図、写真模型を制作する。     

    昭和15年 国宝建造物維持修理要項 文部省の修理方針

         ① 腐朽破損箇所の修繕を主とし従前の構造、意匠、形式手法を維持すること。努めて古材を使用 

         ② 現状変更は、保存上やむをえない場合や保存上特に復旧の必要が有る場合のみ許可される。

 

   修理建造物 ① 正福寺地蔵堂:昭和8年解体修理 調査により、当初の姿に、復原される。

         ② 法隆寺伽藍 :昭和9年より大解体修理 各種建築技法が解明、当初の姿も判明したが、

                  基本的には、現状復旧 夢殿なども鎌倉時代の形式のままで、修理された。

         ③ 姫路城大修理:

 

 )文化財保護法制定後:昭和25年以降

   文化財保護法の改定

         ① 昭和50年:伝統的建造物群の保存

         ② 昭和50年:選定保存技術制度の新設

         ③ 平成5年 :「近代化遺産」重要文化財建造物の種別として新設

            1993年(平成5年)秋田市の「藤倉水源地水道施設」と群馬県の「碓氷峠鉄道施設」の2件

         ④ 平成8年 :登録文化財制度の新設

   文化財範囲の拡大 :以下は、古社寺中心の文化財の評価、管理でよいのか 今後の大きな課題だと思います。
 
          

         ① 明治時代建立の洋風建築:グラバー邸。教会群

         ② 近世の社寺建築:築地本願寺、瑞龍寺、

         ③ 近代建築:レンガ造、鉄筋コンクリート造の公共建築、大規模建築

         ④ 土木構造物: ダム、橋梁、護岸、トンネル、・・・

         ⑤ 産業、交通遺産的建築: 反射炉、造船所、炭鉱、富岡製糸工場・・・ 

 

   修理建造物 ① 金剛輪寺:昭和53年 荒廃した既存二重塔を、解体調査により三重塔に復原した

         ② 瑞龍寺伽藍:平成8年大修理 曹洞宗の典型伽藍として復旧 その後、国宝に指定された 


 

5) 修理の現状・・・・・修理の種類、復原・復元等 文化財修理の課題は多い

 


  全国で毎年平均約120件(約240棟)以上の文化財修理が行われています。

  これらの修理には、単年度で工事が終了する屋根葺替だけの修理や継続工事で数年間続く大規模な修理があります。 

   毎年4~50件の修理が終了し、また新たに新規の修理工事が加えられていく状況です。



 ① 修理の種類

  文化財建造物の修理は大別して維持修理と根本修理の二つに分けられる。維持修理は比較的周期の短い修理で、

  屋根葺替、塗装修理、部分修理などが行われる。根本修理は半解体修理と解体修理に分けられる。

  以下にこれらの修理について概説する。

 ●維持修理

最も重要な修理が屋根葺替修理である。屋根葺替修理は、植物性材一般が雨などの水に弱く、屋根材の腐朽が建物

全体の耐久性に大きく関わっているという理由から、文化財建造物の修理の中でも優先的に修理が行われる。

 ●塗装修理

洋風建築のペイント塗装や日本の伝統的な塗装である漆塗装、建造物彩色、障壁画などがある。外部のペイント塗

装は剥離や剥落によって通常は6・7年で塗り替える必要がある。漆塗装は、紫外線に弱く、外部と内部の場所に

よって著しくその耐久年限が異なる。

 ●部分修理

腐朽した木部などの部分的な修理で、常に雨による腐朽を避けられない縁周りや外壁等の外部の修理が主となる。

縁周りは、常に雨に濡れる縁板や高欄に被害が多く、外壁は直接雨に濡れる部分または雨落ちの跳ね返りなどによ

る被害が多く、木部修理は勿論のこと,土壁の下地の剥落の修理などがある。

 ●根本修理

  約100年から300年毎に解体を伴う規模の大きな修理が行われ、これらを根本修理と呼ぶ。

  根本修理は修理する建造物の被害の程度によって、半解体修理と解体修理に分けられる。

根本修理は、ほとんどの部材を解体するため、各部材がもっている古い痕跡などの情報を数多く収集することがで

きる貴重な機会となる。

 

それらの調査による情報によって、創建当初の形式やその後の建物の変遷が判明し、その後に最終的な修理方針が

決定される。判明した内容によっては、修理時の現状形式を変更してある時代の姿に復原する修理が行われる。

 

文化庁では、これらの現状の一部を変更する行為を現状変更と呼び、現状変更は文化庁長官の許可を必要とする文

化財保護法に定められた法的行為でもあり、文化財としての価値を大きく変更するため国の審議会にかけて慎重に

その是非が審議されている。(?)

 

 

 

 2  修理方針の判定      修理方針の判断は、誰が決めるのか

 

 


1)修理の方針の論争
   

  

  修理方針の基準は、明治29年の古社寺保存会で基本が制定され以降、論争の中文化財保護法の制定まで紆余曲折

を経て、現在に至っている。幾多の論争の中、修理方針の判断が大きく別れる点は。

  ① 原形式、部材の明解な確証があるなら後補部位を撤去し、新材で復原(原状)する。
  ② 原形式、部材の明解な確証があっても後補部位は撤去せず 極力古材で修理し復元(現状)する。

 

  要するに、

 
 ① 当初に復原する方法  ② 建築後から現在までの途中の時代に復元する方法 の2つです。

 

     共に現在の形式を変更して修理するものであるが、その二つの論旨は以下である。

 

① 当初復原について

   ・当初の建築の形式、部材様式は、当時、建築物を設計施工した人の意図、時代背景を最もよく表わしている。

   ・後補の形式は、その修理時期の時代様式が採用され、複数の人の手が加わり、形式、様式として不整形である。

   ・当初の建築の形式、部材様式は、最も純粋で整った形式としての価値が評価される。

   ・歴史資料として、できるだけ古いものの方が価値があり復古すべきである。

   × 復原される材はほとんど新材となる。古材が残らない可能性が有る。  本物が残っていないのでは?

   

  ② 建築後から現在までの途中の時代に復元について

   ・当初の形式が必ずしも建築的に最も優れたものではなく、現状又は中間期の修理の形式、部材様式の方が優れ

    ている建築も多い。

   ・建築が文化的に充実した形式を完成する時期があり、必ずしも建築当初の形式が最も優れたものではない。

   ・現状の建築の状態は、その建築が修理、改築されてきた過去の建物、時代背景をすべて蓄積している。

   ・文化財は歴史的経過をもったものに価値があり、本物であるべきである。

                 どちらにも軍配を揚げたいところですが、

  ● 考古学者と同じスタンスは、建築史家は取れないのでしょうか、確証主義で判断する。

   

    後補である形式、様式であるという確証が修理記録等で明解な場合、又その他の大部分が、原形式、様式で有

    るならば、後補部位は撤去し、原形式に復古するのが最良と考えます。

 

  ● 仏殿では、向拝という庇が参拝者の雨除けのために追加、増築されているケースが多く在ります。

    江戸時代の当初から向拝付きで建立されているならまだしも、鎌倉、室町期の仏殿に装飾一杯の江戸期の向拝

    が付加されている状況は、なんとも残念な状況です。

 

  ● 多分、手挟み等の彫刻に文化財的価値が有るのでしょう。ならば、その彫刻を単体で保存して置けばよく、

    建物の文化財的価値は、建物全体が、同年代の形式、様式で維持されていることが最良と考えますが?

 

                       いかに!

 
  tias善水寺ー2 TIAS西明寺本堂ー3
  湖東三山   善水寺                  西明寺 身舎:鎌倉 向拝:室町の後補 


  ● 世界遺産の有形の文化遺産における重要な要件は、「Authenticity」「真正性」(強いて訳す)と言われてい

    ます。文化財建造物が、修理時期を迎えた時期に、確証ありきで復元することは「真正性」に反するとはいえ

    ないわけで、明解な根拠、証拠を開示し修理に当たるべきです。

 

  ● もう一つ、寺社拝観のとき、常に思うことですが建物周囲の「高欄に有る擬宝珠」です。

    擬宝珠は、雨ざらしで錆びて再製作される、再建時にその時代様式に変更する、盗難にあうなどで造換えられ

    「瓜の実」みたいな近世の擬宝珠が付いている寺社が多く在ります。

    これもせめて鎌倉時代の建物なら、「栗饅頭」の秀麗な形状に復元すべきです。「宝」の珠です。大切に!  
 

 

  ●最後に!  

    

    
建築の文化財は、建物の「部材レベルの価値」も評価すべきでが、建物全体が持つ「個の価値」が
    優先される
べきです。

    そして、本当の価値は、更に堂内の仏像、周辺建造物、石造美術品、堂内、境内で行われる儀式等

    をも含めた「総合的な価値」へと評価を拡大し、文化の継続性にも価値を見出すべきと考えます。

    それらの価値がセットになった文化財が、日本文化の典型と思うのですが・・・・・
    それこそ「国宝」では!


    

    修理方針の決定までのプロセスを開示した文献を、もう少し探訪してみますが。
      
(最近の文化財指定で、周辺の建物に対し追加指定される例が増えています。円教寺、本願寺、伏見稲荷など)

 

 

 

2)修理方針の決定者


   現在の修理の管理は、修理工事の経験を積んだ修理技術者(修復建築家)と文化庁が認めた主任技術者が設計監理

を行ないます。主任技術者は、「財団法人文化財建造物保存技術協会」(略称、文建協)に所属し、そのほか、

京都府、奈良県、滋賀県、和歌山県においては県の教育委員会等に配属されています。(現在人材不足が問題)

 

文化財の修理の方針は、修理担当者(主任技術者)の調査研究報告により文化庁審議会が決定します。

その報告は、主体的な判断にならざるを得ず、審議委員が、客観的に判断するには、高度の専門知識と時間を要し

現実は、主任技術者の方針で決定されるようです。

          ここが問題です。専門家の批判的反論を交えた論議が絶対必要です!

 

又、文建協と4県の主任技術者のレベルは、ばらつかない様教育、研修されています(多分)。

しかし、マニアルもなく、歴史の評価、建築様式の評価の基準、定量的評価・分析方法が標準化されていない現況

では、その建造物の修理担当者個人の調査研究報告が、最重要な判断基準となるのではないかと・・・危惧します。

 

 

 

 

 3  最近の修理      修理の実例から問題点を探訪


 最近の新指定された重要文化財の中で、疑問符を打ちたい建造物があります。
       

  

 1)東京駅丸の内駅舎の指定について

 

 
  現状の重要文化財の建物を解体して、「再建」形状、構造を大きく改変しましたが 重要文化財のままです。

 


東京駅の歴史

 

   グラフィックス3東京駅ー1  グラフィックス3東京駅ー2  グラフィックス3東京駅ー3
     第1期:1914年から1945年    第2期:1947年から2007年     第3期:2012年5月

 

重要文化財指定の経過

 
   文化庁公表資料

   2003年   重要文化財指定(建造物)文化審議会答申 平成15年4月 

   東京駅丸ノ内駅舎の復原の意味

  ・名称:東京駅丸ノ内本屋  棟数:1棟  種別:近代/その他 

  ・所有者:東京都千代田区 東日本旅客鉄道株式会社 

  ・特筆すべき事項:煉瓦造で最大規模,首都東京を象徴する建築

   東京駅丸ノ内本屋は,皇居から東へ一直線に延びる通称行幸通りの正面に位置している。

 

 1)東京駅丸ノ内本屋は,首都東京の中心に位置し,「赤レンガの駅舎」として国民に広く親しまれてきた歴史的建

   造物である。煉瓦造による建築としては最大級の規模を有し,わが国の明治・大正期を代表する建造物のひとつ

   である。今回の指定は,都市再生が進みつつある中心市街地における歴史的建造物の保存活用のあり方に,新た

   な方向を示す画期となるものといえる。

 

 2)明治41年3月25日着工,大正3年12月14日に竣工した。設計は辰野金吾で,辰野葛西事務所によって実施

   案がまとめられた。南北折曲り延長約335mに及ぶ長大な建築で,中央棟の南北に両翼を長く延ばし,建設当初

   は,地上3階建であった。建築様式は,いわゆる辰野式フリー・クラシックの様式になる。

 

 3) 東京駅丸ノ内本屋は,わが国鉄道網の起点となる停車場の中心施設であるとともに,明治の市区改正計画に基づ

   き建設された首都東京を象徴する貴重な建築である。煉瓦を主体とする建造物のうち最大規模の建築で,当時,

 

   日本建築界を主導した辰野金吾の集大成となる作品として,価値が高い。 

・指定基準=意匠的に優秀なもの,歴史的価値の高いもの 

 

 

報道発表資料の問題点 

 ① 「歴史的建造物の保存活用のあり方に,新たな方向を示す画期となるもの」と評価しているが何が新たな方向な

   のか難解です。また「わが国の明治・大正期を代表する建造物のひとつである」とは言えません、戦災で大破し

   再建された建築です。

 

 ② 当初の建の説明と辰野金吾設計のことに終始しています。戦後復旧工事の設計については評価されていない 

 

 ③ 明治の都市計画と又、辰野金吾のことしか触れられていません。 

   戦後の復旧工事の建物の61年間については、記載されていないし、修復して戦後の復興のシンボルとしての評価

   記述されていない。

 

  この内容では、辰野金吾を絶賛し、大正3年建設のドーム屋根建築を、対象にしたとしか思えない。

  戦後に復旧された1947~2003年までの、「赤レンガの駅舎」の評価かは全く記述されていません。 

    これでは、2005年からの復原を前提にした指定としか この文面では考えられない。 

         

 

【参考事例】  明治生命保険相互会社本社本館                  【明治生命】

 
  東京駅の300m西の近傍に有る1997年に昭和の建築として初の、
重要文化財の指定を受けた

            「明治生命保険相互会社本社本館」

 

  が在ります。その指定の解説文は、 

 

鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階地下2階建てのオフィスビルで、昭和5年に工事に着手、同9年に竣工してい

る。設計監理は岡田信一郎と弟の捷五郎の手による。この種のビルは大正から昭和初期に多数つくられたが、この

建物は列柱が建つ外観や顧客用の大空間を内部に持つ点が特徴であり、特に質の高い代表的な建築である。

明治期以降に洋風意匠を導入した我国の建築の一つの到達点とも言うべき建築であり、昭和期に建てられた建造物

としては初めて指定されたものである。

 

  と記述されており質の高い建築として比類なき名建築です。故に、解説文にも文句の付け様がありません。

        
いかに、東京駅の重文指定時の報道資料が矛盾しているか 誰もが思うと・・・・ 

  

 

 反対賛成論

    東京駅丸ノ内本屋の復原新築、保存改修の両論  HPが多く有るので、参照してください。   

 

      東京駅復原反対論サイト 

      東京駅赤レンガ駅舎         【復原」の意義  

      東京駅丸の内駅舎 保存・復原工事   鹿島
      東京駅の復興



東日本旅客鉄道株式会社の報道  2003年4月18日報道  

 

当社が所有する東京駅丸ノ内本屋が、文化庁の文化審議会答申(平成15 年4 月18日)を受け、当社所有の施設

としては初めて本年5 月末(予定)に重要文化財の指定を受ける運びとなりました。

 

 ・ 当社の丸ノ内本屋は、首都東京の中心に位置し、「赤レンガ駅舎」として国民に広く親しまれてきた歴史的建造物で

  あり、煉瓦造の建築としては最大規模を有し、わが国の明治・大正期を代表する建築物のひとつであります。 

 

 ・ 当社としては、重要文化財の指定の意義・重要性を十分に認識した上で、今後も同建物の駅施設およびホテル等と

  しての機能を保ちつつ、引き続き建物の価値の維持・保存に努めてまいります。

 

 ・ なお、当社は、丸ノ内本屋を可能な限り保存するとともに、創建当時の姿(3階建)への復原を行うこととし、調査

  を進めております。 

 

  この文章は現在の「新丸の内駅ビル」は「東京駅丸ノ内本屋」の重要文化財のまま継承されていることです。

重要文化財として「保存すべきは、保存、改良すべきは、適切に環境、安全、含め改良」と設計理念?を述べられ

ていますが、 上記文章の出典  東京駅丸の内駅舎保存・復原の 設計理念と手法文化財の知識が少なくてもよい

のか、不可思議な「設計理念」です。

 



重要文化財としての問題点   (元国鉄体質の傲慢さが通用する?) 

 

  ● 新築された、東京駅丸ノ内本屋の構造は

 

   ① 3階以上の構造は、現代の「鉄骨鉄筋コンクリート造」で全面的に新造し、
     原状の鉄骨レンガ造ではありません。
「復原」と呼称していますが、「新築」です。

     鉄骨レンガ造で再建すべきです。   この点だけでも重文の指定は遠慮するのが当然!

    ※ 法隆寺の4~5層目を木造から、「鉄骨造」にし木材を貼ったのと同じです。文化財ではない!

  


   
② 2階3階の床の「炭殻コンクリート」は全て解体され現代の「鉄筋コンクリート造」の床に変更さ
     れました。
   復原なら、「炭殻コンクリート」で再生すべきです。

    ※ 姫路城の木貼りの床を、現代仕様のコンクリートの床にしたのです。

      

     根本的に構造形式を変更したわけです。外観のみ、当時の復原としているだけです。


 

 ● 近代建築の重要文化財で、構造体を造り替えて文化財になっているのは現存しないこれが弾なのか?)

   迎賓館赤坂離宮、明治生命館、日銀本店等、構造体を耐震的補強はしているが、構造改変はしていない。

   文化財を耐震のため免震構造を適用するなら、既存建物の基礎下部に免震層を設け、文化財を支持します。

   文化財自体の部分的構造補強を最小限にし、文化財の価値は損ねないことが目的です。

   地上部を全面的に構造改変していては、文化財に対する免震構造の採用の目的に反します・・・意味が無い。

 

 ● 大半の構造体を変更して表面的に免震、耐震性能評価の語句で飾り、鉄骨レンガ造での復原には触れない、保存

   と復原を使い分ける等の記述立派です。 構造以外にも矛盾点が多数あります。 

 

 ● 鉄骨レンガ構造+耐震補強なら理解できるが。それが技術的に不可能なら 重要文化財の指定を辞退すべきです。

   2階を3階に復元と、これはよいでしょうが、コンコース、ホテル,、免震階など平面、断面形状まで変更されて

   いることを、文化財以外のカテゴリーで表現して内包してしまう・・・記述立派です。

 

       文化庁、審議会委員、アドバイスした専門家の皆さん!    

      これで「重要文化財の指定の意義・重要性を十分に認識した上での設計ですか?  


 

7) まとめ

 

 ① 構造体まで大きく改変し、更に、平面断面の形状も変更して 1914年の駅舎復原といえるのだろうか?

 ② 現状復元1947年に 何故しなかったのか、戦災復興のシンボル・・・・反対を押してまで  何故?

   戦後東京駅を機能するため尽力したの数多くの人達、ドームよりバランスの良い寄棟造の屋根(折衷様式)・・

   何故1914年復原なのか、どの文献を見ても明解な説明は無い!

 ③ 建築設計者のウェイトも復原の要因として重要と思いますが、文化庁文章は、辰野金吾ばかりを評価している

   ようですが余りにもおかしい。2003年に重要文化財に指定したのは、戦後の建築に対してです。

 数年もせずに解体修理することが予定されていたのに、この新指定は、何の意味があったのでしょうか?

 

                   教えてください!


 ④ 鉄道省建築家の伊藤滋の戦後の努力と戦後復興のシンボル、は灰燼に帰したわけで、寂しい!と感じる人も多い。

 

1914年に復原する確証は、沢山あったのでしょう。修理方針の論争ポイント、

 ① 原形式、部材に明解な確証があるなら後補を撤去し新材で復原(原状)復旧する。      

 ② 原形式、部材に明解な確証があっても後補を撤去せず極力古材で修理し、復元(現状)復旧する

一応、 修理方針 ① に合致はしていますが、「新材で復原(原状)復旧する」には、適合していません。

        

         ② 派の人たちも、更に文化庁への不信が募ったことでしょう!

        文化財の解体(根本)修理の理想を 捻じ曲げられたのでは・・・ 文化庁も強大な企業には・・・・・

 

  

【参考資料】 JR東日本設計 発表資料より抜粋

はじめに 

「赤レンガ駅舎」として親しまれている東京駅丸の内駅舎は、明治の大建築家、辰野金吾の設計により1914年に竣工した他に例を見ない大規模な鉄骨煉瓦造である。

関東大震災でも大きな被害を受けなかったが、1945年の戦災で外壁、屋根及び内装が損壊した。

戦後、3階建てを2階建てにし、屋根形状を変更するなど応急的な復興工事が行われ、その姿のまま現在に至っている。

 

1970年代後半からは保存を求めるさまざまな動きが見られたが、2000年に創設された特例容積制度により基本的条件が整い、2003年に国の重要文化財に指定されたことで保存復原が決定的となった。
  
 (指定されたのは、応急的な復興工事である1947年修理の既存建物。その指定と、保存復原は関連しない)

丸の内駅舎は単なる文化財ではなく、創建以来90年以上にわたり使い続けられている現役の建築物である。

歴史的建築物の安全性・機能性の向上を図りながら、長い将来にわたっての恒久的な保存・活用を実現することが当プロジェクトの目的である。(文化財ではないなら良いこと)

丸の内駅舎の保存復原は、日本における重要文化財の保存活用にとって新たな時代を切り開くパイオニアとしての役割が期待されている。(どの点がパイオニアなのか?)

特に活用に伴う十分な安全性確保のために免震工法を採用し、それによって既存躯体を極力活用しつつ新たな補強を軽減できたことは、文化財の価値を守る上でもきわめて重要なポイントであった。
(構造体を改変し、既存とは全く異なる現代技術を採用しても、「極力活用」なのか、「補強を軽減」意味不明)

 

東京丸の内地区では歴史的な蓄積を生かしながら、商業機能の充実など、首都の中心にふさわしい風格ある都市形成が進められている。その中でも国の重要文化財に指定された丸の内駅舎は中心的かつ象徴的役割を担っている。(不要)

これを創建当時の姿に復原するとともに機能を充実させることにより、将来にわたって魅力的であり続ける、首都東京の顔づくりを行う。
オーセンティシティの視点の以下の記述は、根本的におかしい、視点は全く無い!)

 

保存と復原 - 重要文化財のオーセンティシティへの視点

【保存】

・広場側、線路側1、2階の既存レンガ躯体と内蔵鉄骨及び広場側1、2階の既存外壁仕上げを保存する。


  【復原】

・広場側、線路側の3階外壁は新躯体を設置の上、化粧レンガ・花崗岩・擬石で復原する。

・線路側1、2階外壁は既存モルタルを撤去の上、化粧レンガ・花崗岩・擬石で復原する。

・屋根は天然スレート・銅板で創建時の姿に復原する。

・ドーム3、4階の内部見上げを創建時の姿に復原する。

 

[1] 外壁の保存・復原

 広場側、線路側外壁は南北ドーム部と中央部を除いた切妻部を2階から3階に復原(増築)する。

 広場側に残存している1・2階部分の外壁の化粧レンガ・石・擬石は創建当初の形状、材料を概ね保っている。

・・・・・・  以下省略します。

 新躯体を設置」と明記していながら  「真正性、信憑性」を良く論じられる・・・・

  「視点」だから良いのかも、「確保」だったら・・・・・・・・・・・・・・・ HPを参照してください。


● 4-5 まとめ

4-5

  文化財の修理

 

要旨

 

当初に復原する方法」と、「建築後から現在までの途中の時代に復元する方法」の2極化された修理方針の論争は、未だ決着を見ていない。

審議委員会での論議、その論議の資料を作成する担当主任技術者で、方針が個別に設定されるのが現状だが、批判的な論議は無く、大半担当者の意向で決まっている。

 

東京駅丸の内駅舎のごとく、2012年に再建された現在の建築は、2003年に重要文化財に指定されたものとは大きく価値が異なり、現状、重文の要件を満たしたいない。

このプロセスを許容してきた関係者に対し疑念を感じる。

 

 

要点

・修理方針は検討案の作成後、専門家の批判的意見も交えた論争を経て改善され、
 審議委員会
に上程されるべきである。一人の主観的方針には間違いが実績的にも多い。

・東京駅は、以前は、仮設建築であった、手狭になった、耐震上問題が有る、建替えまし
 た。
 これは、良いのです。重要文化財の指定を返却しなさい。文化財ではない!

 

問題


・いずれにしても、文化財の指定根拠、その確証、修理方針など客観的な検討を行うのが
 当然
で、審議会は秘密会です等と言うスタンスの文化庁の対応改善を要望したい。

 

今後


・「真正性、信憑性」オーセンティシティ、世界的文化の水準に対し、文化的価値をを証
 明で
きる根拠を現状の文化財全てに見直すと共に、新指定でも明解な説明を開示すべき
 である。


  今後、追記していきます。


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