FC2ブログ

寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
071234567891011121314151617181920212223242526272829303109

8-8-1 徳島県の文化財

8-8 四国地方 8-8-1 徳島

 

  

  8-8  四国地方 


 各県へのリンクです。

 

 8-8 四国地方 

徳島

香川

愛媛

高知

 

 

 

 

 8-8-1  徳島県の建造物文化財の探訪

 

    徳島県HP

 


●徳島県 建造物 文化財 一覧 

 

徳島

文化財名称

指定時期

住所

特長

建立年代

1

 

一宮神社 本殿

平成5.04.20

徳島市一宮町西丁

三間社流造、正面千鳥破風

1630

2

 

宇志比古神社 本殿

平成12.12.04

鳴門市大麻町大谷字山田

三間社流造、銅板葺

1599

3

 

丈六寺 観音堂

昭和28.03.31

徳島市丈六町

桁行三間梁間四間、寄棟造

1648

 

 

       経蔵

平成10.12.25

 

桁行五間梁間三間、寄棟造

1644

 

 

    三門

昭和28.03.31

 

三間三戸階二重、入母屋造

室町後期

 

 

    本堂

昭和28.03.31

 

18.7m×11.8m、入母屋造

1628

4

 

切幡寺 大塔

昭和50.06.23

阿波市市場町切幡

五間二重塔婆、本瓦葺

1618

5

 

箸蔵寺 方丈 

平成16.07.06

三好市池田町州津蔵谷

41.9m×14.1m、入母屋

1856

 

 

    鐘楼堂

平成16.07.06

 

桁行三間梁間二間、楼造

1861

 

 

    薬師堂 

平成16.07.06

 

桁行三間梁間三間、宝形造

1861

 

 

    天神社本殿

平成16.07.06

 

一間社流造

1861

 

 

    本殿

平成16.07.06

 

正面三間背面四間、側面六

江戸末期

 

 

    護摩殿

平成16.07.06

 

正面三間側面三間、宝形造

1861

6

重伝

三好市東祖谷山村落合

平成17.12.27

三好市

32.3ha 山村集落

江戸時代

7

重伝

美馬市脇町南町

昭和63.12.16

商家町

5.3ha 商家町

江戸時代

   平成年代に新指定されている重文が多いことが徳島県の特徴のようです。四国八十八箇所の世界遺産登録に向けて!




●個別寺社建造別の探訪


 1、一宮神社

 

寺社名

 一宮神社

所在地

徳島市一宮町西丁237

周辺環境

四国霊場十三番札所である大日寺の近傍

歴史由緒

周辺は「一宮町」という地名になっており、東方にある山の頂上にはかつて小笠原氏の「一宮城」という城があった。神社の前には四国八十八箇所十三番札所の大日寺があり、神仏習合の時代には一体化していた。元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮であったが、参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらが一宮となったと伝えられる。

創建

由緒不詳

祭神

大宜都比売命

 天石門別八倉比売命

社格

式内社(名神大)論社  阿波国一宮論社  旧県社 

阿波国一宮論社  八倉比売神社 上一宮大粟神社 大麻比古神社

 特長

鳴門市大麻町の宇志比古神社本殿 桃山時代とともに近代初期を代表する大型本殿建築

 

 

 

             8-8  一宮神社本殿徳島20150314  
 
 

建造物

 本殿

建立

1630

指定年

平成5.04.20

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

棟札

平面形状

 

屋根

銅板葺

屋根頂

 

立面外観

向拝は一間、唐破風造

 

外周縁

 擬宝珠勾欄

軒裏組物

 

中備

 

 

木階 浜床

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

向拝虹梁に錫杖が彫刻されており神仏習合の影響が残っている

修理履歴

 

文化庁

説明文

一宮神社は、徳島市の南西部に位置し、江戸時代には四国八十八所霊場の札所で神仏習合の「一宮大明神」として庶民信仰をあつめた。

本殿は、寛永七年(1630)建築の三間社流造で、正面に千鳥破風と向唐破風造の向拝をもうける点に特徴があり、要所の彫刻に極彩色をほどこすなど華やかな意匠をもち、徳島県下で江戸時代前期まで建築年代が遡る数少ない大型の神社本殿として貴重である。

市説明文

この本殿は,身舎の正面柱間が三間で、屋根が後方に短く前方に長く曲線形に流れる『三間社流造』である。棟前方に干鳥破風を飾り、さらに先端の中央一間分に軒唐破風を設け、木階前方の庇柱まで浜床を張り出す。また各所に上品な彫刻が埋められ、全体に彩色を施しながらも過度の装飾には陥らずに、華やかな本殿に仕上げている。向拝の木鼻や身舎妻飾りの大瓶束下部には蓮華が。
繋海老虹梁や向拝頭貫虹梁の底面には錫杖が彫られるなど。神仏混淆の様相を表している。

棟札と正面千鳥破風板の墨書から、寛永7年(1630)の建築であることが判明している。同じ三間社流造で重要文化財である鳴門市大麻町の宇志比古神社本殿〔桃山時代・慶長4年(1599)〕とともに、徳島県の近世初期を代表する装飾的な大型本殿建築である。

徳島県教育委員会徳島市教育委員会

 

     


 2、宇志比古神社

 

寺社名

 宇志比古神社  うしひこ

所在地

鳴門市大麻町大谷字山田

周辺環境

堂々とした本殿は現存する県内の神社本殿として最古で、国の重要文化財。明治3年まで八幡神社と称していたため、今でも氏子の多くは「八幡様」と呼んでいる。

歴史由緒

平安時代、京都の石清水八幡神社の別宮として創建された。907年編さんの延喜式神名帳にもその名が見られる由緒ある神社。天正年間(157392年)、四国制覇を目指した土佐の戦国武将・長宗我部元親の侵攻を受けた際、社殿と宝物が焼失したとされる。

創建

平安時代

祭神

宇志比古尊  応神天皇 仁徳天皇 神功皇后

社格

旧郷社

文化財

 本殿以外になし

 

             8-8 宇志比古神社徳島 本殿20150305 

 

建造物

 本殿

建立

 慶長4(1599) 

指定年

平成12.12.04

様式形式

三間社流造

再建

 

確証附

胸札

平面形状

7.5m×5.4m 高さ10m

屋根

銅板葺

屋根頂

 

立面外観

向拝一間

蔀戸

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

蟇股

妻飾

豕扨首

見所

 浅く細い線の唐草文様彫刻の木鼻  

修理履歴

1635年(寛永12年)と1704年(宝永元年)に修理

文化庁

説明文

 宇志比古神社は,鳴門市の南西部に所在する。創立,沿革については明確でないが,江戸時代には八幡宮と呼ばれ,現在に至るまで地元の尊崇を集めた。明治以降,宇志比古神社を称している。

 本殿は三間社流造,銅板葺である。
内外とも素木であるが,外陣内部内法長押に唐草文様を描き,内外陣境板扉には松を描く。建立年代は,棟札,細部の様式及び技法から,慶長4年(1599)と考えられる。

 宇志比古神社本殿は,規模の大きい三間社流造で,庇を板敷として両側面の切目縁に連ね,縁に段差を付けるなど,変化に富んだ特徴的な形式になる。

 装飾が少なく全体として簡素なつくりだが,蟇股や手挟,木鼻など彫刻の細部は洗練された意匠をもつ。 徳島県下の神社建築本殿として最古例と考えられる重要な遺構である。 

  


   

 3、丈六寺

 

寺社名

 丈六寺 じょうろくじ

所在地

徳島市丈六町丈領32

周辺環境

 

歴史由緒

寺伝によれば、寺の歴史は白雉元年(650年)に関東地方よりたどり着いた尼僧が、この地に庵を構えたことに始まると伝えられている。室町時代中期の長享・延徳年間頃(1487年~1491年)、阿波国・三河国・讃岐国の守護大名・細川成之が金岡用兼を招聘し宗派を曹洞宗に改めて中興開山し、伽藍を整備した。

江戸時代になると、徳島藩蜂須賀家歴代藩主が庇護し寺院を整備した。

 

建物も含めて多数の文化財を有し「阿波の法隆寺」と称される。

中でも有名なのは、県内最大級のサイズで寺号の由来にもなった国指定重要文化財の聖観音坐像だ。境内南側に建つ重文の観音堂に安置されている

創建

伝・白雉元年(650年) 

中興年長享・延徳年間頃(1487年)  

 

山号瑞麟山 宗派曹洞宗 

本尊釈迦如来(本堂)聖観音(観音堂)

札所

 瑞麟山慈雲院丈六寺   阿波秩父観音霊場24番

丈六仏

木造聖観音坐像 重文

平安時代末期の作とされる。定朝様式の仏像で、像高3.1m。旧来からのこの寺院の本尊である。修理時に発見された胎内仏は寺内宝物館に安置されている。ヒノキの寄せ木造りで額までの座高は約3.1m。このサイズの仏像は、立ち上がれば背丈が1丈6尺(約4.85m)に達することから「丈六仏」と呼ばれ、寺号もこれにちなむ。

 左手に持つハスのつぼみは、まだ悟りを得ていない人間を指す。このつぼみを開かせようとしているのが、右手の親指と中指で輪をつくった説法印というポーズ。極楽浄土に導くため、道理を説いている姿という。

 背後の装飾は飛天光背と呼ばれ、阿弥陀(あみだ)如来が悟りを開いた際に歓喜する飛天(天女ら)の情景が描かれている。これらの様式は、平安時代に登場し、平等院鳳凰堂(ほうおうどう)の阿弥陀如来像などを手掛けた仏師・定朝が考案したもので、聖観音坐像も平安末期の作と考えられている。

 毎年、観音様の縁日に当たる3月3日(旧暦1月18日)と、11月1~3日に特別公開される。1961年ごろ、地元住民や郷土史家らが丈六寺顕彰会を立ち上げ、案内冊子を作成したり、定期的に周辺を清掃するなどして顕彰活動に努めている。

 

文化財

絹本着色細川成之像 重文

寺内宝物館に安置されている。昭和42年(1967年)6月15日、重要文化財に指定された。

・徳雲院 附棟札1枚 県指定

元々は細川持隆が瑠璃殿として寄進し、永禄6年(1563年)に細川真之が改築し自身の法名である徳雲院に改称した。明治25年(1892年)より明治29年(1896年)の5年間、多家良(たから)高等小学校が開設された。また、大正5年(1916年)より昭和5年(1930年)まで、徳島県仏教会が徳島県初となる阿波養老院を開設した。

血天井

伝説


戦国時代、土佐の戦国大名長宗我部元親は阿波国に攻め込んだ。那賀郡まで攻め入った際、ここを治める牛岐城(富岡城)主新開入道道善(新開遠江守忠之)は勇猛で知られており攻めあぐねた。元親は一計を案じ、和議を申し入れた。天正9年10月16日(新暦1581年11月12日)、道善を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。和議の条件として、道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位の確保し勝浦郡を与えるという案を示した。好条件に道善主従は大いに満足し、酒宴は盛り上がった。道善主従が、夕刻、宴を辞して帰ろうと縁側に出たところを、隠れていた元親の家臣に襲撃された。道善主従も応戦したが、多勢に無勢で全員殺害された。この時の手形や足形の血痕は、拭っても消えなかったと言われる。

 

現在、この縁の板は寺内徳雲院の天井板として用いられており、手形・足形の血痕らしき赤い形が認められる。

 

 

 

建造物

三門

建立

室町末期

指定年

昭和28.03.31

様式形式

三間三戸。
側面約3.6m、高さ9m

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

 

屋根頂

 

立面外観

粽柱礎盤、火頭窓等の禅宗様

火頭窓

外周縁

擬宝珠勾欄

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 羅漢像の須彌壇 

彫刻

 

妻飾

 

見所

 

修理履歴

1959

文化庁

説明文

 なし

     

               8-8 丈六寺三門 20150306  三門

 

建造物

 本堂

建立

寛永6年(1629)

指定年

昭和28.03.31

様式形式

入母屋造

再建

方丈を改築

確証附

棟札

平面形状

幅19.1m、奥行き12.0m

屋根

 

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

 

修理履歴

1959

文化庁

説明文

 丈六寺は德島県下に於ける曹洞宗の大伽藍の一で、本堂観音堂三門は室町時代末期の建物である。

このうち本堂が最もよく旧規を残している。德島県下には重要文化財の建物に指定されたものが一つもなく、この三棟の存在は特に文化史的意義が深い。 

 

 
               8-8 丈六寺本堂 20150306  本堂

建造物

 経蔵

建立

寛永21 : 1644 

指定年

平成10.12.25

様式形式

寄棟造

再建

 

確証附

棟札

平面形状

桁行五間、梁間三間

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

八角輪蔵

彫刻

 

妻飾

 

見所

 

修理履歴

1959 平成2~6年にかけて解体修理工事

文化庁

説明文

丈六寺は,徳島市の西南に位置する曹洞宗永平寺派に属す寺院で,経蔵は,回廊で囲まれた一画の南側に北面して建つ。棟札からもとは僧堂で,寛永21年(1644)の再建であることが判明する。享保12年(1727)に輪蔵を設置した他は改造はほとんどなく,平成2~6年にかけて解体修理工事が行われた。  禅宗様式を基調とする小規模な建物で,全体として簡素な造りだが,地方に残る禅宗寺院建築の中で数少ない江戸時代前期の僧堂として歴史的に貴重である。

 

 

               8-8 丈六寺経蔵 20150306  経蔵

 

建造物

 観音堂

建立

慶安元 : 1648

指定年

昭和28.03.31

様式形式

寄棟造

再建

 

確証附

棟札

平面形状

 桁行三間、梁間四間 

屋根

本瓦葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

見所

 

修理履歴

1959

文化庁

説明文

なし

 

 
                8-8 丈六寺観音堂 20150306  観音堂


   「丈六寺書院」は本堂右手の玄関に接続し,本堂背面の庭園に面して立つ。
   昭和34年には,県の有形文化財(建造物)に指定された。
   書院は,丈六寺蔵の永禄年間に描かれた指図によれば,同じ位置に書院が描かれており,この時期には丈六寺の建
   物の配置の重要な構成要素の一つとして書院があったことが伺える。
   現書院は1800年(寛政12年)の棟札が残っており,この頃に建築されたものと推定される。
   柱のゆがみや土壁のひび割れなど老朽化が進んでいたため214年ぶりの大規模改修を施し、2014年5月に完了し
   た。欄間と土壁などを再利用することで古刹の趣を保った書院、障壁画等がある。

 

4、切幡寺

 

寺社名

 切幡寺 きりはたじ

所在地

阿波市市場町切幡129

 0883-36-3010 

周辺環境

四国霊場十番札所・切幡寺。坂の門前町、切幡山の中腹、標高155メートルに境内がある

三百三十三の急な石段を上った先にある本堂を抜け、さらに山を登った高台に大塔がある。

歴史由緒

寺伝によれば、修行中の空海(弘法大師)が、着物がほころびた僧衣を繕うため機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切りさいて差し出した。これに感激した空海が娘の願いを聞くと、父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことであった。そこで、その場で千手観世音菩薩像を刻んで娘を得度させ、灌頂を授けたところ、娘はたちまち即身成仏して千手観音の姿になったという。

空海はこのことを嵯峨天皇に伝えたところ、勅願によって堂宇を建立、空海の彫った千手観音を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置し本尊として開基したという。山号や寺号は機織娘の故事にちなんでいる。

 

創建

(伝)弘仁年間(810年 - 824年) 

開基(伝)空海(弘法大師) 

山号

得度山 灌頂院 切幡寺

札所

四国八十八箇所10番 

文化財

奥の院 八祖大師

本堂の左の石段を登ったところにある重要文化財の大塔から、さらに奥に進むと堂があり、真言宗八祖の肖像画が掲げられている。

 

      8-8 切幡寺大塔 20150306    8-8 切幡寺大塔-2 20150306

 

建造物

大塔

建立

 元和4 : 1618 

指定年

昭和50.06.23

様式形式

五間二重塔婆

再建

明治15年移築

確証附

なし

平面形状

初重方五間 9.98m

上層方三間 4.8m

屋根

本瓦葺

屋根頂

多宝塔の形式

宝珠の下に三層の蓮弁

立面外観

高さ 24.168m

板唐戸、脇間連子

外周縁

切目縁

跳勾欄

軒裏組物

二軒繁垂木 

初層 出組 上層 四手先組物

中備

撥束 蓑束間斗束

 

腰組は平三斗

 

全国唯一の二重方形塔婆の切幡寺大塔

内陣

内部は四天柱、来迎壁、須弥壇が設けられており弘法大師像が安置されている。また、来迎壁には狩野山楽の筆になる文殊像が描かれている

修理履歴

明治6〜15年、住吉大社神宮寺が神仏分離令により廃寺となった為、二基のうち西塔を切幡寺の住職が買い受け、解体移築した

・平成10年10月〜平成13年12月〈半解体修理〉

 解体の範囲は二重は柱、初重は軒廻りまでとし、二重の柱盤、初重は丸桁より下を残した。解体後に初重の軸部を揚屋し、礎石の据え直しと根巻地業を行って屋起しをした。解体した木部は破損度に応じた補修・取り替えを行って組立てた。

 解体工事で行った調査で当初形式技法とその後の修理内容が明らかになったので、明治期の移築時で納まりが悪い箇所などは当初の形に復旧した。構造補強として二重の軒を小屋内に設けた鉄骨フレームで丸桁を吊り上げ、茅負と丸桁の裏面に桔木と結合する金具を取り付けなどの補強を行った。屋根の本瓦葺は葺土を筋置きとし新補の平瓦は軽量化した。相輪・風鐸などの金具は補修し、来迎壁絵画は剥落部を補筆した。 

文化庁

説明文

この塔は大阪住吉大社神宮寺の西塔を明治初年に移築したものである。 初重方五間、二重方三間の二重塔で、平面及び形態ともに特異な遺構で、全国唯一のものである。 

このような塔は天台宗関係に存在したことが推定されるので、日本における塔の意義と歴史を考える上に重要な資料を提供するものである。

     

 
            8-8 切幡寺大塔-3 20150306




5、箸蔵寺

 

寺社名

 箸蔵寺  (はしくらじ)

所在地

三好市池田町州津蔵谷1006

周辺環境

山麓から方丈脇まで箸蔵山ロープウェイが通じている。境内には階段が多く、本宮である金刀比羅宮の785段には及ばないが、山門より本殿まで600段弱の段数がある。

歴史由緒

寺伝によれば、828年に空海(弘法大師)が霊気によって箸蔵山へと導かれたそうです。山頂にて金毘羅大権現が現れ「箸を挙(あ)ぐる者、我誓ってこれを救はん」というお告げを授かり、金毘羅大権現の像を刻まれ、これを本尊として伽藍を建立し当山を開創したそうです。

江戸時代の寛文7年(1677年)と文政9年(1826年)の火災により伽藍の大半を焼失した。現在見られる建造物は概ね文政の火災以後、江戸時代末期に建立されたものである。

毎年8月4日には箸供養が行われている。

創建

伝)天長5年(828年) 開基(伝)空海

 

宝珠山

札所

四国三十三観音霊場第28 四国別格二十霊場 第15番 四国三十六不動尊霊場 第4番

阿波西国三十三カ所 第23番  金刀比羅宮奥院 

文化財

 

 

 

建造物

 本殿

建立

江戸末期

指定年

平成16.07.06

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

御本社再建寄進帳

平面形状

奥殿 正面三間背面四間側面六間

屋根

総銅板葺

屋根頂

 

立面外観

奥殿 正面千鳥破風及軒唐破風付

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

内外陣

内陣 前方 桁行三間、梁間四間、一重、両下造、背面取合及び物置附属

外陣 桁行五間、梁間四間、一重入母屋造、前後千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、背面取合附属

 

修理履歴

 

文化庁

説明文

箸蔵寺は徳島県西部にある真言宗寺院で,近世には金刀比羅宮の奥の院として信仰を集めた。現存する建築群は,文政9年(1826)火災後に再建されたものである。

 建築年代は,方丈が安政3年(1856)頃,護摩殿・薬師堂・鐘楼堂・天神社本殿が文久元年(1861)頃,本殿は少し遅れて江戸最末期と考えられる。

箸蔵寺は,本殿,護摩殿,方丈を中心に,神仏習合を色濃く残す寺院である。特に本殿と護摩殿は,傾斜地を意図的に利用し,複雑な構成と特異な造形を併せ持つ雄大な複合建築として貴重である。 また,いずれも装飾細部に巧緻かつ高度な技法を駆使した彫物を多用しており,四国における江戸末期の建築意匠の傾向を代表する壮麗な建築のひとつとして,価値が高い。

     

               8-8 箸蔵寺本堂 20150306    
                         本殿               

 

建造物

護摩殿

建立

江戸末期

指定年

平成16.07.06

様式形式

宝形造

再建

 

確証附

なし

平面形状

奥殿 正面三間側面三間向拝一間

屋根

 

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣特長

 

彫刻

 

妻飾

 

内外陣

内陣 前方 桁行三間、梁間三間、切妻造、妻入、左右庇付、

   後方 桁行三間、梁間三間、一重、両下造、左側面庇付

外陣 桁行五間、梁間三間、入母屋造、前後千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、背面取合附属

修理履歴

 

文化庁

説明文

 なし

 

               8-8 箸蔵寺護摩堂 20150306

 

建造物

方丈

建立

安政3 : 1856 

指定年

平成16.07.06

様式形式

入母屋造、四面庇付

再建

 

確証附

棟飾平瓦

平面形状

 桁行41.9m、梁間14.1m

屋根

桟瓦葺

屋根頂

 

立面外観

正面唐破風玄関付、銅板葺 

 

外周縁

 

見所

 

修理履歴

 

文化庁

説明文

 なし

 

                8-8 箸蔵寺方丈 20150306    
                         護摩殿

 

建造物

薬師堂

建立

文久元 : 1861 

指定年

平成16.07.06

様式形式

宝形造

再建

 

確証附

厨子

平面形状

桁行三間、梁間三間、一重

屋根

桟瓦葺

屋根頂

 

立面外観

向拝一間

 

外周縁

 

文化庁

説明文

 なし

 

              8-8 箸蔵寺薬師堂 20150306

 

建造物

鐘楼堂

建立

文久元 : 1861 

指定年

平成16.07.06

様式形式

入母屋造

再建

 

確証附

 

平面形状

桁行三間、梁間二間、楼造

屋根

桟瓦葺

屋根頂

 

立面外観

 

 

外周縁

 

文化庁

説明文

 なし

 

              8-8 箸蔵寺鐘楼堂 20150306

 

建造物

中門

建立

明治前期 

指定年

平成23.10.28

様式形式

木造、瓦葺、間口3.6m

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

桟瓦葺

屋根頂

 

立面外観

左右袖塀付

 

外周縁

 

文化庁

説明文

方丈前に東西棟で建つ。切妻造桟瓦葺の一間薬医門で、両脇に袖塀を付ける。五平の本柱を冠木や虹梁形の?で固め、男梁を四通りに架す。男梁上に大斗肘木を置き、梁や桁を支持。一軒疎垂木で、妻虹梁大瓶束、全面に格天井を張る。規模が大きく威厳ある構え。

 

             8-8 箸蔵寺中門 20150306

 

建造物

仁王門

建立

明治13年 : 1880 

指定年

平成23.10.28

様式形式

木造二階建、建築面積56㎡

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

 瓦葺

屋根頂

 

文化庁

説明文

山の中腹に位置し、南面する。三間一戸二重門、入母屋造桟瓦葺。上・下重とも出組詰組、二軒繁垂木。上重は桁行三間梁間二間、正面中央に両開桟唐戸、両脇間に花頭窓を穿つ。内部は一室で、側・背面に接して壇を構える。近代における禅宗様二重門の優品である。

 

 

建造物

手水舎

建立

明治29年:1896

指定年

平成23.10.28

様式形式

木造、面積6.4㎡、手水鉢付 

再建

 

確証附

 

平面形状

 

屋根

 瓦葺

屋根頂

 

文化庁

説明文

本殿東南に位置する。方一間で四方を吹放しとし、軒は二軒繁垂木、屋根は南北棟の入母屋造桟瓦葺である。礎盤上に立てた角柱を頭貫と台輪で固め、組物は出組詰組とする。琵琶板に植物紋様を飾り、手水鉢の四隅を邪鬼で支えるなど、装飾性に富む手水舎である。

 

                8-8 箸蔵寺手水舎 20150306

 

建造物

高灯籠

建立

明治17年 : 1884 

指定年

平成23.10.28

様式形式

木造二重灯籠、面積15㎡

再建

 

確証附

なし

平面形状

 

屋根

 瓦葺

屋根頂

 

文化庁

説明文

吉野川を俯瞰する丘上に建つ。木造二重灯籠、袴腰付、宝形造桟瓦葺で、北面の出入口に唐破風屋根をかける。下重組物は出組で軒を扇垂木、上重は絵様肘木と二軒繁垂木とする。上層は方一間で、柱や天井を漆喰塗込めとし、四面に花頭窓を開く。特異な形式の木造灯籠。

 
       
          8-8 箸蔵寺高灯籠 20150306


  ● 伝統的建造物群

 

6 重伝

 三好市東祖谷山村落合

所在地

三好市 32.3ha

周辺環境

東祖谷山村は、徳島県西部の山岳地域で保存地区は山の急斜面に沿って広がる集落である。江戸中期から昭和初期に建造の家屋や石垣が急斜面に張り付くようにつくられている。対岸の中上地区から保存地区を眺望すると、三所神社周辺の鎮守の森をはじめとして、斜面いっぱいに耕作地と民家や石垣が一体となった壮大な景観が展開する。

歴史由緒

12世紀後半の屋島の戦いに破れた平家の落人伝説や阿波山岳武士の伝説が残る。平教盛の次男・国盛が祖谷山に落ちのびたという伝説で、その末裔を名乗る阿佐家が現在も大枝地区に居住する

 

 農・山村集落

指定

平成17.12.27

文化庁

解説文

落合地区は、険しい東祖谷山村間の祖谷川と落合谷との合流地点より山の急斜面上に沿って広がる集落である。斜面いっぱいに畑地が広がり、そのなかに民家が張り付いている。それを支えるのが伝統的な石垣である。民家は古いもので18世紀にさかのぼり、江戸時代のものも多く、この地方の集落形成をよく伝えている。これらの畑地、民家、石垣で構成される景観は、独特のものである。

 

 
              8-8 三好市東祖谷山村落合

7 重伝

 美馬市脇町南町

所在地

美馬市  5.3ha

周辺環境

吉野川北岸の主要街道の撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝であり、さらに吉野川に面するため舟運の利用にも適した位置にある。この町並みは、脇城の城下町として成立し、藍の集散地として発展したものです。現在は明治時代頃のものを中心として江戸中期~昭和初期の88棟の伝統的建造物が建ち並んでおり、近世・近代の景観がそのまま残されている。この町並みの大きな特徴は、町家の両端に本瓦葺きで漆喰塗りの「うだつ」が多くみられることであり、このことから「うだつの町並み」の通称で親しまれている。

歴史由緒

とくしま88景・都市景観100選・日本の道100選・美しい日本の歴史的風土100選

 

商家町

 

昭和63.12.16

文化庁

解説文

近世在郷町としての繁栄を示す18世紀初頭以降の各時期の民家遺構を多く保存し、かつ、本瓦葺・大壁造の重厚な構えと装飾的な卯建など特色ある意匠をもつ町家群からなる。本瓦葺,塗籠壁で二階建,ツシ二階建で,切妻造平入が主流をしめ、また,うだつを上げている。町家の中で最も古いものは宝永4年の棟札をもつ。

文化遺産

オンライン

脇町は徳島県のほぼ中央、吉野川北岸にある。江戸時代より通商産業が盛んで、阿波特産の藍の吉野川中流域の集散地として繁栄し、大規模で豪壮な商家が軒を並べていた。18世紀初頭以降の各時期の町家が数多く残り、かつての繁栄をよく示している。町並景観を構成する町家群は、本瓦葺・大壁造の重厚な構えと装飾的な「うだつ」などに特色がみられる。 

 

        
              8-8 美馬市脇町南町

   


                       徳島県を終わります。


カテゴリ
プロフィール

masatias

Author:masatias
30年続く寺社めぐりのメンバーです
<TIAS>グループ名称
Improvement of a spirit boundary
by Temple and shrine =<TIAS>

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

訪問者
ブロとも申請フォーム