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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-7 中国地方の文化財探訪

8-7 中国地方 8-7-1 鳥取県

 

 

 

  8-7  中国地方 



     各県へのリンクです。


 

 8-7 中国地方 

鳥取

島根

岡山

広島

山口

 

 




 8-7-1  鳥取県の建造物文化財の探訪




  ● 鳥取県の文化財一覧表

神社名

 

住所

指定文化財

建立年代

建立時代

リンク

1

三仏寺奥院(投入堂)

国宝

三朝町大字三徳

S27.03.29

1086-1184

平安後期 

wikiHP

 

三仏寺地蔵堂

重文

 

M37.02.18

1467-1572 

室町後期

 

 

三仏寺納経堂

重文

 

M37.02.18

1275-1332

鎌倉後期

 

 

三仏寺文殊堂 

重文

 

M37.02.18

天正8 1580 

桃山

 

2

大山寺阿弥陀堂

重文

大山町大字大山

M37.02.18

天文21 1552 

室町後期

 

3

大神山神社奥宮

本殿・幣殿・拝殿

末社下山神社

本殿・幣殿・拝殿

石の鳥居

重文

大山町大字大山

S63.12.19

文化2   1805 

江戸後期

HP

4

長谷寺本堂内厨子

重文

倉吉市仲ノ町

S63.12.19

1467-1572

室町後期

wiki

5

不動院岩屋堂

重文

若桜町大字岩屋堂

S28.11.14

1333-1392 

室町前期

wiki

6

樗谿神社 おうちだに 
 本殿・唐門   
 拝殿・
幣殿

重文

鳥取市上町 

(鳥取東照宮)

S27.07.19

 

慶安3   1650 

 

江戸前期

wiki

7

倭文神社

伯耆一宮経塚出土品 

国宝

湯梨浜町大字宮内

S26.06.09

1103年

平安時代

wiki

タウン

 8

豊乗寺

絹本著色普賢菩薩像

国宝

八頭郡智頭町新見 

S27.11.27

藤原時代三普賢

東京国立博物館

wiki

 9

大山町所子伝統的建造物群保存地区

 

大山町鳥取県大山町所子字他

H25.12.27

大山への参詣道

 

鳥取県

10 

智頭町板井原伝統的建造物群保存地区

 

八頭郡智頭町市瀬 

H16.2.3

農林業を基盤とする山間部集落

 

wiki

 11

倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区

 

倉吉市魚町、研屋町他

H10.12.25

白壁の土蔵群

 

wiki





  ● 各寺社建築の探訪

 

  1、三仏寺

 

寺社名

 三仏寺 

山号・宗派

三徳山 三佛寺 

中国33観音霊場の第31番札所

創建

706年(慶雲3)役小角(えんのおづぬ)が白雲に乗って飛来し,神窟を開いてみずから建物を投げ入れたことが開基と伝える

開基

慈覚大師円仁により嘉祥2年(849年)に本尊釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来の三仏が安置されたとされる

歴史

奥院(投入堂)の本尊・蔵王権現像の像内に納められていた文書には仁安3年(1168年)の年記

平安時代後期の建立。国宝指定名称は「三仏寺奥院(投入堂)」

愛染堂、棟札1枚、古材43点が国宝の附として指定されている。

永和元年(1375年)の修理棟札によると、当時は「蔵王殿」と呼ばれていた。

現況

三徳山は昭和9年(1934年)7月7日に国の名勝、史跡に指定

 

大山と並んでこの地方の古代中世における山岳仏教の一大霊地であり、地方豪族の信仰を集めて発展し、古代盛時には堂舎41、坊舎3000軒、寺領1万町歩(9920ヘクタール)と伝えられている。源平の戦い、南北朝の内乱、戦国時代の兵火などで興亡を繰り返し、歴史を物語る史料も焼失してしまったが、険しい崖の岩窟に懸造(かけづくり)で建てられた奥の院(投入堂、国宝)は、役行者が投げ入れたと伝えられる縁起にふさわしく、三徳山の象徴的な建物である

重文

木像十一面観音像、長徳3年(997)銘の銅鏡


        8-7 三仏寺投入堂全景20150215

 

 

建物・棟

 奥院(投入堂)

 国宝

S27.03.29

建築様式

懸造

屋根・頂部

両側面に庇屋根及び隅庇屋根付、檜皮葺

平面形状

桁行一間、梁間二間、一重、流造

基礎・縁

 

外観形状

高低の変化をつけたひさし屋根,軽やかに反り上がる軒などの構成は優美

外観特長

全体に木割が細く大きく面をとった柱や垂木

主要架構

下図参照

架構特長

 

 

蔵王権現立像(重要文化財)が安置されていた。

岡倉天心一行の鳥取日記によると、「凡(すべ)て丹(に)塗にして内部の壁板は胡紛(ごふん)塗」とありと記載されている。

垂木からはベンガラで塗られた跡が見つかっている。最近の調査によると、かつて投入堂の柱は赤く、壁は白く、そして垂木の先端には金の装飾が施されていたという。

また、投入堂の左側には愛染明王を祀る愛染堂がこぢんまりと付属している。

それは投入堂とほぼ一体と化しており、投入堂と同時に作られたものと推測される。

この愛染堂もまた、投入堂の棟札や大正時代の修理で取り替えられた古材と共に、投入堂の附けたりとして国宝指定を受けている。

 

 

平安時代末期に作られた木造の狛犬が奉納されていることからも、神社建築であると推定される。

棟札文

国宝の棟札

伯州三徳山の鎮守蔵王殿は、建てて奉納されたその時節は分からないが、今だに大破したままなので、檜皮葺工事を献上する。

永和元年(1375年)乙卯七月二十五日檜皮を作り始め、八月五日に軒付、同十一日には軒切、同二十五日棟裏の工事終了。

大工は、当国に住み、昨州一宮の両国の大工を兼務する左衛門大夫(さえもんのたいふ)、平(たいら)持貞、舎弟の平正持、藤原有弘、有弘の子藤原親弘、神延氏、橘正則、源時貞 等々七人以下略

その時に垂木尻金物を作って奉納した願主は、浄土院の実円坊の明範等々。 



        【参考】 三徳山 三佛寺 投入堂 

    8-7 三仏寺投入堂図面20150215    8-7 三仏寺投入堂絵図20150215

 

 

建物・棟

 地蔵堂・文殊堂

 重文

室町後期   指定 M37.02.18

桃山時代指定 M37.02.18

建築様式

懸造

屋根・頂部

 

平面形状

桁行三間、梁間四間

基礎・縁

崖に建てられているが勾欄がない

外観形状

軒唐破風

外観特長

 

軒裏組物

舟肘木 二重垂木

中備・支輪

なし

内陣架構

 

内陣特長

 


   8-7 三仏寺地蔵堂20150215   8-7 三仏寺文殊堂-120150215

    地蔵堂                      文殊堂

建物・棟

 納経堂

 重文

鎌倉後期   指定 M37.02.18

建築様式

春日造

屋根・頂部

こけら葺

平面形状

一間四方

基礎・縁

 

外観形状

切妻造の妻入

外観特長

 

主要架構

1082年に伐採された材

架構特長

 

    



       8-7 三仏寺納経堂-220150215

 

 

 

2、大山寺阿弥陀堂

 

寺社名

 大山寺

山号・宗派

角磐山 中国三十三観音第二十九番

 

創建

奈良時代養老年間 出雲の俊方 開山

開基

伝・金蓮

歴史

平安時代に入って天台宗が統括するようになり、西日本に於ける天台宗の一大拠点となった。寺の住職である座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった

現況

本堂は昭和二十六年に再建。現在、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され山陰の名刹、鎮護国家の霊場として、中国地方一円の人々から崇敬を集めている。

 

本尊は、1131年に大仏師良円によって造営されたと言われる丈六(2.79メートル)の木造阿弥陀如来で、見学には事前申し込みと拝観料が必要です。その両脇には観音と勢至の両菩薩も安置。建物、仏像とも国の重要文化財に指定されています。

重文

木造阿弥陀如来及び両脇侍像 - 中尊像内の墨書銘から天承元年(1131年)良円の作と判明する。

銅造十一面観音立像 - 奈良時代  銅造観音菩薩立像 - 奈良時代

銅造観音菩薩立像 2躯 - 1躯は奈良時代、1躯は宋または遼時代

鉄製厨子 附:祈願文線刻鉄板3枚、鉄造地蔵菩薩頭部

 


         8-7 大山寺阿弥陀堂20150215  

 

建物・棟

阿弥陀堂

 重文

天文21年(1552年)建立

建築様式

宝形造

屋根・頂部

柿(こけら)葺き

平面形状

正面5間、側面5間

基礎・縁

 

外観形状

 

外観特長

 

 

亨禄2年(1529年)に山津波で倒壊

 

 

 

 

 

3、大神山神宮

 

神社名

大神山神宮

 

式内社、伯耆国二宮で、旧社格は国幣小社

創建

 

祭神

大智恵明権現

歴史

伯耆大山(別名 大神岳)の麓に鎮座し、その神を祀るものであった。伯耆大山は、平安時代には修験道場として著名な山となっていた。当社は智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とした。『勝見名跡誌』には伯耆大山の智明大権現と因幡・鷲峰山の鷲岸大明神が仲が悪く戦をしたとの伝承が載っている。元弘3年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行った。

現況

伯耆大山山麓(米子市)の本社と山腹(西伯郡大山町)の奥宮とがある。奥宮の本殿・幣殿・拝殿および末社下山神社本殿・幣殿・拝殿は国の重要文化財に指定されている。

 

明治8年(1875年)、神仏分離によって大山寺を廃し(後に再興)、山腹の智明権現の仏塔を廃して奥宮とした。

重文

末社下山神社 本殿・幣殿・拝殿


       8-7 大神山神社 奥宮拝殿20150215

 

 

建物・棟

大神山神

  奥宮 本殿・幣殿・拝殿

 重文

文化2 1805 江戸後期

指定  S63.12.19

建築様式

権現造

屋根・頂部

檜皮葺

平面形状

本殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝三間  

幣殿・拝殿 桁行八間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、

   正面軒唐破風付、幣殿左右庇、拝殿正面両脇小部屋附属、 

拝殿左右長廊 各桁行九間、梁間二間、一重、入母屋造、 背面本殿に接続  総こけら葺 

内陣架構

内部は素木のままであるが、正面と向拝廻りは金箔や漆で飾る

内陣特長

幣殿内の格天井には美しく彩色された234枚もの花鳥人物が画かれる

 

承応2年(1653)に建立されたが、寛政8年(1796)年に火災で焼失し、文化2年(1805)に京都の大工、三輪平太によって社殿再建がなされた。壮大な権現造で、拝殿・本殿2棟の建造物を幣殿で結び、拝殿の両側に長い翼廊をつける。屋根は、総檜皮葺、入母屋造である。

また、拝殿は壮大な唐破風をつけ、柱間は3つあり、中央入口の柱間は内側より広く、柱は円柱で50cm近くある。

 

大神山神社の3つの“日本一”

1、大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長であること。

2、社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りであること。

3、奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しい。西日本最大級の神輿もあ

文化庁

解説文

 大神山神社奥宮は大山中腹に鎮座する。

社殿は、本殿を最も奥におき、その前に幣殿・拝殿をつらね、拝殿の左右両側に長大な翼廊をもった複合社殿である。本殿内部は素木のままであるが、正面と向拝廻りは金箔や漆などを施して飾り、幣殿の天井は花草の絵でうめるなど意匠をこらしている。

末社下山神社は、奥宮社殿を一回り小さくした規模の複合社殿である。幣殿の天井に草花の絵を描くほかは、漆や彩色などを施さず簡素なあつかいになっているが、奥宮社殿と同時期、同手法による建築である。

奥宮は境内の環境もよく、社殿は規模雄大な複合社殿で、意匠・技法もすぐれ、江戸時代後期を代表する神社建築であり、末社もあわせて価値が高い。 

 

 

建物・棟

大神山神宮 

  末社下山神社

 重文

江戸後期 年代: 文化2(1805)

建築様式

権現造

屋根・頂部

檜皮葺

平面形状

本殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝三間  

幣殿・拝殿 桁行八間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、

   正面軒唐破風付、幣殿左右庇、拝殿正面両脇小部屋附属、 

拝殿左右長廊 各桁行九間、梁間二間、一重、入母屋造、

   背面本殿に接続  総こけら葺  

 

 

建物・棟

大神山神社 

   石の大鳥居 

 重文

江戸後期 年代: 嘉永7 (1854

指定  平成14.07.16

建築様式

石造、高さ8.5m、幅12m

 

 

解説文

高さ8.5m,柱の直径約2尺の石造明神鳥居である。

柱には建立時の願主や,施主及び修理世話人などの名が刻まれている。山陽方面から大山寺への参道入口にあたる大山横手道にあり,規模も雄大で,「石の大鳥居」として広く親しまれている。



             8-7 大神山神社 奥宮鳥居20150215

 

 

 

4、長谷寺

 

寺社名

長谷寺

所在地

山号

倉吉市仲ノ町

打吹山 中国三十三観音霊場第三十番札所

創建

伝・721年 

開基

伝・法道 

歴史

『伯耆民談記』等に伝える寺伝によれば、奈良時代の養老5年(721年)、法道を開山として創建されたという。当初は長谷(ながたに)村(現・倉吉市長谷、長谷寺の西方)にあり、後に現在地に移されたという

現況

長谷寺は打吹山の中腹の天台宗の古刹。

本堂は寄棟造の南にせり出した懸造で、五間四方の中世仏堂の典型例です。天正年間(1573~1592)の造営といわれます。仁王門は入母屋造の八脚門で、延宝8年(1680)の造営と伝わり、両側に仁王像を安置します。

倉吉市

[国選定重要伝統的建造物群]倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区

所在地:魚町・研屋町・東仲町・西仲町および西町の全域、

    堺町1丁目・新町1丁目・新町2丁目および新町3丁目の一部

指定年月日:平成10年12月25日(平成22年12月24日拡大選定)

魚町・研屋町・東仲町・西仲町および西町の全域と、堺町1丁目・新町1丁目・新町2丁目および新町3丁目の一部の約9.2ヘクタール。地区を東西に通る本町通りと玉川の川端を中心とした商家の店舗併用住宅、土蔵等建造物群です。玉川に架かる石橋の景観が倉吉独特の歴史的景観であり、明治後期から昭和初期の建物が多く見られます。

 


               8-7 長谷寺厨子20150215

 

 

建物・棟

長谷寺本堂内厨子

 重文

室町後期  1467-1572

指定  昭和63.12.19

 

長谷寺の本堂内にある山陰地方における数少ない室町時代の建造物です。一重の入母屋(いりもや)造りで、屋根はこけら葺きの大型の厨子。鎌倉時代に中国から伝わった建築様式「禅宗様」で造られた特徴が多く見られます。

建築様式

桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、こけら葺

解説文

この厨子は、本堂内にあって、本尊十一面観音像を安置する。正面一間(一・九八メートル)、入母屋造、こけら葺で、禅宗様を基調とし、二手先の組物を用い、軒を扇垂木とするなど本格的な建築手法によっている。軸部、組物、軒廻りの各部材をはじめとして、屋根葺材にも当初材を残しており、保存状況がよい。山陰地方における室町時代後期に属する数少ない遺構の一つとして貴重である。

 

 

 

5、不動院岩屋堂

 

寺社名

不動院

所在地

山号

若桜町大字岩屋堂

 

創建

伝承によれば大同元年(806年)

開基

弘法大師(空海)の開祖と伝えられている。

歴史

本寺である妙高山神光寺は寺領150石を有する大伽藍であったが天正年間(1573年-1591年)に豊臣秀吉より攻められて全山焼失し、当堂だけが残った。

現況

現在の堂は鎌倉時代初期の源頼朝による再建と伝わるが、昭和30年から32年にわたって行われた解体修理の報告書においては室町時代初期頃の建立と推定されている

 

本尊は、空海32歳の作の伝承をもつ黒皮不動明王で、日本三大不動の一つともいう

   

  

         8-7 不動院岩屋堂20150215

 

建物・棟

不動院岩屋堂

 重文

室町前期  1333-1392 

指定  昭和28.11.14

概要

高さ約13m、間口約7m、奥行約10mの天然の岩窟に嵌め込まれるようにして造られた寺院建築で、屋根は前面を入母屋造、背面を切妻造とし、床下を長い柱で支える懸造(舞台造り)である。

建築様式

懸造、桁行三間、梁間三間、一重、前面入母屋造、背面切妻造、妻入、とち葺

歴史

・創建806年。飛騨の匠が建築し、10数年後には七堂伽藍が完成したとされる。

・1772〜1781年(安永年間)に大修理。

・1953年(昭和28年)11月14日に国の重要文化財の指定を受けた。

・1955年(昭和30年)〜1957年(昭和32年)に解体修理が行われた。

 

 

日本三大投入堂(鳥取県東伯郡三朝町・三徳山三佛寺、大分県宇佐市院内町・龍岩寺、鳥取県八頭郡若桜町・岩屋堂)の一つ

 

 

6、樗谿神社

 

神社名

樗谿神社  おうちだに

所在地

 

鳥取市上町       鳥取東照宮 

県社

創建

慶安3年(1650年) 

祭神

東照大権現 

歴史

鳥取藩初代藩主池田光仲によって造営された。光仲は僅か3歳で藩主となり、慶安元年12月(1649年)に藩主となって16年目にして初のお国入りを果たした。この際、藩主としての威厳を示すため、幕府に願い出て鳥取城下への東照宮勧進を許可された。光仲の父・忠雄の生母は徳川家康の次女・督姫で、光仲自身は家康の曾孫となる。光仲が曾祖父・家康を追慕しての東照宮勧進でもあり、かつては豊臣系大名の雄として知られた池田氏が幕府への恭順の意を示すための勧進でもあった。慶安3年(1650年)に因幡東照宮が完成した。

 

現況

モミやシイなどの木立の中にたたずむ社殿は、石玉垣をめぐらした本殿、平唐門の中門、入母屋造の拝殿、幣殿ともに国の重要文化財です。1650年(慶安3)、初代鳥取藩主・池田光仲が日光東照宮の分霊として建立したもので、簡素で気品があり、本殿には左甚五郎作と伝わる鷹の彫刻が残っています。

樗谿神社は創建時「東照宮」でしたが、明治時代に「樗谿神社」と改称されました。

平成23年(2011年)10月本来の名称が「因幡東照宮」であったとの理由から鳥取東照宮に改称した。

 

鳥取市

解説文

鳥取藩主池田光仲は、東照大権現廟舎の造営を幕府に願い出て、慶安2年(1649)に大日谷(樗谿)を選んで着手し、翌3年9月13日完成した。東照大権現は徳川家康の死後に与えられた神号で、寛永13年(1636)に日光東照宮が完成している。

造営は、家老荒尾但馬守成直を総奉行として、幕府お抱えの御大工・木原木工允、藤原義久らがこれに参加した。木原木工允は、日光東照宮・芝東照宮(安国殿)、上野東照宮、浅草寺(本堂・五重塔)などを建立した棟梁である。

各地の東照宮の多くは権現造りであるが、鳥取東照宮は本殿を周囲に石玉垣をめぐらして独立させ、本殿前に平唐門の中門を設け、拝殿と幣殿は接続している。

『因府録』には、「御本社は欅白木の造営檜皮葺なり、智頭郡より伐出る良材にて1本をもって御本社を建てらるるに其用猶余り有といひ伝ふ」とあり、細部の手法は日光東照宮にならった華麗なもので、内外部・軒廻り・妻飾りなどは生漆塗り仕上げ、本殿・唐門の一部は彩色塗・本漆塗がほどこされていて、桃山風型式の豪華な飾り金具が各所に使われて美しい品格をみせている。

 

     

       8-7 樗谿神社20150215

 

建物・棟

本殿 唐門 拝殿 幣殿

 重文

慶安3  1650 

指定  昭和27.07.19

本殿 

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺

唐門

一間一戸平唐門、檜皮葺

拝殿幣殿

拝殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺

幣殿 桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造、前面拝殿に接続、   こけら葺 

 

本殿扉上の桁には鷹の彫刻があり、左甚五郎の作と伝わる

 

 

7、倭文神社

 

神社名

倭文神社  しとりじんじゃ

所在地

 

湯梨浜町大字宮内

式内社、伯耆国一宮

旧社格は国幣小社 神社本庁の別表神社

創建

機織に携わった氏族である倭文氏が祖神の建葉槌命を祀ったのが起源

歴史

平安時代初期にあたる大同3年(808年)の医学書『大同類聚方』には「川村郡倭文神主之家所傳方 原者下照姫神方也 中暑小便止 頭痛煩熱 口乾者與之」(原文)という記述があり、これが文献上の初見とされている。

現況

古くから織物の神さま、安産の神さまとして信仰される神社。鬱蒼とした自然林に守られる現在の本殿は、文化15年(1818)に再建されたものです。大正14年(1925)には、随神門右手の丘から高さ1.5m、直径15mの経塚が発見され、中から数多くの埋葬品が出土。そのすべてが国宝に指定されています。

国宝

伯耆一宮経塚出土品 

銅経筒 1口 康和五年十月三日伯耆一宮辰巳岳上奉埋納在銘

金銅観音菩薩立像 1躯 ・銅造千手観音菩薩立像 1躯 ・銅板線刻弥勒立像 1面 ・銅鏡 2面

桧扇残片 一括 ・短刀刀子残闕 一括 ・璃玉 一括 ・銅銭 2枚 ・漆器残片 一括

 

大正4年(1915年)、社殿の南南東180メートルほどのところにある経塚(経典を後世に遺すため埋納した塚)から出土した一括遺物。

銅経筒は径20センチ、高さ42.5センチで、円筒形の筒身に宝珠鈕付き、屋根形の蓋を付す。筒身には15行236字の銘文が線刻され、康和5年(1103年)に京尊という僧が埋納したものであることがわかる。

出土品のうち、金銅観音菩薩立像は奈良時代にさかのぼる作品である。出土品一括は東京国立博物館に寄託



           8-7 倭文神社20150215

 

                  鳥取県 終わります。 


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