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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-9 九州・沖縄の文化財 福岡県

8-9 九州・沖縄地方

 

 

 

8-9

  九州・沖縄の建造物文化財の探訪

 

 

 

     各県へのリンクです。

 

 

 

8-9-1

  福岡県の建造物文化財の探訪

 

 

   日本の文献に記述される時代になると、筑紫国と豊国があったようである。

   7世紀末に筑紫国は筑前国と筑後国に、豊国は豊前国と豊後国に分割された。

   現在の福岡県の県域は律令制における筑前国·筑後国の全域と、豊前国の一部である。

 

 

 

 筑前国の施設

 

 

施設

施設名称

概要

天皇の宮

橿日宮

第14代仲哀天皇。比定地は福岡県福岡市東区香椎。香椎宮古宮

 

朝倉橘広庭宮

第37代斉明天皇。比定地は福岡県朝倉市内

大宰府

 

筑前国には大宰府が置かれ、西海道諸国の統括と対外交渉が行われた。政庁跡は太宰府市に所在(国の特別史跡

発掘調査により7世紀後半から11世紀後半にわたる遺構が検出。

国府

 

国府は御笠郡にあった。現在の太宰府市、大宰府に近い所に置かれたと推定されるが、遺構は見つかっていない。

易林本『節用集』には、「上座郡に国府並びに大宰」と記載されている。

国分寺

筑前国分寺跡

国の史跡。推定寺域は寺域は約192四方。

中門・金堂・講堂を配し、中門から出て金堂に取り付く回廊の内部に七重塔を配する伽藍配置。跡地上の龍頭光山国分寺が法燈を伝承する。

国分尼寺

筑前国分尼寺跡

史跡指定なし。僧寺の西方約100に所在。

発掘調査で掘立柱建物・東外郭線が認められたほか、礎石数個が残る。

延喜式内社

延喜式内社

大社16座8社・小社3座3社の計19座10社

大社

宗像郡 宗像神社三座    比定社:宗像大社(宗像市田島

大社

宗像郡 織幡神社      比定社:織幡神社(宗像市鐘崎

大社

那珂郡 八幡大菩薩筥埼宮  比定社:筥崎宮(福岡市東区箱崎

大社

那珂郡 住吉神社三座    比定社:住吉神社(福岡市博多区住吉)

大社

糟屋郡 志加海神社三座   比定社:志賀海神社(福岡市東区志賀島

大社

御笠郡 筑紫神社      比定社:筑紫神社(筑紫野市原田

大社

御笠郡 竈門神社      比定社:竈門神社(太宰府市内山

大社

下座郡 美奈宜神社三座  比定論社:美奈宜神社(朝倉市林田)

            比定論社:美奈宜神社(朝倉市荷原

総社

  不詳

 

一宮

住吉神社

(福岡市博多区住吉、位置)

中世末期以降は筥崎宮(福岡市東区箱崎)を一宮とする史料も見られ、現在は筥崎宮も全国一の宮会に加盟する。二宮以下は不詳。

 

 

 

 

2

 筑後国の施設

 

 

施設

施設名称

概要

国府

久留米市内

国府は御井郡(三井郡)に存在した。

国府の位置は、江戸時代に久留米藩の学者である矢野一貞によって、三井郡合川村に推定された。

1961年(昭和36年)に、九州大学考古学研究室によって初めて阿弥陀遺跡の発掘調査が行われ、瓦や礎石列・築地跡か見つかったことから、国庁の存在が確実になった。その後の発掘調査で、国庁は現在の久留米市内を転々としたことが判明している。

国分寺

筑後国分寺跡

久留米市指定史跡。現在は日吉神社境内と重複する。推定寺域は約150四方で、講堂跡・塔跡・築地跡が確認されている。

室町時代から近世初頭にかけての移転と伝える護国山国分寺(久留米市宮ノ陣)が、その法燈を伝承する。

国分尼寺

 

尼寺跡は未詳、僧寺跡の北方約200の西村地区の地に推定される

延喜式内社

 

大社2座2社・小社2座2社の計4座4社

 

大社

三井郡 高良玉垂命神社 比定社:高良大社 (久留米市御井町)

 

大社

三井郡 豊比咩神社 - 久留米市内に論社が複数社ある。

           比定論社:高良大社 (久留米市御井町)

           比定論社:豊姫神社 (久留米市上津町)

           比定論社:豊姫神社 (久留米市北野町大城)

総社

 

味水御井神社 (久留米市御井朝妻

一宮

 

一宮:高良大社 (久留米市御井町、位置)二宮以下はない。

 

 

 

 

3

 豊前国の施設

 

 

施設

施設名称

概要

国府

豊前国府跡公園

国府は、仲津郡(現 福岡県。1896年(明治29年)2月26日 京都郡に編入)にあった。

仲津郡は、景行天皇による豊国地名伝承発祥の地(『風土記』)である。なお、現在の福岡県京都郡みやこ町(旧豊津町)の国作~総社地区で遺跡が発見され、豊前国府跡公園として整備されている。

国分寺

 

豊前国分寺  福岡県みやこ町(旧豊津町)

国分尼寺

 

不詳

延喜式内社

 

大社3座3社・小3座3社の計6座6社

 

大社

· 宇佐郡 八幡大菩薩宇佐宮

· 宇佐郡 比売神社

· 宇佐郡 大帯姫廟神社

これらは宇佐神宮(大分県宇佐市)に関わる神社である。なお小社3社はいずれも現在の香春神社であり、6社とも渡来系の神であることが特色である。

総社

 

総社 惣社八幡神社 (福岡県京都郡みやこ町国作字総社)

一宮

 

一宮 宇佐神宮  二宮以下は存在しない

 

 

 

 

 

4

 福岡県の文化財一覧表

 

 

 

 

名称・棟名

区分

時代

年代

概要

重文指定

所在地

1

宗像神社辺津宮拝殿

重文

桃山

天正18(1590)

桁行六間、梁間正面一間、背面三間、切妻造、妻入、こけら葺

19070527

宗像市

田島2331

宗像神社辺津宮本殿

重文

桃山

天正6(1578)

五間社流造、こけら葺

19070527

2

英彦山神社銅鳥居

重文

江戸前期

寛永14(1637)

青銅製明神鳥居 寛永第十四丁丑年八月吉日の刻銘がある

19391025

田川郡添田町大字英彦山1

英彦山神社奉幣殿

重文

江戸前期

元和2(1616)

桁行七間、梁間五間、

入母屋造、向拝一間、こけら葺

19070527

3

普門院本堂

重文

鎌倉後期

鎌倉後期

桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝三間、本瓦葺

19130414

朝倉市杷木

志波5376

4

岩屋神社 本殿

重文

江戸中期

元禄11(1698)

桁行五間梁間二間 入母屋造

向拝三間、茅・杉皮重ね葺

19881219

朝倉郡

東峰村大字

宝珠山4141

岩屋神社境内社

  熊野神社本殿

重文

江戸中期

貞享3(1686)

懸造、三間社流見世棚造、板葺

5

香椎宮本殿

重文

江戸後期

享和元(1801)

桁行三間、梁間三間 入母屋造正面千鳥破風 切妻造、檜皮葺

19220413

福岡市東区

香椎4-16-1

6

筥崎宮鳥居

重文

桃山

慶長14(1609)

石造明神鳥居 

慶長第十四太歳舎己酉季秋中旬

19550622

筥崎宮拝殿

重文

室町後期

天文14(1545)頃

桁行四間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺

19070527

筥崎宮本殿

重文

室町後期

天文14(1545)

九間社流造、檜皮葺

19070527

筥崎宮楼門

重文

桃山

桃山

三間一戸楼門入母屋造、檜皮葺

19020417

筥崎宮石燈籠

重文

 

 

 

 

7

住吉神社本殿

重文

江戸前期

江戸前期

住吉造、檜皮葺

19220413

福岡市博多区住吉3-1-51

8

七重塔

重文

鎌倉後期

鎌倉後期

石造七重塔(相輪を欠く)

19540320

太宰府市朱雀二丁目16

9

多宝千仏石幢

重文

平安中期

太康10(遼)1084

石造八角経幢

19350513

九州

国立博物館内

10

太宰府天満宮本殿

重文

桃山

桃山

五間社流造、正面向拝一間、軒唐破風付、軒唐破風付、檜皮葺

19070527

太宰府市

宰府4-7-1

太宰府天満宮    末社志賀社本殿

重文

室町中期

長禄2(1458)

一間社入母屋造、正面千鳥破風向拝一間、唐破風造、檜皮葺

11

高良大社

 本殿・幣殿・拝殿

重文

江戸中期

寛文元(1661)

本殿 桁行三間、梁間三間

   入母屋造、こけら葺
幣殿 桁行三間、梁間一間

   両下造、こけら葺
拝殿 桁行五間、梁間三間

   入母屋造、向拝三間

   軒唐破風付、こけら葺

19720515

久留米市

御井町1

高良大社 大鳥居

重文

江戸前期

承応3(1654)

石造明神鳥居

12

善導寺 本堂

重文

江戸後期

天明6(1786)

桁行七間、梁間八間

 入母屋造、向拝三間 本瓦葺

19881219

久留米市善導寺町飯田550

善導寺 大門

重文

江戸前期

慶安4(1651)

四脚門、切妻造、本瓦葺、

 左右袖塀各二間附属

善導寺 大庫裏

重文

江戸後期

寛延4年(1751)以前

桁行15.9m、梁間12.0m、

 切妻造、桟瓦葺

19941227

善導寺 釜屋

重文

江戸後期

桁行11.9m、梁間8.0m、

 切妻造、桟瓦葺

善導寺 広間

重文

江戸後期

桁行24.9m、梁間7.0m

 入母屋造 桟瓦葺

善導寺 書院

重文

江戸後期

大書院 桁行17.8m、梁間7.9m

 入母屋造、桟瓦葺
小書院 桁行11.8m梁間7.9m

 桟瓦葺

善導寺 

 役寮及び対面所

重文

江戸後期

役寮 桁行8.9m、梁間6.9m

 切妻造、南面庇附属、桟瓦葺

対面所 桁行8.0m、梁間5.9m

 切妻造、西面庇附属、桟瓦葺

善導寺 中蔵

重文

江戸後期

桁行11.6m、梁間4.2m

切妻造、桟瓦葺

13

風浪神社五重塔

重文

室町前期

正平10(1355)

石造五重塔

19100829

大川市

酒見726-1

風浪神社本殿

重文

室町後期

永禄3(1560)

三間社流造、檜皮葺

19070527

14

観世音寺

 

 

建造物重文なし

梵鐘(国宝)  他重文多数

太宰府市観世音寺

15

西光寺

 

 

建造物重文なし

梵鐘(国宝) 

福岡市早良区内野

16

承天寺

 

 

建造物重文なし

木造釈迦如来  

福岡市博多区

17

聖福寺

 

 

建造物重文なし

絹本著色大鑑禅師像

福岡市博多区

18

うきは市新川田篭 

 

 

山村集落

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

19

うきは市筑後吉井

 

 

在郷町

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

20

朝倉市秋月

 

 

城下町

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

21

八女市黒木

 

 

在郷町

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

22

八女市八女福島

 

 

商家町

重要伝統的建造物群保存地区

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5

 福岡県の個別文化財探訪

 

 

 

 

1

  宗像大社 むなかた

所在地

電話

宗像市田島2331

0940-62-1311

環境・周辺

「宗像大社」は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では辺津のみを指す場合も多い。

地図上で辺津宮・中津宮・沖津宮を線で結ぶと、その直線は朝鮮半島の方向に向かう。 

古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路であった。 

歴史

伝えられる伝承では日本神話に起源を持つという。

天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。

創建

 

祭神

市杵島姫神(辺津宮)

社格

式内社名神大 官幣大社 別表神社

リンク

  HP  wiki 

概要

日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社である。全国の弁天様の総本宮 ともいえる。裏伊勢と称される。 

国宝

・福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品・伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品 一括

  玄海灘に浮ぶ沖ノ島からの出土品である。鏡、人形、武器類、唐三彩、金銅龍頭など、

 その内容は多彩である。これらは神宝、幣帛を奉献し、祈請されてきたもので、古墳時

 代以降、平安時代に至るまでの上代祭祀の状況をよく伝えており、他の祭祀遺物と比較

 してもきわめて異彩を放っている 

重文

・木造狛犬一対 ・石造狛犬一対

 

・史跡(国指定)宗像神社境内

・福岡県指定有形文化財  宗像神社中津宮本殿

世界遺産

 登録を目指す活動が有る

 

   グラフィックス1宗像大社拝殿   グラフィックス1宗像大社-拝殿2         

 

 

 1-1

 辺津宮拝殿 へつみや

建立

天正18(1590)

指定年

明治40.05.27

建築様式

切妻造

再建

小早川隆景再建

確証附

棟札

平面規模

桁行六間、梁間正面一間

屋根

杮葺

妻面

 

立面外観

妻入り 前後両面柱間開放

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

舟肘木

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

 

特長

 

ポイント

大虹梁をかけ渡し、その中央に雄大な板蟇股

修理履歴

平成7年 屋根葺替

文化庁

解説文なし

 

   グラフィックス1宗像大社本殿   グラフィックス1宗像大社本殿妻面     

 

 

 1-1

  辺津宮本殿

建立

天正6(1578)

指定年

明治40.05.27

建築様式

五間社流造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

5間4間

屋根

杮葺

妻面

虹梁上に扠首束

立面外観

庇部面取角柱、身舎円柱

壁・窓

蔀戸 板唐戸

外周

勾欄 板縁

軒裏組物

三斗組及び舟肘木

正面

登勾欄 八段木階

 

高い基壇、亀腹

内陣

 

リンク

 

特長

 

ポイント

向拝両側の間の頭貫の上には中央に蟇股があるが、内に牡丹に唐獅子の彫刻がはめ込まれており室町様式らしく平面的である。

両端向拝柱の先に出た肘木の上には、特大の皿斗はこの地方として注意すべきものである

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 
 
   
   グラフィックス1宗像大社第三宮  グラフィックス1宗像大社第三宮神明 
               第三宮                                                      第三宮  神明造社殿     

   グラフィックス1宗像大社高宮斎場  グラフィックス1宗像大社境内摂社
         高宮祭場                        境内  本殿周囲には多くの末社がある。
           宗像大神御降臨の地と伝えられる古代祭場


   ● 神宝館

   沖津宮祭祀遺跡群出土資料であり、古墳時代から古代にかけての祭祀の姿をそのまま留めた貴重な遺跡出土資料
   とて約80000点が一括して国宝に指定されている。日本国内で最多数の国宝を保有する神社博物館である

   金銅龍頭・金銅高機・銅鏡・唐三彩・滑石製模造品・馬具などが代表的である。
   そのほかにも、平安時代~江戸時代にけての宗像神社文書(国指定重要文化財)・阿弥陀経石(国指定重要文化
   財)・石造狛犬(国指定重要文化財)・藍韋威肩白胴丸(国指定重要文化財)などの多数の重要な文化財を所
   蔵・展示している。

 

 

 

 

 

2

  英彦山神社 ひこさん

所在地

電話

田川郡添田町大字英彦山1

0947-85-0001 

環境・周辺

初日の出を福岡で最初に望むことができるのが大分県境にそびえる英彦山(1200M)である。霊験を感じるような奇岩が多く修験道の本拠地として栄え、戦国期には僧坊が三千を超えると称された。中腹には石積みの塀や石畳の長い参道が残り往時の繁栄ぶりがしのばれる。

歴史

古代より神体山として信仰されていたとみられる。当社の開基については次のような伝承がある。継体天皇25年(531年)、北魏の僧・善正が英彦山山中で修行中に猟師・藤原恒雄(のちの忍辱〈にんにく〉)に会い、殺生の罪を説いた。

しかしそれでも恒雄は猟を続け、1頭の白鹿を射た。その時、3羽の鷹が出現して白鹿に檜の葉に浸した水を与えると、白鹿は生き返った。それを見た恒雄は、この白鹿は神の化身なのだと悟り、善正の弟子となって当社を建立したという。

 

創建

 

祭神

正哉吾哉勝速日天忍穂耳尊

社格

官幣中社・別表神社

リンク

  HP  wiki 

概要

当時僧坊3000余、四十九窟(行場)を有するといわれたが天正年間(1573年~92年)秋月氏・大友両氏の兵火が及んで焼失、近世初期に小倉藩主細川忠興が社殿を再興した。

 

焼き打ちや寺領廃止もあり打撃を受け、江戸時代以降は衰微した。元禄9年(1696年)に天台修験の別格本山となった。享保14年(1729年)、霊元法皇より、天下に抜きん出た霊山であるとして「英」の字が授けられ、「英彦山」と称するようになった。

 

明治の神仏分離により修験道が廃止され、天台山伏の本山であった霊仙寺(現・霊泉寺)を分離し神社となって「英彦山神社」に改称した。1883年に座主の高千穂宣麿が男爵を授けられ、華族に列した。1898年(明治30年)に官幣中社に列した。1975年、現在の「英彦山神宮」に改称した。

 

重文

・英彦山神宮経塚出土品 

  ・ 銅経筒 1口 永久元年(1113年)銘・銅経筒(残欠共) 5口分(南岳出土)

・銅経筒 2口(北岳出土)・銅如来立像(銅筒蓋共)  

・彦山三所権現御正体 3面 ・忍骨尊像 ・伊邪那岐尊像 ・鏡板(像欠失)

他の文化財

・天然記念物(国指定)英彦山の鬼スギ

 

スロープカー・花公園

 

        8-9-1 英彦山神社銅鳥居20150615

 

 

2-1

  銅鳥居

建立

寛永14(1637)

指定年

昭和14.10.25

建築様式

青銅製明神鳥居

再建

 

確証附

なし

特長

青銅製明神鳥居 寛永第十四丁丑年八月吉日の刻銘がある

佐賀藩主鍋島勝茂の寄進。「英彦山」の勅額は霊元天皇の宸筆による物という。

高さは約7m、柱の周囲は3mもある胴の太い鳥居

ポイント

 

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 

   8-9-1 英彦山神社奉幣殿20150615

 

 

2-2

  奉幣殿

建立

元和2(1616)

指定年

明治40.05.27

建築様式

入母屋造

再建

細川忠興 再建

確証附

棟札

平面規模

桁行七間、梁間五間

屋根

杮葺

妻面

 

立面外観

向拝一間

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

 

特長

奉幣殿は英彦山霊仙寺の大講堂として英彦山修験の中心的建造物であった。

ポイント

勾配が大きい反り屋根

修理履歴

平成9~12年 屋根葺替・塗装

文化庁

解説文

 

 

 

 

3

  普門院本堂

所在地

電話

朝倉市杷木志波5376

0946-62-0288

環境・周辺

 

歴史

麻氐良布神社の別当寺であった。もとは筑後川の近くにあったが、その後現在地に移された。なお、空海もこの寺に入ったと伝えられる。

応仁年間(1467年-1469年)兵火により焼失し古記録を失っている。

創建

天平19年(747)  行基

山号

広大山

札所

 

リンク

  朝倉市  wiki

概要

 

重文

・木造十一面観音立像

 神亀元年724-729行基菩薩によって造られたもので木製漆塗りの高さ1.4mの立像で

 寺伝によると聖武天皇等身大の仏像といわれている

他の文化財

樹齢350年のびゃくしん(=伊吹)の古木がある。

 

見学については要電話確認

 

   グラフィックス3普門院-3     グラフィックス3普門院-5

 

 

3-1

   本堂

建立

鎌倉後期  1275-1332 

指定年

大正2.04.14

建築様式

宝形造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

本瓦葺

妻面

 

立面外観

向拝三間

壁・窓

 

外周

四囲縁

軒裏組物

出組  一重繁垂木

中備

間斗束

 

瓦製宝珠覆鉢露盤

内陣

 

リンク

 

特長

昭和の解体修理で、もとは桁行五間梁間四間であった。

ポイント

微かながら膨らみをもつ円柱  唐様式の肘木  天竺様式木鼻

鎌倉時代末期の遺物と思われるが、簡素にして古雅、小堂ながらよく風格をそなえて古建築鑑賞の格好の対象ということができる。

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

4

  岩屋神社 

所在地

電話

朝倉郡東峰村大字宝珠山4141

0946-74-2311(東峰村企画振興課) 

環境・周辺

 

歴史

岩屋神社は、中国・北魏からの渡来僧「善正」が修行場「日子山(彦山・英彦山)」を開いた翌年の532年(継体天皇26年)に開かれ、空から降ってきたと伝えられる「宝珠石」をご神体とし、神仏が降臨する神聖な場所として修験者の重要な修行場でした

創建

 

祭神・山号

伊弉冉尊 伊弉諾尊 天忍穂耳尊

社格・札所

 

リンク

  東峰村  見聞録

概要

 

岩屋の

針の耳と

梵字岩

 

 この岩の割れ目は,針の耳と呼ばれています。親不孝者が通ると,上から石が落ちるとの伝承があります。針の耳とは,針の糸を通す穴のことです。

修験道では,修行の過程で,一度,仮に死んで,仏となって生まれ変わることを目標としていました(擬死再生)この針の耳は,女性性器を象徴的に表したもので,山伏たちは,この針の耳をくぐり母胎内に一度回帰し,仏と成って生まれ変わることを象徴的に演じていたもんと思われます。

また,裂け目の左の梵字岩には,修験道の開祖の役行者小角が彫った,カン・マン・ア・ハ・ウンの梵字がかすかに残ってい

 

 

   グラフィックス1岩屋寺本殿ー2   グラフィックス1岩屋寺本殿ー1    

      

 

4-1

本殿

建立

元禄11(1698)

指定年

昭和63.12.19

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

棟札  棟札箱 

平面規模

桁行五間、梁間二間

屋根

茅・杉皮重ね葺

妻面

 

立面外観

向拝三間

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

内殿 三間社見世棚造

リンク

 

特長

 

ポイント

 

修理履歴

2006年(平成18年)10月、解体修理 使われている材料を活かし復原されました

文化庁

解説文

岩屋神社は、修験で知られる英彦山にほど近い山中にあり、神社の周辺は古くから修験の行場となっていた。

 本殿は、権現岩と称される大岩の下の窪みに建てられている。内部には、「宝珠石」と呼ばれる信仰上重要な岩があり、これに接してその奥に内殿が作られている。建物は岩窟を利用して建ち、構造に工夫がみられ、細部は時代の特徴をよくあらわしている。

 

 岩屋神社本殿と境内社熊野神社本殿は、英彦山の修験に関係する、十七世紀に遡る数少ない遺構として貴重である。また、岩場の険しい環境に適合した建築形態をとっていることも注目される。

 

       
   グラフィックス1岩屋寺本殿ー3   グラフィックス1岩屋寺本殿ー6

 

 

4-2

境内社 熊野神社本殿

建立

貞享3(1686)

指定年

 

建築様式

懸造

再建

 

確証附

 

平面規模

三間社流見世棚造

屋根

板葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

 

特長

この岩屋神社本殿は、元禄11(1698年)に筑前福岡藩四代藩主黒田綱政によって建立されました。

江戸時代初期からの豊前国彦山と黒田家との対立が、元禄9(1696年)に江戸幕府の裁定により解決し、福岡藩の方針通りに岩屋社が彦山末から宝満山末へと変わったことへの成

功報酬であったとも考えられます。

 

その構造は、茅杉皮重ね茸き一重入母屋造りの外殿と、その内部の厚板葺き片流見世棚造りの内殿からなります。

外殿は大岩の権現岩の窪みを利用して作られ、内殿の前には薦に包まれたご神体の宝珠石が祀られているという、珍しい形式です。

 

また、彦山修験道に関係する17世紀にさかのぼる数少ない貴重な建造物として昭和63年に国重要文化財に指定されました。

ポイント

 

修理履歴

2006年(平成18年)10月、解体修理

文化庁

解説文

境内社熊野神社は、本殿西方の岩壁の中程に懸造りで造られた簡素な社殿である。保存状況がよく当初材をよく残している。

 

 

 

 

 

5

  香椎宮 かしいのみや

所在地

電話

福岡市東区香椎4-16-1

092-681-1001 

環境・周辺

 

歴史

福岡市北部、立花山南西麓に鎮座する。古代には神社ではなく仲哀天皇・神功皇后の神霊を祀った霊廟で、「香椎廟/樫日廟」などと称された。

「廟」の名を持つ施設として最古の例であったが、平安時代中頃からは神社化するという特殊な変遷を辿っている。このように天皇・皇后の神霊を祀るという性格から、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられ、現在も勅祭社として10年に一度天皇からの勅使の参向を受ける神社である。

祭事としては、10年に一度勅祭が斎行されるほか、現在も仲哀天皇・神功皇后の命日に神事が行われている。

 

創建

(伝)神亀元年(724年)

祭神

仲哀天皇  神功皇后

社格

旧官幣大社 勅祭社 別表神社

リンク

 HP  wiki

概要

幣殿からは左右に透塀が伸び、本殿を取り囲む。また幣殿前に建てられる拝殿は土間敷で、正面には「香椎宮」の勅額が掲げられている。

これら社殿群の正面には中門が位置し、この中門の左右には回廊が接続する。

これら本殿に続く社殿群は、明治31年(1898年)頃の再建になる。

以上のほか、丘陵の麓に位置する楼門は明治36年(1903年)の再建になる。

 

無指定

丘陵の麓に位置する楼門は明治36年(1903年)の再建  社殿群の正面には中門

名水

環境省選定名水百選にもその名を連ねる「不老水」。とても残念なことではありますが、その水質は劣化し煮沸しなければ飲用には適さないようです

 

旧跡古宮

 

筑紫橿日宮伝承地で、仲哀天皇廟跡。古宮「ふるみや」。

本殿から北東方に所在する。

仲哀天皇の営んだ仮宮「橿日宮(訶志比宮)」の伝承地で、仲哀天皇の廟跡と伝える。

大正4年(1915年)までは仲哀天皇を祀る祠が存在したが同年に本殿に合祀されている。玉垣内には、仲哀天皇の棺を掛けたという神木「香椎」(棺掛椎<かんかけのしい>)が立つ。付近には「仲哀天皇大本営御旧蹟」碑も建てられている。

 

 
     
     グラフィックス三香椎宮中門  グラフィックス三香椎宮拝殿-1  
       中門                      拝殿 

     グラフィックス三香椎宮本殿-1  グラフィックス三香椎宮拝殿
           本殿                  拝殿

     グラフィックス三香椎宮本殿-2  グラフィックス三香椎宮楼門  
      本殿 正面詳細                  楼門  

 

5-1

  本殿

建立

享和元(1801)

指定年

大正11.04.13

建築様式

入母屋造

再建

黒田長順

確証附

棟札

平面規模

桁行三間、梁間三間

屋根

 

妻面

 

立面外観

正面千鳥破風、左右側面各一間 車寄附属 切妻造

正面左右側面 各向拝一間

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

香椎造り

特長

この本殿は3間社であるが、正面は桁5間となっている。すなわち、梁間3間をそれぞれ外陣、内陣、内々陣に分かつが、さらにその外陣の左右には「獅子間」と呼ばれる1間が翼状に張り出し、端に車寄せを有するという珍しい平面をなしている。

 

  檜皮葺の屋根も、入母屋造に外陣両翼の切妻造が連結されていて、前面に具えた千鳥破風および1間の向拝、両側面車寄の葺下しとともに複雑にして奇抜な外観を呈し、よく近世的な神社建築の様相を示している。屋根の形式の複雑さ、左右の階段の地上から浮いていることなど、社殿造の形式が特異なところから、「香椎造」と呼ばれている。 

 

ポイント

 

修理履歴

平成5~7年 塗装・屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

 

 

6

   筥崎宮

所在地

電話

福岡市東区箱崎1-22-1

092-641-7431

環境・周辺

京都府八幡市の石清水八幡宮、大分県宇佐市の宇佐神宮とともに日本三大八幡宮の一つ

歴史

延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり、筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる。延長元年(923年)に現在地に遷座

元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた。以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。

創建

延喜21年(921年) 

祭神

応神天皇

社格・札所

式内社(名神大)筑前国一宮

 旧官幣大社 別表神社

リンク

 HP  wiki 

概要

元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた。以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。

重文

石燈篭  観応元年(1350)

祭り

1月3日の「玉せせり」、9月12日~18日の「放生会」は特に有名な祭り。

    

   グラフィックス3筥崎宮石田    グラフィックス3筥崎宮石造一ノ鳥居石田
         参道                      石鳥居 重文  

 

6-1

  鳥居

建立

慶長14 1609

指定年

 昭和30622日 

 

黒田長政の寄進

再建

 

確証附

 

 

慶長第十四太歳舎己酉季秋中旬の刻銘がある 

石材は弘安4年(1281)元軍が敗退した史跡肥前鷹島

リンク

日本の塔

特長

・上部の笠木と島木にあたる部分が形式化して刳り出しとして表現されている

・貫も柱もみんな3つの石材でできている

・笠木、島木の両端が庖丁反りになっている

ポイント

この型式は、松浦地方から佐賀平野、それから有明海に沿って筑前地方に及んでいる。

肥前鳥居(慶長年間のものが多いので慶長鳥居ともいう)に共通する。筥崎宮鳥居は、割出しがどっしりとしていて藩主の大社への寄進というにふさわしく、九州の代表的な鳥居である。

修理履歴

 

文化庁

解説文:筥崎鳥居の代表的なもの。石造で作られたのは慶長十四年。

 
  
    グラフィックス3筥崎宮垣塀       グラフィックス3筥崎宮拝殿本殿 
                              拝殿から  
 

 

6-2

  本殿

建立

天文15年 1546

指定年

明治40.05.27

建築様式

九間社流造

再建

 

確証附

棟札11枚

平面規模

間口九間奥行四

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

左右側面に縋破風造の車寄

壁・窓

 

外周

登勾欄付木階

軒裏組物

 

中備

 

 

四方廻縁

特長

檜皮葺の大屋根の下に板葺の屋根をもつ二重構造

ポイント

 

修理履歴

平成1314年度に屋根葺替え、塗装工事など保存修理事業

文化庁

解説文なし

 

   グラフィックス3筥崎宮拝殿

 

 

6-3

  拝殿

建立

天文15年 1546

指定年

明治40.05.27

建築様式

切妻造

 

大内義隆が建立

確証附

棟札

平面規模

桁行四間、梁間一間

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

特長

宗像神社と同じく本殿の正面中央部にT字形をなして接し、妻を正面とした切妻造で、四方何らの仕切を設けず、四方吹き放ちになっている。構造は極めて簡素であるが、手法は雄大で、蟇股・虹梁等の絵模様は優秀で、室町末期の手法を残している。 

ポイント

 

修理履歴

昭和55年 屋根葺替楼、屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

 

   グラフィックス3筥崎宮楼門

 

 

6-4

  楼門

建立

文禄3年 1594

指定年

明治35.04.17

建築様式

入母屋造

 

小早川隆景の建立

確証附

なし

平面規模

三間一戸

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

特長

建坪12坪の上に83坪といわれる大屋根が被っている

ポイント

 

修理履歴

昭和55年 屋根葺替楼、屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

 

   8-9-1 筥崎宮石燈篭20150615

 

 

6-5

  石燈篭

建立

観応元 : 1350 

指定年

昭和37.02.02

建築様式

 

リンク

 日本の塔

確証附

 

 

火袋底裏刻銘の終りに「観應元年庚寅六月廿八日勧進尼了法」 「大工井行長」とある

特長

石燈篭  観応元年(1350)

ポイント

 

修理履歴

 

文化庁

解説文:南北朝時代の作品。

 

 

 

 

 

 

7

住吉神社  

所在地

電話

福岡市博多区住吉3-1-51

092-291-2670

環境・周辺

大阪の住吉大社・下関の住吉神社とともに「三大住吉」の一つに数えられる。

歴史

社記(筑前国住吉大明神御縁起)では、この住吉神社が鎮座する地を住吉神の生まれた阿波岐原(あはきはら、檍原)の古跡に比定する。これをもって『住吉神社略誌』では上古よりの鎮座として「住吉本社」または「日本第一の住吉宮」であると説くほか、全国2千数百社ある住吉神社の始源とする説もある

創建

不詳(伝承上は上古) 

祭神

底筒男命 中筒男命 表筒男命 

社格

式内社(名神大3座)筑前国一宮

 旧官幣小社  別表神社 

リンク

 Wiki   HP

概要

往時の地形は博多湾に臨む那珂川河口の岬だった。全国の住吉神社の始源と考えられ、航海安全、船舶守護の神として崇拝される。和歌神としても崇敬され、連歌師飯尾宗祇も訪れている。平氏政権から伊豆に追われた宮司佐伯氏は、源頼朝の祈祷師となり、神官御家人として活躍した。

重文

 

他の文化財

銅戈六口、銅鉾五口は県指定文化財

 

   8-9-1 筑前住吉神社本殿20150615

 

 

7-1

  本殿

建立

江戸前期  1615-1660 

指定年

大正11.04.13

建築様式

 住吉造  切妻造

 

黒田長政造営

確証附

なし

平面規模

桁行4間・梁間2間

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

柱は朱色、板壁は白色

壁・窓

 

外周

廻縁はな

軒裏組物

 

中備

 

 

千木・堅魚木3本

内陣

 

リンク

 

特長

社殿は、桁行4間、梁間2間であるが、切妻造妻入の入口が正面の中央にあり、正面のまん中の柱がなく、扉の両脇の柱があるので、見たところ3間のように見える。

しかし、建物の裏正面は、柱間がちゃんと2間になっている。

檜皮葺、直線形の屋根で、廻縁はなく、大きな柱とを用いている。

破風、千木、堅魚木も屋根と同様に直線的で、よく古製を伝えている。

また、懸魚は盾の形に擬したものといわれ、神功皇后を助けて三韓遠征を勝利に導いたと伝えられる武神的な一面がしのばれておもしろい。

ポイント

 

修理履歴

昭和59~60年 屋根葺替・部分修理  平成21~22年 屋根葺替・塗装修理

文化庁

解説文なし

 

 

 

 

 

8

  七重塔

所在地

電話

太宰府市朱雀二丁目-5

092-928-3938(観光交流課)

環境・周辺

太宰府市の朱雀地区、閑静な住宅街の一角にある「般若寺跡」は、白雉5年(654年)、孝徳天皇の病気が治るよう祈願するために、当時の太宰府の長官だった蘇我日向によって建立されたお寺の跡地で、現在は塔跡の礎石が残されているほか、かつての寺域で、そこから東に100m離れたところには、鎌倉時代につくられた国の重要文化財である七重塔もあり、見所となっています。

概要

発掘調査の結果、塔の心礎が残る塔跡とその東側に隣接する掘立柱建物1棟、北側の寺域を画する柵列が検出されています。

 そして、老司式軒丸・軒平瓦のほか、8世紀代を中心とする土器をはじめとする遺物が出土しています。

社格・札所

 

リンク

  Wiki   大宰府市

他の文化財

 

 

   8-9-1 七重塔(般若寺石造七重塔)20150615

 

 

8-1

般若寺跡 石造七重塔

建立

鎌倉後期 1275-1332 

指定年

昭和29.03.20

建築様式

石造七重塔(相輪を除く)

 

 

確証附

 

別称

片野の七重石塔

 

 

 

 

立面外観

花崗岩製、高さ3.3m

 

 

 

 

特長

台石には金剛界四方仏の梵字

ポイント