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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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8-2-1 甲信越北陸の文化財  山梨県-1

8-2 甲信越・北陸

 

 

 

 

8-2

  甲信越・北陸の建造物文化財の探訪

 

 

 

     各県へのリンクです。

 

 8-2 甲信越・北陸

山梨

長野

新潟

富山

石川

福井

 

 

 

8-2-1

  山梨県の建造物文化財の探訪

 

 

   「山梨」の県名は律令制下の甲斐四郡のひとつである「山梨郡」に由来し、県名は1871年(明治4年)7月

   の廃藩置県に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て「山梨県」に改称された。

 

   南に富士山、西に赤石山脈(南アルプス)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地など、標高2000mを超す山々に囲

   まれる。海洋国家といわれる日本において、内陸側に位置する数少ない県である。

 

 

 

 

 甲斐国の施設

 

 

施設

施設名称

概要

国府

 

笛吹市御坂町国衙付近に比定

・笛吹市春日居町国府  御坂町国衙へ移転 二転説が提唱

・笛吹市一宮町国分・東原付近       三転説がある

考古学的には現在に至るまで確証のある官衙施設の発掘には至っていない

国分寺

甲斐国分寺跡 

   

笛吹市一宮町国分  国の史跡

後継の護国山国分寺(笛吹市一宮町国分)所在。

国分尼寺

甲斐国分尼寺跡

笛吹市一宮町東原  国の史跡。後継はない

延喜式大社

延喜式内社

大社1座1社・小19座19社の計20座20社

八代郡 浅間神社

以下3論社

河口浅間神社

南都留郡富士河口湖町

一宮浅間神社

西八代郡市川三郷町

総社

甲斐奈神社

笛吹市春日居町国府  四宮に同じ。元々の総社か

甲斐奈神社

笛吹市一宮町橋立

一宮

浅間神社

笛吹市 直接示す史料は中世にはなく、初見は天文20年(1551年)史料

二宮

美和神社

笛吹市御坂町

三宮

玉諸神社

甲府市

四宮

甲斐奈神社

笛吹市春日居町国府 - 総社論社に同じ

 

 

 

 

 

 山梨県の文化財一覧表

 

         ● 山梨県文化財リスト を参照してください。詳細の説明が充実しています、

 

 

 

名称・棟名

区分

年代

概要

指定

所在地

1

 観音堂

重文

鎌倉後期

 桁行三間、梁間四間、寄棟造、銅板葺

1946

北都留郡小菅村長作

2

 雲峰寺 庫裏

重文

江戸前期

 桁行19.3m、梁間9.1m、東側面庇付

 切妻造、妻入、庇葺きおろし、茅葺

1949

甲州市塩山上萩原2678

 雲峰寺 書院

重文

正徳6(1716)

 桁行14.6m梁間9.1m、寄棟造、茅葺

1949

 雲峰寺 仁王門

重文

室町後期

 三間一戸八脚門、入母屋造、銅板葺

1949

 雲峰寺 本堂

重文

室町後期

 桁行五間、梁間五間、入母屋造

 向拝一間、唐破風造、檜皮葺

1949

3

 向岳寺  中門

重文

室町後期

 四脚門、切妻造、檜皮葺

1971

甲州市塩山上於曽

4

 熊野神社 拝殿

重文

室町後期

 桁行五間梁間三間 入母屋造、茅葺

1949

甲州市塩山熊野174

 熊野神社 本殿

重文

室町中期

 一間社隅木入春日造、檜皮葺

1949

5

 恵林寺  四脚門

重文

慶長11(1606)

 四脚門、切妻造、檜皮葺

1907

甲州市塩山小屋敷

6

 大善寺  本堂

国宝

弘安9(1286)

 桁行五間、梁間五間、寄棟造、檜皮葺

1955

甲州市勝沼町3559

7

 北口本宮富士

 浅間神社 西宮本殿

重文

文禄3(1594)

 一間社流造、檜皮葺

1953

富士吉田市上吉田5558

 北口本宮富士

 浅間神社 東宮本殿

重文

永禄4(1561)

 一間社流造、檜皮葺

1907

 北口本宮富士

 浅間神社  本殿

重文

元和元(1615)

 一間社入母屋造

   向拝 唐破風造、檜皮葺

1953

8

 富士御室浅間神社

       本殿

重文

慶長17(1612)

 桁行正面一間背面二間梁間一間

 入母屋造向拝一間軒唐破風付、銅板葺

1985

富士河口湖勝山3951

9

 窪八幡神社 神門

重文

永正8(1511)

 四脚門、切妻造、檜皮葺

1949

山梨市北654

 窪八幡神社    

 摂社若宮神社拝殿

重文

天文5(1536)

 桁行四間梁間三間、入母屋造、檜皮葺

1949

 窪八幡神社   

 摂社若宮神社本殿

重文

室町中期

 三間社流造、檜皮葺

1949

 窪八幡神社 鳥居

重文

天文4(1535)

 木造両部鳥居

1949

 窪八幡神社 拝殿

重文

弘治3(1557)

 桁行十一間梁間三間、切妻造、檜皮葺

1949

 窪八幡神社 本殿

重文

永正16(1519)

 十一間社流造、檜皮葺

1949

 窪八幡神社 末社 

   高良神社本殿

重文

明応9(1500)

 一間社隅木入春日造、檜皮葺

1949

 窪八幡神社 末社  

  比咩三神社本殿

重文

寛永2(1625)

 一間社流造、銅板葺

1949

 窪八幡神社 末社 

   武内大神本殿

重文

明応9(1500)

 一間社流造、檜皮葺

1949

10

 清白寺  庫裏

重文

元禄-6

(1689-1693)

 桁行17.5m梁間12.2m、切妻造

 妻入、茅葺、北面庇付、鉄板葺

2005

山梨市三ヶ所620

 清白寺  仏殿

国宝

応永22(1415)

 桁行三間梁間三間、もこし付、

 入母屋造、檜皮葺

1907 1955

11

 中牧神社 本殿

重文

文明10(1478)

 一間社流造、檜皮葺

1953

山梨市牧丘町千野野宮

12

 天神社  本殿

重文

大永2(1522)

 一間社流造、檜皮葺

1953

山梨市大工1563

13

 山梨岡神社 本殿

重文

室町後期

 桁行二間梁間一間、隅木入春日造、

 こけら葺

1908

笛吹市春日居町鎮目

14

 慈眼寺  本堂

重文

元和8-慶安3
(1622-1650)

 桁行16.3m、梁間11.9m入母屋造、

 鉄板葺

1986

笛吹市一宮町末木336

 慈眼寺  鐘楼門

重文

慶安3(1605)

 一間一戸楼門、入母屋造、鉄板葺

1986

 慈眼寺  庫裏

重文

元和8-寛文7
(1622-1667)

 桁行14.6m梁間11.8m、一部二階、

 正面入母屋造背面切妻造、妻入茅葺

1986

15

 浅間神社  

 摂社山宮神社本殿

重文

永禄元(1688)

 桁行二間梁間一間、隅木入春日造、

 檜皮葺

1907

笛吹市一宮町一ノ宮

16

 塩沢寺  地蔵堂

重文

江戸前期

 桁行四間、梁間三間、寄棟造、

 茅葺形銅板葺

1949

甲府市湯村3-17-2

17

 穴切大神社 本殿

重文

桃山

 一間社流造、檜皮葺

1935

甲府市宝二丁目8-1

18

 善光寺山門

重文

明和4(1767)

 五間三戸楼門、入母屋造、銅板葺

1955

甲府市善光寺3-36-1

 善光寺  本堂

重文

寛政元(1789)

 桁行十一間梁間七間、二重一階、

 撞木造、妻入、正面向拝三間、

 軒唐破風付、両側面向拝各一間、

 銅板葺、軒唐破風檜皮葺

1955

19

 東光寺  仏殿

重文

室町後期

 桁行三間梁間三間、もこし付、

 入母屋造、檜皮葺

1927

甲府市東光寺3-7-37

20

 光照寺  薬師堂

重文

室町後期

 桁行三間梁間三間、宝形造、銅板葺

1971

甲斐市岩森1622

21

 武田八幡神社 本殿

重文

天文10(1541)

 三間社流造、檜皮葺

1929

韮崎市神山町北宮地

22

 長谷寺  本堂

重文

大永4(1524)

 桁行三間 梁間三間、入母屋造、

 向拝一間、銅板葺

1907

南アルプス市榎原442

23

 本遠寺  本堂

重文

慶安3(1605)

 桁行五間、梁間七間、入母屋造、

 向拝一間、桟瓦葺

1986

身延町大野839

 本遠寺  鐘楼堂

重文

慶安3(1605)

 桁行三間、梁間二間、楼造、

 入母屋造、桟瓦葺

1986

24

 最恩寺  仏殿

重文

室町中期

 桁行一間、梁間一間、もこし付、

 入母屋造、銅板葺

1953

南部町福士23502

25

 身延山  久遠寺

 

 

 国宝など

 

身延町身延3567

26

 赤沢宿

 

 

 重要伝統的建造物群保存地区

 

南巨摩郡早川町

 

 

 

 

 山梨県の個別文化財の探訪-1

 

 

 

1

  長作 観音堂 

所在地

電話

北都留郡小菅村長作426

0428-87-0111 村役場

環境・周辺

上野原から鶴川沿いに遡った山梨県北都留郡小菅村長作の山間にある

 

創建

不詳

リンク

 小菅村  みるなび

概要

古くから口伝秘話の由来があり、安産の守り神として信仰され、近隣の市町村からも、多くの人々が参詣に訪れています。

 

特長

 様式手法などから、平安時代の建立とも言われ、昭和25年、重要文化財に指定された。

平安時代と思わせるのは、住宅風仏堂形式による様式からで、その代表的な建物である、兵庫県加古川の鶴林寺太子堂(国宝、平安時代)や愛知県吉良の金蓮寺弥陀堂(国宝、鎌倉時代)と同じ形式をとる。

 


   8-2-1 長作観音堂-1201505

  

1-1

  観音堂

建立

鎌倉後期

指定年

昭和21.11.29

建築様式

寄棟造 住宅風仏堂形式

再建

 

確証附

厨子

平面規模

桁行三間、梁間四間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

繋虹梁

壁・窓

蔀戸

外周

 

軒裏組物

疎ら垂木 舟肘木

中備

 

 

 

特長

大きな面取りも平安から鎌倉時代の特徴

ポイント

 

棟の長さを通常より長くするため隅木は「振れ隅」とし、母屋を片持ち梁状に持ち出した特異な構法などの痕跡が確認されている。

・「振れ隅」:通常、屋根の隅木は桁と桁の出隅の部分に45度の角度に入れ、屋根の各面

 は同じ勾配とする。振れ隅は、その正面の棟の長さを長くしたり、あるいは正方形の建

 物の場合、通常、棟は無く宝形となるのですが、棟を付けるためにするもので、結果と

 して屋根が意匠上軽くなり過ぎないよう、重厚感をもたせるために行うもの。

 

修理履歴

昭和38年解体修理

文化庁

解説文なし

県解説文

 

観音堂は旧長谷寺内の仏堂の一つである。長谷寺は明治4年(1871)に廃寺となり、観音堂のみが残された。堂の建立年代は明らかでないが、形式手法から鎌倉時代後期と推定される。平安時代以来の洗練された住宅建築風の優美さがある。

建物の年代が古く、住宅風の意匠を示す類例の少ない仏堂の遺構として貴重。

 

 

 

 

 

  雲峰寺 うんぽうじ 

所在地

電話

甲州市塩山上萩原2678 

0553-33-3172

環境・周辺

甲府盆地東部を流れる笛吹川支流の重川上流部、青梅往還を大菩薩峠へ向かう登山道沿いに立地する。198段の石段を登りつめたところにある

歴史

 

行基が修行中に落雷があり、石が裂けた後に十一面観音が出現したことから、その像を萩の木に刻んで開山したという言い伝えがある。

 

室町時代には恵林寺住職の絶海中津が観音堂改修の浄財勧募を行っており(『絶海録』)この頃には恵林寺末寺として臨済宗に改修していたものと考えられている。

戦国期には甲府(甲府市)が甲斐守護武田氏の本拠となるが、雲峰寺は甲府の鬼門に位置するため、『甲斐国志』に拠れば武田氏の祈願所となっていたという。

天文年間に火災に遭い、紹謹禅師の尽力と甲斐守護武田信虎・晴信(信玄)の支援により復興された(「雲峰寺文書」)。

永禄元年(1558年)9月25日にあ晴信は住職芳書記室に武運長久祈願を命じている。

 

創建

天平17年(745年) 開基 行基 

山号

裂石山

札所

甲斐百八霊場11番

リンク

  HP  wiki 

特長

中里介山がこの寺に滞在して名作「大菩薩峠」を執筆したことでも知られている

 

宝物殿

武田勝頼が天目山の合戦において敗没したとき、家臣に託した武田家の家宝である日本最古の

日の丸の御旗」をはじめ、戦場で用いられた軍旗が展示されている。

 


   8-2-1 雲峰寺本堂-1 201505  

  

2-1

  本堂

建立

室町後期

指定年

昭和24年2月18日

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行五間、梁間五間

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

向拝一間唐破風造 円柱

壁・窓

縦羽目 桟唐戸

外周

四面に縁

軒裏組物

出組  一重疎垂木

中備

間斗束

 

 

修理履歴

昭和56年 部分修理、屋根葺替・部分修理  平成10~11年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

県解説文

 

雲峰寺は臨済宗妙心寺派に属し、行基が開創したと伝えられる古刹。天文年間(1532-1554)に火災で諸堂すべてが炎上したとされ、現在の本堂は永禄元年(1558)頃に再建されたと考えられる。

室町時代末期の構造手法を示す仏堂で、密教仏堂の形態を残している貴重な遺構である。

 


    8-2-1 雲峰寺庫裏-1 201505

  

2-2

  庫裏

建立

江戸前期

指定年

昭和24年2月18日

建築様式

切妻造、妻入

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行19.3m、梁間9.1m

屋根

茅葺

妻面

 

立面外観

東側面庇付 庇葺きおろし

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

梁上中央に簡素な輪郭を持った大きな板蟇股

リンク

 

特長

屋根裏部屋があり、黒澤明監督「影武者」のロケに使用されたことがあります

修理履歴

昭和56年 部分修理、屋根葺替・部分修理  平成10~11年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

県解説文

 

室町末期に諸堂焼失したため、武田信虎がこの寺を復興したとき、本堂とならんで再建されたときの遺構。正面の妻飾りは、禅宗庫裏の装飾意匠の特色をよく示している。

 


    8-2-1 雲峰寺書院-1 201505

 

 

2-3

  書院

建立

正徳6 : 1716 

指定年

昭和24年2月18日

建築様式

寄棟造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行14.6m、梁間9.1m

屋根

茅葺

妻面

 

立面外観

 

壁・窓

明障子

外周

濡れ縁

軒裏組物

 

中備

 

 

 

内陣

柱面取 天井:猿頬天井、境菱格子

リンク

 

修理履歴

昭和50年 屋根葺替  平成21年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文なし

県解説文

 

本堂の背後に中庭をはさんで建てられている。天文年間(1532-1554)の火災により焼失後、再建された。

墨書から正徳6年(1716)頃の建立とみられる。内部は7室よりなる。

江戸時代初期における書院造の発展過程を知るうえで貴重な遺構。

 


   8-2-1 雲峰寺仁王門-1 201505

 

 

2-4

  仁王門 

建立

室町後期

指定年

昭和24年2月18日

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

三間一戸八脚門

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

正面約6.8m、側面3.6m

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

修理履歴

 

文化庁

解説文なし

県解説文

 

炎上した後の雲峰寺再興とともに造営したと伝えられる。建立年代は明らかでないが、形式に室町時代末期の特徴がみとめられる。小規模で簡素な門であるが、構造や意匠に特色があり、室町時代末期の重要な遺構である。

 

 

 

 

 

 

  向岳寺  中門

所在地

電話

甲州市塩山上於曽2026 

0553-33-2090

環境・周辺

向嶽寺は、臨済宗向嶽寺派大本山である。塩山市街地から北西方へ約1km、標高約550mの独立峰「塩ノ山」南山麓に位置する

 

歴史

寺史によれば、当寺は、康暦二年(1380)、抜隊得勝禅師がこの地に草庵「向嶽庵」を開いたことに始まるとう。

以後、武田氏、徳川氏の庇護を受け、延亨二年(1745)幕府に提出した寺院帳によれば向嶽寺を本寺として塔頭35、末寺49、孫末寺32があり、別に離末寺27が挙げられている。

多くの被災のうちでも最大の火災は天明六年(1786)に起こり、伽藍の大半を失った。

以後徐々に復興されたが、古建築としては、中門を残すのみである。

 

創建

1378年(永和4年)

山号

塩山 

札所

甲斐百八霊場第十二番 

リンク

  黄檗宗ネット  wiki 

特長

 

非公開寺院のため 建物内部や庭園は原則的に拝観不可 である

 

国宝

絹本著色達磨図 - 昭和28年11月24日指定

南宋画の影響を強く受けた日本人画家が描いたもので、わが国における南宋画様式の

早期受容の一端を示す貴重な文化財。

 

重文

絹本著色三光国師像 - 大正5年5月24日指定

向嶽寺を開山した抜隊得勝の師である孤峰覚明(三光国師)の頂相(禅宗の僧侶の肖

像画)。縦136.4cm、幅60.6cm、金襴表装で、筆者は不明であるが、優れた画家の

筆になったものである。温厚で端正な風姿は、その人柄を示している。 

 

絹本著色大円禅師像 - 大正5年5月24日指定大円禅師(抜隊得勝)を描いた頂相。

向嶽寺開山抜隊得勝の頂相。金襴表装で縦128.8cm、幅62.2cmあり、筆者は明らか

  でないが、優秀な画家の手になる南北朝時代の作品である。

 

塩山和泥合水集板木37枚・抜隊得勝遺誡板木1枚 - 

  平成5年6月10日指定抜隊の法語が記された版木。

 

山梨県

文化財

・向嶽寺築地塀  昭和36年12月7日指定

・銅鐘      昭和54年4月8日指定

名勝

・向嶽寺庭園   平成6年6月6日指定

庭園は、境内最北端、大正十五年に焼失した方丈の裏(北側)に面した山裾の斜面に

造られている。長い間、半ば埋もれ荒廃し、三尊石や滝石組などの頭部が見えている

状態であったが、平成二年度に発掘調査が行われ、全貌が明らかになった。

その結果、上段の池が発見されるとともに、後世、逍遥するために設けられた飛石な

ども検出された。

続いて三年度には、調査結果を基に、飛石などの除去を含めた修復工事が行われ庭景

が整備された。

 


   8-2-1 向嶽寺中門-1201505   8-2-1 向嶽寺仏殿-1201505

  

3-1

  中門

建立

 室町後期 

指定年

昭和46.06.22

建築様式

切妻造

再建

 

確証附

なし

平面規模

 

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

四脚門

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

 

中備

 

 

 

修理履歴

平成23~24年 屋根葺替

文化庁

解説文

向岳寺は臨済宗の向岳寺派本山で、この中門は山門と仏殿の中間にある。

四脚門としては規模が大きく、禅宗様の形式になる。建立は室町時代末期頃であろう。

近年修理を終り建立当時の形式をよく保存している。

 

県解説文

 

向嶽庵(寺)は甲斐守護武田信成が開基、抜隊得勝が開山となり創立された禅寺で、武田家代々の深い帰依を受けて発展したが、特に武田晴信(信玄)の崇敬と保護が篤かった。

 

中門は総門と仏殿の中間にある四脚門で、この種の門としては比較的大規模なものである。様式手法から天文火災後の再建とみられる室町時代末期の遺構。

 

 

 

 

 

 

   熊野神社

所在地

電話

甲州市塩山熊野 174

環境・周辺

 

歴史

大同2年(807)に紀州の熊野より勧請され、熊野郷の鎮守社として成立したが、さらに後白河法皇の勅により、熊野本社の規矩をとって社殿を建立したものと伝えられている。古来より熊野大権現と呼ばれて、周辺の人々の尊崇を受けてきた。

創建

(伝)大同2年(807年) 

祭神

伊弉冊尊 速玉男尊 事解男尊 

天忍穂耳尊 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊

社格

旧郷社 

リンク

 Wiki 


    8-2-1 熊野神社本殿ー2 201505

  

4-1

  本殿

建立

文保2年(1752)

指定年

 昭和24年2月18日

建築様式

1間社 隅木入春日造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

 

屋根

 

妻面

千木・鰹木

立面外観

 

壁・窓

 

外周

3方高欄

軒裏組物

 

中備

 

 

脇障子無し

特長

本殿は境内を高低3段に区画された奥の高所に、本殿6棟が東西に並列、南面して建てられている。

西から3棟は江戸時代の再建で旧観を失い、次の1棟は再建ができず小祠に替えられ、その東に並ぶ2棟が重要文化財に指定されている本殿である。

この本殿2棟の建立年代は確証を欠くが、構造手法からみて鎌倉時代と考えられ、記録に示す文保2年(1318)の造替のものではないかと推定される

 

ポイント

 

修理履歴

平成21年 部分修理

文化庁

解説文なし

県解説文

 

熊野神社の創立は社記によると大同2年(809)といい、社殿は後白河法皇の勅願により建立されたという。

現本殿は第一殿から第六殿まであり、東西に並列する。うち3棟は江戸時代の再建、1棟は改修され、残る2棟が重要文化財に指定されている。

建立は文保2年(1752)とされる。いづれも1間社隅木入春日造。紀州熊野神社の古制を残す証左と認められ、熊野造の社殿形式の一例として建築史上の意義は大きい。

 


   8-2-1 熊野神社拝殿ー 201505  

  

4-2

  拝殿

建立

天保18年(1549)

指定年

 昭和24年2月18日

建築様式

入母屋造

再建

 

確証附

なし

平面規模

桁行五間、梁間三間

屋根

茅葺

妻面

 

立面外観

面取り角柱

壁・窓

漆喰塗

外周

切目縁

軒裏組物

舟肘木

中備

 

 

 

 

 

リンク

 

特長

正面五間のうち中央柱間を大きくとり楣梁(まぐさばり)をいれ、吹き放ちの出入り口

ポイント

 

修理履歴

昭和27 解体修理 ・平成7年 屋根葺替・部分修理 ・平成25年 屋根葺替

文化庁

解説文なし

県解説文

 

天保18年(1549)の建立とされる。本殿の1段下に立つ。桁行5間、梁間3間、入母屋造、茅葺。すべての開口部は建具を入れず開放的である。中世の神社拝殿の遺構として本殿とならび貴重である。

 

 

 

 

 

5

  恵林寺  

所在地

電話

甲州市塩山小屋敷2280

0553-33-3011

環境・周辺

 

歴史

鎌倉時代の元徳2年(1330年)に、甲斐国の守護職であった二階堂貞藤(道蘊)が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、五山派の夢窓疎石を招き開山。二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされる。もとは円覚寺派に属し、関東準十刹の寺格を有していた。

創建

元徳2年(1330年) 開基 夢窓疎石 

山号

乾徳山 

札所

甲斐百八霊場9番 

リンク

  HP  wiki 

概要

 

天正10年(1582年)4月3日、甲州征伐で武田氏が滅亡した後に恵林寺に逃げ込んだ佐々木次郎(六角義定)の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠の派遣した津田元嘉・長谷川与次・関成重・赤座永兼らによって焼き討ちにあった。

この際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して快川紹喜は焼死したといわれ、後代には快川の遺喝として廣く知られ、再建・改築された三門の両側にも、この偈が扁額として掲げられている。

 

一方で、これは『甲乱記』では快川と問答した長禅寺僧高山と問答した際に高山が発した言葉で同時代の記録においては見られず、近世には臨済宗の編纂物において快川の遺喝として紹介されており、佐藤八郎は快川の遺喝でなく後世の脚色である可能性を指摘している。

重文

四脚門

太刀 銘来国長             大正4年3月26日指定

短刀 銘備州長船倫光 応安二年八月日  大正4年3月26日指定

県文化財

文化財

 

恵林寺三門 昭和60年3月19日指定

快川国師が織田軍の兵火で焼き討ちを受けた折り、

「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火自ら涼し」と唱えて火定した場所

四本の隅通し柱は、階下が角柱造り、階上部分を円柱造りとする技巧を凝らし、実肘

木・板肘木・木鼻などに見られる渦巻き状の絵様は室町末期から桃山期にかけての名

作技法である、小規模ながら総体的に溢れる重厚・荘厳さは、同時代の建造物の中で

も逸品とされている。

  

・木造夢窓国師坐像 昭和35年11月7日指定

・不動明王及二童子版木 昭和58年12月26日指定  武田不動尊

 


    8-2-1 恵林寺四脚門-1 201505  8-2-1 恵林寺山門-1 201505 

  

5-1

  四脚門

建立

慶長11 : 1606

指定年

明治40.08.28

建築様式

四脚門、切妻造

再建

慶長11 : 1606

確証附

なし

平面規模

石造礎盤

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

綜形円柱

壁・窓

 

外周

 

軒裏組物

大科枠・肘木・実肘木

中備

 

 

 

内陣

 

リンク

 

特長

極めて簡単な構造であるが、全体に木割りが大きく、その意匠は雄大であり、桃山期の豪放な気風をよく表している。通称「赤門」

 

ポイント

 

修理履歴

昭和46年解体修理

文化庁

解説文なし

県解説文

 

恵林寺は武田氏代々の厚い庇護をうけたが、天正10年(1582)武田氏滅亡の際に織田信長の兵火により諸堂は全焼した。現在の門は慶長11年(1606)の再建。切妻造、桧皮葺の四脚門で、赤門と呼ばれる。小さいながら木割も大きく雄大で、細部様式は禅宗様になる。江戸時代初期の装飾性の豊かな特色をよく示している。

 

 

 

 

 

6

   大善寺  本堂

所在地

電話

甲州市勝沼町勝沼3559

0553-44-0027 

環境・周辺

 

歴史

寺伝では養老2年(718年)、行基が甲斐国柏尾山の日川渓谷で修行した時に、夢の中に葡萄(甲州ぶどう)を持った薬師如来が現われ、満願を果たし、葡萄を持った薬師如来像を建立したことが当寺の起源であるとされている。甲州葡萄の始まりは行基が法薬として葡萄の栽培法を村人に教えたことであるともいわれている

 

大善寺は真言宗智山派に属し、古くは柏尾寺、柏尾山寺などと称した古刹である。

 

付近の白山山中から発見された康和五年(1103年)の銅製経筒(国重要文化財)の刻銘に「柏尾山寺往生院」と見えるのが資料の初見。

創建以来の伽藍は善美をつくしたと伝えるが、焼失すること数回に及ぶという。

 

創建

伝・養老2年(718年)開基伝・行基 

山号

柏尾山

札所

甲斐百八霊場18番

リンク

  HP    wiki  

概要

薬師堂は天禄2年(971年)三枝守国による建立とする伝承があり(天文14年(1545年)「大善寺諸堂建立炎上記」)、在庁官人として甲府盆地東部の東郡地域で勢力を持った古代豪族である三枝氏の氏寺とされる。また、柏尾山経塚出土の康和5年(1103年)在銘経筒には当時の伽藍の様子が記され、天台寺院として機能していたことも示されている。

 

国宝

本堂(薬師堂)附:厨子1基

重文

木造薬師如来及び両脇侍像平安初期の作と考えられている薬師三尊像。

    当寺の本尊として本堂の厨子内に安置され、秘仏である。

三像ともに桜材の一木造。中尊の像高85.4cm

 

木造十二神将立像

薬師三尊像を安置する厨子の両脇に安置される十二神将像。像高138 - 145cm

寅神像の胎内に嘉禄三年(1227年)、大仏師蓮慶が造った旨の銘がある。

また、近年の解体修理により、丑神、巳神、酉神、亥神の像内からも嘉禄3年(1227

年)及び安貞2年(1228年)の造像銘が発見された。

銘文から、奈良の仏師で山梨県内では福光園寺の吉祥天像の作例がある蓮慶による作

であると判明し、甲斐国における慶派仏師の活動を示す資料として注目されている。

ただし、12体の像には作風や構造の違いもみられ、特異な作風をもつ午神像などは作

者が異なるともいわれる。

 

木造日光・月光菩薩立像 

附:日光菩薩像内納入品(薬師如来印仏(25通)1綴(正応五年の記がある)、薬師

如来印仏6巻、十一面観音印仏5巻、墨書紙片、紙礫等一括)

本尊薬師如来像の両脇侍の日光・月光菩薩像とは別の鎌倉時代の像。

本尊薬師如来像が安置される本堂中央厨子の両脇壇上に安置される。

像高は日光菩薩が248cm、月光菩薩が247cm。日光・月光菩薩像は通常は薬師如

来の両脇侍像として安置される。

 

山梨県指定有形文化財

 

木造役行者倚像 平成9年6月19日指定

鰐口 昭和39年11月19日指定

大善寺金銅金具装山伏板笈 平成8年11月7日指定

大善寺文書 72通 昭和44年11月20日指定 

大善寺中世墓出土陶器 平成19年4月26日指定

 


    8-2-1 大善寺本堂-1 201505  8-2-1 大善寺本堂-2 201505

 

6-1

 本堂  国宝

建立

弘安9年 1286年

指定年

昭和30.06.22

建築様式

寄棟造  密教仏堂

再建

 

確証附

 

平面規模

 

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

:太い円柱 深い軒の出

壁・窓

桟唐戸 連子窓

外周

切目縁

軒裏組物

二手先 軒支輪二軒繁垂木

中備

間斗束

 

 

内陣

来迎壁の前面に仏壇を設け、本尊を納める厨子を安置

大虹梁など、独特の様式をもつ繰形をつけた肘木や挙鼻を用いて特色を見せる

 

特長

大棟(台形の上辺に当たる部分)が極端に短いのが特色である

堂内の厨子は堂よりやや遅れて文和4年(1355年)の作。

 

鎌倉時代の密教本堂の代表例であり、伝統的な和様の手法による和様建築の重要な遺構である。また本県最古の建物として知られる

 

ポイント

流麗な線を 持つ檜皮葺きの屋根

修理履歴

昭和29年12月に解体復元修補  平成13~15年 屋根葺替・部分修理

文化庁

解説文:弘安九年(一二八五)の建立で、規模大きく、東日本における和様の代表作   

 

県解説文

 

大善寺は真言宗智山派に属し、古くは柏尾寺、柏尾山寺などと称した古刹である。 現在の本堂は、火災後の再建によるもので、正応三年(1290年)に落成をみた。

 本堂の規模は、桁行・梁間とも五間で、寄棟造の大屋根をあげて桧皮葺とし、堂の周囲に切目縁をめぐらす。

 この本堂は鎌倉時代の密教本堂の代表例であり、伝統的な和様建築の重要な遺構であり、本県最古の建物として知られる。

 


   

 

 北口本宮富士浅間神社

所在地

電話

富士吉田市上吉田5558

環境・周辺

 

富士山世界遺産構成資産(平成25年6月登録)

 

登山道入口の鳥居をくぐると、富士講の講者たちによって建てられた石碑が並び、富士山の信仰と深い関わりのある神社であることが感じられる。

 

歴史

古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わる。

現在当社は浅間神社であり祭神も木花開耶姫命を主祭神としているが、当初は諏訪神社で

あったと考えられている。例えば天文17年(1548年)5月26日、小山田信有は吉田の諏訪禰宜に富士山神事の際に新宮を建てる場合は披露するように命じている。

 

このように富士山神事に関わる案件に対しても、諏訪禰宜に宛てがわれている。

永禄4年(1561年)3月2日武田信玄は吉田の諏訪の森の木を伐ることを禁止している。

『甲斐国志』によると、同年に武田信玄が富士権現を造営したとある。

これらの事柄から、永禄4年(1561年)の信玄による富士権現造営が現在の北口本宮冨士浅間神社の元になるものであるとし、それ以前は諏訪社のみが鎮座していたとする。

 

創建

延暦7年(788年)

祭神

木花開耶姫命 彦火瓊瓊杵命 大山祇神 

社格

旧県社  別表神社

リンク

  HP   wiki 

概要

 

富士山登山道の「吉田口」の起点に位置し、古今通して富士信仰の中核を為してゐる。富士は遥拝する霊山であった。

現在第一神木とする大杉、第二神木の杉、第三神木の檜(現存せず)第四神木の檜は四囲をなしてをり、現存の三本は何れも樹齢千年以上であることから、この地にひれ伏して富士を遥拝したのが、原初の拝礼の形であることが察せられる。

 

神仏分離によりそれまで当社に在った仁王門、三重塔、護摩堂、鐘楼は排され、今は仁王門の礎石(市指定文化財)のみ神仏混交の名残を留めてる。

 

重文

太刀 銘備州長船経家 文安二年二月日 附:糸巻太刀拵 - 1923年3月28日指定

大鳥居

300m直に伸びる参道奥の「冨士山大鳥居」は、当社起源の折の鳥居が、代々に建替へられ今に至っている。無指定

更に江戸時代後期以降は60年の式年を以って建替へ又は解体修理が施され、昭和27年に建替へられた大鳥居の高さ585寸開け35尺は木造では日本第一とされている。

平成24年より「冨士山大鳥居式年大修理事業」が進められ、同26年に完遂した。

 

史跡

飛地を含む境内全域は平成二十三年に国の史跡に指定された

 

 

     8-2-1 北口本宮冨士浅間神社本殿東-1 201505  

  

7-1

  東宮本殿 

建立

永禄4 : 1561

指定年

明治40年8月28日

建築様式

一間社流造、檜皮葺

再建

 

確証附

棟札

平面規模

 

屋根

檜皮葺

妻面

鏑懸魚

立面外観

 

壁・窓

 

外周

高欄 木階五級

軒裏組物

二重繁垂木

中備

蟇股

 

浜床

特長

床下柱八角形

ポイント

室町時代の様式を残す。

修理履歴

昭和27年 解体修理  昭和56年 屋根葺替・部分修理・塗装

文化庁

解説文

県解説文

 

東宮本殿は本社本殿の東に北面して建っており、富士権現と呼ばれてきた。

社記によれば、貞応3年(1224)に平義時が建立したという。

現在の建物は武田晴信(信玄)が永禄4年(1561)に本社本殿として再興したものであり、のち浅野氏重によって東宮の本殿として移された。

 

1間社流造、桧皮葺。正面に1間の向拝を設ける。本社本殿及び西宮本殿に比較してやや小規模であるが構造や手法に室町時代の特色を示し、3殿のうちで最も古い建物である。

 


     8-2-1 北口本宮冨士浅間神社西本殿-1 201505

  

7-2

  西宮本殿

建立

文禄3年 1594

指定

昭和28年3月31日

建築様式

間社流造

再建

 

確証附

なし

平面規模

比較的木割も大き

屋根

桧皮葺

妻面

鏑懸魚

立面外観

向拝一間

壁・窓

 

外周

高欄 木階

軒裏組物

二重繁垂木

中備

蟇股

 

 

特長

床下柱八角形

ポイント

桃山前期の様式

修理履歴

昭和39年 解体修理  ・昭和61~62年 屋根葺替・部分修理・塗装

文化庁

解説文

本殿は比較的大きな社殿で元和元年の再建になり漆塗に彫刻、鍍金々具を用いた豪華富麗な意匠は近幾地方に観る桃山時代建築に比し損色がない。 西宮本殿は本殿の向って右に在り、文禄三年の造立という。よく古材を保存しており、殊に正面扉下の彫刻及び蟇股など立派である。

 

県解説文

 

西宮本殿は本社本殿の西に北面して建ち、もとは太神宮と称された。

創立は明らかでないが、現在の本殿は記録により文禄3年(1594)に浅野左衛門佐氏重の建立になることが知られる。

1間社流造、桧皮葺。正面に1間の向拝を設ける。

この本殿はかつては本社本殿の建物であり、比較的木割も大きく、堂々とした力強さをみせる。とくに全体に施された装飾意匠にすぐれ、桃山時代建築の特色をよく示している。

 


    8-2-1 北口本宮冨士浅間神社本殿-1 201505

  

7-3

  本殿

建立

元和元年(1615)

指定年

和28年3月31日

建築様式

一間社 入母屋造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

 

屋根

檜皮葺

妻面

 

立面外観

向拝唐破風造 黒漆

壁・窓

 

外周

疑宝珠高欄

軒裏組物

二軒繁垂木  極彩色

中備

 

 

7階 登高欄

特長

身舎は全て金箔で、彫刻には極彩色が施され、豪華華麗な桃山時代の特色が見られる。

ポイント

扉に松と鶴 木鼻彫刻 獏 獅子  

修理履歴

昭和48~49年 半解体修理・塗装 ・平成21年 屋根葺替・塗装・部分修理

文化庁

解説文なし

県解説文

 

北口本宮冨士浅間神社はもと富士浅間神社と称し、木花開耶姫命等を祀る。

延暦7年(788)に現在地に遷座が行われ、平安時代を通じて朝廷の尊崇を受けた。

江戸時代には富士登山礼拝の富士講と密接な関係を持ちながら発展した。

本殿は社記によれば元和元年(1615)に建立された。

桁行1間、梁間2間、入母屋造、桧皮葺。桃山時代の装飾的技法の多様性を示すとともに、これが建築と一体をなしたすぐれた意匠を見せる顕著な遺構である。

 

 

 

 

 

 富士御室浅間神社

所在地

電話

南都留郡富士河口湖町勝山

0555-83-2399

環境・周辺

 

境内は本宮と里宮からなる。本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座する。この山宮の境内は富士吉田市の中にある富士河口湖町勝山の飛び地である。

富士山山中に最初に勧請された神社とされている。里宮は河口湖畔の勝山に鎮座する。

旧称小室浅間明神

 

歴史

天徳2年(958年)には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建された。中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展した。戦国時代には甲斐武田氏の崇敬を受けた。

 

創建

文武3年 699年 ・和銅元年 708

祭神

木花咲耶姫命 

社格

旧県社  別表神社

リンク

  HP  wiki 

特長

富士山世界遺産構成資産(平成25年6月登録)

 

勝山歴史民俗資料館 昭和52年4月に開館した資料館


    8-2-1 冨士御室浅間神社本殿-1 201505

  

8-1

  本殿

建立

慶長17 : 1612 

指定年

昭和60.05.18

建築様式

一間社入母屋造

再建

 

確証附

棟札

平面規模

桁行正面一間、背面二間、梁間一間

屋根

銅板葺

妻面

 

立面外観

向拝一間軒