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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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7-5・・「社格」とその変遷についてまとめてみました。

7-5神社の社格




  7-5  神社の社格と一覧




1 社格の概要

 神社の鳥居の脇の石柱に刻まれた神社名の位を示す名称、神社ガイドブックなどに記載されている
「○○大社」の名称を社格と言います。社格制度は、8世紀頃から始まって5種類程度に区分されます。


 一般的には、お年寄りが「あの神社は官幣大社だから、、、」と言われる社格は、明治時代の近代社格制の呼称です。 
 由緒有る神社は 大半近代社格制のなかに位置づけられていますが、一番古い社格の延喜式神明帳記載の
神社が歴史ある神社と言えます。

 明治2年6月に建立した東京招魂社を起源とする靖国神社は、近代社格制の別格官幣大社で、
初詣で有名な明治神宮は、明治天皇崩御後、御陵として大正9年(1920)に建立された官幣大社で 当然
明治以前の社格はありません。



Ⅰ 上古
         日本書記(720)の時代から、社格を定める制度があったようです。
        【神社の分類】
                  天津社    天津神は高天原にいるか 高天原から天降った神の総称
                  国津社    国津神は地に現れた神々の総称

                       資料を探せません。詳細不明です。



Ⅱ 古代・中世


  1、延喜式神名帳(927)がまとめられて社格制度が確立。式内社と呼ばれ、名が記載無しは 式外社。

         【社格の順序】    官幣大社  国幣大社  官幣小社  国幣小社   名神(明神)




Ⅲ 平安時代中期  以降に、下記のような制度が確立されました。


  2、二十二社       朝廷が奉幣した有力神社の22社


  3、一宮        各国で有力な神社。国司が任国に赴任時に神拝する勤めが合った。任国内の神社を巡拝
                しなくてはならなかった。
                もっとも有力な神社を一宮と呼ぶ。二宮、三宮もあリ 町名にも残っています。

  4、惣社(総社)   国司が、任国内の神社を巡拝するのは、大変な時間、金がかかりました。
                そこで国府の近くに神社をまとめて合祀しそこで祭祀をすれば良し、それが総社(惣社)です。
                国司の無精の賜物です。


 
 Ⅳ  明治時代

   5、近代社格制度    明治時代初期に制定された。延喜式の社格と混同しやすい。
                 太平洋戦争後(1945)、GHQにより廃止命令が出されましたが 今でも通用しています。
  


    【社格の順序】
            官社   官幣大社  国幣大社  官幣中社  国幣中社  官幣小社  国幣小社  別格官幣社
            諸社 (民社とも言う)府社・県社。藩社  郷社  村社  無格社



2 社格ー1 延喜式神名帳 

 ● 延喜式


    平安時代の律・令・格の施行細則を集成した法典で、醍醐天皇により延喜五年(905)に編纂を
   開始、二十二年後の延長五年十二月に完成しています。 五十巻三千数百の条文は、律令官制の二官
   八省の役所 ごとに配分・配列され、巻一から巻十が神祇官関係です。



 ● 神名帳


    延喜式巻一から巻十のうち、巻九・十は神名帳であり、当時の官社の一覧表で、祈年祭奉幣にあず
   かる神社2861社(天神地祇3132座)を国郡別に羅列されており、ここに記載された神社がいわゆる
   延喜式(九条本神名帳)_巻第10「式内社」と呼ばれています。
    つまり、式内社は、平安時代(10世紀)にすでに官社として認定されていた神社であり、由緒あ
   る神社として知られていたことになります。

           a6延喜式神名帳
  
 
 
● 式内社・式外社
  

   六国史〔日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳実録、三代実録〕に記載されている神社を国史見在社

   と呼ばれていました。


   国史見在社は平安以前に存在していたにも関わらず大半が「式内社」として延喜式に記載されました。


   国史見在社の内 延喜式に記載の無い神社が「式外社」(しきげしゃ)と呼ばれています。


   朝廷に管理され祈年祭の時 幣帛*(へいはく)にあずかる神社で祭儀の際 受ける幣帛の回数や量が多いほど

   社格が高い評価のようです。

 
  
 ● 式内社各種の種別
 


 1、官幣社と国幣社の別

  官社とは、毎年2月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社のことです。

  各神社の祝部が神祇官に集まって幣帛を受け取っていましたが、延暦17年(798年)それまで通り神祇官から幣帛を
  受ける官幣社と、その国の国司から幣帛を受ける国幣社とに分けられました。
 

  式内社では、官幣社が573社737座、国幣社が2288社2395座です。
  国幣社が設けられたのは、遠隔地の神社で は祝部の上京が困難であるためとされているが、遠隔地でも重要な神社は
  官幣社とされています。

 
 2.大社と小社の別

  その神社の重要度や社勢によって定められたと考えられている。
  官幣社・国幣社および大社・小社は全ての式内社について定められているので、式内社は以下の4つのいずれかに
  分類されています。

  官幣大社 ― 198社304座   国幣大社 -- 155社188座
  官幣小社― 375社433座   国幣小社 -- 2133社2207座   

                            ● 式内社一覧表

 官幣大社は畿内に集中し、その他のにも多少分布し、官幣小社は全て畿内に、国幣大社・小社は全て畿外にあります。
   なお、近代社格制度にも同じ名称の社格がありますが、式内社の社格とはその示す意味が全く異なります。
 また、近代社格制度の社格は延喜式における社格とは関係なく、制定時の重要度や社勢に応じて定められています。

 
 3、名神大社

  式内社の中には、祈年祭以外の祭にも幣帛に預かる神社があり、社格とともに記されており、特に霊験著しい「名神」
  祀る、臨時祭の名神祭が行われる神社、全てが大社であることから名神大社(名神大)と呼ばれています。

  延喜式の中で名神の注記があり六国史〔日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳実録、三代実録〕にも
  散見られ、さらに、霊験あらたかな神社に対する呼称で 国家の大事には奉幣の対象になりました。
 

  名神は、224社、285座が記載されています。
  後に明神と表記されるようになったと言われ○○明神は名神の系譜を持っている神社の呼称です。    

                              ● 名神大社一覧表
 

温泉の好きな方への温泉の神社

  温泉は、湯神・温泉神として古来より崇敬の対象となってきた。
  その神を祀るのが湯神社・温泉神社である。 

  古代に発見された温泉の多くは、大己貴神(大国主)と少彦名神が発見したと伝えられ、温泉神社の祭神である温泉神
  にはこの二神が充てられていることが多い。
 
  延喜式神名帳に記載されている神社は、「温泉神社」が3社、「温泉石神社」「湯泉神社」「湯神社」 「御湯神社」
  「玉作湯神社」が各1社など、温泉に関する式内社は 計10社となっています。


     1   鳴子温泉      温泉石神社     宮城県大崎市
     2   湯田川温泉     由豆佐売神社   山形県鶴岡市
     3   いわき湯本温泉   温泉神社     福島県いわき市
     4    那須温泉郷    那須温泉神社   栃木県那須郡那須町
     5    熱海温泉      湯前神社      静岡県熱海市                  
     6    有馬温泉      湯泉神社      兵庫県神戸市北区              
     7    岩井温泉      御湯神社      鳥取県岩美郡岩美町
     8    玉造温泉      玉作湯神社     島根県松江市
     9    道後温泉      湯神社        愛媛県松山市
     10   鉄輪温泉     火男火売神社     大分県別府市 

                        温泉神社一覧表


 3 社格ー2 二十二社制

 1、二十二社の起源 
 
   律令制は、7世紀後期(飛鳥時代後期)から10世紀頃まで実施された制度で、8世紀初頭から同中期・ 後期頃までが
   律令制の最盛期とされています。

   律令制では、祈年祭などの祭事に朝廷から奉幣をする神社が、『延喜式神名帳』(925)などにより多数定められていまし
   たが、律令制の衰退時期と重なり次第に少数の特定の神社にのみ奉幣されるようになってきました。


   その背景は

  ・平安時代前半期では正史に多数見られた官社撰定および神階奉授の記事が平安時代後半に入ると激減する。
 

  ・奉幣される神社は、皇都周辺の大社名社に限定されるようになった。
  

  ・平安時代後半の律令体制の弛緩とあいまって中央の神祇官が一部の名社を重視し始める。
 

  ・地方国司の祠社の管掌もしだいに形式化・疎略化する動向を示した。
  

  ・神祇官の幣帛受納に参集した諸社の祝部が、幣帛の絹や神酒、神馬を着服をする。
  

  ・新嘗祭において諸卿の不参が多く神事が遅滞し、神事闕怠に対する禁令がしばしば出されている。
 

  ・社殿の造替、神事の厳修を標榜する律令的神祇行政の再編成を行う一方で、既に神階が極位に達して
   いた諸社が皇親の参詣や臨時奉幣を仰いだために、畿内周辺の名社を偏重する傾向が進んで行った。
  

  ・上記事例の原因は、桓武天皇の平安京遷都後、皇室の祖神、外戚神と仰がれ、有力氏族に奉斎され、
   民衆に除災招福の利益を与える名社として特別の崇敬を得た諸社が、京周辺にあって顕著な発展を遂
   げた。


             このような背景の中で生まれたのが、二十二社制が起源のようです。 

           a6二十二社
  
 
 2、二十二社制の変遷

  康保3年(966年)に『日本紀略』と『定二十二社次第事』および『二十二社註式』の記述があります。
  記述されたのは16社で、その選定基準は山城国および大和国に鎮座する極位の神階を有する式内官幣大社で、
  各社の神徳や社運も考慮して選定されたのではないかと推定されます。
  

  続く3社は、
  吉田神社は藤原氏の氏神
  廣田神社は住吉大社同様に皇室の守護神・護国神としての神徳に昇揚された古来の名社北野天満宮は北野の
  怨霊と神験が選定の動機になったのではないかと推察されます。

  さらに、20社目の
  梅宮大社は『公事根源』に記されているように橘氏を外祖母とする摂関家の推挙によるもの
  祇園社(現在の八坂神社)は疫癘鎮遏の神徳から推測し正暦5年(994年)4~7月の悪疫流行が動機。

   最後の日吉大社は比叡山延暦寺の守護神として崇敬されていたが、加列に要した年数をみると、


  十六社制が成立した康保3年(966年)から二十一社制が成立した長徳元年(995年)まではわずか30年であったのに対し、
  二十一社制の成立から日吉大社の加列があった長暦3年(1039年)まで45年、さらに二十二社が永例とされる永保元年
  (1081年)まで43年を要していることから、


  『扶桑略記』長暦3年(1039年)2月18日の条に見える比叡山の山門宗徒3,000人による関白への強訴や、
  同じく長暦3年3月16日 の条に見える延暦寺法師による高陽院焼失などの事件があったため、同年8月18日に
  日吉大社を暫定的に加列させ、永保元年(1081年)4月からの延暦寺と園城寺の対立後に、山門宗徒の強訴
  もしくは彼らへの慰撫のために止むを得ず加列を永例と決定し 二十二社制が確立したとのではないかとしている。
  
   その後、平安時代末期には、厳島神社を二十二社に加列する動きがありました。

  『百錬抄』の治承3年(1179年)2月24日の条によれば、厳島神社を二十二社に加えることについて協議がされており『玉
  葉』の治承3年(1179年)2月7日の条にも、2月24日に二十二社に加えて厳島神社に奉幣するとの記述がなされています。
  

  この厳島神社を加列する動きは平清盛の要請によるものと言われており、その様子を『玉葉』および『百錬抄』の治承4年
  (1180年)3月19日の条にある高倉上皇の厳島神社参詣などに見ることができる。
  しかし、結果として厳島神社は二十二社に加わりませんでした。
 
   この制度は、室町時代まで継続されました。格式が当時から認知度の高い位置づけであったと思われます。 


          これら二十二社は是非、参拝しておきたい神社です。 

         
                          二十二社一覧   


 4 社格ー3 一の宮制
  
 1、一の宮制の起源
   

   中央の政権の祭祀(さいし)体制が二十二社制であり、地方では各国ごとに祭祀体制が一宮制として形成されました。
   一宮、二宮、三宮と位置付け国衙(こくが)における祭祀体制を形成されました。

   11世紀中頃には、各国で設定され、これらの神社が奉幣の対象になり、国司が就任した時にこれらの神社に神拝するこ
   とが習慣的になりました。


   今昔物語(十世紀)に、周防国の一宮玉祖大明神のことが見えるのが文献上の初見で伯耆国の倭文神社旧境内から
   発見された康和五年(1103)在銘の経筒に一宮大明神の名が記載されています。
 
   一宮は、恐らく平安初期にその実が備わり、同中期から鎌倉初期までに逐次整った制と考えられます。

   それは朝廷または国司が特に指定したというものではなく、諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が
   勢力を有するに至って、おのずから神社の階級的序列が生じ、その首位にあるものが一宮称せられ、そのことで公認
   するに至ったようです。


   又、延喜式(十世紀)には、一宮の名こそない、祭祀・神階などの点で、他社にまさって有力な神社とせられるものが
   明らかに見られるので、それらの最上位のものが一宮とせられ以下、二宮・三宮・四宮等などの順位を附けて行ったようです。

   そして時代の変遷とともに、中には、一宮が甲社から乙社に移ったものもある。
   例えば、筑前で住吉神社が衰えて筥崎宮がこれに代わり、越中国の気多と高瀬とが一宮たることを争ったようなことが
   あります。

   なお、一宮の称は国についてだけでなく、一郷での、あるいは一社内各神殿での一宮ないし二宮などという称も使われ
   ていました。

   最近では、新一の宮も制定されています。 (いずれも建造物文化財は無い)

   全国一の宮巡りが、今日これほど人気が騰がってきたのは、高齢化とその人達の消費動向が歴史、文化財に向かって
   いるためと考えられます。

   また、今後 更に若い人たちにも、「一の宮=パワースポット」であることに気づいていただき「御朱印帳」を埋め尽くす
   「一の宮巡り」を旅の目的にしていただきたい。   
                   
                       全国一の宮一覧



 5 社格ー4 総社制

  11世紀末期になると総社(惣社)という神社が定められ、国司の神拝の対象になった。

  国司の神拝の負担軽減ため国内主要な神社を一か所にまとめたもので、新しく創祀されたり、従来の一宮制から指定され
  たケースもあった。   いずれも国衙(国府)のそばに設定され、国司の不精の賜物である。


  かなりの数の総社は中世にいったん廃れ、後に再興されたものである。中には今に至るまで再興されずにいるものや、
  どれが総社だったのかわからなくなってしまったものもあるようです。 

                   ●総社一覧



 6 社格ー5 別表神社(べっぴょうじんじゃ)

  昭和21年(1946年)2月2日の神社の国家管理の廃止に伴い公的な社格の制度(近代社格制度)が廃止されたため、
  それに代わるものとして昭和23年(1948年)に定められた。        

                      別表神社一覧

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Author:masatias
30年続く寺社めぐりのメンバーです
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by Temple and shrine =<TIAS>

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