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寺社建築文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源と変遷、文化財の諸問題を探訪しています。 又文化財拝観資料も記載しています。
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縄文時代の掘立柱の遺構を探訪します。

3-2縄文時代の遺構


3-2

 縄文時代の遺構(掘立柱の遺構)



           a17三内丸山掘立柱-220140809 三内丸山遺跡



1、縄文時代と弥生時代の画期 

 

  ウィキペディアより

2003年、国立歴史民俗博物館の研究グループは、炭素同位対比を使った年代測定
  法を活用した
一連の研究成果により、弥生時代の開始期を大幅に繰り上げるべきだ
  とする説を提示
した。

これによると、早期のはじまりが約600年遡り紀元前1000年頃から、前期のはじ
  まりが
約500年遡り紀元前800年頃から、中期のはじまりが約200年遡り紀元前
  400年頃から、
後期のはじまりが紀元50年頃からとなり、古墳時代への移行はほぼ
  従来通り3世紀中葉となる。
   

 

 

 

この説をとるのか否か各種の論議があります。

   1)国立歴史民俗博物館 発表資料

   2)九州北部玄界灘沿岸地域の弥生前期は前9世紀末には始まっていた可能性

   3)小林滋 弥生時代の開始年代について 

   4)弥生開始の実年代をめぐる“歴博vs九大の論争 



 
まだ結論が出ていないようです。下表は、当ブログの提案年代です。参考まで。

 

              表2-1 縄文・弥生時代の画期

 

一般的な日本史時代区分

提案の時代区分

 

呼称

区分

年代

期間

呼称

区分

年代

期間

 

旧石器(先土器)

   ~BC130

 

定住開始時代

BC250-BC130

12,000

原始

縄文

BC130BC4

12,600

村落創成時代

BC130-BC10

12,000

 

縄文

草創期

BC130BC100

3000

原始Ⅰ

早期Ⅰ

BC130BC90

4000

 

 

早期

BC100BC50

5000

 

早期Ⅱ

BC90BC50

4000

 

 

前期

BC50BC35

1500

 

中期Ⅰ

BC50BC40

1000

 

 

中期

BC35BC25

1000

 

中期Ⅱ

BC40BC30

1000

 

 

後期

BC25BC13

1200

 

後期Ⅰ

BC30BC20

1000

 

 

晩期

BC13BC4

900

 

後期Ⅱ

BC20BC10

1000

 

弥生

BC4Ⅽ~BC3中

750

水稲農耕時代

BC10~AC3Ⅽ中

1350

 

弥生

早期

BC4Ⅽ~BC3Ⅽ

100

原始Ⅱ

早期

BC10~BC8Ⅽ

200

 

 

前期

BC3Ⅽ~BC2Ⅽ

100

 

前期

BC8~BC4Ⅽ

400

 

 

中期

BC2Ⅽ~紀元ごろ

200

 

中期

BC4~AC1Ⅽ中

450

 

 

後期

紀元~AC3Ⅽ中

350

 

後期

AC1中~AC3Ⅽ中

300

 

 

 

 

2、縄文時代前期までの主要な遺跡

 

縄文草創期

 氷河が溶け海水面が上昇、海が陸地に進入 
 住居址からサケの顎骨発見

人口 1万人

BC13000

水迫遺跡 

鹿児島県指宿

15000年前(後期旧石器)2棟の竪穴建物跡や道跡など発見

BC13000~10000

大鹿窪遺跡

静岡県富士宮

竪穴状遺構14基定住生活開始時期の集落跡 

竪穴住居によって構成される集落跡としては最古段階の事例

~10000

掃除山遺跡

鹿児島県鹿児島市

2棟の竪穴住居跡

~10000

栫ノ原遺跡 

鹿児島県南さつま

舟形配石炉2基配石炉4基、集石遺構22基、土坑8基を発見

縄文・早期

BC5000

島国とな。初は現在より気温2度ほど低く、海面も30ほど低かったその後海水面の高さが戻る
定住集落の遺構が多数発掘される。

縄文早期前半には、関東地方に竪穴住居がもっとも顕著に普及する。

人口 2万人

早期前半

武蔵台遺跡

東京都府中市

24棟の竪穴住居・多数の土坑が半環状に配置されて検出

早期中頃

中野B遺跡

北海道函館市

500棟以上の竪穴住居跡

BC9500

上野原遺跡

鹿児島県霧島市

竪穴式住居10軒程度の集落 竪穴式住居総数52

BC7000

加栗山遺跡

鹿児島県鹿児島市

竪穴式住居16基・旧石器・縄文・中世
山城の三時期の遺跡

縄文・前期

BC3500

海面・気温上昇海水面4~5高くなる 

竪穴住居が広場を囲んで集落を作る形式が発掘される。

人口 10万人

前期前半

綾織新田遺跡

岩手県遠野市

大型住居は17棟  中央広場を挟んで放射状に配置

前期後葉

大清水上遺跡

岩手県奥州市

大型竪穴住居62棟 中央広場を取り囲むように配置

 

阿久遺跡

長野県諏訪

30軒の住居 8基の方形柱列   集落内環状列石

 

 

● 縄文時代の建造物の主要な遺構だけでもこれだけの数があります。

  建築史家の調査研究の参画の痕跡は細かく探査していませんが、この時期も少ないようです。

しかし、飛鳥時代の現存建造物より件数は多く、建築史の始まりは竪穴式住居なのですから
  建築史学
として体系的な位置づけを確立する程度はしていただきたいと願うばかりです。
  これを竪穴式住居の詳細の起源、変遷、仕様を学問にしていないのは根本的問題です。
 

 

 

3、縄文時代中期の主要な遺跡

 縄文前期以前には掘立柱の遺構は検出されていませんが、神社の原型などと言われる掘立柱
 の遺構は、
縄文時代中期以降から続出します。

 掘立柱の遺構が、縄文時代中期から、東日本に多く検出され、弥生時代中期には、西日本に
 棟持ち柱を
持つ掘立建物が多く検出され、東日本からは気候変動などの要因と考えられるが
 遺跡が消滅すると云う
特徴があります。

 

 

遺跡名称

  小牧南遺跡

所在地

三重県四日市市小牧町

指定

 

歴年代

約4,000年前

時代区分

縄文中期村落創成後期Ⅰ期

遺構数

8棟

形式規模

規模は3.2m×5.2m

年代判定

不明

遺跡規模

7,240m²

調査年月

2015年11月

遺構概要

小牧南遺跡は朝明川中流南岸の河岸段丘上に位置する遺跡です。新たに竪穴住居4棟・掘立柱建物3棟・落とし穴1基がみつかりました。

縄文時代の掘立柱建物がみつかることは県内では非常に珍しく、小牧南遺跡を入れて4遺跡しかありません。また、中期にまで遡る掘立柱建物ものは、菰野町の鈴山遺跡と並んで県内では最古例となります。

建物の数は平成25年度の調査と合わせると、竪穴住居は11棟、掘立柱建物は8棟となり、縄文時代中期の例としては県内最多となります。

特徴

高床式でなく草壁の土間住居と推測される。
直径
30cm程度の柱だけで屋根を支えていたとみられ、当時一般的だった竪穴住居より高度な建築技術が必要と考えられている。

元横浜市ふるさと歴史財団の石井寛氏は鈴山遺跡を現地で確認し、
掘立柱建物は長野、岐阜を経て三重に伝わったのだろう。しっかりした建物だったと考えられ、文化と人間の流れを知る上で重要だ」
と指摘している。                         復原
建物有り

HP等

 三重県資料  

 

 

遺跡名称

  鈴山遺跡

所在地

三重郡菰野町音羽 地

指定

 

歴年代

5,0004,500 年前

時代区分

縄文中期村落創成後期Ⅰ期

遺構数

5棟

形式規模

最大は9×4

年代判定

 

遺跡規模

1560㎡

調査年月

2015年11月

遺構概要

御在所岳東麓の湯の山温泉に近い鈴山遺跡(菰野町音羽)で、
縄文時代中期(5千~4500年前)の住居跡とみられる
5棟の掘立柱建物跡や、
同早期(約1万年前)にドングリを燻製にしたと推測される「煙道付炉穴」4基が
見つかり、県埋蔵文化財センターが発表した。

特徴

 

HP等

 三重県資料

 

 

遺跡名称

  臼尻A遺跡

所在地

函館市臼尻町357,411番地

指定

 

歴年代

4500年前 BC25

時代区分

縄文後期初村落創成後期Ⅰ期

遺構数

2棟

形式規模

 

年代判定

 

遺跡規模

1182㎡

調査年月

2014年10月

遺構概要

臼尻町の弁天岬に面した標高約39~40.5mの海岸段丘上に位置しています。
発掘調査は縄文時代前期以降の遺物包含層であるⅢ層と、駒ケ岳起源のKo-f・Ko-g火山灰(Ⅳ層)の除去後に、早期の遺物包含層であるⅤ層について調査を実施しました。

 竪穴住居跡3軒、
掘立柱建物跡2軒、貯蔵穴4基、土坑141基、落し穴1基、柱穴状ピット98基、屋外炉1基、焼土1か所、炭化物集中1か所

特徴

掘立柱建物跡は、6本の柱穴を有するものと、4本の柱穴を有するものがあり、いずれも一辺が北東方向に面しています。
土坑のなかには、坑底や外壁中および近接した位置に小ピットを伴うものが4基あり、上屋構造をもつ貯蔵穴の可能性があります。

HP等

 函館市資料

 

 

遺跡名称

  亀田中野2遺跡 

所在地

函館市亀田中野町65番地2

指定

 

歴年代

5,0004,500 年前

時代区分

縄文中期村落創成後期Ⅰ期

遺構数

1棟

形式規模

 

年代判定

 

遺跡規模

2670㎡

調査年月

2012年11月

遺構概要

遺跡は、中野川右岸の丘陵上、標高85~89mに立地しています。前年度の調査では、縄文時代中期中頃の住居跡、土坑、落し穴を検出しています。

特徴

柱穴が長方形に配される掘立柱建物跡1軒、小型のフラスコ状土坑1基を検出しています。土坑は全体で52基確認しています。

HP等

 函館市資料


 

 

遺跡名称

   北川貝塚 

所在地

横浜市都筑区早渕3丁目30

指定

 

歴年代

5,0004,500 年前

時代区分

縄文中期村落創成後期Ⅰ期

遺構数

6棟

形式規模

 

年代判定

 

遺跡規模

 

調査年月

1983.9

遺構概要

縄文時代早期~後期の竪穴住居71軒、中期の掘立柱建物跡6棟
早期の炉穴8基、前~中期の土坑(墓壙)70基、中期の26基貯蔵穴26基、
前~中期の住居内貝層8か所、前期の住居外貝層40か所、
弥生時代後期~古墳時代前期の竪穴住居跡54軒、方形周溝墓4基、

特徴

 

HP等

 横浜市資料  南堀貝塚(中期の掘立柱建物跡6棟)  横浜市歴史博物館

 

 

遺跡名称

   西田遺跡

所在地

岩手県紫波郡紫波町

指定

 

歴年代

5,0004,500 年前

時代区分

縄文中期 村落創成後期Ⅰ期

遺構数

53棟

形式規模

 

年代判定

 

遺跡規模

 

調査年月

 

遺構概要

縄文中期中葉の集落遺跡。北上川に臨む丘陵上に立地。外径が100mをこえる環状集落で,墓域が中央部に位置し,祭祀場と考えられる 掘立柱建物がとり囲む。
その外側に竪穴住居跡があり,住居跡の北側には貯蔵穴群がみられる。

特徴

竪穴住居35 棟(大木8a 式期14 棟・同8b 式期18 棟)、墓壙192 基、
柱穴状土坑
約1,450 基(掘立柱建物53 棟)、貯蔵穴129 基が検出されたが、集落は墓壙群と掘立柱建物群の同心円状の構成を基本として、内帯(墓壙群)→墓壙群→掘立柱建物群→竪穴住居群・貯蔵穴群の4重の同心円で構成される。


掘立柱建物は墓壙群の外環部にほぼ接するように、10 ~ 15 m幅の環状帯で構成される。柱穴は柱痕が明瞭に観察され、掘方は直径50 ~ 70 ㎝、深さ55 ~ 75 ㎝が一般的で、

4~9基の柱穴を一つの単ー位として、方形ないしは亀甲形となる柱穴列で構成されてお

り、長辺長が3~8mの掘立柱状の構造物であったと推定されている。

柱穴同士の重複は顕
著であるが、形状・規模・深さに柱穴列毎の規格性が認められ、想定される掘立柱建物の総数は53 棟を数える。
掘立柱建物は長軸ないしは短軸方向に厳格な規格性が看取される。

HP等

 西海渕遺跡と西田遺跡の墓壙群について

 

 

 

遺跡名称

  三内丸山遺跡

所在地

青森市大字三内字丸山

指定

特別史跡

2000年

歴年代

4,500年前~BC2500年

時代区分

縄文中期村落創成後期Ⅰ期

遺構数

 

形式規模

 

年代判定

 

遺跡規模

40ha

調査年月

1992年から

遺構概要

竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、約780基住居跡、

さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。

大型掘立柱建物は、6本の柱穴、柱穴の間隔、幅、深さがそれぞれ4.2m、2m、2mで全て統一されている事が特長です。その当時既に測量の技術が備わっていたことを示すものであり、ここに住んでいた人々が 高度な技術的水準に達していたことを示すものです。

特徴

遺跡は約40ヘクタールの広大な範囲に広がっている。集落は住居・墓・捨て場・住居・大型掘立柱建物・掘立柱建物・貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路などが、計画的に配置されている。

大型掘立柱建:柱穴の間隔、幅、深さがそれぞれ4.2m、2mmで全て統一されていることである。これはその当時すでに測量の技術が存在していたことを示すものであり、ここに住んでいた人々が当時としては高度な技術を持っていたことを示すものである。

特に4.2
mというのは35cmの倍数であり、35cmの単位は他の遺跡でも確認されているので、「縄文尺」ともいうべき長さの単位が広範囲にわたって共通規格として共有されていた可能性が考えられる。さらに、これほど大規模な建造物を建てるには多くの労働力を必要としたはずであり、集落居住者の団結力と彼らを的確に指導できる指導者がいたことも推測できる

HP等

 Wiki  HP



    a17三内丸山全景20140809   a17三内丸山大型復元20140809
 

    a17三内丸山竪穴住居茅葺20140809  a17三内丸山倉庫20140809 
      
            詳細は、3-4 遺構の復元建築 で詳述します。

 

遺跡名称

   桜町遺跡

所在地

富山県小矢部市

指定

 史跡

 

歴年代

4000年前

時代区分

縄文中期 村落創成後期Ⅰ期

遺構数

 

形式規模

 

年代判定

 

遺跡規模

 

調査年月

1988~2000年

遺構概要

1988年の発掘調査において、縄文時代中期末(紀元前2000年)の高床式建物(梁間一間型高床建築)と見られる部材が出土し、2000年には、約2800年前の環状木柱列(北陸特有の建造物)が出土した。

 

出土した建築部材は主なものだけでも100本をこえ、縄文時代としては 異例の豊富さ。

多くは高床式部材と考えられるが、一部は縦穴住居部材 を含んでる。

特徴

高床式建物が、定説より2000年も古い縄文時代にすでにあったこと証明する遺構

木材同士に凹凸を刻ん出組み合わせる「ワタリアゴ」という技法が、現地では「燕尾木隼(えんびしゅん)」と言われていた。河姆渡遺跡と1997年に桜町遺跡から出土した高床建物に使われているのとが全く同じ技法と分かった。

HP等

 Wiki  桜町遺跡   


 

 

   平成10年12月29日、毎日新聞朝刊

 

  富山県小矢部市の桜町遺跡で見つかった縄文時代中期末(約4.000年前)の高度な木組
  み工法が、
中国浙江省の長江沿いにある河姆渡遺跡から出土した約7.000年前の建物
  の建築技法と一致する
ことが、同教育委員の伊藤隆三文化課長補佐の調査で判明。
  日本の建築技術のルーツを探る
上で貴重な手掛りとなりそうだ。

 

河姆渡遺跡は、大量の稲もみや炭化米が出土した世界最古級の稲作遺跡として知ら
  れ、見つかった
高床建物用の木材も中国では最も古い例とされている。

伊藤課長補佐は今年11月、同遺跡の出土品が保存されている浙江省博物館で学術調
  査。木材同士に
凹凸を刻ん出組み合わせる「ワタリアゴ」という技法が、現地では
  「燕尾木隼(えんびしゅん)」
と言われていた。

 1997年に桜町遺跡から出土した高床建物に使われているのと全く同じ技法と分かった。

更に、壁板の継ぎ目を溝状に加工する「桶部倉矧ぎ仕口」や木材に切り込みを入れて
  固定される
「欠き込み仕口」の技法も共通していることを確認した。

 

伊藤課長補佐は「両遺跡に約3.000年の年代差があるため直接の関係は論じにくい
  が、全く同じ
パターンの工法だった。高温多湿な長江下流域の気候から生まれた高床
  建物の技術が日本に伝わっ
たとも考えられる」と話している。

 

一方これまで日本の稲作は熱帯域から伝わったとするのが有力だったが、河姆渡遺跡
  での発見は、
その説に対抗する「長江ルーツ説」の有力論拠の一つとなっていた。
  両遺跡の建築技術が一致したことで、稲作ルーツ論争にも影響を与えそうだ。

 

 

 

        グラフィックス3桜町遺跡桜町遺跡 復元 出雲大社を意識

 

遺跡名称

 アチヤ平遺跡

所在地

新潟県村上市朝日村大字三面

指定

水没

歴年代

4000~3000年前

時代区分

縄文 村落創成後期Ⅱ期

遺構数

30

形式規模

詳細不明

年代判定

 

遺跡規模

16ha

調査年月

1988~1999年  奥三面ダムにより水没

遺構概要

30棟以上の掘立柱建物跡

特徴

アチヤ平遺跡は、三面川と末沢川の合流地点の左岸の段丘上の遺跡で上段・中段・下段に分かれる。旧三面集落の対岸にあり、「あちらの平」という意味で名づけられたという。上段は中期末葉~後期前葉を主体とする環状集落である。

元屋敷遺跡はアチヤ平に続く時期の拠点集落であり、アチヤ平から3kmほど上流の川に面した段丘上に広がる。竪穴住居群、掘建柱建物群、大型住居、水源、水場、配石群、墓域などが発見されている。こ

の遺跡からもう一段あがったところが本道平遺跡で、落し穴が残っていた。

 

2万5千年前の旧石器時代の遺跡にはじまり、縄文草創期から後期、晩期にいたる大遺跡群だった。遠く津軽や出羽、糸魚川などから運ばれたと推定される石器素材、 大規模なストーンサークル(環状列石)、竪穴住居跡、土器類、砂利敷きの舗装路、多数の配石墓、日本では初めてといわれる縄文期の河道付け替え工事跡など、それらは信じがたいような質と量の遺跡群であった。

HP等

 奥三面歴史交流館

 

 

縄文中期の掘立柱の遺構の代表は、三内丸山遺跡の大規模の6本柱でしょう。

復元に際し余りにも太いためか、各種の案が出現し、現在 何がなんだかわからないまま復元
 され観光
客を呼んでいます。

 

地上部の材料は検出されていないから学者の皆さんが、推定案を提示し行政の思惑もあり間違っ
 た復元
になっているケースの代表で、そのほかにも観光目的の復元?が各地に行われている。

 

掘立柱の跡の穴底に木材の痕跡・確証のある遺跡が多く出土していますが、地上の形式を推測で
 きる確
証の検出は僅かです。

 

「掘立柱の周辺で地上部床、水平材、屋根材」等の遺構が検出されていないのに、縄文時代の掘
 立柱遺
跡は「高床式建物」と断定しても良いのでしょうか? 
 建物でなかった可能性も有ります?
                    その復元に建築史家が登場します。

 
 三内丸山、桜町遺跡では建築史家の調査研究の資料はありますがその他の遺跡ではありません。

竪穴式から掘立柱への変遷過程は、建築史学として探求すべきと遺構ですが、考古学者に委ねら
 れてい
るようです。地面より下は考古学、上屋は建築史学でも良いですから共管できないのでし
 ょうか?

 

掘立柱の形状類型、床の有無、屋根形状の類推、時代前後、地域的な傾向等、調査研究が少ない
 のは
現存している遺構にしか興味がわかないのでしょうか。

 

棟持柱をもつ掘立柱建物の構造復原  (岡田英男 奈良文研)

このように復元に関する研究は三内丸山など多数見られますが、建築史の観点からの調査研究資
 料は、
探索能力の欠陥か発見できません。

        

  
        次に縄文時代後期の遺構を探訪します。

 

 

4、縄文時代後期の主要な遺跡

 

紀元前2000年・・・ 大型遺跡

 

遺跡名

    大湯環状列石

場所

秋田県鹿角市十和田大湯

時代

縄文後期前・中葉 紀元前2000年

指定

特別史跡  wiki

遺構

掘立柱高床式建築35棟  1間×1間(方形)=16棟  亀甲形=19棟

特長

大きい方の万座遺跡の環状直径は46mもあり現在発見されている中で日本で最大のストーンサークルである。組石は大きいほうの万座では48基、野中堂のほうは44基ある。
それぞれの
組石の下に墓壙があることから共同墓地と考えられている。

 

中央の立石は大湯の東方約7 - 8kmにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されており、労働力の集中が見られる。縄文時代の葬送や祭祀にかかわる遺構と考えられる。



                 a8秋田大湯環状列石 

紀元前2000年 

 

遺跡名

    高屋館遺跡

場所

秋田県鹿角市花輪字館ケ沢45

時代

縄文後期前・中葉  紀元前2000年

指定

 

遺構

掘立柱高床式建築  23棟  1間×1間(方形)=3棟   亀甲形 =20棟

特長

調査報告書

 

 

紀元前2000年・・・ 北方由来の根拠 

 

遺跡名

石倉貝塚

場所

北海道北海道函館市石倉町2-2

時代

縄文後期前・中葉   紀元前2000年

指定

 

遺構

掘立柱高床式建築  69棟 1間×1間(方形)=39棟 1間×2間(長方形)=30棟

特長

縄文後期初頭の集団墓地を中心とする祭祀の場所。遺跡の中央部には、数百個の自然石による配石と多数のお墓や柱穴などの遺構があり、その外側には環状に巡る 盛土遺構と5ヶ所の地点で貝層が配置し、ここから80万点におよぶ縄文後期の遺物が出土している。

 

 

紀元前1400年

 

遺跡名

   風張遺跡  かざはりいせき 

場所

青森県八戸市

時代

縄文後期後葉  紀元前1400年

指定

 

遺構

掘立柱高床式建築 18棟 1間(方形)=12棟 1間×2間=3棟 亀甲形=3棟

特長

住居跡は253軒も発見されほとんどが円形の形をなし、直径5mほどのものが多い。

地面を掘りくぼめたお墓も発見され、東西の2つのブロックに配置されていた。

 

集落の構成にも特徴があり、中心に広場があり、外側に集団墓地、掘立柱建物群、竪穴住居群が環状に配置されている。


 東北地方の遺跡に掘立柱の遺構が多い。柱が、4本、6本、亀甲形等が多数出現している。

 

 

紀元前1300年・・・祭壇石敷と巨木柱群による祭祀場

 

遺跡名

      矢瀬遺跡     

場所

群馬県利根郡月夜野町

時代

縄文時代後期から晩期  紀元前1300年

指定

国指定史跡  wiki

遺構

住居址22軒:炉のない大型住居址を中央に、多様な住居址が南北に別れて分布する。

方形と円形、規模の大小のほか石囲い炉にもバラエティーがみられ、全国唯一の四隅袖付炉など祭祀的なあり方を示す住居址もあげられる。

住居の時期は後期後半から晩期後半まであり、晩期前半ころのものが多い。

特長

場・祭壇・巨木柱・四隅袖付炉などと一般的な住居・高床建物・配石墓など、すべての要素がセットで確認できます。住居はおよそ南と北の2群に分かれ、水場の西側には1辺9mの大型住居があり、ムラの両端には祭祀的色彩の濃い住居が配置されている。

 

北側の住居は「目」の字状配石の四隅袖付炉をもつ全国唯一の独特な家屋、南側の住居は特殊構造で祭祀に使った遺物が数多く散在する。

 

        グラフィックス3矢瀬遺跡せ八瀬遺跡 復元建物

 

紀元前1300年・・・円形に配置の掘立柱建物跡が20基発見

 

遺跡名

   上野尻(かみのじり)遺跡

場所

青森市矢田上野尻54

時代

縄文時代後期から晩期  紀元前1300年

指定

 

遺構

掘立柱建物跡が20基発見:ほぼ円形に配置されていることがわかり、注目を浴びている。

特長

4本柱の方形のものが16基、6本の亀甲形のものが4基の合計20基。

方形のタイプは1辺が2.5m~5mのほぼ正四角形。6本の亀甲形のタイプには、対角線上にある2本の柱穴が内側に傾いているものがあり上部構造を考える上で重要なヒントになる。

 

更に、中には最大直径60cm程の柱が腐って黒色土になったものもあり、かなり太い柱を用いたものと考えられ、現在、南側半分が検出されたところで、今後、残り半分を広げていくという。長径約100m、短径約80mの楕円形に配置されるものと予想されている。

 

 

紀元前1000年・・・縄文時代の葬送や祭祀にかかわる柱の巨大さと300本を超す遺構

 

遺跡名

     チカモリ遺跡

場所

石川県金沢市新保本町

時代

縄文時代晩期 紀元前1000年

指定

国指定史跡  wiki

遺構

直径50センチ以上23本の巨大な木柱:

集落の中央広場付近に8〜10本が組みになって、直径6〜8mの円形に規則正しく並べて立てられ、出入り口が付いている。 円形遺構、正方形遺構、長方形遺構の三タイプに分けられる。

これらのタイプが近接したり、重複したりしている。柱根だけが残っているので本来の長さは不明。柱の太さからいって普通の住居ではなかったことは推測できる。

特長

直径約80cmほどのクリの木を縦に半分に割った巨大な木柱を直径約7mの環状に立て並べた環状木柱列が発見され、縄文人の木工技術の高さを示すと共に、その性格を巡って注目を集めました。縄文時代の葬送や祭祀にかかわる遺構

 

 

紀元前1000年・・・直径7,8mのサークル上に並べた遺構

 

遺跡名

     真脇遺跡      (まわき)

場所

石川県鳳至郡能都町字真脇

時代

縄文時代晩期 紀元前1000年

指定

国指定史跡

遺構

縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2000年前)までの、実に4000年も繁栄を続けた、他に例を見ない長期定住型集落遺跡である事が判明

特長

巨大柱を縦に半分に裂いて半円状にし、それを直径7,8mのサークル上に並べた遺構:

金沢市の西方にあるチカモリ遺跡、同様のサークル遺跡が発掘され論議を呼んだが、再び同じ能登半島での遺構発見である。

 

同じ場所で6回も炉を作りかえていた「貼床住居址」は真脇遺跡以外にはまったく類例がありません。

 

真脇遺跡からの巨木根柱もチカモリ遺跡と同時期のものである事が明らかになっている。

さらに同様の遺物が新潟県青海町の寺地遺跡でも出土していることから、縄文時代の北陸地方には巨木を使用する祭祀など独自の文化が存在していた事が推測できる。

 

真脇遺跡の巨大木根の直径は99cmと、チカモリ遺跡のものを上回る大きさで、直径6.2m、5.3m、7.5mの3つの真円上にクリ材が配置されていた。

出入り口に「ハ」の字形をした門扉形の板状材木が立つことや、柱の根本に溝が彫り込まれていることもチカモリ遺跡と共通する。

 

 

紀元前1000年・・・21世紀の中国における考古学的大発見

 

遺跡名

    金沙遺跡  (きんさいせき)

場所

中華人民共和国四川省成都市郊外

時代

縄文後期 紀元前1000年

指定

 

遺構

5平方㌔にわたる遺跡で大規模建築物の土台遺跡、祭祀区域、生活区域、墓地が発見された。
長い階段のようなものと草または木の皮でふいた屋根を持つ高床式建物の跡であることが分かった。
祭祀用に建てられたもので、祭祀を取り仕切る蜀王だけが登ることを許されていたと推測されている。

中国の古代建築物の専門家、楊鴻[員力](ヤン・ホンシュン)教授はこの建物を「古蜀大社」と名付け、
日本の神社の原型だと述べました

 

特長

21世紀最初の中国における考古学的大発見で、金器200余点・青銅器1200余点・

玉器2000余点・石器1000余点・漆木器10余点の5000点あまりと、

陶器数万点・象牙1トン・動物骨片数千点が発掘された。

 

 

●縄文時代の特徴

 ・紀元前2500年前 巨木柱群、環状木柱列による祭祀場らしき遺跡が多数発見されている。

 ・紀元前2500年前 桜町遺跡の高床式建物の地上部の痕跡日本最初の事例
  河姆渡遺跡(中国)と桜町遺跡の高床建物に使われている技法が全く同じ。

 ・掘立柱の遺構は、三内丸山遺跡を含め北海道から関東、北陸に多く発見されている。

 

●最近の研究発表

  環状木柱列からみた縄文時代晩期の地域社会 2009年 

                       山本直人 名古屋大学 考古学教授

 

  第5章 考察 - 鳥取県

  第1節 南原千軒遺跡における縄文時代の遺構・遺物について

  考古学の調査研究レベルの高さに驚嘆します。建築史学が追いつけないのも理解できます。

  これらの論文も、考古学の分野です。

              次に、その弥生時代の遺跡を探訪します。


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30年続く寺社めぐりのメンバーです
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