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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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旧石器時代から古墳時代までの建築起源を探訪します。

 

 

 

3-1

 古代建築の起源    竪穴式住居から掘立柱建築への遺構を探訪

 

          

 

● 日本建築史は、京都・奈良の寺社建築の調査研究が始まりです。そして現存している建築が対象で、遺
  跡の遺構は
の建築史の対象外でした。最近の三内丸山遺跡の復元建物を検討する際に建築史家が登場す
  るのです。それもやっとです。現存しない建築は、考古学の範疇です。

 

● 氷河時代終末期の後期旧石器時代(30,000年〜12,000年前)には気候の温暖化が進み、人々が平地に

進出して定住生活を始める時期です。後期石器時代の平地住居は、石器・石器片が直径2〜5mに集中

分布する範囲を平地住居跡とみなし、木材を円錐形に組み、獣皮等で覆うテント式構造の伏屋式平地住

居が検出された時期です。

 

● 全国の遺跡発掘調査が推進され、新しい発見も次々と報道されています。

  遺跡の調査研究は考古学者が専門のようですが、その遺跡の建物復元は建築史家が専門です。

  考古学者は、証拠に立脚した確証主義で、建築史家は、創造に立脚したフィクション作家!のようです。 

  そして、復原建物は、建築史家、行政、文化庁のバトルで、観光営利が目的の行政の勝ち?というのが、

  現状のようです。

 

● 旧石器時代の竪穴式住居を探訪します。

 

 

 

1

 旧石器時代の遺構(竪穴式住居)

 

 

 建築の起源は洞窟での生活以降、定住化が進み、縄文時代に竪穴式の木の住居が造れたのが起源です。

 住居としての建築は、その後発展し縄文時代には掘立柱の高床式などに発展し用途も多様化していきます。



       グラフィックス3御所野遺跡 御所野遺跡竪穴式住居復元
  

 

 

1、日本の遺跡の数

 日本全国に遺跡はいくつあるのでしょうか。2013年3月に文化庁が発表した最新のデータによると、その

 数、実に462,051か所。5年前にくらべ約7,700か所も増えました。(奈良文化財研究所2014年)

 

 単純計算で、1県あたり約1万か所の遺跡があることになります。日本の国土面積から計算すると、1㎢

 あたりの遺跡数は1.2か所となり、この遺跡密度は世界最高ランクに位置づけられるでしょう。

 

 現在、文化財保護法によって保護の対象となっている史跡は、旧石器時代から江戸時代の遺跡です。

 時代別にみると、最も多いのは縄文時代の遺跡で90,531か所。

 最も少ないのは旧石器時代の遺跡で 7,565か所です。

 

 その7,565ヶ所の中で建造物の遺構が確認(?)されていいるのは、20箇所程度とされています。

 

 旧石器時代は造山運動による火山活動が盛んで、氷河期でもあり厳しい環境でした。しかし、後期には

 温暖化が始まり、氷河が溶け海水面が上昇、海が陸地に進入し始め 環境も改善されてきました。

 

 今から2万年前、後期旧石器時代に「遊動から定住へ」と定住生活が始まったとする研究発表が近年あり、

 論議を呼んでいます。

 

 

2、旧石器時代~縄文時代草創期の遺構の紹介

 1)竪穴式住居の概要

   建造物らしきものに住むようになる前は、洞穴等で夜を過ごしていた形跡があります。

   「日本における洞穴遺跡の研究」 を参考にしてください。

 

   竪穴式住居が壁と屋根を持つ人類初の建築となります。

   竪穴式住居の定義は

   「地面を一定の形に若干掘り凹めて、垂直に近い壁と土間の床を作り、その上に屋根を架した家屋で、

   その規模や形状には時代によっては差異がある」

   と考古学者の小林行雄1989・京都大学名誉教授・文化財保護審議会委員、考古部会長などを歴

   任)が唱えています。

 

   竪穴式住居が草創期の竪穴式住居の典型ではなく、時期差、地域差が顕著で典型という概念はないよ

   うです。近年、草創期の竪穴式住居は見つかり始めたばかりなので、類例も少なく典型の論議は時期

   尚早です。

 

   「日本最古の竪穴式住居の遺構発見!」というマスコミ発表に踊る必然性は未だないようです。

 

 

 2)旧石器時代~縄文時代草創期の遺構

   竪穴式住居の遺構の古い順に、下記に記述します。しかし、これが住居であるとして学者の先生が承

   認されているものは、大鹿窪遺跡(暦年代で約1万3千年前・縄文時代草創期)の遺構だけです。

   今後の調査研究によって、「最古・・・」のマスコミ報道まで待つのが賢明です。

 
 

 

遺跡名称

小保戸遺跡

こほと

所在地

相模原市緑区小倉

指定

 

歴年代

2万3000年前

時代区分

後期旧石器時代

遺構数

1基

形式規模

住居状遺構

年代判定

出土した炭化物放射性炭素年代測定・出土石器

遺跡規模

直径2.53.5m円形

調査年月

2007~2009年(H21年)

遺構概要

遺跡の礫群は、相模野台地上の関東ローム層にあり、放射性炭素による年代測定で2万3千年前とわかった。(2009年報告書)

環状礫群周辺では炉跡や柱穴は未発見だが旧石器時代における住居状遺構の可能性ある。

特徴

田名向原遺跡や大阪府藤井寺市のはさみ山遺跡と並ぶ事例

HP等

小保戸遺跡  相模原市情報発信

 

 

遺跡名称

はさみ山遺跡

 

所在地

大阪府藤井寺市

指定

 

歴年代

約2万2000年前

時代区分

後期旧石器時代

遺構数

1基

形式規模

円形竪穴住居

年代判定

地形・地質学

遺跡規模

径6m、深さ20cm

調査年月

昭和61年

遺構概要

・外周に柱穴を持つもので径10センチぐらいの材を20本近く斜めに立て並べ中央で簡単

 な組み木を施し、その上を草や皮で覆った構造が考えられる。

石器の共伴を根拠に旧石器時代に編年づけられているが、竪穴の平面形態や柱穴、炉など

 の住居跡として保持する要因が不統一であり、旧石器時代確実な例とは言い難い。

飛鳥時代中期のはさみ山遺跡、2003年(平成15年)の調査で46棟(調査段階)を超す

 掘立柱建物跡がまとまって検出。4面に庇を持つ大型建物は注目に値する。

その他

ヌカイト製のナイフ形石器や翼状剥片が約200点

HP等

はさみ山遺跡

 

 

遺跡名称

田名向原遺跡

たなむかいはら

所在地

相模原市中央区田名塩田3-13

指定

国史跡

1999年

歴年代

約20,500年前

時代区分

後期旧石器時代末

遺構数

2基

形式規模

建物跡と推定される遺構

年代判定

地形・地質学・出土石器

遺跡規模

10メートル程の円形

調査年月

平成9年建物跡と推定、遺構(住居状遺構)発見

遺構概要

12本の柱穴や2か所の焚き火跡

地表から探さ2.5mの約1万5千年前の地層から,各2ケ所の石器集中地点と礫群,一棟の建物跡が発見された。建物跡と考えられる地点からは,径約10mの範囲に主に黒曜石製の180点ほどの石槍、少量のスクレイパーとナイフ形石器、製作の際に生じた多量の石核や剥片など,合計3,000点近くの石器が出土した。

石槍などは長野県や伊豆、箱根等の黒曜石で作られており、遠隔地との交流が知られるなど、後期旧石器時代の生活の一端を示す遺跡

・住居状遺構は炭素測定値で約17600年前、暦年較正値で約20500年前とされている。

特徴

本遺跡の建物跡は、炉跡、柱穴、外周の円礫群などをともない、確実なものとしては日本列島最古の建物跡

HP等

相模原市 相模原市情報発信

 

              田名向原遺跡 住居復元

 

遺跡名称

水迫遺跡

みずさこ

所在地

指宿市西方水迫

指定

 

歴年代

約15,000年前

時代区分

後期旧石器時代終末期

遺構数

13基

形式規模

竪穴式住居

年代判定

地形・地質学・出土石器

遺跡規模

1.7,2.2m×1.3,1.8m

調査年月

平成14年度2002年

遺構概要

竪穴状遺構13基,道跡3条,炉跡2基,杭跡、石器製作場跡、などがまとまって出土

1号「竪穴」が1.7×1.3と小さい。周辺に19の杭柱穴、

2号「竪穴」が2.2×1.8とやや大きく、22の杭柱穴を配している。

杭柱穴の中心線はいずれも鉛直方向を示しており、杭柱は内側に傾斜するのではなく、垂直に立っている。「竪穴」の深さは1号が7~10cm、2号が7~16cmと非常に浅い。

これは旧地表面が削平を受けたため。3~7号は複雑に複合しており、全体像が明確でない

特徴

竪穴状遺構,道跡,炉跡等の遺構群は,ほぼ同時期に存在していた可能性が高い。

日本の集落の起源を考える上で欠くことのできない極めて重要な遺跡

HP等

水迫遺跡

年代

不確定

誤認の可能性を含め問題があるとする論文2004日本旧石器学会会長の稲田孝司

水迫遺跡、出水市の上場遺跡、北九州市の椎木山遺跡、群馬県富士見村の小暮東新山遺跡

 

 

遺跡名称

上場遺跡

うわば

所在地

鹿児島県出水市上大川内池之段

指定

 

歴年代

約1万5000年前

時代区分

旧石器時

遺構数

2基

形式規模

1号住居は,円形に近い直径3.5×3.7ⅿ,深さ70㎝ほど  2号住居は7.3ⅿ×3.7ⅿの長円形状

年代判定

地形・地質学

遺跡規模

 

調査年月

昭和46年5次発掘調査で住居跡を発掘

遺構概要

約3万年前から1万年前までの生活跡が地層ごとに残されており、西日本における旧石器文化の標準遺跡となっている。

特徴

竪穴住居跡と認定するには疑問がなげかけられている。(上記④)

HP等

鹿児島県縄文の森

 

 

遺跡名称

大鹿窪遺跡

おおしかくぼいせき

所在地

静岡県富士郡芝川町

指定

国史跡

2008

歴年代

約1万3千年前

時代区分

縄文時代草創期BC130BC100

遺構数

14基

形式規模

竪穴住居14基

年代判定

地形・地質学・AMS放射性炭素年代測定

 

 

調査年月

H.13.11~H14.3

遺構概要

壁面及び外周には柱穴が巡り、床面中央に焼土粒・炭化物粒を埋土に含む炉と考えられる掘込みをもつものもある。これら竪穴住居は、広場と推定される空間域を中心に半円形に計画的に配置されている竪穴住居によって構成される集落跡としては最古段階の事例であり、その竪穴住居数も当該期としては国内最多である。

他遺物

竪穴状遺構11基、配石遺構5基、集石遺構112万点以上の石器・縄文土器

HP等

文化遺産オンライン 遺跡総覧

 

             大鹿窪遺跡住居跡大鹿窪遺跡住居跡


 

遺跡名称

清武上猪ノ原遺跡第5地区

きよたけかみいのはる

所在地

宮崎県宮崎郡清武町

大字船引204

指定

 

歴年代

約1万3千年前

時代区分

縄文時代草創期BC130BC100

遺構数

14基

形式

竪穴住居14基

年代判定

地形・地質学・放射性炭素年代測定・土器年代

規模

3~5m×3~5m
不整形

調査年月

H17、7、26~H20、5、30

遺構概要

竪穴住居跡の平面形は不整楕円形・不整円形・不整方形を呈している。5m角は大きい

床面の中央付近に炉跡が検出された住居跡は5棟あり、そのうちの1棟は石組炉であった

竪穴住居跡に設置された石組炉の検出は全国で初めて・・・(現状保存山砂で覆う)

他遺物

集石遺構・炉跡・土坑群石器・縄文隆線文・隆帯文土器

HP等

清武上猪ノ原遺跡調査報告書

 

 

遺跡名称

西ガガラ遺跡

 

所在地

東広島市鏡山

指定

 

歴年代

13000年前

時代区分

旧石器時代

遺構数

6基

形式規模

径3~4mの範囲を浅く掘り

細い柱直径10~20cmを10本程度楕円形

年代判定

 

遺跡規模

 

調査年月

2004年

遺構概要

旧石器時代では三時期の石器群が出土していて、第一地点で小型ナイフ形石器(約二万三千~二万五千年前頃)に伴って住居跡六軒以上、礫群二基などが見つかっています。旧石器時代の住居跡の発見例は全国でも二十例程度で、きわめて貴重な資料となっています。

合計6軒の住居跡が発見されました。地面に柱穴を掘り込んだだけの平地式住居と呼ばれる

形式です。柱穴は直径10 ㎝程度で、ほぼまっすぐにあいていました。

住居の平面は楕円形を呈し、長径約4m、短径約3mと小規模の住居が復元されました 

特徴

旧石器時代・縄文時代とも当時の集落を復元する上で重要な遺跡といえます。

HP等

ひろしまの遺跡  広島大学西ガガラ遺跡25000年前と解説)

 

 

遺跡名称

掃除山遺跡

そうじやま

所在地

鹿児島市下福元町後迫

字掃除山

指定

 

歴年代

約1万1,500年前

時代区分

縄文時代草創期BC130BC100

遺構数

2基

形式

竪穴住居2基

年代判定

地形・地質学薩摩火山灰層の下土器年代

規模

 

調査年月

H2~H3

遺構概要

竪穴住居跡2軒 煙道付炉穴1基,円形や船形の配石炉6基,集石3基,土坑3基

旧石器時代が終り,縄文時代が始まった直後の鹿児島の地には,すでに定住のきざしが見える集落が誕生していたことが判明

特徴

尾根の狭い平坦地から北風を避けられる南向きの急斜面にかけて分布するという立地の特徴から、調査者の一人は、掃除山遺跡の竪穴住居を秋に採集した堅果類の貯蔵と利用を兼ねた越冬のための居住地と考えた。

HP等

鹿児島県縄文の森  

 

 

遺跡名称

栫ノ原遺跡

かこいのはら

所在地

加世田市大字村原字栫ノ原

指定

国史跡

1997

歴年代

約1万1,500年前

時代区分

縄文時代草創期中葉

遺構数

 

形式規模

 

年代判定

地形・地質学薩摩火山灰層の下・土器年代

遺跡規模

台地全域約21,600㎡

調査年月

H元年(1989年)~H5年(1993年)

遺構概要

穴煙道付き炉穴8基,配石炉4基,集石15基,小ピット6基

特徴

遊動から越冬定住と越夏定住の組み合わせからなる振り子式の定住をモデルとする社会を想
定し,同時期の鹿児島市掃除山遺跡との対比から栫ノ原遺跡を夏の拠点的集落と位置付けた。定住への移行
初期定住期)

HP等

鹿児島県縄文の森

 

 

遺跡名称

駒形遺跡

こまがた

所在地

茅野市米沢北大塩

指定

国史跡

1998

歴年代

5000~1万年前

時代区分

縄文時代早期前半~後期前半

遺構数

 

形式規模

 

年代判定

地形・地質学・出土石器

遺跡規模

縄文竪穴住居址106軒

調査年月

昭和36年以降、平成27年まで、15回の発掘調査

遺構概要

竪穴住居跡37軒、方形柱穴列8棟、掘立柱建物跡2棟、土坑43基、黒曜石集積遺構1基、屋外炉20基、配石遺構1基、および流路跡2条が検出

特徴

八ヶ岳西南麓に位置する大規模な拠点集落跡、多量の黒曜石の鏃や原石・作りかけなどが発見された。黒曜石の集積、製作、搬出に関与していた集落跡と推定され、当時の石器製作技術や交易の実態を知る上で重要である。

HP等

駒形遺跡  調査報告書2007

 

 

遺跡名称

上口A遺跡(常呂遺跡

ところいせき

所在地

北海道常呂郡端野町

指定

国史跡

1974

歴年代

 

時代区分

旧石器以降

遺構数

200基

形式規模

集落遺跡

年代判定

 

遺跡規模

東西6km、南北300

調査年月

1957年以来

遺構概要

2,000基以上の竪穴住居跡および墳墓と推定される多数の小形の竪穴状遺構が検出

擦文文化の集落遺跡としては北海道最大規模を有し、オホーツク文化期の住居跡も発見

竪穴住居跡は縄文~続縄文時代の円形・楕円形のもの233基、縄文時代の終わり頃から続縄文時代にかけての柄鏡形のもの22基、擦文時代の四角形のもの214基から成っています。

特徴

史跡常呂遺跡の世界遺産暫定一覧表記載資産候補

中本遺跡(北海道北見市)の以降も旧石器時代:詳細不明

HP等

常呂遺跡北見市

 

その他、旧石器時代の住居跡の遺跡

  ⑬ 椎木山遺跡(北九州市)

⑭ 小暮東新山遺跡(群馬県富士見村) 

  本格的な竪穴住居が発掘された。直径約3mの円形で深さは約20cmある。

  ⑮ 中本遺跡(北海道北見市)

⑯ 越中山遺跡A地点(山形県)

⑰ 野沢遺跡(富山県大沢野町

⑱ 立美(たつみ)遺跡(富山県福光町

  野沢遺跡や立美遺跡は34人程度の男性を中心とした小集団がハンティングの合間に住まいし、

  石器作りを行っていた場所とみられている

 

 

上記6件の遺跡名は判明していますが、詳細情報は、探索できません。(縄文時代草創期を含め)

又、wiki等では、19~20件の旧石器時代の住居跡の遺跡があると記述されていますが、数件不明です。

    

 

3)住居跡としての確証

上記遺跡の発掘資料から、これぞ住居跡であると認定されるのは大変なようです。

大鹿窪遺跡は13000年前で史跡にも指定され、認定されているようですが、それより古いと説を唱える

水迫遺跡(15000年前)に対しては、その説は偽りであると偉い先生が文句を言う。

 

これが考古学を面白くする一端かもしれません。

 

 

   岡山大の稲田孝司教授(日本旧石器学会会長)は3日までに、鹿児島県指宿市の水迫遺跡など旧石器時代

   の住居跡とされる全国4カ所の遺構について、年代判定や調査方法に問題があるなどとする論文を雑誌

   「考古学研究」に発表した。

   特に「定住生活は縄文時代から」という定説を崩す発見として注目された水迫遺跡では、自然地形を住居

   跡と誤認した可能性が高いとしており、波紋を広げている。

 

   同遺跡は指宿市教委が1999年から調査、約1万5000年前(後期旧石器時代)の竪穴住居跡や道路跡を

   確認したと発表した。稲田教授は報告書から土の堆積(たいせき)状況などを検証。かく乱された土層を

   誤認しており、人為的な遺構の可能性は低いとしている。

 

   また同県出水市の上場遺跡の住居跡は「旧石器時代より後に何らかの営為で生じた穴の可能性が高い」とし、

   北九州市の椎木山遺跡や群馬県富士見村の小暮東新山遺跡の住居跡にも検討すべき問題があるという。

                            

                                 2004/02/03 四国新聞社記事より

 

 

水迫遺跡の竪穴住居跡についても、「風化・崩壊による自然の窪み」を誤認した可能性を指摘している。

指宿市教委では「1つの意見だと認識している。今後、住居跡である根拠を改めて示していきたい」と

論争を受けて立つ構えだ。 指宿市は反論!

 

 

    指宿市広報 2004年  水迫遺跡集落跡の広がりを科学的に確認 

 

    約1万5000年前(後期旧石器時代)の集落跡といわれる水迫遺跡で、新たに五軒の竪穴建物跡や

    二基の炉跡、2本の道跡が発見されました。

    平成12年度に行われた科学分析を駆使した発掘調査で明らかになったものです。

 

     <新たな発見>

    水迫遺跡では平成11年12月、約1万5000年前(後期旧石器時代)の二軒の竪穴建物跡や道跡など

    が発見されました。また、平成12年9月には、同時代の炉跡が発見され、それまでは、キャンプ地

    を転々とするような遊動生活と考えられていた、後期旧石器時代の定説を覆すほどの発見と、大きな

    話題を集めました。

    平成12年度に行った水迫遺跡の西側の調査区域から発見された五軒の建物跡や二基の炉跡、二本の道

    跡と合わせて、竪穴建物跡七軒、炉跡三基、道跡三本のほか、多数の杭跡などがあり、約1万5000年

    前の集落跡の姿が徐々に明らかになってきました。

 

<建物跡と道跡>

    五基の竪穴建物跡は、四角い竪穴がほぼ同じ場所に重なるようにつくられていました。

    これは、当時の人々が、いったん水迫を離れて、再び帰ってきた時に、同じ場所に竪穴建物を建てたか

    らと考えられます。また、道跡の表面は周辺よりも硬くなっていました。

    その断面の様子から、道は地面を掘ってつくられたことがわかりました。先のとがった道具で、地面を

    掘削した痕跡が残っていたことから判明したものです。

 

<科学分析を駆使>

    平成12年度の発掘調査は、文化庁をはじめ県や全国各地の大学、民間の研究機関などの協力で、実施

    されました。竪穴建物跡や炉跡、道跡などが自然のくぼ地ではなく、遺構(地面に掘られた生活の痕跡)

    であることを証明するために、従来の考古学的な分析に加えて、地球物理学や地質学の分野からの科学

    分析が行われました。さらに、自然の地層と異なる遺構を埋めた土の色をコンピュータを使って解析し、

    人工的な遺構であるかという検証作業が、慎重に進められました。

 

    このように、最先端の技術を用いて、竪穴建物跡や炉跡、道跡であることを科学的に確かめました。 

 

 



           水迫遺跡集落跡 
 

水迫遺跡の論争は14年前の出来事、現在結論が出たのか否か探索していますが、発見できていません。

 

水迫遺跡より古いとされる、小保戸遺跡(23000年前)、はさみ山遺跡(22000年前)田名向原遺跡

(20500年前)も住居跡であるという確証は未だ乏しいのかもしれません。

今後の調査研究で明確になるのか、さらに古いとされる住居跡が発掘されるのか、・・・楽しみ!

 

 

 

3、旧石器時代の建築史

 

 1)考古学者による調査研究

 

上記遺跡の調査研究は、下記のごとく考古学の先生方の調査研究の結果です。

● 考古学で住居遺構を研究した学者

  稲田孝司(日本旧石器学会会長)、石野博信(纒向遺跡の発掘)、小林行雄(京都大学名誉教授)

  松木武彦(国立歴史民俗博物館教授)、小林謙一 - 国立歴史民俗博物館 

  雨宮瑞生(栫ノ原遺跡)初期定住民の考古学的研究、菅谷通保 - 東京大学考古学研究室  他多数

 

● 建築学で住居遺構を研究した学者 (上記遺跡の研究は携わっていません)

  關野 克  日本古代住居址の研究 1934年、  宮本 長二郎 、 小岩 正樹      他数名

 

   旧石器時代の竪穴式住居の遺構研究は、建築史学では僅かしかなく概論だけです。

 

 

 

2)考古学の竪穴式住居の研究建築

考古学の小林謙一は、『日本先史・古代竪穴住居の構築材の年代測定による住居構築年の検討』につい

発表しています。(2012年)

 

福島県文化振興事業団遺跡調査部の「福島雅儀」は、『復元的視点による竪穴住居跡の発掘調査』の論

文において「複式炉竪穴住居跡平面企画変化」など類型的な整理をされるなど建築史学の分野に踏み込

んだ調査研究がされています。(2004年)

 

これらの研究から竪穴式住居の様式、典型、地域別、年代別等の5W1Hを建築史の研究者が共同して調

査研究を行うなど、連携はなぜできないのでしょうか。

 

 

 

 

建築史家の先生は、遺構の復元で活躍されています 

 

              3-4 遺構の復元建築」で詳述します。

           しかし、その復元過程は総合的に問題点が多いようです。

 

 

               次に、縄文時代早期の遺跡を探訪します。

 


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