FC2ブログ

寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
091234567891011121314151617181920212223242526272829303111
カテゴリー  [ 1-2 日本建築は木の文化 ]

西欧と日本の建築文化の相違を探訪

1-2 日本建築は木の文化

 

 

 

1-2

 日本建築は木の文化     西欧の石の文化と日本の木の文化の比較

 

 

  建築文化の歴史は、西欧では「石の文化」、日本では「木の文化」で展開されてきました。 

  西欧と日本の「思想、風土、感性」の相異が「石の文化」と「木の文化」を独自に発展させてきました。

 

 

   

        日本の建築は、なぜ木造なのか。

 

 

 ・日本の建築は、明治時代(近代)以前まで大半が木造建築だけです。・・・・・・・・・木の文化

 ・西洋の建築は、逆に石造、レンガ造が大半で千数百年以上も続いてきました。・・・・・石の文化  

 

明治時代に石造、レンガ造が日本に輸入されましたが、関東大震災で大半が倒壊して以降 日本では一般建築では採用されていません。

  グラフィックス1スペイン水道橋        神社はじめに マチュピチュ

 

            しかし、日本でも「石の文化」の遺構が実在しています。

 

 

● 石造、レンガ造の建築が、日本にはない

 

 なぜ、日本の建築は 木造ばかりなのか?   ヨーロッパのように石で造られた建築がないのか?

古代ローマの遺跡群、世界遺産で人気のマチュピチュなど 城も住居もすべて石か、レンガの燃えない材

料で建築されています。

  

  ・日本に石が無いから ・・・稲田石、大谷石等あります。焼き物も 瓦、陶器などありました。

  ・日本に石を加工する技術がないから とんでもない。

 

 

● 石も有る、技術もある。

 

 古墳時代に古墳内部の中心には、大きな石が使われています。飛鳥で有名な石舞台、高松塚古墳、キトラ

 古墳等々。奈良時代には、石造の層塔、石仏、磨崖仏、石灯篭、五輪塔等の価値の高い石造美術品が制作

 されています。 

 鎌倉時代以降の武家政権のときは、大きな石で石垣を精密に築きその上に城を築いています。

 寺院の基壇も石を積重ねて構築され、その上に木造建築が載っています。

 江戸時代の火事は有名ですが 都心の半分を焼き尽くす大火が頻発しているのに又木造で再建しています。

 安土城、大阪城も「石造」で焼け落ちなかったら、歴史が変わっていたかも知れません。 

           神社木造 石塔                     グラフィックス3唐招提寺しび
          乗禅寺 今治市 重文           唐招提寺金堂のシビ

 

 

● なぜ耐久性、耐火性の優れた石などが使われず、木造だったのか? 

 

1、神様からの借り物です

 

 日本では、神様の創造で国が作られたという概念が古代からあり 自然界に起きる森羅万障がすべて神様

 がなされているとの思いを人々が持っていたと考えられます。(森羅万障:木が限りなく茂り並ぶこと)

 

 その自然界に対抗する建物のようなものを造ることは 神様に逆らうことになるという畏怖の念を抱いて

 いたとのです。神の土地に建築するのだから「お借りします」というスタンスでした。

 

 又、建築も神様に逆らわず自然と同化する「木」を材料に採用するという共生路線が根本にあったのでは

 ないかと考えられます。「石」は神様がお座りになる「磐座」に使われるものでもありした。

 

 そして、今日でも建築の着工時に「地鎮祭」を神主さんを呼ばれる儀式があります。

 地鎮祭(とこしずめのまつり)は、その土地の神(氏神)を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを

 得る儀式で神式と仏式があります。一般的には、神を祀って工事の無事を祈る儀式と認識されています。

 

      「神様の世界を一部お借りします」とお願いして許しを請う祈願です。

 

 

2、木は神様です

 

 神様が宿るのに「木」があります。

 ご神木、諏訪大社の「御柱祭」(式年造営御柱大祭)として有名ですが 木の呪力と生命力を信奉し自然 

 の脅威から生命、財産を守ってくれるという信仰です。

 

 この「木」で建築することが信仰の証となっていたとも考えられます。

 神明造、大社造では柱は大木で穴を掘って立てられる「掘立柱」で現代の電柱と同じ方式でした。

 この方式では、確かに自然に密着、依存していますが土中部が土壌の菌に犯され腐り、地上、水中の樹木

 の耐用年数よりはるかに短かく台風、地震での倒壊と自然倒壊することにしばしば見舞われていたと考え

 られます。

 本来なら、「腐らないように、倒れないように」と考えるところが、現代と違い「神様からの借り物、木

 は神様の宿るところ」という信仰が強く、建替えるのが当然だったのでしょう。

 

 神社では、奈良時代から式年遷宮制度が定着し 伊勢神宮では現代まで継承されていることは 耐久性を

 建築に求めていなかったことの証かもしれません。

 20年ごとに遷宮し、日本の国の魂を生まれ変わらせることによって、国家が若返り、そのことにより永遠

 を目指そうとするのです。

 これを「常若(とこわか)」と言い、常若というのは、『古事記』や『万葉集』にある「常世(とこよ)」

 と同じようにめでたいことのようです。

 古文書にはしばしば出てきて、いつも若々しいこと、永遠に若いことを意味します。

 このような概念が定着していたことも要因でしょう。

 

  式年遷宮は何故20年なのかは、諸説があるようです。

   ・木造建物の耐久性  およそ20年程度で、自然に朽ちてくる

   ・建築技術の伝承  人の寿命40~50年の時代の伝承

   ・20年に一度元旦と立春が重なるという大陸渡来の暦からという説

   ・稲の貯蔵年限の最長が約20年という説、

 

 

3、建築はすぐ建て直しです。

 

又、日本では、古代では「穢れ」を嫌悪する呪術信仰がおき、平安時代では怨霊を鎮めるため御霊信仰が

おきます。人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨

霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現

しようとする日本独自の信仰です。

 

平安時代の菅原道真や平将門、崇徳上皇(日本三大怨霊)などを祀った神社が出来るほどの信仰です。

この御霊信仰は、政権を馘首した新天皇が怨霊を恐れ新しく都を造営したため、短いと1年以内に転地造

替えがおこなわれていました。

一代で交代、転居ですから 恒久性は建築には要求されません。

解体して再利用可能なら次の都、寺社で建築します。

移築する際 木材なら運搬も楽ですが 石みたいに重くては困るのです。

 

 

4、石造は結露します、工事も時間がかかります。

 

 日本の住居は定住型に変化する創世記では、東南アジアと同じ高床式住居、倉庫で湿気対策の風とうしの

 良い柱、梁からなる窓の大きい建築が主流でした。

 石で造ると部屋の中は結露だらけで、壁面が多く窓は小さくなり日本風土には合わない構造です。

                    

 また石を切り出して城郭の石垣に採用するようになったのは、信長の時代からでそれ以前は大量に石を切

 り出すのは山の多い日本では大変な作業だったはずです。

 日本の城郭は、石垣が垂直に近く敵を登らせないことが目的で、攻め上られたら負けで、天守閣は城を獲

 られないための頑強さは必要ありませんでした。

 信長も秀吉も自分の権勢を誇示するために、新しい城を築造が目的で再利用はその時代以降のことです。

 

 もし石で天守閣を造ったら数十年の工事期間が必要になり自分の代に間に合わず、数年で出来る木造建築

 が意匠上も自由度が高いため採用されていたと考えられます。

 武家政権も恒久建築は強く要望せず木造ありきでの自分の誇示方法を考えたのでしょう。

      ブログ木造絵20141024               ブログ石造絵20141024
                            自然環境と共生する木造建築             自然環境と隔離する石造建築

 

 

5、柔軟で隙間が多いから地震に強いのです。

 

 木造は地震対策であったとの意見もあります。

 木材の柔らかさ、湿度が高いと伸び、乾燥すると縮む性質、釘を多用せず、木と木を組合わせて隙間を造

 るなどで 木造は耐震に寄与しています。しかし結果的に軽く柔軟性の有る木造が耐震上優れていただけ

 で、当時の大工さん達が耐震を考え 城、寺社を設計していたとは思えません。

 

 筋交い(柱の上部と隣の柱の下部を繋ぐ斜め材)を配置するなど根本的な工夫は余り見られません。

 しかし、作事奉行、棟梁、大工たちが、木の癖を熟知してきた経験工学の賜物で、詳細の工夫改善と伝統

 が寺院建築の装飾と併行して昇華し江戸時代まで継続されてきました。

 台風、地震の多い日本で、今日まで現存している木造の堂塔が多いことは、驚嘆の一言です。

 

 

 

6、仏教伝来以来排他的な宗教が蔓延しませんでした。

 

 神様の造られた自然の森羅万象に対し戦わず、抵抗せず融和、共生を図る農耕民族の日本人独特の思想が、

 建築に反映されてきたこと。

 また仏教伝来以降キリスト教伝来まで、外国からの新しい革新的文明、宗教が蔓延しなかったことがこの

 思想が継続し、日本で木造建築が千年に亘り伝承されてきた、根本的な要因と思われます。

 

 明治時代(1868~1912)に石造建築が渡来し日銀本店などの遺構が現存しますが、その当時の石造建築

 は、倒壊などで現存数は僅かです。

 明治時代末から鉄筋コンクリート造が普及し高層化されましたが 関東大震災1923で壊滅。

 祟り、穢れと騒がれました。神様も 自然と共生しない鉄筋コンクリート建築に「レッドカード」を出し

 たのかもしれません。

 

 近代建築が100年を経過し、超高層ビルが建築されて約50年が経過した現在、その超高層ビルが築20~

 40年で次々と解体されています。

 このような現象は、式年遷宮で20~30年で造り替えた神社建築と同じサイクルで建替えられていることに

 なります。

 

 神様は折角「貸しているのに」と不思議がられているのか、お怒りになっているのか、疑問ですが?

 

 現代では、神様の領域をお借りして建築させていただいてるなどと考えている人は・・・・皆無でしょう。


 ● 自然と対立しながら 理性的で論理的に統制する空間をはめ込むなどの浅慮近謀?な 

   複雑なデザインで自然を支配しようとする西洋建築

 ● 自然と共生しながら 機能的で有る反面無駄な空間をはめ込むなどの深慮遠謀?な

 簡素なデザインで自然と共生しようとする日本建築

   と基本的には云えるのかも知れませんが、そう簡単に割り切れません 



カテゴリ
プロフィール

masatias

Author:masatias
30年続く寺社めぐりのメンバーです
<TIAS>グループ名称
Improvement of a spirit boundary
by Temple and shrine =<TIAS>

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

訪問者
ブロとも申請フォーム