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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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カテゴリー  [ 1-1 日本人の美的感性 ]

日本人と西欧人の美的感性を探訪

1-1 日本人の美的感性


 

 

1-1

  日本人の美的感性      日本人の感性と西欧人の感性を比較

 

 

 

我々は、日頃の現代(西洋)文明にどっぷり浸かった環境から逸脱し、寺社建築を拝観する際、日本人の

独特な感性が蘇ります。それは『自然との共生のスタンス』の概念です。

そして、信仰の有無に係わらず、寺社に対する『敬い、尊ぶ』感情に繋がってくるのです。


        2013101321145470a.jpg

                   滋賀県 建部神社参道

 

   自然と共生のスタンス

 

 

1)日本:自然と共生・・・自然を融合

 

 日本人は、古来より自然豊かな大地からの恩恵により、歴史を重ねてきた農耕民族です。

 地震、雷、大雨、台風、大雪などの厳しい自然災害にいつも見舞われ、育てた農作物を一瞬にして壊滅さ

 せられてきました。

 

 そして、その恐ろしい自然に神々が宿ると信じ、縄文時代には巨木、巨石、山岳、川、海などの自然を祀

 り、敬い、畏れて自然を受容し、崇拝する信仰が定着しました。

 日本人は古代から自然に対抗するのではなく、受容する姿勢が継続しています。

 

 寺院・神社には人が日常から逸脱する世界に導くための仕組みが、多く設定されています。

 先ずは参道があります。鳥居・山門をくぐり本堂・本殿へと導かれて寺社建築を順次巡るアプローチが設定

 され、その周辺には、鬱蒼とした森(社叢)があり、神聖な雰囲気に浸りながら周辺の自然環境に無意識

 に同化していきます。このように「自然との共生」行動を促す仕組みが設定されているのです。

 

 又、本堂・本殿には周辺を塀が巡らされています。更に日常と異なる世界が展開されていきます。

 このように、徐々に「結界」に入ることで、日常から逸脱した環境が創造され信仰が育まれてきました。

 

 現代でも日本において寺社を参拝する時、建造物だけに集中するのではなく境内の樹木、草花、春夏秋冬

 の移ろい、紅葉、雪景色を愛で、梵鐘の音、「鹿おどし」の音、茶店の団子、等々「五感」で感じる習慣

 が身についています。これぞ、「自然と共生」の現われです。

 

 又、建築でも屋根の軒、縁側、蔀戸(壁ごと開閉できる)などは、自然と住居に境界を設けない、日本人

 固有の「自然と融合」する価値観が現在でも継続している証です。

 

2)西洋:自然と対抗・・・自然を隔離

 

 西洋では、天地創造者である神を信仰した人間は、自然に対抗し、自然より上位と認識していました。

 そして、自然を解明し支配しようとする自然科学の分野が、西洋で発達してきたのです。

 

 西洋の街は、度重なる宗教戦争の防御の為、城壁で囲まれ石造建築が連立しています。

 戦いの防御とともに自然からの防御にも役割があるのです。

 

 その景観は街独自のローカルな雰囲気はないのです。どの国のどの街でも皆同じように感じます。

広場は、市街地の道路から突然出るのです。教会も市街地に同化していて隔離された環境は具備されてい

ません。

 目線を空に向けると「教会のシンボルの」塔が強調されます。

 教会には境内、アプローチは無く、内部に入り突然『結界』となります。

 

 それだけではなく古い街の中心の広場には「植栽」が少ないのです。広場の目的に樹木は必要がなく、歴

 史的権力者の銅像があります。

西洋の宮殿建築には、幾何学的な公園があ多くあります。人工的です。遠景に森林が望めるのが希です。

 

     西洋の旧市街は「自然と共生せず、隔離する」ことが徹底されています。

     

     これが日本人と西洋人の感性の「根本的な相異」の要因と思われます。


 2-2.jpg    グラフィックス1仁科鳥居
          ヨーロッパの広場                  仁科神明宮  参道 

 

 

   性格と感性

 

   

1)日本: 曖昧、受動的 受容的 水を流す

 

 ・論理的であり、しっかりと鮮明に伝える

 ・物と周りの環境をみる ・周りとの協調を重視する ・物事を他との関係性を考える。

 

 ・日本の庭は『流れる水の文化』

日本の水は『時間的な流れ』を感じさせます。水は自然に流れることが美しいという価値観が古来から

培われてきています。日本の見えない水と西洋の見える水。日本では水は見える必要すらありません。

 

枯山水の砂利の箒目の流れ、断続的な『鹿おどし』の音によって、水が流れている様子を想像するとい

う日本人の『自然に対する受容性』が現われ、決して水を人工的に制御してはいないのです。 

      

 

2)西洋: 明確、能動的 排他的 水を噴く

  

  ・理論的であり、何事も明確に伝える

  ・物を一つ一つとしてみる事 ・個人を尊重する ・物事をシンプルにみる

 

  ・西洋の庭は『吹き上げる水の文化』

   シンメトリーで直線と曲線の組合せでデザインされ、植栽も造形的に剪定され、噴水を配し、背後の

   宮殿(城)建築を景観的に威厳を醸しですのが目的です。

   噴水は空気が乾燥して噴き上げる水を求めたことや、ローマ以来の水道技術が背景にありあります。

   流れるだけでなく『自然に対抗』し、水圧を利用する人為的な機能に溢れています。


 グラフィックス3日本の庭園-1  グラフィックス3西洋の庭園-1
  

   足立美術館 日本庭園               スペイン 西洋式庭園 

 

   建築の様式

 

 

1)日本: 左右非対称 開放的 樹木が多い 感覚的 玄関扉外開き

 

 ・日本人は、自然に対して受動的、共生的なスタンスで 建築に対応してきました。

木材を使い、自然や風景に馴染むような建築が特徴です。耐用年数は短かく、建替え、部材の交換、

修繕を繰り返すことで、現存する木造建築が維持されてきました。

 

 ・日本の建築は、西洋と同じく時代の首魁が自分の権勢のシンボルとして華美でこれでもかというデザイ

  ンを強要した神社仏閣、城、茶室(金の茶室)などがあります。

一方では、屋根の曲線、桂離宮の屋根の重なり、柱梁の間隔のバランスなど、簡素の中にも細かなとこ

ろまで計算され 機能的で有る反面無駄な空間をはめ込むなどの深慮遠謀の簡素なデザインが生まれて

います。

それらのデザインは江戸時代には庶民の住宅までに浸透しましたが、簡素と華美が並立する「曖昧な」 

感性として醸成されてきました。        

 

  

2)西洋: 左右対称 閉鎖的 樹木が少い  幾何学 玄関扉内開き

 

 ・西洋建築は、中心性や完全性、絶対性が強調されています。

  街は、中心に教会・宮殿・広場がセットになり都市の中心的な場所となっています。

 ・西洋の価値観は人間の精神性、宗教性が強く保持されていて、それを表現する為に建築が存在していま

す。人間のために存在するため自然に対しては征服的で、そのデザインは理性的、論理的に統制がとれ

たものが多くなっています。

  教会、宮殿などの重要な建築は多く石材を使用し、壊われないものとして長期間かけて建設されました。

 

 ・古来西洋建築では 明解に左右対称で直線を組合せ、曲線はコンパスで描けるライン等の明解な規則通

りの組合せでデザインされています。そして各時代の貴族が自分の権勢のシンボルとして城郭、宮殿の

豪華絢爛で華美なデザインと、技術の粋を集め造形的な装飾へと昇華させていきました。

しかし、それらは貴族のためであり庶民とは断絶したものでした。


      グラフィックス3オランダ鐘楼   2013091808240119a.jpg  

         ベルギー 鐘楼             石畳と窓の花

 

     

   融合と革新

 

 

 ヨーロッパ、中東、西アジアでは20世紀まで戦争、侵略の歴史が繰り返されてきましたが、その原因はキ

 リスト教やイスラム教が排他的、戦略的である事に起因しています。

 

 それらの地域の土着宗教は大半が駆逐されてい ます。

 インドの近くルンビニで生まれた仏教は、当初インドでは仏教信仰が蔓延しましたが、現在では仏教信者

 は少なく人口の80%以上が土着の宗教ヒンドゥー教です。このように仏教は、非戦略的な信仰といえます。

 

1)日本:文化融合(神仏習合)

 

 日本において仏教は、土着の神道の神々を否定せず神々を諸仏の世界に取り込み、聖徳太子以来の神仏習

 合の宗教観を創造し 仏の世界の一部に位置づける信仰を隆盛させました。

 神道が迎え入れたのが仏教がであったことは、神道にとって幸運なことであり、キリスト教やイスラム教

 が奈良時代に伝播していたら、日本史がどう変わっていたのか・・・・。

 この様に日本の神様は、仏教を受容し併行して発展してきました。

 

 

2)西洋:文化革新(ルネッサンス)

 

 「ルネッサンス」とは、14~16世紀,イタリアから西ヨーロッパに拡大した人間性解放をめざす文化革新

 運動です。

 都市の発達と商業資本の興隆を背景として,個性・合理性・現世的欲求を求める反中世的精神運動が躍動

 しました。この新しい近代的価値の創造が古代ギリシャ・ローマ文化の復興という形式をとったので,

 「再生」を意味するルネサンスという言葉で表現され、文化革新は文学・美術・建築・自然科学など多方

 面にわたり西欧近代化の思想的源流となりました。

 

 西洋では、単純なデザインから 華美な、複雑なデザインへと昇華していくプロセスを「ルネサンス」運

 動により復古し、原点のデザインに戻るという文芸復興があります。

 

 しかし、日本ではこの様な原点回帰の活動は無く、江戸時代まで300年もの間戦争も無く、日本文化が昇

 華し続けて来ました。

 

 

 

   美的感性・・・参考文献転記

 

 

 

 日本人は古来より、緑に囲まれた自然豊かな大地から恩恵を授かってきた農耕民族である。豊かな自然の中で四季がうつろうということは、大雨や台風、大雪などと様々な厳しい自然災害とも隣合わせだということを意味する。

 

 日本人は恩恵を与えてくれる暖かな自然、そして育てた農作物を一瞬にして壊滅させる恐ろしい自然に神々が宿ると信じ、そんな自然を祀り、敬い、畏れてきた。

 

 一方で欧米人は自然を対立するものとして考えてきた。自然を支配しようとしてきた。神が複数存在するという思想は異端であり、天地創造をした絶対的な存在である神と契約をした人間は、自然の上に立つと認識されていた。

自然科学の分野が欧米で発達した理由の一つには、自然をどうにか人間の頭脳で解明し、支配しようとしたという背景があるわけだ。

 

 例えば、教会(教会堂)を頭の中にイメージしてみてほしい。極彩色に光るステンドグラス、天辺を尖らせて佇む背の高いフォルム、幾何学的できめ細やかな装飾、荘厳に描かれた壁画。そういったものが頭に浮かぶだろう。

つまり、これは教会の建築物そのものである。

 

 だが、寺や神社を思い浮かべようとした時、果たして本堂などの建築物だけを頭の中に想像するだろうか。そこには必ず穏やかな色彩の花を咲かせたり、生気に満ちて青々とした葉を揺らしていたり、あと少しで燃え尽きてしまうほどに赤く紅葉したり、裸になった肌寒い枝を白いおみくじで着飾られる木々達がいないだろうか。

 

 また、視覚だけでない五感に訴える情景も感じるはずだ。さらさらと葉を揺らす心地よい風が頬を撫でたり、湿気の漂うむんとした緑の匂いを感じたり、しっとりした鈴虫の歌声に心が洗われたり、坊主の掃く落ち葉が鳴らす乾いた音に年の瀬を感じたりしないだろうか。寺や神社の境内には自然が満ち溢れていて、日本人による自然との共生が表現されている最たる例であろう。

 

 ヴェルサイユ宮殿のように西洋人は自然を人間の手によって造形し、幾何学的な模様に自然をはめ込むような庭を造るが、日本人はなるべく自然の在るがままの姿を表現し、自然と同化するような感覚を生みだす庭を創る。また、日本古来の家屋が持つ軒先という存在は、自然と住居の境界を分けない日本人の価値観を現している。

            Destructive Words   日本人的季節感性  

            http://destructivewords.com/?p=271#more-271

 

 

 

 

 「鹿おどし」がけだるさを感じさせる。竹の筒の中に水がたまり、筒が次第に傾いていくにつれていつ逆転するかと緊張が高まり、ある点を越えると一気に逆の方向に傾いたかと思うと、次の瞬間には水を吐き出して元の位置に戻る。その時、筒の尻が石を打ってコーンという音が響きわたる。

 

 こうした、単純でゆるやかなリズムが無限に繰り返し、高まった緊張が一気にほどけて結局は何事も起こらないという徒労がまた一から始まることにけだるさを感じるのである。その節目にくぐもった優しい、曇った音が時を刻む。それは庭の静寂を破り、音から音までの時の長さを強調する。水の流れを一旦せき止め、音を刻むことによって時の流れを止めるのだが、その連続がかえって、水の流れや時の流れを強調する。

 

 「鹿おどし」は日本古来の文化であるが、ニューヨークの大銀行では、そのけだるさを味わうゆとりがなかった。ここでは、水を吹き上げる噴水の方が似合っていた。

日本の流れる水の文化と、西洋の吹き上げる水の文化の対比がここにあった。

ヨーロッパやアメリカではいたるところに噴水があり、音をたてて空間に静止しているように見えた。

 

 日本の水は時間の流れを感じさせ、西洋の水は空間的な存在感がある。そう考えると、日本に噴水がないのも文化の伝統に則るものである。西洋で噴水が発達した理由は、空気が乾いていて人々が噴き上げる水を求めたことや、ローマ以来の水道技術がある。しかし、日本に噴水がないのは、そういう外面的な理由だけでなく、

水は自然に流れる姿が美しいという文化があったからである。

 

 水には形がないが、そこに日本人は独特の好みを持っていた。

「行雲流水」、空を行く雲と流れる水のように、物事に執着せず淡々として自然の成り行きに任せて行動することを好む感性である。それは受動的な態度でなく、形のないものを恐れない積極的な心の現れである。

 

日本の見えない水と西洋の見える水。日本では水は見える必要すらない。断続する音によって、その間に水が流れている様子を想像し、心で味わえばよい。その意味で、鹿おどしは究極の仕掛けである。 

 

            教育の職人 水の東西      

            http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/mizunotozai.htm

 

 

 グラフィックス3しし脅し   グラフィックス3西洋の庭園-2  
         鹿おどし                   アルハンブラ宮殿の庭


 

 日本人の美意識に関する基礎的研究

 「美」の概念としての「あいまい」に関する研究

 

  
                              当方には、難解
なので、転記しません。HPをリンクして下さい。

  最後に、もう一つ。

 

 

 NHK高校講座 日本人の美意識より

 

無常に美を見いだそうとする考え方は、やがて自然が現れている表面の姿ではなく、背後の奥深いところに美を求めようとする美意識を生み出した。

その代表的なものが、中世の和歌や能楽などにみられる「幽玄」である。

 

「幽玄」は、満開の桜や華やかな紅葉がむしろ雲や雨にさえぎられ、それらを直接見るのではなく想像している方が、より美しさを味わうことができるのだとする美意識である。

 

また、簡素な自然の姿や年老いた人間など、普通には消極的なイメージをもちがちな「わびしいもの」「さ

びしいもの」に対して、逆に味わい深い美しさを見いだそうとする美意識も生まれた。

千利休の茶の湯で説く「わび」や芭蕉の説く「さび」などがそれである。

 

このように、マイナスと思われるものに、プラスの価値を見いだそうするところに日本人の美意識の特徴の

ひとつがあるといえよう。

 

 

 


 「能楽」、存在していることは理解していますが中身は全く分かりません。 能舞台は勉強しましたが?

 「中世の和歌、源氏物語・・・」、最近接することもありません。     石山寺は拝観しましたが?

 

     反省すべき点なのでしょうが、習得に向け行動できるか?・・・・・問題です。 



 


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30年続く寺社めぐりのメンバーです
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