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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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カテゴリー  [ 5-2 旧国宝の指定文化財 ]

5-2 唐様(禅宗様)国宝建築の比較

5-2 旧国宝文化財




1-1 禅宗様仏殿の比較ーその1

 

比較項目

円覚寺舎利殿

正福寺地蔵堂

功山寺仏殿

善福院釈迦堂

 所在地

神奈川県鎌倉市

東京都東村山市

山口県下関市長府

和歌山県海南市下津

指定文化財名

国宝

国宝

国宝

国宝

 指定時期 

1951.06.09 0002

1952.03.29 0039

1953.11.14 0158

1953.03.03 0132

建立時代・年

永禄7年 1564

応永14 1407

元応2 1320

嘉暦2年 1327

平面規模

方三間

方三間

方三間

方三間

裳階 屋根材

杮葺

銅板葺

檜皮葺

本瓦葺

裳階組物中備

出三斗・平三斗

出三斗・平三斗

出三斗中備なし

一手先 平三斗 

 垂木等軒裏

繁垂木

繁垂木

繁垂木

繁垂木

屋根形式

入母屋造

入母屋造

入母屋造

寄棟造

 屋根材

杮葺

杮葺

檜皮葺

本瓦葺

 垂木等軒裏

二軒扇垂木

二軒扇垂木

二軒扇垂木

二軒繁垂木

組物・尾垂木等

詰組三手先

詰組三手先

詰組三手先

詰組手先

屋根の反り

端部が反り上

端部が反り上

端部が反り中央直線

勾配緩やか中央直線

 花頭窓

○ 広がり垂直

○ 広がり垂直

○ 広がり 曲線

なし

 桟唐戸

 弓欄間

○ 疎らで後補か

 鏡天井

板張り

板張り

石楠花の絵

45度に燧梁

板張り

 土間床・木床

土間敷き

土間敷き

四半瓦敷

四半瓦敷

 柱の粽・礎盤

粽柱  礎盤

粽柱  礎盤

粽柱  礎盤

粽柱  礎盤

 

特定日以外拝観できない。鎌倉時代建立で通用しているが?

他に文化財なし

円覚寺舎利殿に極めて類似し かつ古いのですが知名度低い

外観はいつでも無料

禅宗様で鎌倉時代現存は善福院釈迦堂功山寺仏殿しか無い

今年鑁阿寺本堂

木割が太くがっしりした感じで雄大

東大寺大仏殿を彷彿

とさせる

 

            

  同じ禅宗様の仏殿でも、様式、細部にはこれだけ差異があります。昭和27年に国宝指定されています。
  善福院釈迦堂は、屋根形状、細部の様式は、他の3件とは明らかに相異しています。
  修理、再建の履歴を探訪しないと判明しませんが、善福院は今後調査してみたい国宝です。
  

 

 

  1-1 禅宗様仏殿の比較ーその2

 

比較項目

清白寺仏殿

不動院金堂

永保寺観音堂

鑁阿寺(ばんな)本

 所在地

山梨県山梨市三ケ所 

広島県広島市東区

岐阜県多治見市

栃木県足利市家富町

指定文化財名

国宝

国宝

国宝

国宝

 指定時期 

1955.06.22  0180

1958.02.08 0192

1952.03.29 0043

2007.05.17 0522

建立時代・年

室町時代 1415

天文9年 1540

室町前期1314説有

正安元年 1299

平面規模

方三間

方三間

方三間

方五間

裳階 屋根材

檜皮葺

杮葺 前面吹き放し

檜皮葺前面吹き放し

向拝 本瓦葺

 裳階組物中備

出三斗

出三斗 詰組

出三斗 亜麻組

裳階なし

 垂木等軒裏

繁垂木 疎らである

扇垂木

板張り 隅木のみ

高欄がある

屋根形式

入母屋造

入母屋造

入母屋造

入母屋造

 屋根材

檜皮葺

杮葺

檜皮

本瓦葺

 垂木等軒裏

二重扇垂木

二重扇垂木

板張り 隅木のみ

二重繁垂木

組物・尾垂木等

三手先詰組

三手先詰組

出三斗亜麻組(疎組

手先詰組

屋根の反り

端部に有り

端部に有るが緩やか

端部に大きな反り

緩やか

 花頭窓

○ 垂直 面4箇所

○ 垂直 面2箇所

なし

なし

 桟唐戸

○ 花菱模様

 弓欄間

吹き放し貫の上部

なし

 鏡天井

墨画の雲竜

前後二つに分かれる

板張り

なし

 土間床・木床

漆喰で固めた土間

土間床

木造床板張り

木造床板張り

 柱の粽・礎盤

上部のみ粽有り

上部のみ粽有り

 

大正6年の解体修理で発見された墨書により判明

天井絵の銘文より天文9年(1540)建立

最大規模

折衷様で改修後補が少なく、当時の面影を完全に保っている

梁、大瓶束で高さを強調されている点等は禅宗様的折衷様

 

● 各仏殿の様式は、善福院釈迦堂が多少特異な仕様があるが、その他は、円覚寺舎利殿の形式に類似している。


● 
鑁阿寺本堂は、2013年国宝に新指定されました。建物全体は、禅宗様とは判定できません、部分です。

      1、禅宗様建築とは言えず「折衷様」であり、禅宗様式は細部に見受けられるだけです。


       2、
「国宝は、重要文化財のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの」を見出せません。

    功山寺仏殿より 十年早い部材が見つかったことが 極めて高い価値と評価できるのか?


  3、禅宗様以外の類似寺院(和様、折衷様)と比較しても、優位な点を明確に指摘できません。

    このように、意匠的、技術的、学術的、歴史的な評価でも、首を傾げる今回の指定です。

    鑁阿寺本堂の国宝指定については●●●で記述しています。

 

禅宗様のこれらの国宝の評価では「1、意匠、2、技術、4、学術的、5、特色が顕著」は同等レベルとすると、「3、歴史的価値」が、国宝評価の主要な要因となってくると思われます。

現存する文化財の歴史的価値、文化的意義を評価する要素にどういう事があるのかを検討するため、まずは、代表的な寺院の歴史的変遷について関連を
HPを基に調べてみました。





 2  禅宗様国宝建築の建立からの歴史の比較




2-1 国宝円覚寺舎利殿と国宝正福寺地蔵堂の比較 

                     

  

出来事

円覚寺舎利殿の歴史

正福寺地蔵堂の歴史

寺の創建

弘安5

1282

鎌倉幕府執権北条時宗 開創

元寇の戦没者追悼のため 

中国僧の無学祖元を勧請

弘安元年

1278

臨済宗建長寺派の末寺、南宋径山寺の石渓心月を勧請

執権北条時宗によって開創

建物建立

弘安10

1287

北条貞時が弘安81285に創建した祥勝院 消失

応永14

1407

昭和89年の復元解体工事で発見された尾垂木の墨書

 

建武2

1335

夢窓疎石が建長寺の無学祖元塔頭正続院をここに移し舎利殿を塔頭とした

弘安年間

1278-

1287

北条時宗開基であるならば弘安年間の建立説も有り得る

墨書の信頼性に欠ける点有り

 

応安7

1374

大火

1411年応永28年にも

応安年間

1368年から1374年の間で

火災  営繕補修

 

大永6

1526

里見義豊の兵火

寛文年間

1661年から1673年の間で

火災  営繕補修

全焼

永禄6

1563

円覚寺の全焼   現存舎利殿とは異なる建築

 

 

建物再建立

 

永禄7年

 1564

北條氏康が、太平寺仏殿を円覚寺正続院への移転を認移転される。現地での再建

文化8

1811

解体修理 

地蔵菩薩の墨書を発見

茅葺へ変更

元禄16

1703

震災の被害は大きく全壊

原状の杮葺から茅葺へ変更

安政4

1859

解体修理

原状の杮葺を茅葺へ変更

解体修理

明治33

1900

明治321899

特別保護建造物指定後解体修理

 

1407年建立から1933年まで500年間躯体変更はないと判明

全壊

大正12

 1923

関東大震災全壊

 

関東大震災での修理記録

HPネットでは見当たらない

 

大正14

1925

復旧工事が起工

 

 

 

昭和4年

1929

主要材料の取替え復元

国宝に指定される

昭和8

1933

解体修理

柿葺屋根に復元

国宝指定

昭和26

国宝指定69日 指定番号2

 

 

 

昭和27

 1952

上層茅葺屋根の葺替、裳階柿葺の部分修理等修繕

昭和27

1952

国宝指定329

指定番号39

近年の修理

昭和43

1968

大修理 杮葺であった証拠?

柿葺屋根に復元

昭和43

1968

国宝正福寺地蔵堂修理工事

昭和48年にも修理

 

平成21

2009

円覚寺舎利殿保存修理

内容未調査

平成17

2005

国宝正福寺地蔵堂修理工事

 

 歴史比較からのコメント 

 

● 開創は、両方とも鎌倉幕府執権北条時宗で、弘安年間で4僅か年の差である。

    同時期の創設であり、背景が鎌倉と武蔵の国で共有され 関東に鎌倉幕府の影響が浸透していた。

 

● 原状は杮葺で反りの大きい屋根であったが、双方とも江戸時代の修理で茅葺で反りは小さくなった

  禅宗様の様式の伝承が、江戸時代で認識されていなかった改修か、また、財源、材料不足なのか?

 

● 国宝指定年月は、9ヶ月しか変わらないが、指定番号は、2番と39番の差が生じている。

  円覚寺のほうが国指定に対するパワーが凄かったことを示している。1番は中尊寺金色堂です。 

 

● 杮葺に復元された時期が 正福寺が戦前の昭和8年、円覚寺が戦後の昭和43年とかなりの差が有る。

  この時期の差が、良く理解できない。杮葺であったとの証拠が、円覚寺では、国宝指定の審査、屋根葺

  き替え工事をしていながら判明しなかったのか。財力の有る円覚寺としては理解できない。

 

● 全壊の記録が円覚寺には2回有るが、正福寺には、記録がなく躯体変更がされていないと思われる。

  この点は、円覚寺の現存している舎利殿は 旧建物の木材が残存していないのに対し、正福寺の

  地蔵堂は、古材が多く現存していることであり、文化財としての評価に差が生じるはずである。
 

 


2-2 国宝仏功山寺仏殿と国宝
善福院釈迦堂の比較

 

出来事

功山寺仏殿の歴史

善福院釈迦堂の歴史

寺の創建

元応2

 1320

虚庵玄寂禅師により金山長福寺を開山 開基は北条時直と推定

健保2

1214

栄西禅師によって創設

廣福禅寺を七堂伽藍で創設

建物建立

元応2

1320

寺伝嘉歴21327創建 仏殿南側来迎柱の上部に「此堂元応2年卯月5日柱立」1320

嘉暦2

1327

釈迦堂本尊釈迦如来坐像の胎内の修理銘に嘉暦2年とある

この頃の再建とされている。

 

文明8

1476

大内政弘によって復興された

 

 

 

弘治3年 

1557

大内義長、毛利元就に襲われ、44日谷の長福寺で自刃、大内氏滅亡、以後寺も戦乱で荒廃。 

文禄2

1594

大旦那の加茂氏の没落にともない荒廃

 

慶安3

1650

毛利秀元死亡 以後世々毛利家の香華寺となり功山寺と改称。 

江戸時代

廣福寺は紀州徳川家の菩提寺候補となるが、菩提寺は長保寺に決まり その後荒廃していた

 

文化7

1810

部分修理

明治初期

明治になり善福院と改称

 

大正7

1918

解体修理:桟瓦葺を桧皮葺

捶の大部分を取替え妻を大きく妻飾りを復原している。

当初材を残している

明治44

1911

解体修理 建立当時に復元

 

昭和27

1952

屋根葺替

 

 

国宝指定

昭和28

1953

1114日 国宝に指定

昭和28

1953

331日 国宝に指定

 

昭和60

1985

屋根葺替・部分修理 木部は腐朽していたもこし背面の小屋組と化粧軒を解体、復旧

国宝功山寺仏殿修理工事報告書

昭和49

1974

国宝善福院釈迦堂修理工事報告書

昭和64

1989

国宝善福院釈迦堂修理工事報告書

 

歴史比較からのコメント

 

● 両国宝とも、全壊、全焼の記録は見当たらない。荒廃した時期はあったが、江戸時代には、再興されている。


● 明治以降、解体修理が双方とも行われているが、解体内容の詳細な記述が探索できていない。


● 当方の情報不足だが、全壊、全焼がなく原状材が多く残存し、解体修理も復原であるなら国宝かな?


【共通】


● 文化財保護法施行の日1950年(昭和25年)829日から約3年後に大半の国宝が指定されているが、1000

 件に及ぶ国宝を旧国宝(重要文化財)の中から3年間で調査、選定するのは、凄いパワーが必要であったと思

 われるし、戦後直後の時期に客観性、説得性の高い科学的調査、検討が可能であったのか・・・・・疑問です。



 

 5-2 唐様(禅宗様)国宝建築の比較  類似建造物を比較すると指定基準の曖昧さが露呈

 




   文化財としての指定基準の中に、類似物件の比較が行われていることが重要と思います。
   比較をしてみると、具体的に何が検証できるのか、挑戦してみました。      
 

 

 1  禅宗様国宝建築の形状・部材の比較

 

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30年続く寺社めぐりのメンバーです
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