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寺社建築と文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源、歴史、文化財の紹介と文化財の問題点を探訪しています。 常時更新中です!
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カテゴリー  [ 5-1 未指定の国宝級文化財 ]

5、文化財の問題点の探訪-1

5、文化財の問題点の探訪


  5 文化財の問題点の探訪

 

 

 5-1 旧国宝の建造物     
この建物は、 何故?重要文化財なのか!
 5-2 新国宝の建造物     この建物は、 何故?新しく指定され国宝になったのか! 
 5-3 国宝でない建造物    この建物は、 何故?国宝ではないのか!
 5-4 世界遺産と文化財    世界遺産登録建造物なのに何故?文化財でないのか!
 5-5 文化財の修理      ここまで大幅な修理して、も文化財なのか?

  

 

 

  5-1  旧国宝の建造物  この建物は、何故?国宝なのか!

 


  国宝建造物の中でも、これは国宝なのかと、小首を傾げる建造物があります。
  

重要文化財の中にもありましたが、国宝建築にも散見されます。



 1  文化財指定基準と指定件数の推移



        先ずは文化財保護法と国指定文化財の件数について紹介しておきます。

 

 国宝の指定基準

 

 

● 文化財保護法

 

日本の文化財保護法第2条第1項は「文化財」について次のように規定している。なお、以下の文中の「我が国」

は日本国を指す。

  この法律で「文化財」とは、次に掲げるものをいう。

 一  建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとって歴史上又 

は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含

む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料(以下「有形文化財」という。)

 六  周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの(以下「伝統的

建造物群」という。)

 

● 指定基準

 

 昭和二十六年文化財保護委員会告示第二号

   (国宝及び重要文化財指定基準並びに特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準)

建造物の部

重要文化財

建築物、土木構造物及びその他の工作物のうち、次の各号の一に該当し、かつ、各時代又は類型の典型とな

るもの

(一) 意匠的に優秀なもの

(二) 技術的に優秀なもの

(三) 歴史的価値の高いもの

(四) 学術的価値の高いもの

(五) 流派的又は地方的特色において顕著なもの

国宝

重要文化財のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの

 

 

文化庁の文化審議会文化財分科会が調査・選定を行い、その審議結果を受けて文化審議会が文部科学大臣に重要文 

化財に指定すべき物件につき答申します。

 

何故指定されたのか、文化庁のサイトの中を探しましたが、議事要旨として議題に毛の生えた程度のものしかない。

 

 文化庁は、文化審議会は秘密会となっているので議事録は公開できないとのことで、情報公開請求にも応じられない

 とのこと? 秘密にせざるを得ないのは、

   ① 指定推薦を却下すべき、又は国宝から降格すべきなどの情報、指定否定論は公開しにくい。
   ② 文化財の保有者、行政、権力者(政治家、学者・・・)からの強力な推薦が有る。
   ③ 審議会のメンバーと、分科会メンバーの意見、知識、情報に差異が有り論争になる。

   などが推察されますが、選定、指定の根拠、確証を公開をすべきなのは当然でしょう!

 

  「国民には、指定をきめたから無条件に、納得しろ!」と言っているのです。
    文化庁も、審議員も独りよがりは止め、明解な資料を開示しましょう!

 

 

 

 指定件数の推移

 

 

 ● 現在2014年と昭和時代の国宝・重要文化財件数

種別/区分

2014年

国宝

2014年

重要文化財

旧国宝

昭和5年

旧国宝

昭和25年

美術工芸品

絵画

159

1,994

754

1,153

彫刻

128

2,685

1856

2,118

工芸品

252

2,445

347

1,018

書跡・典籍

224

1,900

479

1,410

古文書

60

754

刀剣268

 

考古資料

46

612

 

91

歴史資料

3

183

 

 

872

10,573

3,704

5,790

建造物

268棟

220

4,676棟2,419

1081棟

845件

 

1,057件

合計

1,092

12,992

4,549(2.85)

6,847

(1.90)

    (注) 重要文化財の件数は,国宝の件数を含む。

 異常に増加している。倍増以上です。何故、急激に調査したから、確証の新発見があったから、格下げは無いのか?

 問題点、疑問が沢山湧いてきますが、この探訪も後述します。

 

 ●最近の新国宝指定の建造物

 

 国宝は文化財保護法施行直後の1950年代から1960年代に集中的に指定され、以降は年に数件の指定に留まっている。 

 参考までに21世紀に入ってからの指定物件を挙げておきます。

 

    2002年(平成14年)知恩院三門(京都・知恩院)  知恩院本堂(京都・知恩院)

    2004年(平成16年)長谷寺本堂(奈良・長谷寺)

    2005年(平成17年)東大寺二月堂(奈良・東大寺)

    2008年(平成20年)青井阿蘇神社 本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門(熊本)

    2009年(平成21年)旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)1棟(東京・内閣府所管)

    2010年(平成22年)久能山東照宮 本殿、石の間、拝殿 1棟(静岡・久能山東照宮)

    2012年(平成24年)歓喜院 聖天堂 1棟(埼玉・歓喜院)

    2013年(平成25年)鑁阿寺本堂1棟(栃木)

    2014年(平成26年)旧富岡製糸場 1棟(群馬) (西)本願寺御影堂1棟、阿弥陀堂1棟(京都)

 


 2  旧国宝からの国宝  震災で全壊・新材で再建でも様式が古いので国宝です




  明治時代に指定された、旧国宝の中で現在も国宝として大手を振っている建築を上げてみました。

  調査不足で深耕できず、内容的に不備な点もあるかもしれませんが、記述します。


 1  円覚寺舎利殿の考察

 


・・・・地震、火災、を経て関東大震災で全壊、再建されました・・・国宝指定されました。

      a3円覚寺舎利殿

 

 

 1)円覚寺の創立

 

鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建

したと云われています。現在地には、北条貞時が弘安8年(1285)に創建した祥勝院があったそうですが、弘安

10年(1287年)に火災に会っています。

 

その後、建武2年(1335)に後醍醐天皇の勅命があり、夢窓疎石が建長寺にあった無学祖元の塔頭・正続院をここ

に移し、舎利殿を塔頭にしたとされています。

しかしその後も、たびたび火災に遭っています。中でも応安7年(1374年)、1411年(応永28年)の大火、大

永6年(1526年)の里見義豊の兵火、永禄6年(1563年)大火等がありその度に全焼し、再建されてきました。

現存する、円覚寺の社殿は全て近年の再建です。

 

 2)舎利殿の建立

 

円覚寺に最初に舎利殿が造立されたのは1285年(弘安8年)の創建寺ではなく、1309年(延慶2)です。

更にそのあと、1374年(応安7年)と1411年(応永28年)の2度に渡って炎上しており存在していなかった。

この全焼してしまった舎利殿こそが、円覚寺本来のもの。どのようなものだったのか?情報は、ありません。

 

かつては、「円覚寺舎利殿は鎌倉に唯一残る鎌倉時代の建造物」として著名でした

 

昭和32年 建築史家 太田博太郎 

 

「舎利殿は1285年(弘安8年)に造立された。この建物は唐様(中国の宗朝風)のもっとも代表的な例である。

 唐様は建仁寺創立以来、禅宗とともに徐々に宗より伝来し、建長寺創立にいたって確立した。禅宗建築は中世以

 降もさかんに建てられたが、京都・鎌倉五山のうち、創建当時のものとして残るのはこの舎利殿一棟である」

 

その後、円覚寺塔頭富陽庵の「円覚寺汁物等雑記」が発見され、それによると、1563年(永禄6年)11月23日

に、一山のほとんどを焼いた大火があり、そのときにあった舎利殿もまた燃えていると記述。

 

永禄6年(1563年)円覚寺全焼後の再建に際し、永禄7年 (1564年) 北條氏康鎌倉尼五山の筆頭格の寺院で

ある太平寺仏殿を円覚寺正続院への移転を認移転されてきました。

『円覚寺文書』「太平寺客殿、正続院へ被引、則可有建立由」  

『新編鎌倉志』「円覚寺の開山塔の昭堂は、太平寺の仏殿なりという」

 

 

太平寺の仏殿は、いつ建立されたのか?

大永鎌倉合戦1526年に発生した里見義弘による鎌倉攻撃の影響を受けて廃寺となったのは明解ですが、鎌倉時代

には存在していてことだけで、仏殿に関する資料なく、推論だけになっています。

太田先生の後、建築史家関口欣也は、「舎利殿は南北朝期より室町前半頃の特徴を持ち、鎌倉時代末にまで遡るこ

とは出来ず、15世紀前半応永(1394~1427年)の後半から永享(1429~1441年)ぐらい」と発表史、その根

拠は、正福寺地蔵堂です。地蔵堂は舎利殿と様式が相似しており、墨書銘により室町時代の応永14年(1407年)

の建立と年代が確定しているからです。大工も同じではないかと云われています。

 

舎利殿の建立時期は、室町時代初期1400年代と建築様式では推定される。しかし、 

永禄7年 (1564年) 太平寺から円覚寺に仏殿が、舎利殿として「移転再建」された。 

ことも事実です。

 

 

 3)近年の改修経過     江戸時代の300年以上の修理経過は不明(調査不足?)

    元禄16年(1703年)  元禄大地震全壊          杮葺きから茅葺へ変更された?

    明治321899年)  特別保護建造物に指定

    明治331900年)  解体修理

    大正121923年)  関東大震災:全壊

    大正141925年)  復旧工事起

    昭和041929年)  一部部材を取り替えて修理、復元された   旧国宝に指定される。

    昭和2669日(1951年)国宝指定

    昭和43年 (1968年)  大修理、杮葺であった証拠?が見つかった  柿葺屋根に復元された。

    平成21年(2009年)  円覚寺舎利殿保存修理 内容不明

 

        a3円覚寺舎利殿震災全壊  
                   大正121923年)  関東大震災:全壊

4)円覚寺舎利殿の文化財の評価

 

   ●永禄7年 (1564年) に舎利殿が、太平寺仏殿移転再建されて以来、度々の火災震災に会っています。

     元禄16年(1703年)震災 再建       明治33年 (1900年) 解体修理 

     大正12年 (1923年関東大震災再建     昭和4年 (1929年)大半新材で復元

     昭和43年 (1968年) 大修理  の計5回(少なくても)根本修理が行われています。

 

 ●類似の国宝「正福寺地蔵堂」(応永14年1407年建立・1952年3月29日国宝指定)では、

 「茅葺であったが1933年(昭和8年)の解体修理に際して建築当初の柿葺に戻された」との記録があり、

 当初から杮葺であった確証があったものと思われます。

 

   ・全壊の記録が円覚寺には2回有る。(正福寺地蔵堂には全壊の記録が無い) 

   ・原材の再利用はどの程度なされたのか、記録は有るのでしょうか?

 

   ・震災後の復旧で大半は、新材になっている。

 

   ・鎌倉尼五山の第一位であった「旧太平寺仏殿」を移築 資料が残されていて復原に活用されて現在に伝承され

    ていると思われる。1564年当時の記録、資料が確証されているのか?

  正福寺は年代確証があり 同形式ゆえに室町中期との判断されているのでしょう。

 

 

  5)正福寺地蔵堂の建立と修理経過

 

昭和8~9年(1933~1934)の復元解体工事の祭に発見された尾垂木尻持送りの墨書銘から、

室町時代の応永14年(1407)の建立で、1933年まで500年間、躯体変更がないことも判明しました。 

 

この応永14年というのは昭和8年(1933年)の解体修理の際発見された墨書銘からの推定で、北条時宗開基と

いうことであれば弘安年間(1278-1287年)の建立ということも有り得る(墨書銘を見つけた解体修理の報告書

「国宝正福寺地蔵堂修理工事報告書」ではこの弘安説を採る)。

 

尾垂木尻持送と墨書銘が見つかった場所から考えると建立でなければ大修理であるが。

この墨書銘には僧の名しかなく、資金源の名がない。大工棟梁の名もない。

しかしその類似性から旧太平寺仏殿(円覚寺舎利殿)と少なくとも大工棟梁は同じ系列と考えるのが自然と思える。

 

入母屋造、杮葺、一重裳階(もこし)付き。正面、側面ともに3間の母屋の周囲に1間の裳階が付いた形式茅葺で

あったが1933年(昭和8年)の解体修理に際して建築当初の柿葺に戻された。

 

応安(1368年から1374年)寛文(1661年から1673年)の火災を免れ数度の営繕補修で現代に至っています。

    ・文化八年(1811年)         墨書銘が発見
    ・江戸時代末期安政4年(1859年)   建立からの杮葺を茅葺にした
     ・1933年(昭和8年)の解体修理    茅葺を杮葺に復元
    ・ 国宝指定           1952.03.29 (昭和27.03.29)
    ・国宝正福寺地蔵堂修理工事報告書1968.11(昭和43年)
    ・昭和48年の修理       (1973)
    ・国宝正福寺地蔵堂修理工事報告書2005.1(平成17年)
      地蔵堂屋根改修        2005年(平成17年7月)

 

震災、火災での全壊した記録はなく、室町前期の禅宗様仏殿の典型と評価されます。


      東京正福寺-14 
                     国宝 正福寺地蔵堂
 

 

 6)円覚寺舎利殿の国宝的評価

 

   前述の、金閣寺の舎利殿は、昭和30年に全焼し、明治30年代への復元でしたが、国宝指定を外されています。

   円覚寺舎利殿は、江戸時代と、大正の2度の大震災で、全壊していますが、国宝のままです。 

 

   この差は、何か? 図面、記録はどちらも有る程度存在していたとすると、全焼と全壊のちがい、既存の材料を

   再利用できたか否かによって、国宝、無指定に別れることになります。 

 

   元禄大地震(1703)年にも、同様に、古材を利用しているのか、関東大震災の大正末期も同様なのか不明です。

 

   科学的年代判別が可能になった現在、様式類推だけでその古さを推定で、発表している文化財は、

   再調査をすることにより確証を得て、世界的な真正性を高めることが必須と考えます。

 
【最近判明:2006年、年輪年代判定法で舎利殿を調査=伐採年1425年と判明 建立推定1430年以降】

  

 

 

 2  金蓮寺弥陀堂の考察




      グラフィックス1金蓮寺弥陀堂

 

   ・・・・1945年の三河地震によって全倒壊し、再建後 国宝に指定されました。

        

    住所  愛知県幡豆郡吉良町大字饗庭

     桁行三間、梁間三間、 一重、寄棟造、正面一間通り庇、左側面後部二間庇、すがる破風造、檜皮葺
  

寺院名称

  金蓮寺(こんれんじ)

住所

愛知県西尾市吉良町

山号

青龍山

創建

暦応3年(1340年)足利尊氏

建物名称

弥陀堂

建築形式

阿弥陀堂

 

屋根形式

寄棟造

指定文化財

1955年6月22日指定

平面規模

三間三間 一重

屋根材料

檜皮葺

建立年代

文治2年(1186)伝

外観特長

平安時代における貴族の住宅風意匠となっている。

様式特長

軸部の柱、舟肘木、内部の小組格天井などに鎌倉時代の様式をよく表している。

拝観見所

垂木は二段に組まれた二軒で、地垂木は、垂木が密に並ぶ繁垂木で、飛縁垂木は垂木がまばらに並ぶ疎垂木となっている。また、前方の庇を支える柱の上には舟肘木が乗り、屋根の荷重を支えている。その極めて深い軒下には、身舎の床よりわずかに低く作られた落縁が巡らされており、左右と背後は板壁で一間のみに板扉を設けているが、正面の三間は開放して格子の蔀戸を吊るす。内部は四天柱を用いず、来迎柱2本を側柱列より後退させている等、鎌倉時代中頃の建物と考えられている。

 

 

 「建築様式では、よく鎌倉時代の特長を具備しています。」と云う解説が大半ですが、確かに部材の様式、形状は、

 素晴らしく古式の景観を呈しています。しかし、その部材は全て新しそうです。

 

1、金蓮寺弥陀堂の建立からの歴史 
   

  創建 暦応3年(1340年)以来 

     延宝6年1687年、文化2年1805年、明治38年1905年の3回のほか数度の修理が行われた。 

 ・ これらの修理の記録が現存していれば確証になるのだが。

  昭和20年1945年の三河地震によって倒壊し 解体修理 

  昭和29年6月1954年創建当寺の形態に復元完成  瓦葺を桧皮葺に復元 大半を新材に取替えられた? 

    金蓮寺弥陀堂修理工事報告書1954を読んでいませんが

  昭和30年3月国宝の指定されました。    墨書などの確固たる証拠は無い。

   
  2、 国宝指定について 

   ・ 根本修理後に国宝指定されている。最近の指定にも同様な例が有る。これは慣例なのか?

   ・ 瓦葺を桧皮葺に復元されたと有るがその根拠は、探しえてない。原形の資料は何が現存しているか?

   ・ 外観からは、新しく見える材料が大半であるが、どこに古材が残存しているのか? 

 

 

          円覚寺舎利殿は、江戸時代と、大正の2度の大震災で、全壊していますが、国宝のままです。

          金蓮寺弥陀堂も同様です。全く新しい材料しか見られませんが、垂木1本が古材なのか?

 

●5-1 まとめ
 

5-1

 旧国宝の建造物      この建物は、何故?国宝なのか!

 

要旨

建造物重要文化財件数の推移は

昭和5年845件  昭和25年1057件  平成26年2419件

2.5倍にもなり、数を増やすことが文化庁の狙いなのか 最近も指定件数が多い。

 

 

円覚寺舎利殿、金蓮寺弥陀堂のごとく解体、倒壊、再建を繰り返している建造物の確証の有る復原資料がどの程度存在しているのか、時代判定法の適用も踏まえ明解にしたいものです。

 

要点

旧国宝は、昭和以前に指定されているがその当時、修理履歴、墨書、文献等が存在して、復原根拠を明解に出来ていたのか、又、現在までの修理が適切な方針の下で行われたのか疑問?

 

問題

2013年(平成25年)鑁阿寺本堂の国宝指定は、古材の時代判定で年代が明解になったことが要因ならば、現国宝の建造物で年代不明な物件を全て調査すべきと判断されるが・・如何に?

 

今後

その他の旧国宝についても今後、探訪していきます。



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