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寺社建築文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源と変遷、文化財の諸問題を探訪しています。 又文化財拝観資料も記載しています。
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カテゴリー  [ 5-8 寺院建築史の問題点 ]

寺院建築の起源のまとめ

5-8 寺院建築史の問題点




5-8

 寺院建築史の問題点

  
1,寺院建築のまとめ
1)中国の寺院
  寺院的な建築として古代中国では、後漢(25年-220年)時代に高層の楼閣建築の陶器が多く
  観られます。
  中国の仏教伝来は西暦67年とされていますが、3世紀には確実に木造の寺院建築が存在した
  ようです。


  その建築には、瓦も、組物も採用されていたことは、その技術文化が300年を経て仏教を受容
  した日本に伝来し
たことになります。
  3世紀には、瓦葺、寄棟屋根、扇垂木、組物が存在していたことは、日本で、吉野ヶ里遺跡、
  纒向遺跡の掘立柱建築の時代であり、建築文化はかなりの後進国だったのでしょう。


           2-4 緑釉四層楼閣-1  緑釉四層楼閣 後漢



2)朝鮮半島の寺院
  朝鮮半島では、三国時代(4世紀半ば - 676年)南部の三韓は、馬韓諸国のなかの伯済が百済
  に、辰韓諸国の
斯盧が新羅となり、弁韓諸国は統一した政権を形作ることなく伽耶諸国となっ
  ていました。
しかも北半分は、中国の属国「高句麗」に占有されていた状況でした。

朝鮮半島では、4世紀後半372年には仏教が伝来し木造寺院は478年清岩里廃寺(金剛寺)
  ・上五里廃
寺(定陵寺)などが建立しています。

その間約100年かかっています。仏教寺院を建築できるスキルを確立するのに100年は必要だ
  ったといえます。
  中国の属国的な国家で、陸続きの交流が出来る朝鮮半島でこの期間が必要だったわけです。



    2-4 東大殿   2-4 定陵寺ー3
             東大殿                   定陵寺



3)寺院建築の伝来

  日本の仏教公伝は、552年で朝鮮半島から遅れること約170年を要し、寺院建築は飛鳥寺の着
  工592年と40年
しか要していません。
  このように短期間で寺院建築が創建で着たとは考えられず、仏教伝来の史料が年代的なず
れが
  あったと想定されます。

  5世紀には、「任那日本府」が造られ古墳文化が朝鮮半島に建設されたように、その当時から
  仏教、寺院建築
技術が伝来していたと考えるのが妥当と思います。
  仏教伝来418年説も存在しています。


  6世紀初の日本は、飛鳥寺をはじめとする大伽藍建築を4~5件同時に建築しています。

それには造寺工が200人以上は必要であり、史料のごとく577年に初めて百済から造寺工が渡
  来したとすれば、

15年で200人の日本人の造寺工を育成することは非現実的と判断され、建築技術的には有る程
  度すでに伝来し、
習熟した日本人大工が存在していたと考えたいのです。



4)日本最古の飛鳥寺
  飛鳥寺が日本書紀などの史料に明解な記述が有るために、「日本最古の寺院」と呼称されてい
  ますが、日本書
紀の信憑性に疑問視する論文、資料が多くある中、最古のレッテルは本当なの
  かと疑問を持ちます。
  飛鳥時代、天平期における大寺院のなかには、史料に基づいて創建、建立が明解なもの、又史
  料には記載が無く、
遺跡発掘から創建を推論している寺院があります。

  飛鳥寺(592-596)、坂田寺(587・606) 豊浦寺(593) 四天王寺(587・593)
  若草伽藍(601)な
どの寺院が挙げられますが、今後、更なる発掘調査、文献の発見があれ
  ば、日本建築史は又変更されます。


  「伽藍配置」も、飛鳥寺が最古とされているようです。
  これも飛鳥寺が最古と言うことで伽藍配置も最古としているのではないか。
  日本では確かにそう云えるかも知れ
ないが、寺院伽藍の発達の歴史は、違うのではないか?
  通常は、一番シンプルな配置が伽藍配置から発展した
のではないか、中国での寺院配置は舎利
  塔が中心であったことは明解であり、その後、仏像崇拝へ変化し一塔一
金堂直線配置式(四天
  王寺伽藍)ではないかと考えます。


  「高句麗(平壌)の東明王陵寺・定陵寺、清岩里廃寺(金剛寺)跡の伽藍形式と同じ一塔三金
  堂式である」これ
が、朝鮮半島の最古の伽藍配置と云われているが、塔跡が八角堂で有る点な
  どから、朝鮮半島でもこの形式は
継承されず、一塔一金堂直線配置式(四天王寺伽藍)が主流
  で仏教寺院が多く建築されています。

 

もう一つ気になっているのが「瓦の時代考証」です。これも飛鳥寺の瓦を最古としています。

これも今後、探訪してみます。3-6 瓦の歴史探訪 を記述しました。


  このように、「飛鳥寺の建立が596年で最古」という現在の説が、専門家が疑問視する日本書
  紀によって成り
立っていることは、確固たる確証が同時期創建の寺院と併せ存在、発見されな
  い限り「最古のラベル認定」はい
かがなものかと思います。

  時代年代判定で、史料にないから有るから、何時代の瓦だから・・・という判断の根幹に係わ
  ることで、
「現在の時代判定の史料、調査研究では、最古の寺院は飛鳥寺の可能性が高いが、
  坂田寺、四天王寺、豊浦寺等
の可能性も残されており、今後の調査研究で変更される可能性が
  有る。伽藍配置、瓦の歴史についても飛鳥寺を
最古に位置づけることも同様である・・・」

 

という注釈を建築史学として明記すべきと思います。


 5)飛鳥様式

飛鳥建築様式(最古)をまとめると、版築工法の二重基壇に建ち、屋根の大棟には鴟尾が載り、錣葺の屋根形状で瓦が葺かれる。軒裏では、雲形斗栱で軒を支え、一軒丸垂木扇状配置の軒裏である。その下部には「人字形割束」「雲斗」「卍崩しの高欄」で飾る様式・・・が「寺院の起源」を表わしているのではないかと判断すると 

      建築史家藤島亥治郎の設計『四天王寺伽藍』となる

 

再建:昭和38年(1963年)から50年を経ている(2013年)ので文化財になる可能性が有る?

  


2,寺院建築の問題点

  ① 飛鳥寺伽藍は中国、朝鮮半島の寺院伽藍をモデルにしていない。蘇我馬子の独創的伽藍と
   いえる。
一塔三金堂式伽藍は、朝鮮半島での類似説は有るが、飛鳥寺と全く同配置は寺院で
   は検出されていない。
   瓦文様も百済には無い、11葉の蓮弁瓦が大半で朝鮮半島に類例は無く、日本での独自デザ
   インである。


 ② 伽藍の基本形式は、朝鮮半島での一塔一金堂式(日本の四天王寺式)である。
   最古はシンプルな舎利塔(殿)中心の伽藍であったと想定され、その発展形の中で並列配置、
   双塔配置が生ま
れてきたことは明解な過程、変遷であると考える。


 ③ 飛鳥寺と併行して4~5件の寺院を建築しており、創建時期が、着手なのか、一部分完成、
   全伽藍完成なのか
史料で等で明解でなく、伽藍完成を「創建、竣工」とするならば、どの寺
   院が最古であるか難解である。
   飛鳥寺が「日本最古と標榜」し続けることが、建築史学の総意なのか・・・・

 ④ 瓦の出土により、時代判定をしているが、飛鳥寺の瓦が最古という確証は、寺院創建年代
   (日本書
紀)以外に見当たらない。
   瓦の編年に関する資料を探索できず、時代判定の根拠を理解していないが、考古学的検証が
   寺院の創
建(文献)と関連しているならば その根拠は疑わしいと云わざるを得ない。

 ⑤ 飛鳥建築様式の雲形組物の起源は、中国、朝鮮半島には検出されておらず、日本独自の様式
   とも想定される
が、飛鳥寺、四天王寺、豊浦寺などが 法隆寺の様式であったかどうか確認
   できておらず、難解である。
   四天王寺の現在の建築は、それらの様式を全て具備したものと想定され、鉄筋コンクリート
   造でなく総檜で
再建できていれば、「復原」飛鳥様式寺院として素晴らしい景観になったと
   ことだろう!

     それこそ、日本寺院建築の最古のモデルとして世界にアピールできたはず!

  行政の建築基準法遵守もこのような場合、柔軟性のある特例処置を講じると拍手喝采なのだ
  が、薬師寺の
金堂も、内部架構は鉄筋コンクリート外周木造・・・昭和38年から最近まで、
  50年以上全く進歩しない行
政の判断姿勢に、憤りさえ感じる
   ・・・・・防火技術も格段に進歩しているのに!

      


                 2-4 飛鳥地図寺院配置 

    

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Author:masatias
30年続く寺社めぐりのメンバーです
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