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寺社建築文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源と変遷、文化財の諸問題を探訪しています。 又文化財拝観資料も記載しています。
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中国の建造物の文化財を探訪します。

5-2中国の建築史探訪

 

5-2

  中国・朝鮮半島のの建築史探訪

 


             感服する「中国古建築」のブログを発掘しました。

  当方が、このブログにより中国建築史を記述する必要がなくなりました。
            是非、ご参考にしてください・・・・・



 

1

  中国の建築史探訪

 

 

    中国の建築史は、現存建造物が少なく、建築史家の研究も少ないようで 資料を探索し
  ても明解な
ものがありません。
  感服する「中国古建築」を探査すると発見するかもしれません

  中国大陸から、朝鮮半島を経て仏教文化が伝来したのは明白で、その痕跡を中国大陸の
  遺跡遺構から
中国仏教建築史が確立されているのかと、期待していたのですが・・・



1,中国の仏教伝来

 
 伝来年代の確証はないが、伝来に関する説話で最も有名なのは、後漢の永平10年(67年)
  の明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話があります。
  後漢末期の武将として小説『三国志演義』にも登場する笮融が、揚州に大寺を建立した事で
  知られています。

  仏教伝来は一番早い説が紀元前2年であり、確実な説は、67年とされています。
  この時期にはブッダの音訳で、浮屠(ふと)と呼ばれ定ました。
  当初はあくまで上流階級の者による異国趣味の
物に過ぎなかったようです。

  しかし社会不安が醸成してくるにつれて、民衆の中にも仏教の信者が増えて教団が作られた

  ようです。

  インドと中国の仏教史の年表・・・もう一度、勉強した下歴史を思い出してください。
 

西暦

インド

中国

前5世紀

釈尊(前463-前383)

孔子(前551-前479)

前4世紀

原始仏教

荘子(前370-前400頃)

前3世紀

上座部と大衆部に根本分裂(部派仏教)

孟子(前372-前289)

 

アショーカ王が全国に仏舎利塔建立

 

 

仏舎利塔信仰が流行する

 

 

スリランカに仏教が伝わる(南伝仏教)

 

前2世紀

 

シルクロード開通

 

 

 武帝が匈奴を北方に追いやる

 

 

 張騫による西域遠征

前1世紀

初期大乗仏教?

仏教伝来

1世紀

阿弥陀経、般若経(初期)法華経成立 

永平10年(67年)明帝、洛陽白馬寺求法説話

2世紀

龍樹の中観仏教 『中論』など

 

 

 

大月氏国の支婁迦讖が洛陽に大乗仏教を伝える

3世紀

如来蔵思想成立

竺法護 (239-316年)

 

『勝鬘経』『涅槃経(大乗)』など成立

『正法華経』(286)

 

『華厳経』の成立                                (独立した経典が中央アジアで集成) 

 

4世紀

無著・世親による唯識仏教

仏図澄(庫車出身)と弟子同安の活躍

 

グプタ王朝(320‐550年頃)はヒンズー教を国教とする

敦煌莫高窟の造営が始まる

5世紀

 

庫車出身の鳩摩羅什の訳経典

 

 

『阿弥陀経』(402)、『妙法蓮華経』(406)

 

 

魏武の法難(446)

6世紀

末法思想が西北インドで成立

西インド出身の真諦(499‐569)

 

 

『金光明経』『摂大乗論』『中辺分別論』      『大乗起信論』

 

 

南岳慧思禅師(515-577) 天台宗へ

 

 

天台大師     (538-597)  天台宗

 

 

周武の法難(574)

 

 

吉蔵(549-623) 三論宗

7世紀

密教成立   『大日経』『金剛頂経』

闍那崛多・達摩笈多訳『添品妙法蓮華経』(601)

 

<イスラム教成立(アラビア半島)>

629-645玄奘三蔵(602-664)のインド遊学 法相宗

8世紀

 

善無畏(637‐735) インド僧

 

 

 716年長安に入り初めてインド密教を伝える。『大日経』を翻訳。

 

 

金剛智( 671‐741) インド僧

 

 

 720年長安に入り金剛界系密教を伝える

 

 

チベットに仏教伝来

9世紀

 

804年伝教大師最澄・弘法大師空海入唐

 

 

会昌の法難(845)

10世紀

 

後周の法難(955)

 

 

『蜀版大蔵経』木版印刷による最初の大蔵経の印刷

11世紀

 

高麗(朝鮮)諦観法師   入宋(961)           『天台四教儀』を著す

12世紀

インド仏教滅亡

<日本は鎌倉新仏教の時代へ>

 

仏教教団は壊滅、仏教はヒンドゥー教の中に吸収される

 

 

 

  

     

2,中国の建築史    感服する「中国古建築」のブログを発掘しました。

 
1)遺跡等の発掘記録
 
  ① 二里頭文化=夏王朝(紀元前1800~紀元前1520年)


   中国の最初の王朝。
   中華の「華」は、古代には「夏」と同じ意で用いられた。
   「夏」とは、中国最古の王朝の名称。
   「史記」などの文献に登場するものの考古学の裏付けがないことから、多くの研究者は
   「幻」と考えてきたが、
近年の発掘で、ついに実在が確認された。
   「夏」が誕生した紀元前2000年頃は、黄河流域だけでなく南の長江流域などでも多様
   な文化が同時多発していた時代。

   最近黄河中流の竜山文化を夏王朝の時代とする主張も有力になっている。
   現在注目されているのは、1950年代に発見された、河南省の二里崗遺跡(前1600年頃)
   と二里頭遺跡(前2000年頃)の青銅器文化である。
   これらの遺跡で殷墟よりも古い青銅器が見つかっている。
    

   縦、横各100Mの封土がある。当時の木造技術は原始社会と比べるとすでに大きく進歩し
   て
おり、斧、刀、のこぎり、のみ、きり、シャベルなど木構造物を加工する道具が発見さ
   ている。建築的には、木
構造と封土の技術がいずれも確立し、一定の進歩を遂げていた。
   ・炭素14年法で調査した結果紀元前1684~1515の遺跡と判明しました。       
   
   【wiki】これまで発掘された二里頭遺跡は4期に分けられている。
   1期および2期からは石器や陶器を作る工房が発見され、その基調は農村文化である。
   3期と4期からは青銅器工房と宮殿が発見された。
   宮殿の遺跡は2つあり、一号宮殿址は南北100m、東西108mの方形の基壇の上に建てられ周
   囲には塀などが発見された。

        二里頭遺跡1号宮殿
                 二里頭文化一号宮殿址

   そのすぐ近くにある二号宮殿址は東西58m、南北73mの基壇が発見され、その北に大きな
   墳墓があるため、祭祀のための施設とも考えられる。
   近年はさらに大きな都市や道路の遺跡も発見されている。

        二里頭の宮殿復元

                      二里頭宮殿址



 ② 西周・・・・紀元前1100年ごろ~紀元前771年

  中国の周王朝の成周<洛陽>等の首都が多くあり、そこに都城があった。これらの都城は 
  いずれも
版築で突き固められた封土があり、城壁の外には堀が張り巡らされていた。
  そこには、城門・宮殿が設けられていたと想定されている。
  木構造を主な構造方式、屋根には素焼き瓦、彩色上絵が施されていた。
  この時代から中国の古代建築の原形が、に出来上がって来たと見られます。
 

 ③ 秦漢時代(紀元前260~263年)

 
  この時代、国も栄え建築ブームで、建築文化も大きく発展したようです。
   木構造は組物が発展し、重要な建築物には斗栱が多種多様に採用され軒の出が大き装飾
   され広く使われました。
   屋根形式も多様化し、「廡殿式」(寄棟造)、「歇山式」、「桃山式」、「攅尖式」、
   「囤頂式」が軒並み登場(
故宮の屋根)しました。

   中国寺院は、2世紀に始まり、4世紀には伽藍配置が確立され、5世紀には、大伽藍に展開
   され100mの塔が建築されていました。
(以下に紹介します。)

  

 ④ 魏晋南北朝時代(184年~589年)

   この時期仏教が隆盛発展し、北魏に仏教寺院 3万カ所以上、洛陽だけで1367カ所が建立
   されたといいます。

   又、石窟寺院も
相当数生まれました。

    ・山西省大同市の雲岡石窟
    ・甘粛省敦煌市の莫高窟
    ・甘粛省天水市の麦積山石窟
    ・河南省洛陽市の龍門石窟

    などがあリます。



1)主要な建造物

 

  ● 2世紀末 徐州の牧の陶謙のもとで窄融(さくゆう)がつくった浮屠祠
   九輪を頂く重楼を中心に回廊を巡らす。重楼の上部はストゥーパ形式、初重はヴィマナ
   であった。


  ● 209年 高頤闕 (こういせっけつ)   四川省雅安県県城東 15kmにある石闕

   建造年代は後漢献帝の建安 14 (209) 年と考えられている。

   大小2つの建物を横に並べた2重闕で,屋根にはそりがつけられ,寄棟造本瓦ぶき。

   軒は一軒扇垂木。
   高頤闕は闕といって漢代のお墓の門の役目を果たすもので文字も刻されている。

   この字は後漢建安14 年(209)のもので東闕・西闕で8 行6 字ずつの文字が確認できる

                                     2-4 高頤闕-2

 

   ● 4世紀末 北魏の首都平城五重塔、耆闍崛山(ぎしゃくっせん)、須弥山を祀る仏寺
     のほか、講堂、禅堂、
僧房を構えたことが『魏書』にみえ、仏教寺院の伽藍が整備
     されたことが知られる。


 

   ● 460年 雲岡石窟  世界遺産

     山西省大同市の西16km 武周山の南側東西約1kmにわたって彫られた石窟群。

     約1500年以上の歴史があり中国古代仏像彫刻芸術早期の代表作として、その後の
     龍門石窟
などに芸術上の影響をもたらした。
     現存する石窟数は252窟、大小仏像は5万体を越す。敦煌莫高窟、洛陽龍門石窟
     ともに、
「中国三大石窟群」と呼ばれている。


                           2-4 雲岡石窟ー1

 

   北魏の和平年間(460-465年)に、当時の僧、曇曜和尚により彫られ、力強く、重厚
   かつ
素朴な中国西部地方の情緒を有している忠告があり、その中に建築の文様が彫ら
   れています。
   「人字形割束」「平三斗」「卍崩しの高欄」が画かれ、法隆寺への伝承が確認できます。

   雲崗石窟を初めて世界に紹介したのは建築家の伊東忠太だそうです。
                                 (雲崗石窟と日本人)

 

 

  ● 467年 永寧寺 首都の平城(いまの山西省大同市) 塔婆は木造7層                        


  
● 516年 永寧寺  

    孝明帝の時代、霊太后胡氏(宣武帝の妃)が、当時の都の洛陽城内建立した寺。

    高さ100m以上の九重の大塔があったと、「洛陽伽藍記」等の当時の記録に見えている。

    南海を経て梁より北上して北魏に渡来した菩提達磨が、その壮麗なさまを見て、

    何日も「南無」と唱えていたという塔は、この大塔である。

    仏殿は宮城の大極殿の外観に似ていたといわれ、主要な仏寺建築は宮廷建築を模倣した
    こと
が知られる。

    孝武帝の534年(永熙3年)2月に火災に遭い焼失。近年の発掘調査の成果として、
    この大
塔の基壇部分が出土している。(1981・2000・2009年調査)


                         2-4 永寧寺塔ー2
        

 

  ● 523年  嵩岳寺の塔 

     河南省登封 北魏、正光4年 磚造  中国最古塔 十二角形

 

  ● 781年  南禅寺  (山西省)  中国現存最古

     中国山西省の五台山にある南禅寺の大仏殿が、中国で現存する最古の木造建築物です。

     建中三年(781年)に建てられたことが、殿内の梁の下に墨書で確認されています。

 

  ● 857年 仏光寺 東大殿
     宋、金、明、清の四期に修築されているが唐大中十一年(857年)に建てられた
     もので、
正面七間、奥行き四間と規模を誇り、中国で二番目に古い木造建物です。


                    2-4 東大殿



   中国の仏教建築の実例はこの程度しか見いだせません。
   中国建築史学、文化財管理の論議に該当する資料も探索できませんでした。


 

 

 

2、遺跡建造物の遺構

● 河姆渡(かぼと)の遺跡

 

  中国東部,杭州湾南岸,浙江省余姚県河姆渡村に存する中国新石器時代早期の遺跡。

  1973‐74年に発掘された。遺跡は丘陵と平原の過渡地にあり,4層からなっている。

  最下層の第4層には高床式建築遺構の基礎と考えられる円柱,方柱,板などを打ち込んだ
  13の杭列
が発見された。遺跡が沼沢地に面していたことに高床の原因があるらしい。  


  

 

遺跡名

  河姆渡遺跡(かぼと)

場所

中華人民共和国浙江省

時代

紀元前5000年頃-紀元前4500年頃にかけて存在した新石器時代の文化

指定

wiki

河姆渡遺跡展

遺構

遺跡からは干欄式建築(高床式住居)が数多く発見されている。用材には枘(ほぞ)や枘穴があり,建築工芸のさえが見られる。これらの加工には石斧と石鑿が使われたが,刃部磨製の初期段階のものである

特長

大量の稲もみや炭化米が出土した世界最古級の稲作遺跡として知られ、

見つかった高床建物用の木材も中国では最も古い例とされている。

 

  
    
 参考HP  長江文明の伝播と水田稲作を拒否した縄文人

        

        桜町遺跡と河姆渡遺跡 



    ●その他 参考資料

   Wiki 中国の新石器文化の一覧  

        
兵馬俑   

        三星堆遺跡 


                  参考にしてください。 

 

  

      中国の建造物の探訪を終わります。今後も探訪していきます。

 

 

 


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