FC2ブログ

寺社建築文化財の探訪<TIAS>

寺社建築の起源と変遷、文化財の諸問題を探訪しています。 又文化財拝観資料も記載しています。
041234567891011121314151617181920212223242526272829303106

【最近の探訪】 2014年10月29日 京都の寺社めぐり

E-2 今までの探訪記録

  9-2-1   2014年10月 京都 探訪
     1、平等院


1

 平等院鳳凰堂

宇治市宇治蓮華116

0774-21-2861

入園+鳳翔館   600円

鳳凰堂内部拝観  300円

     

                      平等院全景-1 20141122  

 

寺社名

平等院

山号・宗派

朝日山 天台宗と浄土宗

創建

永承7年(1052年)

開基

藤原頼通、明尊(開山) 

歴史

9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となった。

現況

現在の平等院は、天台宗系の最勝院、浄土宗の浄土院という2つの寺院(共に鳳凰堂の西側にある)が共同で管理している。浄土院は明応年間(1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681年)寺社奉行の裁定によるものである。宗教法人平等院の設立は昭和28年(1953年)である



1、国宝 鳳凰堂                                

  鳳凰堂は、建造物としては中堂、北翼廊、南翼廊、尾廊の4棟からなる。

  阿字池の中島に東を正面として阿弥陀如来坐像を安置する中堂が建ち、その北と南にそれぞれ北翼廊、南翼廊が接続
  して建ち、中堂の西(背後)
に接続して尾廊が建つ。

 

建物・棟

平等院鳳凰堂 中堂

 

 

建築様式

入母屋造

屋根・頂部

本瓦葺・棟上に一対の銅製鳳凰

平面形状

(正面)3間、梁間(奥行)2間

基礎・縁

石造壇上積

外観形状

一重裳階付 

外観特長

裳階の正面中央は屋根を一段高くする

主要架構

円柱を頭貫と内法長押

架構特長

身舎と裳階のみで庇を設けない特異な構造

軒裏組物

三手先 二軒繁垂木(地円飛角)

中備・支輪

間斗束 支輪部分には宝相華文

内陣架構

前後方向に虹梁を渡し、組入天井

内陣特長

中央部分を石敷きとした須弥壇

 

壁扉画九品来迎図・宝相華文など

 

 



         a3平等院全景-2 20141122 



建物・棟

南北の翼廊

 

 

建築様式

切妻造

屋根・頂部

本瓦葺

平面形状

折曲8間、梁間1間 平面はL字形

基礎・縁

建具や壁を入れず開放とし、床も張らない

外観形状

一重二階建

外観特長

直角に曲がる角の部分には隅楼

主要架構

頭貫、飛貫、腰貫

架構特長

飛貫、腰貫はなく、後から補強

軒裏組物

1階が二手先、2階が平三斗

中備・支輪

二軒繁垂木

 

天井:組入天井、虹梁と蟇股  ・中央間を板扉、両脇間を連子窓

2階内部の構架は二重虹梁蟇股で、天井は張らず、垂木がそのまま見えている

3階部分は方3間、宝形造、本瓦葺き、組物は出組、屋根頂部に瓦製の宝珠を乗せる。

外観特長

各翼廊に16本ずつの柱があるが、うち古いものは北翼廊の柱1本、南翼廊の柱5本のみで、他の柱は明治の修理時の取り換え材である。















       平等院尾廊妻面20141122

 
● 外観のバランス

身舎の円柱は径2尺(約60cm)ある太いものであるが、周囲を裳階がとりまいているため、外観では身舎の太い柱が

目立たなくなっており、これによって建物全体を軽快に見せている。

裳階柱も幅8寸5分(27cm)あるが大面取りが施され、断面八角形に近い柱形状になっているため実際より細く見える。


中堂は前述のように身舎と裳階のみで庇を設けない特異な構造であることに加え、屋根の出が非常に大きく、構造的には不安定な建物になっている。身舎の屋根の先端部は、裳階屋根の先端部や基壇の端部よりもさらに外側に突き出ている。

明治期の修理以前の古写真をみると、中堂には、屋根の垂れ下がりを防止するための突っかえ棒が設置されて、外観を損ねていた。

● 本瓦葺ではなく木瓦葺きであった

こうした構造に加え、境内からは創建当初の瓦がほとんど出土しないこともあり、当初の鳳凰堂は屋根に大きな荷重の掛かる本瓦葺きではなく、木瓦葺きだったのではないかと推定されている。

木瓦葺きとは、外観を瓦に似せた板で屋根を葺くもので、平安時代の実物としては中尊寺金色堂のものが唯一現存する


● 平成大修理
         平成24年9月3日から平成26年(2014年)3月31日まで屋根の葺き替え・柱などの塗り直し修理が行われている



● 観音堂  重要文化財 境内北側、表門を入って左側に建つ

建物・棟

観音堂 「釣殿観音」

建立 

鎌倉前期  (指定明治35.04.17

建築様式

寄棟造

屋根・頂部

本瓦葺

平面形状

桁行七間、梁間四間

基礎・縁

 

外観形状

中央三間が開戸、左右二間ずつが引戸。側面は扉と連子窓

主要架構

 

架構特長

 

軒裏組物

大斗肘木 地円飛角

中備・支輪

間斗束

 

● 養林庵書院 - 山内寺院の浄土院に建つ。非公開。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


2 仏像

木造阿弥陀如来坐像 国宝

寄木造 漆箔、像高284cm。

製作・年代

仏師定朝の確証ある唯一の遺作 天喜元年(1053)

特長

 頬がまるく張った円満な顔。伏目がちですが意外に大きな眼は拝む者を静かに見つめ、その表情はかぎりないやさしさにあふれています。胸をひいて背をわずかにまるめた姿勢には無理がなく、いかにも自然で、どこにも硬い緊張感がありません。

 

木造天蓋 国宝

 

 

本尊阿弥陀如来像の頭上に吊られた木造天蓋で像とは別個に彫刻部門の国宝に指定されている。折上小組格天井形の方蓋と、その内側に吊る円蓋からなり、透彫と螺鈿で装飾されている。

 

雲中供養菩薩像 国宝

木造、彩色・漆箔・切金

 

鳳凰堂中堂母屋内側の長押上の小壁に懸けならべられている52体の菩薩像。

製作・年代

定朝工房で天喜元年(1053)に製作

特長

極楽浄土において阿弥陀を讃嘆する菩薩像とする説もあるが、いずれの像も飛雲に乗ることから、阿弥陀如来と共に来迎する菩薩像を表したものとみられる。

52躯が現存し、すべて(平成20年(2008年)に追加指定された1躯を含む)国宝に指定されている。各像のポーズは変化に富み、琴、琵琶、縦笛、横笛、笙、太鼓、鼓、鉦鼓などの楽器を奏する像が27体あり、他には合掌するもの、幡や蓮華などを持つもの、立って舞う姿のものなどがある。菩薩形の像が主だが、僧形の像も5体ある。本尊阿弥陀如来像と同様、天喜元年(1053年)の作とされるが、補修はかなり多く、頭部が明治時代の修理で補作されているもの、像全体が鎌倉時代の補作であるものが各数体ある。

 

鳳凰堂中堂壁扉画(へきひが)14面 国宝

 

 

九品来迎図 旧扉画8面(上品中生、上品下生、中品上生、下品上生)、壁画3面(中品中生、下品中生、中品下生、下品下生)日想感図 扉画2面 本尊後壁画 1面

中堂の扉10面、壁4面は、国宝建造物の一部であると共に、そこに描かれた絵は絵画部門の国宝にも指定されている。主な主題は『観無量寿経』に基づく九品来迎図である。

製作・年代

鎌倉時代に下る、仏後壁前面画については、調査の結果、藤原頼通在世時(11世紀末)

 

鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾) 国宝

北方像総高235.0cm、像高98.8cm、総幅34.5cm

南方像総高228.8cm、像高95.0cm、総幅44.5cm

 

阿弥陀堂中堂大棟の南北両端部に設置されていた金銅製の鳳凰像 

製作・年代

長久2年(1041年)条に拠れば同年2月に仏師定朝に対して龍頭の製作が命じられている

特長

頭部・胴部・翼・脚部の各部は別々に鋳造され、銅板製の風切羽と共に鋲で留められ組み立てられている。一部に鍍金が残されているが、現在は全体が銅錆で覆われている。円盤状の台座に立つ鳳凰像で、頭部には鶏冠・冠毛・肉垂が表現され、太い眉と鋭い嘴をもつ。

  

梵鐘 国宝

口径123cm、高さ199cm、重量約2トン

 

「音の三井寺」「銘の神護寺」「姿、形の平等院」と謳われ、神護寺、園城寺(三井寺)の鐘と共に、「天下の三名鐘」に数えられている。

製作・年代

鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定 銘文がない為、時期については平安後期とする説が有力

特長

全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘である。

鬣を真上に逆立たせた竜頭、宝相華唐草の地文の上に鳳凰や、踊る天人などが刻まれている。

 

建物・棟

裳階

 

 

建築様式

中堂の四周の裳階

屋根・頂部

本瓦葺・屋根上には高欄

平面形状

東西南北とも1間の裳階

基礎・縁

切目縁(簀子縁)

外観形状

裳階柱と身舎との間には繋虹梁

外観特長

 

主要架構

大面取り角柱を頭貫と飛貫で繋ぐ

架構特長

飛貫は後補

軒裏組物

平三斗 地垂木飛檐垂木面取の角垂木

中備・支輪

間斗束

外観特長

裳階の正面(東面)中央間は屋根を一段高く切り上げて身舎東正面中央間の扉を開けると、その内側の格子には軍配形の窓が開けられ、阿弥陀如来の面相が見えるようになっている。







● 
史跡・名勝  平等院庭園 - 浄土式庭園。大正11年(1922年)3月8日に史跡・名勝に指定。


阿字池(あじいけ)の中島に阿弥陀堂(鳳凰堂)を建て、その美しい姿が水面に映る様子は、現世に極楽浄土をあらわしたものである。 また、宇治川の清流・背景の山々を取り入れた雄大な貴族好みの借景庭園となっている


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3、平成修理の問題


鳳凰堂の修理は平成24年9月に開始。

建立当初の姿に近づけるよう、1950年代の前回の修理から年月を経て傷んだ屋根瓦を、光沢のない「古色仕上げ」に替えた。一対の鳳凰像には金箔を施し、扉や柱を赤茶色の顔料「丹土」で塗り直した。

堂内には本尊の阿弥陀如来坐像、本尊を囲むように壁面に掛けられた雲中供養菩薩像などがあり、浄土さながらの優美な造り。堂内の改修は行われていない。


 

●丹土塗り」に復原

 「新しい鳳凰堂の姿に期待してほしい」、2013年7月9日、平等院で記者会見した神居文彰住職と鶴岡典慶・府教委文化財保護課副課長は、こう言って胸を張った。

国宝で、世界遺産にも登録されている平等院。 大改修は平成2(1990)年から始まった。

その過程の発掘調査で、天喜(てんぎ)元(1053)年、関白・藤原頼通によって創建された際は屋根瓦が木製だったのが、約半世紀後の修復で、現在のような粘土瓦による総瓦葺になったことなどが明らかにされた。

 平成大改修の仕上げは外観の彩色、つまり柱や扉の塗り替えと、屋根を飾る鳳凰などの手直しである。

 国宝建造物などの修復にあたっては、可能な範囲で古い形式や仕様に復原する方針が取られる。

はっきりした痕跡などが確認されれば現状を改め、古い形態に戻すのだ。  

 鳳凰堂は戦後間もない昭和25(1950)年に修理された。

その際の外観の彩色は、鉛を焼いて作った赤色顔料の「鉛丹(えんたん)」で塗り直した。


しかし今回、古い瓦に付着した顔料を分析したところ、かつては鉛丹でなく酸化鉄と黄土を混ぜた「丹土(につち)」だったことが判明した。同じ赤色顔料ながら、丹土は鉛丹に比べてより落ち着いた色調になる。

 最近再建された平城京大極殿も丹土塗りで、費用もほぼ同じことから、府教委は丹土塗りの採用を決めた。昭和の修復では、柱の下方は鉛丹を塗らないなど古色を重視していた。今回は柱をすべて塗り、赤色が目立つようにする。


 

●金具類に金箔を押すことだろう。


 鳳凰堂のシンボルで名前の起源の鳳凰は青銅製だが、創建当初は金鍍金(ときん)=めっき=されていたことがわかっており、今回、金鍍金か金箔押しで復原される。また、左右の翼廊の屋根を飾る「露盤宝珠」も金色に変わる。

 創建時の姿への復原がいいのか、くすみなどの経年変化が現れた現在の姿を大切にすべきか。

 古建築を多く抱える奈良や京都では、大きな化粧直しがあるたび、議論が巻き起こった。

 

 昭和56(1981)年、薬師寺に西塔が再建された際、外観は創建時を想定して極彩色に塗られた。

この時は「“凍れる音楽”と例えられる東塔(国宝)の古色にそぐわない」と地元から大反対が起きた

 

 ●答えが出るのは

 平等院鳳凰堂についても、専門家や歴史ファンから「創建時の姿を知ることは意義がある」「せっかくの『古色』が失われ、『わび・さび』の感覚からも外れる」と、さまざまな声が上がっている。

 平等院修理の方針について学識経験者らが話し合う「修理委員会」委員長、斎藤英俊・京都女子大教授(建築史)は「歴史的に裏付けされた形態に戻すのは基本方針。

 鳳凰堂には宗教施設と文化財という両面があり、最初は違和感があるかもしれないが、10年もたてば慣れる」と話す。


                          次は宇治の神社です。記述中です。お待ちください!


カテゴリ
プロフィール

masatias

Author:masatias
30年続く寺社めぐりのメンバーです
<TIAS>グループ名称
Improvement of a spirit boundary
by Temple and shrine =<TIAS>

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

訪問者
ブロとも申請フォーム